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2017年 夏の蘭展 富貴蘭展                  No.585
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◆2017年6月、。   2017年「夏の蘭展」



花ごよみ 夏の蘭展
時:2017年6月30日~7月2日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2017年7月1日・2日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2017年6月25日
所:相生園芸センター






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# by evian_th | 2017-06-16 20:30 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽鉢「楽徳龍図蘭鉢」                     No.584
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◆2017年6月、。       京楽鉢「浮田楽徳龍図蘭鉢」


京楽焼・浮田楽徳窯「水龍図蘭鉢」、。
なぜだか分からないけど、今月は楽鉢の歴史調べの初期の頃に度々お世話になったこの鉢を見たくなった、。楽鉢調べの原点の鉢の一つだたからだろう思う、。過去に使用の鉢画像の中には幾つかの印象強い気に入りの鉢があって、そういう画像は「植木鉢フォルダー」のトップ画面に置いて普段から眺めている、。気持ちが癒される、。この鉢画像もその一つ、。風来記に掲載して周囲の赤色に囲まれると、見慣れた画像がフォルダーにある時とは違って見えて引き立つ、。

神奈川県の飛田邦之氏の画像、。飛田邦之さんは”先生”と呼ばれる職業の人だが気取る事も驕ることも無くエビアンの無理な注文にも快く応じて下さり、お世話になってる、。誰の紹介で知り合ったのかは忘れた、。恐らく東海園の梅原氏か故・野田谷治男氏によって紹介されたのだろう、。直接はお目に掛かった事は無い、。エビアンの同居人の実家が飛田さんと同じ御町内なので、数年前同居人が実家方面へ同窓会で旅行した時にデジカメを持たせ「飛田先生の所へお邪魔して飛田さんの画像を撮影」してくれるよう依頼した、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、今では電話で話してもイメージは湧く、。

飛田さんを初めとする何人かの圧倒的で情熱を持った協力者の存在が無ければ、「楽焼鉢の歴史調べの旅」はこんなにスムースには進まなかったことは確実であり、現代の東洋蘭愛好家と植木鉢数寄者の総合力の結果だろうと感じる事が多い、。楽鉢製作に心血を注いだ江戸・明治・大正・昭和の過去の職人たちに感謝されているだろうと思う、。

「浮田楽徳鉢」について新たな情報がある訳ではありません、。楽徳鉢は分かり易いし、多くは既に調べ尽くしたように感じています、。ただ、BSテレビでは戦国時代・江戸時代・明治維新・明治時代をテーマに取り上げられることも多く、「楽焼植木鉢」という方向から日本史を見る癖が付いてしまって、「宇喜多秀家と宇喜多家一族」の無念には心を痛め続けています、。八丈島から流刑を解かれて江戸へ戻る事を許された浮田一族の人たちも、江戸では徳川家に対する逆賊扱いだったため住む所にも困り、宇喜多秀家の正室豪姫の実家である加賀前田藩の江戸屋敷にかくまわれ面倒をみてもらったのでした、。
今年から「全国春蘭連合会の展示会場」が「上野グリーンクラブ」に替わりました、。上野グリーンクラブの前の道路を南へ100メートルほど下ると、道の東側に「上野不忍池」があり、その道路、不忍池の反対側(西側)には数軒の民家を挟んで、60年安保闘争時に名前を馳せた「安田講堂」や「赤門」を擁する「東京大学」の広大な敷地があります、。この本郷の東京大学敷地こそ、江戸時代は「加賀前田藩江戸屋敷」だったのです、。
本郷には「福富京楽堂」の窯があり、団子坂の上には「手島揫二」の窯もありました、。何だか皆な 近くへ寄って来てますね、。


今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」は飛田さんにお願いして2度に渡って全方向から撮影してもらいました、。
1の足は、龍の顔部分と下部には「大浪・波涛紋」、。細かい水しぶきの点々は魚の子紋、。「楽徳の描く大浪紋」は、狩野派絵師・尾形光琳が考案」した波を表すユッタリとした曲線が並行して並ぶ、いわゆる「光琳波」であり、波涛部分は絵師・葛飾北斎が「富嶽三十六景」の中で考案した「波の先が人の手指のように割れる」紋様です、。余談ながら、昨年この波を実験室の中で再現する試みが行われ、1秒間に何万カットの撮影ができる高速度カメラで撮影すると、風速がある一定程度を超える風が吹いた時に現れる波の先っぽは見事に北斎の描くところの人の手指状に割れたのでした、。ね、歴史に名を残す絵師の観察眼というのは人並み外れたものがありますね、。

2の足は、龍の胴体部分と後ろ足、。朱色で稲妻を走らせ、絵師としての間を持たせてあります、。これが無ければ寂しい、。
3の足は、龍の尾っぽ画像、。尾っぽをどういう風に処理するかというのは絵師として最も難しいところです、。尾の先を割って描き、画面の寂しさは大浪と波涛紋とを1の足よりも2段、2の足よりも1段高く描くことによってカバーしています、。

鉢の足が腰に付く部分には「金泥でヒラヒラ紋様」を描いて足の菊花唐草紋と腰の大波紋との区切りとしてあります、。隅々まで神経を行き渡らせた浮田楽徳という絵師の腕前に感服、。時代乗りも良し、非常な上品、。
口径11.3センチ×高さ14.3センチ。(飛田邦之氏所蔵・撮影)




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今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」の画像は、風来記鉢画像掲載当初から何度か使ってます、。が、初めの頃過ぎて、飛田さんも鉢画像撮影に慣れてなく、白色の毛羽立ったバスタオルを広げた上へ楽鉢3個ほどを並べて置いて真上から撮影した画像でした、。鉢を横にした画像と鉢を立てて撮影した画像とは違って見えます、。
そういうこともあって、この鉢を正式に紹介しておきたいと思った訳です、。既に以前に掲載してるかも知れませんが、今月はこの鉢を載せたいと思いました、。同じ鉢でも月日が経てば見え方も変わる、。(変わったのはエビアンの観賞眼の方なのですが)


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# by evian_th | 2017-06-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
金閣宝                              No.582
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◆2017年4月14日、。   東洋蘭界の頂点に君臨し続ける柄物


 いつの時代、どの分野であれ、東洋蘭の大ブームが起こる時には必ず 人気をリードする品種というものがあるものです。

 昭和50年代に起こった日本春蘭紅花ブームの終盤頃、昭和 60年代初めに『玉殿の松』ブームが起き、それに続いて「無名縞物ブー ム」が、更に引っ張られる形で「黄色中透け物ブーム」が起きました。
 日本の春蘭界では歴史上初めての「縞物ブーム」だった訳です。この
縞物ブームを絶えずリードして来た品種が『金閣宝』なのです。言葉を 換えて言うなら、日本春蘭花物ブームをリードしたのが『女雛』『山ノ 端』『秩父錦』であったように、日本での黄中透けブーム・韓国中透け ブームは、結局のところ『金閣宝』ブームであるとも言える訳です。
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出自

 採取は昭和57年頃、採取地は新潟県ということになっています が、来歴には多少の謎の部分があります。山出し当時は棒縞のチョイ柄 だったとか、4本立の1本に見事な黄色を現わしていたとか、ともかく 新潟県の蘭商・石綿一二三氏によって買い出された時には、4鉢だった といいます。内2鉢を四国の蘭商・平見和士氏に売却し、平見氏は九州 宮崎の川田芳雄氏と福井のK氏に納め、石綿氏の手元に残った2鉢は、 東京に納められました。私の手元に残る当時の業界誌の表紙を飾った川 田さんの『金閣宝』と東京のKさんに納まった『金閣宝』の写真とは、 どう見ても別の蘭のように見えます。川田さんの分は、紺覆輪が深い白 黄色中透けで力感あふれる半垂れ葉、他方は斑色は濃い黄色で照り葉の 横広がり半垂れ葉ですが、紺覆輪は浅い物でした。なぜ、棚割り当時に 別々に見える2種類が存在したのかは“謎”です。石綿氏亡き今となっ ては知る人もなく暗の中です。
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命名の由来

 この蘭は当初、石綿さんによって「金閣」と命名されていて、寿楽 園・平見さんの手で宮崎の川田さんに納められ、これを一目見た川田芳 雄氏は非常に気に入って、名前の「金閣」に「宝」を一字足して「金閣 宝」にしたいと思うがどうか、と石綿氏に問い合わせ、了解を得て日本 春蘭『金閣宝』の誕生となったのです。当時は寒蘭の柄物ブーム時でも あり、寒蘭柄物の『国宝』は日本春蘭柄物最高級品だった『国宝』から 名前を借りて命名したので、今回は川田さん命名の寒蘭柄物の『金閣 宝』という名前を春蘭に付けたい、という意向であったようです。
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性質

 信用のおける筋から種木を購入すれば問題はないと思われますが、 『金閣宝』の小さい時には、紺覆は色薄く、浅くかかるし、斑色は白っ ちゃけた白黄色だし、とても銘品に見えない程、貧相なものでありがち です。
 性質は柄物中でも上位クラスの丈夫な蘭ですし、小さな種木からでも 年々スクスクと作上がりに来ますので、大金を出せる人は別にして、 5~10万円で十分に作れる木が入手できます。3~5センチくら いの小さな木の時に、斑色は黄色濃く、紺覆輪が深々と入って、見るか らに銘品ぽく見えるようなら、心配なことです。小さいまま作上がりに 来ないようなら、品種を疑ってみる必要があるかもしれません。
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作る

 種木の作り方の要点は1つだけです。根数に比べて小さめの楽鉢に、 鉢底の目止め上の土は、上部まで山野草用の極細粒土の単品で植える か、水抜けが悪い土なら春蘭用表土小(直径5ミリ)との半々混合土 で、下から上まで植える事です。“コツ”があるとすれば「植え込み」 この一点のみでしょう。1バルブあたりの根数が少なく、新木の根下ろ しが悪いのでこの点を補い、普通に作っても上作するように植込用土で 加減する訳です。上木になり、葉長20センチ、6枚葉を繰り出す ようになれば、多少、大きめの用土を用いて徒長を防ぐ必要も出てきま すが、それまでは思い切って細粒で植込される事をお勧めします。その 際、表土に1層だけ薄く水苔を乗せておけば、細粒土植えによる 過乾燥と表土の暴れを防ぐことができます。
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美術株作りと繁殖

 葉丈10センチを超え、15センチくらいの中上木になると 「奴芽」(双子芽)や後木と前木とに芽が出る「後前」(うしろまえ) に芽を出したがるのも『金閣宝』の特徴です。2つの芽当たりを出し て、作者の欲心を計りに来たり、惑わせたりしますが、前述した通り、 根数の少ない蘭ですから、3~4本立の『金閣宝』に2本の芽を作上が りに育てるスタミナはありません。後前に来た時には当然ながら、迷わ ず後木を欠き、前奴(双子)に来た時には、根拠もありませんが、経験 上、新木に向かって左側の芽を残して右を欠いたほうが良くできます。 これを惜しいからと、芽欠きせず両方伸ばすと、7月中くらいは普通に 育っているように見えても、8月中旬には急に勢いが落ち、無惨な作下 がりになるのは必定です。
 
元気の良い中上木3本立ち以上になと、7月中には今年の新芽に押し 子(秋子)をかなりの確率で出してきます。これは、このままで育て、 翌年3には鉢を空けて、この押し子を外すようにします。この時、下り に根が居れば、別植えとし、押し子に根が無ければ惜しいのですが、切 除し捨ててください。
 これをせずに、押し子を付けたままで次年の作を掛けると、昨年の押 し子は根が無いために作下りになる上に、今年芽も育て難く、鉢全体と しては、みすぼらしい株に成り下がってしまいます。『金閣宝』は1年 に1本の芽だけを育て、繁殖は古木の1~2本を外してのバック吹きの みで行うと心に決めておくのが、前木に絶えず美術株を所有しておれる コツです。
ランも一流一級品ですが、この木は作者の蘭に対する姿勢を 問いかけて来るランでもあります。
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置き場と管理

 ひとバルブあたりの根数が少なく、新木の根下ろしが悪い、という一 点の特徴のほかは、性質そのものは強く、黄中透けの中でも作り易さで は上位に入るランです。陽にも肥料にも強いので、置き場所は作場の中 でも陽光のよく当たる所に置き、肥料も普通に消化します。柄暗みは無 いので、有機・無機質を問わず与えてください。放任作りでも葉が伸び すぎることはありませんが、葉長のわりに葉幅を引かせたほうが見栄え がしますので、栄養剤・活力剤の類は、控えた作りを心がけましょう。
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永遠のラン

 『金閣宝』の柄を言葉で表現すると、「紺帽子深覆輪黄中透け」とい うことになります。葉元から紺縞を押し上げたり、葉先の紺帽子から蹴 込みの縞を通したりもしない、黄色の斑部分と紺覆輪の部分の境目が ハッキリとした完全な中透け芸です。言葉で表わせば単純芸のような印 象を受けますが、斑切れの良さと襟組み(エリグミ)の正しさから、株 全体に気品を漂わせ、見る者を惹きつけます。
今日に至るも「風格ある 気高さ」という点で、黄中透け柄物を100鉢並べられても、この 『金閣宝』は遠目に見ても見分けがつくほどに優れた稀有の銘品です。
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<注>
この原稿は、「園芸ジャパン誌」が「自然と野生ラン誌」であった2007年に掲載されたものですが、エビアンはテッキリ、風来記にも書いてあるものだとばかり思っていました、。今回、「金閣宝」を取り上げるにあたり、「奥部屋」や「風来記」の過去スレを探したのでしたが見当たらず、自然と野生ラン誌の記事がオリジナル原稿であったことに気付きましたので、改めて今、掲載しておきます、。(風来記・エビアン)

画像は大きめサイズで掲載しています、。下の文字が隠れる場合は、画像をクリックし拡大してご覧ください、。










# by evian_th | 2017-05-26 00:30 | 東洋蘭(春蘭)
大阪楽鉢「楽雅亭」                        No.583
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◆2017年5月、。   大阪楽鉢「楽雅亭」


大阪楽鉢「楽雅亭」、。
「大阪楽」の認知度が低くて迷惑しています、。つい最近も出版物に大学教授だか研究員だかが「楽忠・楽雅亭の鉢を見て、明治時代か大正時代の製作」と書いたようで、問い合わせに対して「新しそうに見えたから・・」と答えたそうです、。

盆栽界では「楽忠窯」が「江戸明暦2年に大阪堺(現:大阪府堺市)で開窯した」ことは良く知られている事実なのです、。「楽忠窯」は明治12年まで存在したので、詳しい資料が残っているのでしょう、。
◆2007年「盆器大図鑑上巻24頁」の「楽忠右衛門」の項目には・・・
「楽家脇窯の一。忠右衛門(号・道楽)は楽家三代道入(のんこう)の弟で、明暦2年(1656)頃堺で開窯。茶道具はほとんどつくらず主に食器・雑器を焼いたと伝えられる。楽焼に施釉した軟陶が多く、楽焼と陶器の中間程度のものもある。明治中期まで九代続き、二代以降の製品を本湊焼と称する。」、と書かれています、。

この「江戸明暦2年」という年は、忠右衛門の兄・楽家三代目道入が2月22日に没した年であり、恐らくそれまでは兄の楽焼を手伝っていたものと思われます、。兄の死によって楽家の4代目は3代目道入の長男・一入が継ぐことになったので、忠右衛門は大阪堺で脇窯を開くことになったのだろうと推察します、。江戸「明暦の大火」で炎を逃れた人が墨田川へ飛び込み、多くの死者を出した出来事の前年のことです、。

このように「楽忠窯」が明暦2年に開窯したことは周知の事実なのですが、
さて、今月のトップ画像「楽雅亭」はというと(エビアン現在までの所)資料を発見できず、「楽忠作品」と「楽雅亭作品」との比較による状況証拠に頼っています、。
「楽家2代・常慶の弟・宗味」が同じく脇窯を開いていますが、これが「楽雅亭窯」であろうと考えています、。
つまり、「楽忠・忠右衛門」から見れば「楽雅亭・宗味」は実の叔父に当たる訳です、。

年齢的には「楽雅亭・宗味」の方が歳上で、楽家からの独立開窯も「楽忠・忠右衛門」よりも早かった筈なのですが、「楽雅亭」に関する資料が見つかってない以上は、「資料上からは楽鉢は明暦2年が起点だった」と言わざるを得ず、昨年2016年「園芸ジャパン1月号」にはそのように記しました、。実際は「楽焼植木鉢の焼初め」は「楽雅亭」の製作によってもう少し時間的に遡るかも知れません、。
「楽雅亭の窯の場所」は、これも推測ですが、同じく大阪堺であっただろうと思われます、。千利休の出身地であり、利休の家督を継いだ楽家初代・田中長次郎所縁の土地でもあり、楽忠が後に窯を開いたのですから、「楽雅亭窯も大阪堺」に在ったと考えるのが自然です、。

今月の鉢は「楽雅亭・太鼓胴飴釉花浮き彫り紋花盆」です、。
正直なところ、楽忠・楽雅亭の鉢で、浮き彫り紋が瑠璃釉ではなく飴釉である作品を見るのは初めてです、。
これが瑠璃釉と比べて年代的に前なのか後なのか同時期なのかも判断できません、。この鉢は、口径18センチ高さ13センチと小さ目です、。足が「鬼面足 」ではなく「猫足」なのも普通っぽいのですが、胴部分はきっちりと3段の段替わりをとっています、。使い頃の良さそうな鉢ですね、。

「楽雅亭落款」の入った鉢は、非常に希少です、。「楽忠窯」が九代続き明治12年まで製造していたのに比べると、「楽雅亭」は初代か2代目くらいまでしか製作しなかったのではないかと考えています、。後の時代の作品を見ないからです、。そういう訳で絶対数も少ない上に、「楽雅亭落款」を押印した鉢も少ないので、形はどうあれ、残っているだけで貴重品です、。

「楽忠」「楽雅亭」型には「無落款」の鉢も多く、弟子による制作なのか、どういう訳なのかは不明です、。
(西口郁夫氏所蔵、撮影も同氏)





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# by evian_th | 2017-04-30 22:30 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
春季展示会2017 。 No.575
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◆ 春季展示会2017


056.gif展示会は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんので、ご注意ください。


大阪東洋蘭会 2017年 春季展示会
時:2017年3月12日。(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春季春蘭展示大会(全春連)
時:2017年3月18日・19日、。
所:上野グリーンクラブ(東京都台東区上野公園3-42)




兵庫春蘭友の会 春蘭遅花展示会
時:2017年4月1日~4月5日
所:相生園芸センター




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2017年6月25日
所:相生園芸センター




花ごよみ 春の蘭展
時:2017年3月24日~27日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




中部蘭趣会 春蘭展示会
時:2017年3月10日・11日・12日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




中部蘭趣会 遅花展
時:2017年3月17日・18日・19日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




紀州蘭友の会 春蘭展示会
時:2017年3月11日・12日
所:スーパーセンターオークワ パームシティー和歌山店3階(和歌山市中野31-1)




蘭遊楽座 花物展
時:2017年3月5日
所:東京 大森 「大林寺」




蘭遊楽座 正札入札会
時:2017年4月30日
所:東京 大森 「大林寺」




全日本東洋蘭 春季美術品評大会(全東連)
時:2017年3月18日・19日
所:東京蒲田 プラザアペア




北関東中国奥地蘭愛好会 中国奥地蘭展示会
時:2017年2月25日・26日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室



蘭花村蘭展
時:2017年1月7日・8日
所:蘭花村(静岡県浜松市西鴨江町3645)



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春の「各地展示会情報」は、ハガキでお知らせ下されば順次掲載します、。




# by evian_th | 2017-04-05 10:43 | 東洋蘭春蘭展示会
武者絵万年青鉢                          No.581
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◆2017年4月、。   武者絵(?)万年青鉢


8年ほど前から、風来記の植木鉢画像保存フォルダーの中に上掲の鉢画像があり気になっていました、。1の足方向からの画像しか無くて、上から鉢の中を覗き込んだ画像や鉢の底から見た画像が無かったもので、窯元の特定どころか京都の楽鉢なのか三河の楽鉢なのかの判断さえ出来ない状況でしたので、画像を使いかねていました、。
「三河鉢」の話も書くようになったのですから、不完全ながら画像を使うことにします、。このままお蔵入りさせるに忍びない良い鉢ですから、。

という訳で、「窯元判定」や「年代判断」「産地判定」も不能なのですが、「総絵付け」された絵付けの素晴らしさは目を引くものがあります、。
描かれた主役は「武者絵」とは見えず、何と書けばよいのか迷います、。エビアン不勉強で、この絵付けは「歴史上の有名なシーン」なのではないかと感じるのですが、どなたか描かれたテーマを御判断頂いてお教え下さい、。

これほどの絵付けをできるのは、京都では浮田楽徳窯か佐々木松楽窯でしょう、。総絵付け得意な三河地方にはこういう絵付けを得意とした窯元はありました、。「鉢底画像」があれば時代判断が可能になり、明治時代の古さがあれば京楽鉢、昭和初期ごろの製作なら三河鉢、という風に判断が可能なのですが、。

3枚目画像をご覧ください、。撮影者が、鉢の口径と高さとをメモった紙を鉢の足に立てかけて撮影した画像ですが、素晴らしい絵付けが施された片鱗が窺がえます、。足の「金の下地の上から金泥で唐草模様を描く」という実に粋で贅沢な絵付けをしています、。余程の大棚の注文制作だったのでしょう、。2の足・3の足の画像も見たい、鉢底も見たい、という焦燥感に襲われる逸品です、。銘鉢ですね、。(15㎝×15㎝)
画像撮影時には四国にあった鉢ですが、その直後に東京方面へ買われて行ったという噂です、。









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# by evian_th | 2017-04-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
福富”風”蘭鉢                            No.580
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◆2017年3月、。

寒さの中にも「春」を感じる季節になりました、。

福富”風”な蘭鉢、。
3月は明るい気持ちになるような鉢画像を掲載したいと思って、この鉢と決めてました、。
元画像をチラと見て「あ、福富京楽堂だな」と鉢外観の印象から思っていたのですが、月末になって画像を作り始めると、福富鉢ではないことが次第に判明し、迷ったのですが、今月はこの鉢、。

東京本郷の福富京楽堂は明治中期~明治後期にかけて、多くの蘭鉢や万年青鉢を製作した後に昭和初年までには閉窯しています、。この鉢の製昨年は昭和初期と思われること、。鋏み痕は足ではなく胴挟みらしいこと、。福富とは足の形が違う事、。段替わりや花模様に使われている緑色は天然緑土ではなく科学絵の具であること、などの点で福富京楽堂とは一致しません、。手島揫二窯でもないようです、。

そうなると、これ以上はこの鉢に関してエビアンに分かることはありません、。展示会などの飾り鉢としては使い勝手の良さそうな鉢です、。口径15.5cm,高さ19cm、(新倉善秀氏蔵)



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# by evian_th | 2017-03-01 00:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河鉢                              No.579
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◆2017年2月、。   東洋蘭・三河楽鉢


東洋蘭「三河楽」、。
昨2016年初夏に入手の鉢、。画像で伝わるかどうかは不明ながら、妙に惹かれる所が有って、エビアン割合気に入りの鉢です、。先日来宅の万年青商人さんも席に着くなり、隣室の棚に並べた10個ほどの鉢の中からこの鉢を指して「あれはいい鉢ですね、どこの鉢ですか?」と問いかけたほどだから、妙に人の目を引くものを持った鉢なのだろうと思います、。

「三河鉢」だと思います、。
エビアンが「三河鉢」とか「三河楽」と呼ぶのは、大雑把に「愛知県産」の鉢全体をそう呼んでいるだけで、厳密に「尾張」「三河」と分けて考えているものではありません、。じゃ、どうして「愛知県産の鉢」と呼ばないかというと、陶芸の世界では習慣的に「尾張鉢(伊万里焼に似た磁器の鉢に使う場合が多い)」「三河鉢」と呼んで来たのでその習慣にならっただけです、。

「三河楽鉢」が何時の頃から焼かれるようになったのかという問題については、「大阪楽」「京楽」を調べる内に徐々に一つの結論に辿り着きました、。
愛知県三河地方に「楽焼そのもの」の製法が伝わったのは、おそらく江戸時代幕末(1853~1867)の事だったろうと思います、。その楽焼の技術で「楽焼植木鉢」を作り始めたのは、明治に入ってからであろうと思っています、。
「三河楽鉢」に1600年代のような古い鉢を見ない事、。
「大阪楽」の形跡も見えない事が、その理由です、。

「大阪楽」は「太鼓胴の鉢」から始まり、「鉢縁下」(はちべりした)と「腰」の部分に鋲を打ち、3段の「段替わり(だんがわり)」を取って、三段階に徐々に胴回りが細くなります、。

「京楽」は、「短冊家」が「三段階に徐々に絞る事を廃止し、段替わりの名残りとして「鉢縁下と胴の間」と「胴と腰の間」に「1本か2本の帯線」を緑土(テールベルト)や金泥で書き込むという画期的な革命を起こし、主役の絵付けは胴部分に描き、「鉢縁下」と「腰」には日本古来の伝統文様を描くという京楽独特の形式を作り出しました、。短冊家以外の京楽窯もそれに倣った鉢を作りました、。

「三河楽」には、この大阪楽が現在の鉢へと変化する”過渡期の形をした鉢”が見られないのです、。
従がって、「三河楽」は「京楽に倣った」のだと思われます、。
それと、「大阪楽」の特徴である「段替わり」の意味も伝わってないようです、。「京楽鉢」に描かれた「段替わりの名残りの2本線」の意味も伝わらなかったようで、「名残りの2本線」を省略した総絵付け鉢が多い」のも三河鉢の特徴です、。総絵付け鉢で、絵付けの良いものは三河鉢に多いように感じています、。
製作された年代は、明治時代後期から大正時代を通して昭和初期の頃が多かったと思われます、。

「三河鉢」が、どの地方へ販路を求めたかというと、これはもう東京・関東地方でしょう、。京都には京楽窯が6窯もあったのですから東京へ売るために製作しただろうことは明白です、。
「京都は公家文化」「東京は武家文化」「大阪は商人文化」の都市ですから、「武者絵」「富士山」「城」などの東日本・関東人好みの絵付けが多く見られます、。(逆に言うと、西の人間には馴染みが薄いから京楽鉢にはそれらの絵付けは少ない)、。
「万年青鉢」に良い鉢が多い、のも三河鉢の特徴です、。
「絵付けの題材」「鉢の陶土」「足の形」などで「三河鉢」の多くは見分けが可能です、。良い鉢が多いですよ、。
中には「短冊家」を完全に真似た窯元もあり、チョッと見に短冊家と見間違えます、。京楽鉢よりも軽い鉢と京楽鉢よりも重い鉢とがあります、。鉢の形は一定せず、三河独自の形のものもあれば京楽そっくりなものまで幅広く作られました、。
「無地の加茂黒鉢」の大部分は三河鉢です、。京楽は絵付けをして付加価値を付けて高価に売ることを目指したので、京楽に黒鉢は少ないものです、。
「鉢縁下」と「腰部分」には京楽では着物界や工芸界の伝統文様を忠実に描くのですが、三河鉢ではこの部分に伝統文様を半端に真似たような文様が描かれてあります、。


さて、今月のトップ画面の鉢は、これは何と表現すればよいか、「花菱繋紋三河鉢」なのですが、単純な花菱繋紋ではありません、。金線で囲い、花菱繋紋と金泥で岡本太郎画伯の描くような文様が描いてあり、何とも魅力的な文様です、。
買った時は割れ鉢で、下部を持つとギシギシと音がして今にも割れてしまいそうな鉢でした、。底穴周囲も割れて部分的に欠け落ちている状態でした、。買った翌日に繕い屋さんへ持ち込んで秋までに繕いを依頼しました、。秋の展示会前に引き取りに行くと、ひび割れは漆と金繕い、底穴まで何かの素材で直してくれてありました、。その部分にも金繕いをしてもらおうと再度持って行くつもりで居ます、。エビアン自身は1月の鉢よりも今月の鉢の方が好きです、。価格は遥かに安価でしたが、。口径14.5センチ、高さ14センチ、。

「三河の今川義元」と「尾張の織田信秀」の関係がどういう風であって、今も地元ではゴッチャにされるのは許されないというような雰囲気が尾を引いているのならお教えください、。表現方法を考えます、。
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現在のところで判明している大正時代から昭和初期の愛知県下の楽鉢窯元名を列挙しておきます、。残念なことに、その多くは窯元名と製品とが一致しません、。京楽鉢のように「これは○○窯」という訳には行かないのです、。

京楽焼三河元祖・杉浦勘之助(三河碧海郡)・・・陶楽園・山田政吉(三河碧海郡)・・・開楽園・鳥居彦四郎(三河碧海郡)・・・愛楽園・杉浦重平(三河安城)・・・京楽焼窯元・横山孫一(三河碧海郡)・・・改楽園・神谷長平(三河碧海郡)・・・三河楽焼窯元・坂倉周一・・・昭楽園・石川万太郎・・・澤製陶所(三河碧海郡)、その他、都築勝士、亀井謙一郎、藤浦留吉、などです、。

(この窯元名項目参考文献・水野豊明園「万年青の歴史」、米谷青彰園提供「園芸新報・昭和14年8月1日号」)、協力:華幸園

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# by evian_th | 2017-02-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽鉢「楽徳蘭鉢」                         No.578
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◆2017年1月、。


新年おめでとうございます、。今年も「東洋蘭風来記」の風来記ページを宜しくお願いします、。


◆京楽鉢「浮田楽徳製菊花唐草紋蘭鉢」、。
新年は楽徳蘭鉢です、。珍しく無傷完品、。楽徳鉢にしては見た目よりも重く、短冊家製品ほどの重みがあります、。
1の足、2の足、3の足の正面に菊花紋を置き、他は唐草模様とその間の空間は緑色の点々(ドット)を細かく打ってあります、。段替わりの横線は描かず、腰の部分には金泥で雷紋をきっちりと描いてある鉢、。ヘリ上面には雲形のような唐草紋のような文様を金で描いてあり、高級品だった事をうかがわせます、。

高級品というよりも高価格品だった様子です、。が、どうもこの鉢は大旦那の注文制作だったらしく、楽徳が喜んでは製作していなかったような印象を受けます、。”楽徳らしさ”を発揮させてもらえなかったような気がします、。「金を多用せよ」「足の正面に菊の花を描け」とかいう小うるさい注文をされて、嫌々ながらというほどではないにしろ、何かしら”楽徳が乗ってない”ような気がするのです、。旦那からは相当ふんだくって鬱憤を晴らしたことでしょう、。最下段7枚目は前所有者さんの頃に撮影された画像で、金色や緑色が少し強すぎますが、この鉢の色を表しています、。(142mm×180mm)

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ところで、この鉢の「唐草紋」の隙間にビッシリと描き込まれた「細かな点々」は、「正式には何と呼ぶべきなのだろう」と常々考えて来た、。風来記では過去には「細かな点々」などと書いてきたのだが、ヒョンなことから判明したので書いておきます、。
奈良春日大社の社殿から発見された平安時代の「金鈿荘の太刀(きんでんそうのたち)」の純金のツカ部分に掘られた文様の隙間にビッシリと鏨で打ち込まれた細かな点々を「魚子(ななこ)」とNHKBSで放送していました、。800年ぶりに複製を作り春日大社に収蔵することになり、現代の人間国宝の人たちが協力して2年半かかって複製品を造り上げる様子を記録した番組中にスーパーインポーズで表示されたから信頼できる情報だと思います、。
楽焼鉢の世界では、「魚の子紋」は別個にイッチン描きや筆描きで「魚の子文様」は存在しますが、本来の意味からすれば「魚の卵に似せた細かな点々」は「魚の子紋」と呼ばれるようですから、今後は説明を加えながら「魚の子紋」という呼び名も使っていこうと思います、。


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浮田楽徳は京狩野大和絵派の絵師でしたが、1830年生まれで1861年(明治維新7年前)に窯を開き、大正元年に他界しており、その作品は紛れもなく明治時代の製作で、こんなに安心して時代が分かる窯元もめずらしいものです、。残された作品の多さを見ると短冊家や手島揫二と同数程度残っていて、絵師から窯元へ転身してからは、楽鉢製作一筋に打ち込んだのでしょう、。絵師といっても職人ですから、お客の旦那が買ってくれてこその商売で、この点でも旦那筋にも愛されたのでしょう、。

「浮田家」といえば、宇喜多秀家と加賀前田藩から嫁いだ豪姫は徳川家康に対する逆族として八丈島へ流刑に処されますが、その間も加賀前田家は毎年お金と米とを八丈島へ送り続けます、。家康の死後は一部親族は許され江戸へ戻りますが、この人たちも前田藩の江戸屋敷に住まわせて面倒を見ます、。代々それは引き継がれ、270年後の明治2年に赦免された時に浮田家の人々の職探しなどの面倒を見たのも加賀前田家だったといいますから、加賀前田家の義理堅さは大したものです、。凄いものです、。

浮田家の一族は現在は中国地方と九州地方、一部は東京方面に住んでおり、京都で探しましたが京都には居られないようでした、。(浮田一蕙や浮田楽徳の子孫の方が現在も京都にお住まいなら、伺ってご先祖のお話を聞こうと思い探したところ、現在の京都市に浮田姓のお宅が3軒あり、うち一軒は歯科医を開業されているので、人を介してその歯科医さんに聞いてもらったのです、。残念ながら浮田一蕙や楽徳の血縁者ではなく、エビアンが探している浮田姓の人は現在は京都には居られない、と歯科医さんから聞きました、。)

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歴史を振り返れば、西暦1600年代に絵師尾形光琳・陶工尾形乾山兄弟のように、京都の呉服商・雁金屋の次男三男という恵まれた環境に生まれ、才能に恵まれたのに、膨大な親の遺産を遊郭に入り浸って使い果たすような(ある種)天才も居り、様々だなぁと感じます、。余談ながら、尾形兄弟の曾祖母は本阿弥光悦の姉に当たり、従兄弟は楽家4代目の養子に入り、楽家5代目になった宗入であったという芸術家の血筋も引いています、。

この尾形光琳乾山と同時代の1600年代後半には、オランダ・デルフトの絵師(というより画家)フェルメールも出ています、。フェルメールも親から娼婦の館(まぁ売春宿)を受け継ぎ、自分は画商として生計を立てていましたが、ある時、自分でも絵を描いてみたところ評判が良く、生涯で34点の名画を残しますが、途中でアフガニスタンで産しヨーロッパで精製されたラピスラズリのウルトラマリン顔料に憑りつかれ、死んだ時には膨大な借金が残ったと言われます、。

真面目に楽鉢製作に取り組んで生涯を送った絵師も居れば、才能とお金に恵まれながら後世に名作品と名を残したけれどお金は使い果たした絵師も居たという歴史の皮肉も知ることになる楽焼鉢の研究です、。

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「画家とお金」の関係では、フェルメールと同じオランダデルフト出身の画家、フィンセント・ファン・ゴッホも思い出します、。日本の明治時代に当たる時代の画家(わずか100年チョイ前の人)で、その存命中に描いた絵は1点しか売れず、生活は苦しく、ゴッホの生活と絵画用品代金は弟のテオが結婚もせずに働いて支えたといいます、。今になってヨーロッパではゴッホ美術館ができ、その絵は高価に取引され、郷土が生んだ大芸術家のように自慢しますが、わずか100年前に理解して買ってもやらずに今頃になって何だ、とエビアンは思うのです、。












# by evian_th | 2017-01-03 21:20 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
「大阪焼」2つの提案                        No.577
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◆2016年12月28日、。   「大阪焼」の呼称の提案


早いもので、今年もこのスレッドまでです、。インフルエンザウイルスやノロウイルスや食中毒の菌が繁殖しているようです、。12月の末になってもウイルスや菌の活動が活発だということは、蘭の方もフザリウム菌などが動いていると考えられますので、雨の当たる外棚物は乾き気味に管理するのが重要だと思います、。(昨日、外棚物で葉が黒くなって枯れる株を見付けたのでね)、。


「大阪焼」という呼称の提案、。

1枚目画像は、先日BBSのkumasannが入手の「瑠璃釉飛龍浮彫紋花盆」です、。
この鉢の落款は「楽忠」とあるように「楽忠窯の製品」なのですが、これを「楽焼鉢」と呼べるのかと考えると、少し無理があるように思われます、。古典園芸界では一般的に「楽焼」と言えば「加茂黒釉」を分厚く掛けた鉢を指す用語だからです、。

「楽焼」というのは、豊臣秀吉が「京都寿楽第(邸)」の出来栄えが素晴らしく良かったので、「佐々木家」に対して「寿楽第」の一字を取って「楽の金印」と共に「楽家」という姓(苗字)を与えたもので、以来、「楽家の焼き物」という意味で使われるべき呼称です、。従って、「楽家の焼き物はどんなものであっても楽焼」な訳ですし、楽家以外の人が作る「加茂黒釉の焼き物」は「楽焼」と名乗ってはいけない筈なのです、。

しかし、楽家と血縁の無い「本阿弥光悦」の造った「白楽茶碗・白富士」が国宝に選ばれているのを初め、江戸後期には短冊家も楽焼を名乗り、明治時代には東京の福富京楽堂も「京楽東京本舗」を名乗っているのが実情です、。

ですから、「楽焼は楽家が焼いた製品だけを指す言葉」であるべきところが、「楽焼は加茂黒釉を掛けた焼き物を指す言葉」へと転用されて使われつ続けて来ました、。今となっては動かしがたい既成事実化しています、。

では、紛れも無く楽家3代目道入の弟道楽が開窯した楽窯「楽忠窯」の製品である1枚目画像の「瑠璃釉飛龍浮彫紋花盆」は「楽焼鉢」と呼べるのかというと、詳しい事情を知らない人には違和感を感じられるでしょう、。
楽家の焼き物であっても加茂黒釉薬を掛けてない鉢は「楽鉢」とは認められないのです、。

では、この「楽忠鉢」を何鉢と呼べば良いのかと考えると、当て嵌まるカテゴリーが存在しないのです、。
2枚目画像の2つの万年青鉢には「大阪楽」という呼び名を2016年1月号の「園芸ジャパン誌」で与えて頂きました、。しかし、この大阪で楽家の手で焼かれたのに加茂黒を使ってない鉢は「大阪楽」には含まれないでしょうから、新たな別個の呼び名が必要です、。

そこで、大阪で焼かれ、楽焼とは呼べない鉢には「大阪焼」というカテゴリーを作り「大阪焼」と呼んではいかがでしょうか、というのが風来記の提案です、。(「大阪焼」と聞くと「たこ焼き」か「お好み焼き」のイメージ強くて、何かしら食べ物それも粉もん(こなもん)の感じを受けますが、いくら考えてもこれしか思い浮かばない)、。

強いて別な呼び方というと「浪速(難波・浪花)焼」(いずれも・なにわやき)と呼べないことは無いのですが、。
競技かるた大会(注1)の初めの序歌として詠まれる事が多い、「難波津(なにわず)に、咲くやこの花冬籠り、いまは春べと咲くやこの花」というような歌を平素から耳にしているような粋人なら、「難波焼」も受け入れられるかも知れません、。どうしたものでしょう?

「大阪」は江戸時代には「大坂」と呼ばれていた、。更にそれ以前には「なには」と呼ばれていた事を御存知の方には通用するかも知れませんが、一般には興味も無く、「なには?、なにそれ?」という程度の理解だと思います、。

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もう一つ、画像3枚目は「頂山鉢」です、。
盆栽界では、「頂山鉢」は「京焼」に含まれ「謎の京焼」ということになっています、。
が、この鉢に使われている「チョコレートのような色をした陶土」を見て下さいよ、。京都にこの陶土は出ないでしょう、。「京土」にも存在しないじゃないですか、。(京土は壁土として現在でも各種の土が販売されている)、。
1枚目画像の「楽忠」に使用の陶土を見れば、この手の「チョコレート色陶土」は大坂南の産の陶土だということは一目瞭然、。
風来記では「頂山鉢」というのは、江戸後期1830年ごろに紀州徳川藩の御庭焼「偕楽園」へ呼ばれた陶工が、和歌山からの帰路、大阪の世話になった貝塚市水間寺で窯を開いて焼いた「水間焼」(貝塚焼)(みずまやき)というのが、この「頂山」だろうと思っています、。従って「頂山鉢」も「大阪焼(または難波焼)」に分類すべきではないかと思っています、。いかがなもんでしょうか?
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(注1)競技かるた大会、。
毎年お正月に滋賀県大津市近江神宮で開催される「競技かるたの全国大会」で、クイーン戦と名人戦が行われる、。2016年のかるたクイーン「坪田クイーン」は目元が涼しいなかなかの美人ですよ、。ただし人妻、。
「近江神宮」には「百人一首の第一番目の歌を詠んだとされる天智天皇が祀られており競技かるた人の聖地」とされている、。この時の名人戦やクイーン戦で詠まれる序歌が「難波津に咲くやこの花・・・」なのです、。
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「なにわ(なには)」というのも一定しないんですよねぇ、。PC変換すると「難波」「浪速」「浪花」と3つにも変換される始末、。「浪曲・なにわぶし」の場合は「浪花節」だし、高校野球で名を馳せた「なにわ商業高校」は「浪華商業高校」だし、昔の芸人「なにわ千栄子」は「浪花千栄子」だった、。百人一首の「なにわず」は「難波津」だしなぁ~、。こういうの困るなぁ~、。
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楽家12代目だかが執筆した「楽焼」という本によると・・・
豊臣秀吉から「楽」の金印と「楽の姓」を賜ったのは、2代目常慶ではないかという事です、。初代佐々木長次郎が製作した「お茶碗」は「無落款」らしいです、。2代目常慶のお茶碗には「楽の落款」が有ったり無かったりで、3代目道入以降の作品には全部の作品に「楽の印」が押してあるそうです、。

その事ともう一つ、「楽姓」を賜るきっかけになったと言い伝えられる「瓦職人・佐々木長次郎」が作ったとされる「寿楽第のための鬼瓦」が残り伝わっているそうです、。この瓦には長次郎が書いたと思われる「製作年号」が入っているらしいですが、その年号が寿楽第の作られた年代とは一致しないのだそうです、。
この2つの事から、楽家に伝わる初期の頃の話の信憑性に疑問があると書いてあります、。初代長次郎と2代目常慶とが10歳しか年齢が離れてなかったことから、親子とも思えないとも書いてあります、。

「楽家」に関しては、その誕生の頃の話にあやふやな部分が多く、楽家の人でさえこの状態ですから、他の人が書く文章が一致しないのも当然で、この辺が「楽焼は京焼に含まれない」ということや、「国宝に選ばれた楽焼は本阿弥光悦のお茶碗である」ことなどの原因ではないかと思われます、。
風来記が、楽焼の初めの頃は大阪府堺市で焼かれていた、楽雅亭も大阪堺だったであろう、と書くのには、このように楽家の初期に疑問があるからです、。

また別な本では、楽家の初期に「田中宗慶」という人物が登場して、「田中宗慶」というのは「2代目常慶の父親である」とか、千利休の旧姓が「田中」であることから、「田中宗慶」とは「千利休本人の事である」とか「千利休の息子が2代目常慶である」とか、まぁ言いたい放題、書きたい放題であり、風来記ではその辺の事を無視して伏せて来ました、。今となっては真実は闇の中なのです、。
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# by evian_th | 2016-12-30 00:41 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢の形状の歴史                      No.576
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◆2016年12月20日、。   楽鉢の形状からの歴史


12月のトップ画面に使用した「五柳鉢」の件に関してBBSに書き込みがあった、。その時に返信レスを書いた中に「楽焼鉢の形状の大革命を起こしたのは京都・短冊家である。」と書いた、。そこのところ説明スレを一度書いておかねばならないと思う、。

画像は手持ちの写真を古いと思われる順に並べたものです、。エビアンの鉢は3個だけで他の3個は別な所有者さんの鉢です、。
①は1650年過ぎに大阪の堺市で「楽雅亭」や「楽忠」が作り始めた頃の「楽鉢の造り始めのパターン」なので、これを一応1650年型とした、。
②は同じ「楽雅亭」の鉢ですが、少し古典園芸風な形をしているので、これを時代を少し下って1700年型としました、。
③は、「大阪楽」ではあるけれど窯元が違うので比較の対称としては変ですが、縁のつば部分が「黒鍔(くろつば)風な形」なので、これを1700年後半型とします、。
④は、3よりも足やヘリに工夫の痕跡が見られ、ツバも横広がりに完成して来たので、1800年型としました、。

④の画像の時代までは「太鼓胴・段替わり」という形を忠実に引き継ぎ、「段替わりの度に鉢の太さを3段階に細く削って」います、。今まで見た大阪楽鉢はみんな同一パターンのデザインです、。③の右横に引いた線はその事を示しています、。

⑤ところが、楽鉢製造が京都へ移った(というか1820年頃に短冊家が製作を始めると)直後から、楽鉢の形に変化が起こり始めます、。⑤の鉢は一応は大阪楽の太鼓胴・段替わりを引き継いでいるように見えるのですが、よく見ると、胴部分にカーブを付けて、段替わりでも絞り込まれてない、。
⑥は、⑤を作ることで短冊家は「ロクロで下から上まで一気に引き上げる方式」を思い付いたのでしょうね、。⑥の鉢は「総絵付け」ですが、これ以後の作品には「段替わりの名残」として「鉢縁下・下部」と「腰部分・上部」とに「イッチン描きで1本か2本の線を描き、これを段替わりの名残とした」のでしょう、。


このことによって、製造に掛かる時間の短縮が出来る、鉢の肉厚を薄く出来る、自由な絵付けが出来る、などなどの利点が生まれ、これ以後「楽焼鉢」は大きく発展して行く事になりました、。
この「短冊家が作り始めた形状の変化は、楽鉢の世界における大革命」だったと思います、。以降、現在まで200年弱の時間が経過しますが、完璧なデザインでしかも簡単な製造方法であるために、他に工夫の余地も無く、同じデザインが引き継がれています、。「初代短冊家」というのは大したものです、。


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上に掲載の画像は楽忠楽雅亭の小型楽鉢です、。植わっているのは中春梅弁代表花「宋梅」、。これを見ると、随分小さい鉢も作ったんですね、。同じデザインの鉢は「楽忠窯の中盤1800年頃」まで造られたようです、。
画像は50年近く前に大阪府枚方市牧野に住んでいた竹島健太郎氏方で開催の「幽香会」の折に出品された貝塚市の道浦氏の作品、。道浦氏は当時「植木鉢数寄者」として知られ、没後はそのコレクションの多くは静岡の新谷氏経由で高木禮二氏(明光商会会長・msシュレッダー)コレクションに集められた、。撮影はエビアン、カメラはゼンザブロニカ、。







# by evian_th | 2016-12-21 15:08 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
五柳菊花紋万年青鉢                     No.574
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◆2016年12月、。   五柳・菊花紋万年青鉢


師走!!!,、。
今年も誠にお世話になりました、。東洋蘭風来記も13年目に入っています、。これからも引き続きましてご訪問下さいますようお願いします、。

「五柳・菊花紋万年青鉢」、。
年末に相応しく、背筋がシャキッと伸びるような鉢をご覧頂きます、。

台の鉢は短冊家製、。五柳の持てる技を存分に注ぎ込んだ逸品です、。
残念ながら1の足方向からの画像しかありません、。2の足・3の足の絵付けも是非見てみたいと思わせる鉢です、。
「腰」部分には五柳の青海波紋様、「鉢縁下」(はちべりした)は唐草紋(?)、「胴」には写実的な菊花紋を散らしてあります、。ま、上出来の格調高い「五柳鉢」です、。

このクラスになると価格も跳ね上がるてもんです、。五柳もいろいろだから、。
短冊家の作りもいいですね、。時代乗りもいいけど元々の鉢の造り自体が素晴らしいと感じます、。
万年青鉢のこの形、全体のフォルムを完成させたのは「京都・短冊家」だと思います、。
西暦1800年代初頭の「大阪楽の万年青鉢」からいきなりこの形の「短冊家の京楽鉢」へ飛びます、。短冊家の極く初期の作品は既に大阪楽とは違い完成度が高いのです、。
大阪楽の万年青鉢の最後の方は「園芸ジャパン2016年1月号の16ページ17ページ」に掲載の2個ですが、その後に古典園芸用楽鉢の製造が京都へ移ると、突然完成度の高い短冊家鉢が登場します、。デザイン的にその途中の移行期の作品は見ません、。(今後出て来るかも知れませんが)、。

そう考えると「京都・短冊家」というのは大したものです、。特に初代が凄かったのだと感じています、。
その後に出て来る多くの窯元、浮田楽徳・福富京楽堂・愛知県三河地方の窯元、などなど、みんな「短冊家のフォルム」を継承しています、。他のデザインを工夫させる余地も無い程の完成度の高さを江戸時代・文化文政年には完成していたのですから短冊家というのは大したものです、。それから200年経った今現在も同一のデザインなんですからねぇ、。驚きですよ、。

激動の2016年を終えるに当たって、素晴らしい鉢をご覧下さい、。
口径14センチ高さ14センチ、。(河野祝之氏蔵)






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上画像、1枚目と2枚目とは同じ画像に見えますが、2枚目の方は少し緑色を強調して少しクッキリとさせてあります、。実物の見た目は1枚目画像のようでしょうが、絵付けの説明は2枚目の方が分かり良いと思います、。






大阪東洋蘭会 2017年 春季展示会
時:2017年3月12日。(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会








# by evian_th | 2016-12-01 00:29 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
秋季展示会2016                       No.568
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◆2016年秋季展示会



大阪東洋蘭会 2016年 秋季展示会
時:2016年10月16日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター
◆古典楽焼鉢を使った席飾り。
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




中部蘭趣会 春蘭柄物展示会
時:2016年8月26日・27日・28日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




全国日本春蘭連合会 春蘭展示大会(全春連)
時:2016年11月26日・27日、。
所:上野グリーンクラブ(東京都台東区上野公園3-42)
<注>全春連展示会は今回から「上野グリーンクラブ」に変更されました。



全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2016年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




花ごよみ 秋の蘭展
時:2016年10月7日~10日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




東洋蘭総合大展示会
時:2016年10月14日・15日・16日、。
所:上野グリーンクラブ(東京都台東区上野公園3-42)
日本伝統園芸協会



兵庫春蘭友の会 柄物展
時:2016年11月27日(11am~16pm)
所:相生園芸センター




杭州寒蘭展示会
時:2016年12月3日・4日
所:三重 メッセウイングみえ




蘭遊楽座 柄物展
時:2016年12月4日
所:東京 大森 「大林寺」







「全春連のホームページ」ができました。(文字クリックでHPへ飛びます)

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# by evian_th | 2016-11-21 17:20 | 東洋蘭春蘭展示会
東洋蘭風来記お蔭様で12年                  No.573
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◆2016年11月、。     お蔭様で12年



「東洋蘭風来記」、お蔭様で満12年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満12年>
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# by evian_th | 2016-11-16 00:32 | 東洋蘭(春蘭)
楽鉢「梅花紋万年青鉢」                   No.572
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◆2016年11月、。   楽焼鉢「梅花紋万年青鉢」


2012年の「華幸園植木鉢展示会」に出品されていた鉢らしいのですが、手に取って見るチャンスがあったのに気づかず見逃した万年青鉢、。今回使おうとしてフォルダーを見た時には「あ~、短冊家の万年青鉢ね」という軽い気持ちで使用を決めたのでした、。「短冊家万年青鉢」について書く事もあまりないなぁと思いながら、。

画像を作り始めて直ぐに「あれ?、違うかもな」と思い始め、画像が出来上がった時点では「短冊家である確率は50%」程度まで気持ちが変化していた、。
「短冊家」作品に共通する何かが不足していると感じたのでした、。最初に気になったのは「鉢ヘリ」の形、。ヘリ周辺が丸みを持って中央部よりも少し下がっている気がしたのと、一番の気がかりは「短冊家らしさ共通のピシッとした品格」が不足する点でした、。

絵付けは良く描けています、。珍しい梅花紋を肉厚く描いてあります、。使われている「緑土」も非常に上質、。段替わりの上、「鉢縁下」(はちべりした)の絵付けも何の絵かは不明ながら面白い、。「腰部分」には「金泥の花と緑土の唐草模様」が描かれていて纏まりがある、。上品な鉢に仕上がっていると感じます、。

鋏み痕も短冊家風に鉢縁直下にあり、もうほとんど短冊家に見えるんだけど、短冊家ではない可能性の方が多いですね、。「短冊家に見えて短冊家よりも少し色気がある」のは「福井楽印窯」に多いのですが、これも福井楽印かも知れません、。季節感のある良い鉢です、。
(口径8.5㎝、高さ8㎝。野町敦志氏所蔵)


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下に掲載の「大阪楽・太鼓胴楽鉢」は典型的な「段替わり様式」で作られています、。
太鼓の鋲がある「鉢縁下」(はちべりした)は最も太く、「胴部分」で一段胴回りは細くなり、更に「腰部分」でもう一段細くなるという古典の様式です、。
今月の「梅花紋万年青鉢」はこの様式を踏襲しようとしています、。小さい鉢では見栄えがしませんが、。
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# by evian_th | 2016-11-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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