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五柳                              No.592
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◆2017年10月20日、。   五柳




上掲の画像は、「万年青界に存在する五柳寿運サイン入り鉢」と「蘭界に存在する五柳寿運サイン入り鉢」のサイン部分の抜出画像です、。
園芸ジャパン誌」に五柳を書く時も「栃の葉書房」に五柳を書く時も、出版社が最も警戒するのが「著作権・画像の所有権」の問題です、。
だから、この2つの鉢を比べて同時に掲載することは出版社では無理なのです、。


ネットじゃ構わないのか?てと、やはりマズイにはマズイのですが、蘭界の分は野田谷君の上野の展示会に展示されスナップ撮影も禁止じゃなかったし、萬年青界の分は現在の所有者が判然とせず、画像の所有者から流れ出た写真だから、まぁ風来記では使ってます、。


この2枚の画像を揃えないと説明がつかない話もあるからです、。


画像向かって左の万年青界にある分は「芳古園主・五柳寿運」と本人が描いており
向かって右の蘭界にある分には「芳虎斎・五柳寿運」と描いています、。
これらの事から判断できることは、五柳は五柳寿運と名乗っていた絵師で、「芳古園」の暖簾を出し、「芳虎斎・五柳寿運」を名乗っていたこと、。
<div>昔の人はいくつもの名や号を持ち、本名も3つくらいは平気で名乗っていた、。この事で、初めの頃に「楽家の人名」で苦労した、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、一人で5個くらいも名前を持っているんだもの、。


「五柳」は短冊家の雇われ絵師ではありません、。独立した陶画工(陶磁器専門絵師)でした、。
他の窯元の鉢にも絵付けをしましたが非常に少数です、。余程高価だったのでしょう、。


「京都」という特殊な土地柄は、京都自体がお互いに助け合いながら動いている一つのシステムのような都市で、あの道路沿いにずらりと並ぶ「京町屋」の2階部分は「各種職人の仕事場」になっている、。
<div>「京扇子」一つ作るにも、竹を削る人、扇状に割る人、扇面に絵付けする人、絵付けされた紙に竹の骨を入れる専門職の人、仕上げする人、売る人、などと、京都の町をアチコチ回って、ようやく1本の「京扇子」が完成する、。
<div>基本的に、人を雇わず「身内だけの家内工業」が多く、このことが不況に強く100年以上の「老舗」を多く残す原因に繋がっている、。


こういうことを考え合わせると、「芳虎斎・五柳寿運さん」は「芳古園」という暖簾のかかった町屋の奥の離れで「持ち込まれた楽鉢に絵付けだけをしていた」のでしょう、。短冊家には全盛時には内窯が5個も存在したらしいから、絵付けを終えた楽鉢を短冊家の窯で最後の焼付作業をしたのかも知れません、。この事が、短冊家以外の窯元への絵付けの少なさの証明になるかも知れない、。


「五柳寿運」は80歳くらいまで生きたようです、。
短冊家が「短冊家錦画鉢模様控」を作った明治25年は、短冊家が「高級楽鉢」の注文が殺到した全盛期でしょう、。この短冊家の全盛期を「外注絵師」として強力に支えたのが五柳です、。この時「五柳が30歳」だったとすると(大体そんなもんでしょう)、短冊家が「短冊家楽鉢価格表」を出した昭和10年には、五柳寿運さんは75歳、。まぁこの辺までなら職人として絵を描ける、。どう見ても昭和初期の製作だと思われる蘭鉢を2個ほど見たことが有ります、。風来記でも紹介しています、。そうだとすると、五柳の生誕年は「江戸幕末・文久3年」ということになり、文久元年に31歳で窯を開いた「浮田楽徳」との関係があるように思えてならないのです、。もしかすると、「五柳は浮田楽徳の子供かな?」、。窯を開いた翌年か欲翌年に子供が生まれたんじゃないか、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、これはエビアンの飛躍した”夢”ですよ、。



「五柳さんは大酒飲みで、酒代が切れると仕事をした」という噂話も根拠がなく眉唾ものです、。
<div>調べ初めの頃に聞いた噂話ですが、五柳と会ったという人が居た、。東京の手島窯でのエピソードとして聞いたのだたが、五柳が手島鉢に絵付けした形跡も見当たらず、東京へ流れて行った事自体が信憑性に欠けます、。最後まで京都に居て絵付け仕事をしていたものと思われます、。昭和初期の短冊家鉢への絵付け鉢の存在が、その根拠です、。



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出版物には書けない”あやふやな話”もネットになら残せる、。世間であれやこれやと噂話が実話のように伝わることも多いから、「五柳」に関する話を一応総括しておきました、。
「楽鉢の歴史」を調べる人は過去に万年青界にも蘭界にも数人居られた、。それらの人は、まず初めの取っ掛かりに「京都・短冊家」へ話を訊きに行っておられる、。短冊家は「短冊家の歴史」を語る、。訊いた人が勝手に「短冊家の歴史が楽鉢の歴史」であると思い込んで、そこから話を出発させるもんだから、大きな誤解を信じ込んだまま雑誌などに記事を書いて来ました、。五柳鉢をややっこしくして来たのにはそういう経緯があったからでしょう、。

まぁ楽鉢を売る商人も「五柳は江戸時代の鉢で・・・」と言って売ったという話は聞くし、短冊家先代の奥さんが「楽鉢は私どもの先祖が文化文政年に創業して作り始めました・・・」という風に誤解を招きやすい話し方をされたらしいから、聞いた人が自分の都合の良いように誤解してしまったという側面はありますね、。

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「京都祇園」というのは、おおよそ南北は「祇園八坂神社」から「清水寺」(きよみずでら)の少し南側の「鳥辺山」(とりべやま)のある祇園馬町(うままち)辺りまで、。東西は加茂川から東山までの事を指し、平安以来ここは葬送の地だた、。(加茂川は結界とされ、西側は人間界、川を渡った東側は冥界とされていた)、。今もまぁそうだのに、京都観光の中心地で多くの寺があることから観光客が集まり、賑やかな事この上も無い、。京都の人にとっては昔と何も変わらない、。「骸骨飴」(がいこつあめ)という飴だけを売る店もあるほどだ、。

その中に、「短冊家」も「浮田楽徳窯」も「佐々木松楽窯」も「大虎窯」もあった、。東山を挟んだ所には「福井楽印窯」もあった、。(福井楽印窯は以前に描いた地図よりも東山に近い所だったと思う)、。<br>
「五柳の住まい」も、恐らくは八坂神社と清水寺の間、もっと言うと「短冊家と楽徳窯との間」だったのだろうと思う、。今は東山の山すそに沿って「片側1車線の東大路通り」が南北に走るが、明治時代の古地図を見ると、牛車が1台ようやく通れるほどの曲がりくねった細い道(農道に近い)だ、。道の両側からはススキが生い茂っている様子が描かれている、。こんな所で「楽焼鉢」は焼かれていたんだなぁと妙な気分になる、。<br>
「京楽鉢」だけが、妙に暗く落ち着いて見え、それゆえの良さを発揮するのかの原因は案外こんなところにあるのかも知れない、。その「京楽鉢だけが持つ暗さ」のようなものを見分けるのが、京楽鉢と東京楽鉢や三河楽鉢との見分けの方法であるかも知れない、。パッと見の印象だけど、。


ここんとこ大阪の展示会にエビアン所有の短冊家のコピー鉢を使った出品がある、。某相生園芸センターが2015年1月の風来記鉢の画像(下画像の鉢)を千葉県の布施覚さんに送ってコピーを作ってもらったらしい、。相生の顧客が買ってその鉢で出品して来るのだ、。先日の展示会にも出ていた、。それでエビアンのと2つ並べてみたんだけど、布施さんの鉢は”明るい”のだ、。暗さが無い、。布施鉢てのは大体が非常に明るい、。千葉県人の性格が出ている、。</div>
<div>布施鉢に限らず、手島にしろ福富にしろ、明るい、。三河鉢の中には妙に暗いというか陰気臭い鉢はあるが、京楽の暗さとは異質だ、。
京楽鉢はなんしろ1000年の墓場の中で作られたんだもんなぁ、。年季が入った暗さがある、。
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# by evian_th | 2017-10-23 00:45
秋季展示会2017 No.587
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◆秋季展示会2017









廣畑園寒蘭展示即売会
時:2017年10月28日~12月10日
所:廣畑園(高知県宿毛市)



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展示会情報は「ハガキか封書」でお知らせ下されば、順次掲載します、。

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# by evian_th | 2017-10-07 00:40 | 東洋蘭春蘭展示会
鳳凰紋様蘭鉢                           No.591
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◆2017年10月、。   東洋蘭蘭鉢、。


変な気候の夏も過ぎ、展示会シーズンの10月に入りました、。

多分東京楽、福富京楽堂製「緑土鳳凰紋様蘭鉢」、。
1枚目画像、1の足の上方に金色と肉色の2羽の鳳凰が描かれ、その周辺には全く余白(余黒か?)が見当たらないほどビッシリと鳳凰の羽を天然緑土で描いた蘭鉢です、。
3の足画像と、腰部分に「桐の葉」を描いてあるので、1の足は鳳凰なのでしょう、。

福富京楽堂は、台の鉢の作りがシッカリしてますね、。足の作りもいい、。天然緑土(テールベルト)もかなり
上質なものを使用してます、。

1段目の段替わりを省略して広く絵付けをし、2段目の段替わりの線は描くという描法は五柳でも使ったようなので、明治も後半になると、「段替わりの横線」ももはやデザインの一部程度に考えられるようになっていたのでしょう、。
楽鉢全体で見ると、「鳳凰紋」の方が「飛龍紋」よりも多いような気がします、。龍図は空間が多く、埋めるのに苦労するからでしょうね、。

展示会に使い勝手の良さそうな逸品、。明治後期ごろの製作、。(飛田邦之氏蔵)

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# by evian_th | 2017-10-01 00:10 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
多分楽徳七々子紋蘭鉢  No.590
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◆2017年9月1日、。   多分楽徳七々子紋蘭鉢


浮田楽徳窯製「魚の子紋楽焼蘭鉢」、。
この鉢画像は、5年も前から貰っていたのだたが、パッと見に「うん楽徳鉢ね、」と思って見ると何だか気持ちの中に納得しない部分があって、過去に何度か使おうと思っては踏ん切りがつかず、先延ばしにして来た鉢画像です、。

縁の横張りが少なくてバランスを崩している、。それと、正面の1の足画像はまぎれもなく楽徳鉢なのですが、後ろの2の足・3の足の横から画像の形が何となくヤボッたく見えて楽徳らしさが感じられない、というのが躊躇させた理由です、。
浮田楽徳は1830年生まれで、京都狩野派で絵師としての修業を積み、1861年に独立して「楽徳窯」を開き、大正元年没ですから、その間、50年以上に渡って楽焼鉢を作り続けた訳です、。多くの作品を作る中には、時には「楽徳らしくない鉢」があっても不思議じゃないな、と思い直したのです、。

今月の鉢画像を探す中で、今回は、この鉢は楽徳鉢で間違いない、と初めて思えたのでご紹介、。
鉢の上部は楽徳鉢や短冊家に見えて、足元が何となくヤボッたく感じる三河鉢の窯が存在したので、これを見誤ることがあってはならなくて、ここんとこのエビアンは、より慎重になってしまいがちです、。

鉢全体の形は楽徳らしさは無いのですが、何度も見る内に、その野暮っぽさも魅力的だと感じるようになりました、。不思議な魅力を持った鉢です、。

「鉢縁下」「胴」「腰」に描かれた文様は、エビアンの好きな「魚の子(なのこ)紋」、。細めの口金を使ったイッチン描きで、ビッシリと「魚の子」を描いてあります、。使われている釉薬は「天然緑土(テールベルト)」と「金泥」のみ、。質素な釉薬を使って、ネットリとした魅力を描き出してあります、。明治中期ごろの製作、。
(口径14センチ、高さ17.5センチ)新倉善秀氏蔵、。



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# by evian_th | 2017-09-01 00:06 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
仙人掌鉢                             No.589
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◆2017年8月、。   仙人掌鉢(サボテン鉢)、。


「サボテン鉢」、。
サボテンの事を深く調べる気持ちは無いのでネット検索でザッと調べてみた、。
「サボテン」が日本へ渡来したのは、何と16世紀のことであるらしい、。室町時代とか戦国時代とか安土桃山時代のことではないか、。驚いた、。

「サボテン」に「仙人掌」の文字を当てたのは中国での事らしい、。中国に最初に入ったサボテンが「ウチワサボテン」であるらしく、その見た目からこの文字を当てられたのだろうということだた、。

日本へ渡来してからの流行については分からないが、明治時代後期から大正時代を通じ昭和の初期まで東京でのみ流行したのではないかと思われます、。根拠は東京本郷の「錦園堂・手島揫二窯」のみがカタログに「仙人掌鉢」を掲載しているからです、。

それで、今月のトップ画面の鉢を見ると、「仙人掌鉢」である事と「波千鳥文様」であることから、「あ~、手島鉢ね、」と思ってしまいがちですが、チョッと待って頂きたい、。
この鉢の造りは相当な上手物なのです、。

まず「足の形と作りの良さ」は秀逸です、。1の足は勿論、画像左奥に見える3の足の横顔の作りの良さには惚れ惚れします、。
更には「縄縁の造りや縁上面の加茂黒の様子の良さ」、「内側への曲がり角のエッジの鋭さ」「内掛けの加茂黒釉薬の深さ」、「使用してある温かみのある陶土」、などなどから、これは相当な上手物であることが見て取れます、。

「手島揫二の波千鳥」を見て、「下手な作り、下手な絵付けだ」と思うのは間違いでしょう、。
この白胴に青海波を拙く描き、千鳥饅頭のような千鳥を飛ばし、隙間を七々子紋の点々で埋めるというこの図柄は、図柄そのもの全体が一つの「紋様(パターン)」なのではないかと思われます、。そうでなきゃ、この足や縁を作れる腕を持った陶工が、こんな下手な絵付けをする筈が無い、と思うのです、。

この鉢は、まぁ、仙人掌鉢だし波千鳥紋だし、「錦園堂・手島揫二窯」の製品でよいでしょうが、仮にこれが「短冊家」の製作であっても何の不思議もないほどの出来栄えの良さを持った鉢だと思います、。
口径12センチ・高さ5㎝、。(西口郁夫氏蔵)


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# by evian_th | 2017-07-31 21:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河鉢繕い完了                          No.588
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◆2017年7月28日、。   三河楽鉢の金繕いが完了した。


この鉢は昨年初夏の頃に入手し、繕いに出して一応出来上がったものを、今年2017年2月のトップ画面に使用した鉢、。
今回は、2月に掲載した後に再度繕いに出して、「金繕い」を施してもらったので掲載、。

「繕い」というのは、一般の陶磁器の世界で漆や金や銀を使って「ひび(ニュウ)の入った部分」や「欠けた部分」や「割れてしまった部分」を美術的価値あるように補修し、愛玩する道具に生き返らせる技術のことだ、。

古典園芸界に於いては、この「一般的な繕い」という技術は重要視されず、「ひび割れも欠けや割れ」も何も無かったかのように「あたかも無傷であるかのように修復する」のが当たり前に通用して来た、。「誤魔化し技」で補修して来たのだ、。これを高価に売りつけるというのは、一種の騙しとか詐欺のようなものなのだ、。そういう風な技術が一般化して来た、。

「割れや欠け」があろうが「にゅう」が入っていようが、鉢の文化的な価値には何も関係はない、。価格的には「無傷完品」には及ばないかも知れないが、150年前に短冊家や浮田楽徳たちが精魂込めて製作した鉢であることに変わりはない、。大戦争や火災や地震や洪水などという日本列島に住む者には運命のような苦難を乗り越えて受け継がれて来た鉢々である、。大切にしてやりたい思う、。


それで、こそこそ隠れるような補修をするのではなく、堂々と「金繕いを施して繕い痕も全部丸ごと楽しむ」ようにするのが今後の楽鉢界の正しい姿ではないかと考えるようになった、。

このような考えに至った原因の第一は、「決定的に古典楽鉢の現存数が少ない」からだ、。
「ひび割れがある」「欠けている」などと傷物扱いして破棄できるほどの数が園芸界に現存していない、。金繕いを施して大切にし、後世へ引き継ぎたいと思ってる、。

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「金繕いの本」という本。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。が園芸ジャパン誌を出している出版社から出た、。
この本を読んで(写真多し)「金繕いを楽鉢界も始めましょう」などという気は無い、。「金繕い」の全てが理解できる本だとは思う、。1800円。

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# by evian_th | 2017-07-28 00:18 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
霞取り白唐草紋蘭鉢                       No.586
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◆2017年7月、。   縄縁霞取り白唐草紋蘭鉢

栄養成長期の終盤に入り、蘭が最も活発に成長する季節になりますね、。

縄縁霞取り白唐草紋蘭鉢

こういう「白唐草文様の鉢」は窯元判断が困難です、。京都にも三河にも、恐らく東京の手島にもあり、描き方も顔料もそっくり同じようなので、紋様からは窯元も製作年も判断は不可能です、。
愛知県三河鉢では興楽園・杉浦勘之助がこの紋様の鉢を比較的多く製造しましたし、ということは、勘之助と組んで楽鉢販売をした東京の手島鉢にもあったのでしょう、。福富京楽堂にも唐草紋はありました、。

描き方には2種類みられます、。「線状の蔦」が描かれた絵と、「蔦はなく貝殻のような花のような紋様」を中央部に描き「葉」だけを描いたものとが見受けられ、「唐草紋」と呼んでいて良いものかどうか迷う事があります、。「唐草紋」は中国から伝わったのでしょうが、楽鉢へのこの描き方は日本独自に作り出された模様だと思います、。
鉢ヘリの「細かな縄縁紋」は、古くは大阪楽でも見られるので、これも判断材料とはなりません、。
「霞取り」も京楽・三河楽・東京楽に共通したデザインです、。
結局は「鉢の台部分」でしか判断できないという困った分野の鉢です、。

足の形などから判断すると、「京楽」でしょうが、鋏み痕が足にあるようなので、「浮田楽徳窯」か「大虎窯」の製品だと判断できます、。明治後期くらいでしょうか、。
展示会用には重宝しそうな鉢です、。13.7cm×17.3cm、(飛田邦之氏蔵)




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# by evian_th | 2017-06-30 02:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
2017年 夏の蘭展 富貴蘭展                  No.585
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◆2017年6月、。   2017年「夏の蘭展」



花ごよみ 夏の蘭展
時:2017年6月30日~7月2日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2017年7月1日・2日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2017年6月25日
所:相生園芸センター






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# by evian_th | 2017-06-16 20:30 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽鉢「楽徳龍図蘭鉢」                     No.584
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◆2017年6月、。       京楽鉢「浮田楽徳龍図蘭鉢」


京楽焼・浮田楽徳窯「水龍図蘭鉢」、。
なぜだか分からないけど、今月は楽鉢の歴史調べの初期の頃に度々お世話になったこの鉢を見たくなった、。楽鉢調べの原点の鉢の一つだたからだろう思う、。過去に使用の鉢画像の中には幾つかの印象強い気に入りの鉢があって、そういう画像は「植木鉢フォルダー」のトップ画面に置いて普段から眺めている、。気持ちが癒される、。この鉢画像もその一つ、。風来記に掲載して周囲の赤色に囲まれると、見慣れた画像がフォルダーにある時とは違って見えて引き立つ、。

神奈川県の飛田邦之氏の画像、。飛田邦之さんは”先生”と呼ばれる職業の人だが気取る事も驕ることも無くエビアンの無理な注文にも快く応じて下さり、お世話になってる、。誰の紹介で知り合ったのかは忘れた、。恐らく東海園の梅原氏か故・野田谷治男氏によって紹介されたのだろう、。直接はお目に掛かった事は無い、。エビアンの同居人の実家が飛田さんと同じ御町内なので、数年前同居人が実家方面へ同窓会で旅行した時にデジカメを持たせ「飛田先生の所へお邪魔して飛田さんの画像を撮影」してくれるよう依頼した、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、今では電話で話してもイメージは湧く、。

飛田さんを初めとする何人かの圧倒的で情熱を持った協力者の存在が無ければ、「楽焼鉢の歴史調べの旅」はこんなにスムースには進まなかったことは確実であり、現代の東洋蘭愛好家と植木鉢数寄者の総合力の結果だろうと感じる事が多い、。楽鉢製作に心血を注いだ江戸・明治・大正・昭和の過去の職人たちに感謝されているだろうと思う、。

「浮田楽徳鉢」について新たな情報がある訳ではありません、。楽徳鉢は分かり易いし、多くは既に調べ尽くしたように感じています、。ただ、BSテレビでは戦国時代・江戸時代・明治維新・明治時代をテーマに取り上げられることも多く、「楽焼植木鉢」という方向から日本史を見る癖が付いてしまって、「宇喜多秀家と宇喜多家一族」の無念には心を痛め続けています、。八丈島から流刑を解かれて江戸へ戻る事を許された浮田一族の人たちも、江戸では徳川家に対する逆賊扱いだったため住む所にも困り、宇喜多秀家の正室豪姫の実家である加賀前田藩の江戸屋敷にかくまわれ面倒をみてもらったのでした、。
今年から「全国春蘭連合会の展示会場」が「上野グリーンクラブ」に替わりました、。上野グリーンクラブの前の道路を南へ100メートルほど下ると、道の東側に「上野不忍池」があり、その道路、不忍池の反対側(西側)には数軒の民家を挟んで、60年安保闘争時に名前を馳せた「安田講堂」や「赤門」を擁する「東京大学」の広大な敷地があります、。この本郷の東京大学敷地こそ、江戸時代は「加賀前田藩江戸屋敷」だったのです、。
本郷には「福富京楽堂」の窯があり、団子坂の上には「手島揫二」の窯もありました、。何だか皆な 近くへ寄って来てますね、。


今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」は飛田さんにお願いして2度に渡って全方向から撮影してもらいました、。
1の足は、龍の顔部分と下部には「大浪・波涛紋」、。細かい水しぶきの点々は魚の子紋、。「楽徳の描く大浪紋」は、狩野派絵師・尾形光琳が考案」した波を表すユッタリとした曲線が並行して並ぶ、いわゆる「光琳波」であり、波涛部分は絵師・葛飾北斎が「富嶽三十六景」の中で考案した「波の先が人の手指のように割れる」紋様です、。余談ながら、昨年この波を実験室の中で再現する試みが行われ、1秒間に何万カットの撮影ができる高速度カメラで撮影すると、風速がある一定程度を超える風が吹いた時に現れる波の先っぽは見事に北斎の描くところの人の手指状に割れたのでした、。ね、歴史に名を残す絵師の観察眼というのは人並み外れたものがありますね、。

2の足は、龍の胴体部分と後ろ足、。朱色で稲妻を走らせ、絵師としての間を持たせてあります、。これが無ければ寂しい、。
3の足は、龍の尾っぽ画像、。尾っぽをどういう風に処理するかというのは絵師として最も難しいところです、。尾の先を割って描き、画面の寂しさは大浪と波涛紋とを1の足よりも2段、2の足よりも1段高く描くことによってカバーしています、。

鉢の足が腰に付く部分には「金泥でヒラヒラ紋様」を描いて足の菊花唐草紋と腰の大波紋との区切りとしてあります、。隅々まで神経を行き渡らせた浮田楽徳という絵師の腕前に感服、。時代乗りも良し、非常な上品、。
口径11.3センチ×高さ14.3センチ。(飛田邦之氏所蔵・撮影)




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今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」の画像は、風来記鉢画像掲載当初から何度か使ってます、。が、初めの頃過ぎて、飛田さんも鉢画像撮影に慣れてなく、白色の毛羽立ったバスタオルを広げた上へ楽鉢3個ほどを並べて置いて真上から撮影した画像でした、。鉢を横にした画像と鉢を立てて撮影した画像とは違って見えます、。
そういうこともあって、この鉢を正式に紹介しておきたいと思った訳です、。既に以前に掲載してるかも知れませんが、今月はこの鉢を載せたいと思いました、。同じ鉢でも月日が経てば見え方も変わる、。(変わったのはエビアンの観賞眼の方なのですが)


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# by evian_th | 2017-06-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
金閣宝                              No.582
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◆2017年4月14日、。   東洋蘭界の頂点に君臨し続ける柄物


 いつの時代、どの分野であれ、東洋蘭の大ブームが起こる時には必ず 人気をリードする品種というものがあるものです。

 昭和50年代に起こった日本春蘭紅花ブームの終盤頃、昭和 60年代初めに『玉殿の松』ブームが起き、それに続いて「無名縞物ブー ム」が、更に引っ張られる形で「黄色中透け物ブーム」が起きました。
 日本の春蘭界では歴史上初めての「縞物ブーム」だった訳です。この
縞物ブームを絶えずリードして来た品種が『金閣宝』なのです。言葉を 換えて言うなら、日本春蘭花物ブームをリードしたのが『女雛』『山ノ 端』『秩父錦』であったように、日本での黄中透けブーム・韓国中透け ブームは、結局のところ『金閣宝』ブームであるとも言える訳です。
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出自

 採取は昭和57年頃、採取地は新潟県ということになっています が、来歴には多少の謎の部分があります。山出し当時は棒縞のチョイ柄 だったとか、4本立の1本に見事な黄色を現わしていたとか、ともかく 新潟県の蘭商・石綿一二三氏によって買い出された時には、4鉢だった といいます。内2鉢を四国の蘭商・平見和士氏に売却し、平見氏は九州 宮崎の川田芳雄氏と福井のK氏に納め、石綿氏の手元に残った2鉢は、 東京に納められました。私の手元に残る当時の業界誌の表紙を飾った川 田さんの『金閣宝』と東京のKさんに納まった『金閣宝』の写真とは、 どう見ても別の蘭のように見えます。川田さんの分は、紺覆輪が深い白 黄色中透けで力感あふれる半垂れ葉、他方は斑色は濃い黄色で照り葉の 横広がり半垂れ葉ですが、紺覆輪は浅い物でした。なぜ、棚割り当時に 別々に見える2種類が存在したのかは“謎”です。石綿氏亡き今となっ ては知る人もなく暗の中です。
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命名の由来

 この蘭は当初、石綿さんによって「金閣」と命名されていて、寿楽 園・平見さんの手で宮崎の川田さんに納められ、これを一目見た川田芳 雄氏は非常に気に入って、名前の「金閣」に「宝」を一字足して「金閣 宝」にしたいと思うがどうか、と石綿氏に問い合わせ、了解を得て日本 春蘭『金閣宝』の誕生となったのです。当時は寒蘭の柄物ブーム時でも あり、寒蘭柄物の『国宝』は日本春蘭柄物最高級品だった『国宝』から 名前を借りて命名したので、今回は川田さん命名の寒蘭柄物の『金閣 宝』という名前を春蘭に付けたい、という意向であったようです。
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性質

 信用のおける筋から種木を購入すれば問題はないと思われますが、 『金閣宝』の小さい時には、紺覆は色薄く、浅くかかるし、斑色は白っ ちゃけた白黄色だし、とても銘品に見えない程、貧相なものでありがち です。
 性質は柄物中でも上位クラスの丈夫な蘭ですし、小さな種木からでも 年々スクスクと作上がりに来ますので、大金を出せる人は別にして、 5~10万円で十分に作れる木が入手できます。3~5センチくら いの小さな木の時に、斑色は黄色濃く、紺覆輪が深々と入って、見るか らに銘品ぽく見えるようなら、心配なことです。小さいまま作上がりに 来ないようなら、品種を疑ってみる必要があるかもしれません。
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作る

 種木の作り方の要点は1つだけです。根数に比べて小さめの楽鉢に、 鉢底の目止め上の土は、上部まで山野草用の極細粒土の単品で植える か、水抜けが悪い土なら春蘭用表土小(直径5ミリ)との半々混合土 で、下から上まで植える事です。“コツ”があるとすれば「植え込み」 この一点のみでしょう。1バルブあたりの根数が少なく、新木の根下ろ しが悪いのでこの点を補い、普通に作っても上作するように植込用土で 加減する訳です。上木になり、葉長20センチ、6枚葉を繰り出す ようになれば、多少、大きめの用土を用いて徒長を防ぐ必要も出てきま すが、それまでは思い切って細粒で植込される事をお勧めします。その 際、表土に1層だけ薄く水苔を乗せておけば、細粒土植えによる 過乾燥と表土の暴れを防ぐことができます。
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美術株作りと繁殖

 葉丈10センチを超え、15センチくらいの中上木になると 「奴芽」(双子芽)や後木と前木とに芽が出る「後前」(うしろまえ) に芽を出したがるのも『金閣宝』の特徴です。2つの芽当たりを出し て、作者の欲心を計りに来たり、惑わせたりしますが、前述した通り、 根数の少ない蘭ですから、3~4本立の『金閣宝』に2本の芽を作上が りに育てるスタミナはありません。後前に来た時には当然ながら、迷わ ず後木を欠き、前奴(双子)に来た時には、根拠もありませんが、経験 上、新木に向かって左側の芽を残して右を欠いたほうが良くできます。 これを惜しいからと、芽欠きせず両方伸ばすと、7月中くらいは普通に 育っているように見えても、8月中旬には急に勢いが落ち、無惨な作下 がりになるのは必定です。
 
元気の良い中上木3本立ち以上になと、7月中には今年の新芽に押し 子(秋子)をかなりの確率で出してきます。これは、このままで育て、 翌年3には鉢を空けて、この押し子を外すようにします。この時、下り に根が居れば、別植えとし、押し子に根が無ければ惜しいのですが、切 除し捨ててください。
 これをせずに、押し子を付けたままで次年の作を掛けると、昨年の押 し子は根が無いために作下りになる上に、今年芽も育て難く、鉢全体と しては、みすぼらしい株に成り下がってしまいます。『金閣宝』は1年 に1本の芽だけを育て、繁殖は古木の1~2本を外してのバック吹きの みで行うと心に決めておくのが、前木に絶えず美術株を所有しておれる コツです。
ランも一流一級品ですが、この木は作者の蘭に対する姿勢を 問いかけて来るランでもあります。
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置き場と管理

 ひとバルブあたりの根数が少なく、新木の根下ろしが悪い、という一 点の特徴のほかは、性質そのものは強く、黄中透けの中でも作り易さで は上位に入るランです。陽にも肥料にも強いので、置き場所は作場の中 でも陽光のよく当たる所に置き、肥料も普通に消化します。柄暗みは無 いので、有機・無機質を問わず与えてください。放任作りでも葉が伸び すぎることはありませんが、葉長のわりに葉幅を引かせたほうが見栄え がしますので、栄養剤・活力剤の類は、控えた作りを心がけましょう。
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永遠のラン

 『金閣宝』の柄を言葉で表現すると、「紺帽子深覆輪黄中透け」とい うことになります。葉元から紺縞を押し上げたり、葉先の紺帽子から蹴 込みの縞を通したりもしない、黄色の斑部分と紺覆輪の部分の境目が ハッキリとした完全な中透け芸です。言葉で表わせば単純芸のような印 象を受けますが、斑切れの良さと襟組み(エリグミ)の正しさから、株 全体に気品を漂わせ、見る者を惹きつけます。
今日に至るも「風格ある 気高さ」という点で、黄中透け柄物を100鉢並べられても、この 『金閣宝』は遠目に見ても見分けがつくほどに優れた稀有の銘品です。
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<注>
この原稿は、「園芸ジャパン誌」が「自然と野生ラン誌」であった2007年に掲載されたものですが、エビアンはテッキリ、風来記にも書いてあるものだとばかり思っていました、。今回、「金閣宝」を取り上げるにあたり、「奥部屋」や「風来記」の過去スレを探したのでしたが見当たらず、自然と野生ラン誌の記事がオリジナル原稿であったことに気付きましたので、改めて今、掲載しておきます、。(風来記・エビアン)

画像は大きめサイズで掲載しています、。下の文字が隠れる場合は、画像をクリックし拡大してご覧ください、。










# by evian_th | 2017-05-26 00:30 | 東洋蘭(春蘭)
大阪楽鉢「楽雅亭」                        No.583
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◆2017年5月、。   大阪楽鉢「楽雅亭」


大阪楽鉢「楽雅亭」、。
「大阪楽」の認知度が低くて迷惑しています、。つい最近も出版物に大学教授だか研究員だかが「楽忠・楽雅亭の鉢を見て、明治時代か大正時代の製作」と書いたようで、問い合わせに対して「新しそうに見えたから・・」と答えたそうです、。

盆栽界では「楽忠窯」が「江戸明暦2年に大阪堺(現:大阪府堺市)で開窯した」ことは良く知られている事実なのです、。「楽忠窯」は明治12年まで存在したので、詳しい資料が残っているのでしょう、。
◆2007年「盆器大図鑑上巻24頁」の「楽忠右衛門」の項目には・・・
「楽家脇窯の一。忠右衛門(号・道楽)は楽家三代道入(のんこう)の弟で、明暦2年(1656)頃堺で開窯。茶道具はほとんどつくらず主に食器・雑器を焼いたと伝えられる。楽焼に施釉した軟陶が多く、楽焼と陶器の中間程度のものもある。明治中期まで九代続き、二代以降の製品を本湊焼と称する。」、と書かれています、。

この「江戸明暦2年」という年は、忠右衛門の兄・楽家三代目道入が2月22日に没した年であり、恐らくそれまでは兄の楽焼を手伝っていたものと思われます、。兄の死によって楽家の4代目は3代目道入の長男・一入が継ぐことになったので、忠右衛門は大阪堺で脇窯を開くことになったのだろうと推察します、。江戸「明暦の大火」で炎を逃れた人が墨田川へ飛び込み、多くの死者を出した出来事の前年のことです、。

このように「楽忠窯」が明暦2年に開窯したことは周知の事実なのですが、
さて、今月のトップ画像「楽雅亭」はというと(エビアン現在までの所)資料を発見できず、「楽忠作品」と「楽雅亭作品」との比較による状況証拠に頼っています、。
「楽家2代・常慶の弟・宗味」が同じく脇窯を開いていますが、これが「楽雅亭窯」であろうと考えています、。
つまり、「楽忠・忠右衛門」から見れば「楽雅亭・宗味」は実の叔父に当たる訳です、。

年齢的には「楽雅亭・宗味」の方が歳上で、楽家からの独立開窯も「楽忠・忠右衛門」よりも早かった筈なのですが、「楽雅亭」に関する資料が見つかってない以上は、「資料上からは楽鉢は明暦2年が起点だった」と言わざるを得ず、昨年2016年「園芸ジャパン1月号」にはそのように記しました、。実際は「楽焼植木鉢の焼初め」は「楽雅亭」の製作によってもう少し時間的に遡るかも知れません、。
「楽雅亭の窯の場所」は、これも推測ですが、同じく大阪堺であっただろうと思われます、。千利休の出身地であり、利休の家督を継いだ楽家初代・田中長次郎所縁の土地でもあり、楽忠が後に窯を開いたのですから、「楽雅亭窯も大阪堺」に在ったと考えるのが自然です、。

今月の鉢は「楽雅亭・太鼓胴飴釉花浮き彫り紋花盆」です、。
正直なところ、楽忠・楽雅亭の鉢で、浮き彫り紋が瑠璃釉ではなく飴釉である作品を見るのは初めてです、。
これが瑠璃釉と比べて年代的に前なのか後なのか同時期なのかも判断できません、。この鉢は、口径18センチ高さ13センチと小さ目です、。足が「鬼面足 」ではなく「猫足」なのも普通っぽいのですが、胴部分はきっちりと3段の段替わりをとっています、。使い頃の良さそうな鉢ですね、。

「楽雅亭落款」の入った鉢は、非常に希少です、。「楽忠窯」が九代続き明治12年まで製造していたのに比べると、「楽雅亭」は初代か2代目くらいまでしか製作しなかったのではないかと考えています、。後の時代の作品を見ないからです、。そういう訳で絶対数も少ない上に、「楽雅亭落款」を押印した鉢も少ないので、形はどうあれ、残っているだけで貴重品です、。

「楽忠」「楽雅亭」型には「無落款」の鉢も多く、弟子による制作なのか、どういう訳なのかは不明です、。
(西口郁夫氏所蔵、撮影も同氏)





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# by evian_th | 2017-04-30 22:30 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
春季展示会2017 。 No.575
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◆ 春季展示会2017


056.gif展示会は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんので、ご注意ください。


大阪東洋蘭会 2017年 春季展示会
時:2017年3月12日。(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春季春蘭展示大会(全春連)
時:2017年3月18日・19日、。
所:上野グリーンクラブ(東京都台東区上野公園3-42)




兵庫春蘭友の会 春蘭遅花展示会
時:2017年4月1日~4月5日
所:相生園芸センター




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2017年6月25日
所:相生園芸センター




花ごよみ 春の蘭展
時:2017年3月24日~27日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




中部蘭趣会 春蘭展示会
時:2017年3月10日・11日・12日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




中部蘭趣会 遅花展
時:2017年3月17日・18日・19日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




紀州蘭友の会 春蘭展示会
時:2017年3月11日・12日
所:スーパーセンターオークワ パームシティー和歌山店3階(和歌山市中野31-1)




蘭遊楽座 花物展
時:2017年3月5日
所:東京 大森 「大林寺」




蘭遊楽座 正札入札会
時:2017年4月30日
所:東京 大森 「大林寺」




全日本東洋蘭 春季美術品評大会(全東連)
時:2017年3月18日・19日
所:東京蒲田 プラザアペア




北関東中国奥地蘭愛好会 中国奥地蘭展示会
時:2017年2月25日・26日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室



蘭花村蘭展
時:2017年1月7日・8日
所:蘭花村(静岡県浜松市西鴨江町3645)



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春の「各地展示会情報」は、ハガキでお知らせ下されば順次掲載します、。




# by evian_th | 2017-04-05 10:43 | 東洋蘭春蘭展示会
武者絵万年青鉢                          No.581
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◆2017年4月、。   武者絵(?)万年青鉢


8年ほど前から、風来記の植木鉢画像保存フォルダーの中に上掲の鉢画像があり気になっていました、。1の足方向からの画像しか無くて、上から鉢の中を覗き込んだ画像や鉢の底から見た画像が無かったもので、窯元の特定どころか京都の楽鉢なのか三河の楽鉢なのかの判断さえ出来ない状況でしたので、画像を使いかねていました、。
「三河鉢」の話も書くようになったのですから、不完全ながら画像を使うことにします、。このままお蔵入りさせるに忍びない良い鉢ですから、。

という訳で、「窯元判定」や「年代判断」「産地判定」も不能なのですが、「総絵付け」された絵付けの素晴らしさは目を引くものがあります、。
描かれた主役は「武者絵」とは見えず、何と書けばよいのか迷います、。エビアン不勉強で、この絵付けは「歴史上の有名なシーン」なのではないかと感じるのですが、どなたか描かれたテーマを御判断頂いてお教え下さい、。

これほどの絵付けをできるのは、京都では浮田楽徳窯か佐々木松楽窯でしょう、。総絵付け得意な三河地方にはこういう絵付けを得意とした窯元はありました、。「鉢底画像」があれば時代判断が可能になり、明治時代の古さがあれば京楽鉢、昭和初期ごろの製作なら三河鉢、という風に判断が可能なのですが、。

3枚目画像をご覧ください、。撮影者が、鉢の口径と高さとをメモった紙を鉢の足に立てかけて撮影した画像ですが、素晴らしい絵付けが施された片鱗が窺がえます、。足の「金の下地の上から金泥で唐草模様を描く」という実に粋で贅沢な絵付けをしています、。余程の大棚の注文制作だったのでしょう、。2の足・3の足の画像も見たい、鉢底も見たい、という焦燥感に襲われる逸品です、。銘鉢ですね、。(15㎝×15㎝)
画像撮影時には四国にあった鉢ですが、その直後に東京方面へ買われて行ったという噂です、。









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# by evian_th | 2017-04-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
福富”風”蘭鉢                            No.580
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◆2017年3月、。

寒さの中にも「春」を感じる季節になりました、。

福富”風”な蘭鉢、。
3月は明るい気持ちになるような鉢画像を掲載したいと思って、この鉢と決めてました、。
元画像をチラと見て「あ、福富京楽堂だな」と鉢外観の印象から思っていたのですが、月末になって画像を作り始めると、福富鉢ではないことが次第に判明し、迷ったのですが、今月はこの鉢、。

東京本郷の福富京楽堂は明治中期~明治後期にかけて、多くの蘭鉢や万年青鉢を製作した後に昭和初年までには閉窯しています、。この鉢の製昨年は昭和初期と思われること、。鋏み痕は足ではなく胴挟みらしいこと、。福富とは足の形が違う事、。段替わりや花模様に使われている緑色は天然緑土ではなく科学絵の具であること、などの点で福富京楽堂とは一致しません、。手島揫二窯でもないようです、。

そうなると、これ以上はこの鉢に関してエビアンに分かることはありません、。展示会などの飾り鉢としては使い勝手の良さそうな鉢です、。口径15.5cm,高さ19cm、(新倉善秀氏蔵)



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# by evian_th | 2017-03-01 00:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河鉢                              No.579
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◆2017年2月、。   東洋蘭・三河楽鉢


東洋蘭「三河楽」、。
昨2016年初夏に入手の鉢、。画像で伝わるかどうかは不明ながら、妙に惹かれる所が有って、エビアン割合気に入りの鉢です、。先日来宅の万年青商人さんも席に着くなり、隣室の棚に並べた10個ほどの鉢の中からこの鉢を指して「あれはいい鉢ですね、どこの鉢ですか?」と問いかけたほどだから、妙に人の目を引くものを持った鉢なのだろうと思います、。

「三河鉢」だと思います、。
エビアンが「三河鉢」とか「三河楽」と呼ぶのは、大雑把に「愛知県産」の鉢全体をそう呼んでいるだけで、厳密に「尾張」「三河」と分けて考えているものではありません、。じゃ、どうして「愛知県産の鉢」と呼ばないかというと、陶芸の世界では習慣的に「尾張鉢(伊万里焼に似た磁器の鉢に使う場合が多い)」「三河鉢」と呼んで来たのでその習慣にならっただけです、。

「三河楽鉢」が何時の頃から焼かれるようになったのかという問題については、「大阪楽」「京楽」を調べる内に徐々に一つの結論に辿り着きました、。
愛知県三河地方に「楽焼そのもの」の製法が伝わったのは、おそらく江戸時代幕末(1853~1867)の事だったろうと思います、。その楽焼の技術で「楽焼植木鉢」を作り始めたのは、明治に入ってからであろうと思っています、。
「三河楽鉢」に1600年代のような古い鉢を見ない事、。
「大阪楽」の形跡も見えない事が、その理由です、。

「大阪楽」は「太鼓胴の鉢」から始まり、「鉢縁下」(はちべりした)と「腰」の部分に鋲を打ち、3段の「段替わり(だんがわり)」を取って、三段階に徐々に胴回りが細くなります、。

「京楽」は、「短冊家」が「三段階に徐々に絞る事を廃止し、段替わりの名残りとして「鉢縁下と胴の間」と「胴と腰の間」に「1本か2本の帯線」を緑土(テールベルト)や金泥で書き込むという画期的な革命を起こし、主役の絵付けは胴部分に描き、「鉢縁下」と「腰」には日本古来の伝統文様を描くという京楽独特の形式を作り出しました、。短冊家以外の京楽窯もそれに倣った鉢を作りました、。

「三河楽」には、この大阪楽が現在の鉢へと変化する”過渡期の形をした鉢”が見られないのです、。
従がって、「三河楽」は「京楽に倣った」のだと思われます、。
それと、「大阪楽」の特徴である「段替わり」の意味も伝わってないようです、。「京楽鉢」に描かれた「段替わりの名残りの2本線」の意味も伝わらなかったようで、「名残りの2本線」を省略した総絵付け鉢が多い」のも三河鉢の特徴です、。総絵付け鉢で、絵付けの良いものは三河鉢に多いように感じています、。
製作された年代は、明治時代後期から大正時代を通して昭和初期の頃が多かったと思われます、。

「三河鉢」が、どの地方へ販路を求めたかというと、これはもう東京・関東地方でしょう、。京都には京楽窯が6窯もあったのですから東京へ売るために製作しただろうことは明白です、。
「京都は公家文化」「東京は武家文化」「大阪は商人文化」の都市ですから、「武者絵」「富士山」「城」などの東日本・関東人好みの絵付けが多く見られます、。(逆に言うと、西の人間には馴染みが薄いから京楽鉢にはそれらの絵付けは少ない)、。
「万年青鉢」に良い鉢が多い、のも三河鉢の特徴です、。
「絵付けの題材」「鉢の陶土」「足の形」などで「三河鉢」の多くは見分けが可能です、。良い鉢が多いですよ、。
中には「短冊家」を完全に真似た窯元もあり、チョッと見に短冊家と見間違えます、。京楽鉢よりも軽い鉢と京楽鉢よりも重い鉢とがあります、。鉢の形は一定せず、三河独自の形のものもあれば京楽そっくりなものまで幅広く作られました、。
「無地の加茂黒鉢」の大部分は三河鉢です、。京楽は絵付けをして付加価値を付けて高価に売ることを目指したので、京楽に黒鉢は少ないものです、。
「鉢縁下」と「腰部分」には京楽では着物界や工芸界の伝統文様を忠実に描くのですが、三河鉢ではこの部分に伝統文様を半端に真似たような文様が描かれてあります、。


さて、今月のトップ画面の鉢は、これは何と表現すればよいか、「花菱繋紋三河鉢」なのですが、単純な花菱繋紋ではありません、。金線で囲い、花菱繋紋と金泥で岡本太郎画伯の描くような文様が描いてあり、何とも魅力的な文様です、。
買った時は割れ鉢で、下部を持つとギシギシと音がして今にも割れてしまいそうな鉢でした、。底穴周囲も割れて部分的に欠け落ちている状態でした、。買った翌日に繕い屋さんへ持ち込んで秋までに繕いを依頼しました、。秋の展示会前に引き取りに行くと、ひび割れは漆と金繕い、底穴まで何かの素材で直してくれてありました、。その部分にも金繕いをしてもらおうと再度持って行くつもりで居ます、。エビアン自身は1月の鉢よりも今月の鉢の方が好きです、。価格は遥かに安価でしたが、。口径14.5センチ、高さ14センチ、。

「三河の今川義元」と「尾張の織田信秀」の関係がどういう風であって、今も地元ではゴッチャにされるのは許されないというような雰囲気が尾を引いているのならお教えください、。表現方法を考えます、。
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現在のところで判明している大正時代から昭和初期の愛知県下の楽鉢窯元名を列挙しておきます、。残念なことに、その多くは窯元名と製品とが一致しません、。京楽鉢のように「これは○○窯」という訳には行かないのです、。

京楽焼三河元祖・杉浦勘之助(三河碧海郡)・・・陶楽園・山田政吉(三河碧海郡)・・・開楽園・鳥居彦四郎(三河碧海郡)・・・愛楽園・杉浦重平(三河安城)・・・京楽焼窯元・横山孫一(三河碧海郡)・・・改楽園・神谷長平(三河碧海郡)・・・三河楽焼窯元・坂倉周一・・・昭楽園・石川万太郎・・・澤製陶所(三河碧海郡)、その他、都築勝士、亀井謙一郎、藤浦留吉、などです、。

(この窯元名項目参考文献・水野豊明園「万年青の歴史」、米谷青彰園提供「園芸新報・昭和14年8月1日号」)、協力:華幸園

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# by evian_th | 2017-02-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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