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京楽焼万年青鉢(明治初期)              No.317
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◆2009年12月、。    師走   明治初期の京楽焼万年青鉢

「師走、」、。早いもので、もう12月、。
今年も沢山の御訪問をいただき、1年間「東洋蘭風来記サイト」を運営させて頂けました、。御礼申し上げます、。

一年の締めくくりは「明治初期の楽焼万年青鉢」です、。
京楽焼の茶器(お茶碗)を思わせる加茂黒釉薬の肌、。手に持つとシックリと馴染みます、。エビアンが20歳代に師匠の竹島健太郎から購入したもの、。初めて買った「楽焼き鉢」です、。
資料から判断すると、明治の初めの手描き本に中型の万年青が植わった挿絵が出てきますので、明治初期に使われていた楽焼き鉢の一つの形だと思われます、。江戸末期頃から使用された形かも知れません、。
明治中期の頃には小万年青の流行とともに姿を消します、。
この後、明治10年過ぎには「小万年青」が流行り始め、万年青鉢は、胴部分が細くなり、猫足が大きくなり、ヘリのツバ部分が大きく広がって、現在の万年青鉢に近付きます、。(このことは、必ずしも断言できず、同時進行で同じ時期に胴が細い万年青鉢があった可能性を排除できませんので、今後の資料によって判断したいと思います、)、。幕末から明治初期は万年青の流行の変化に伴って「楽焼き鉢」の形が大きく変化した時期でもあり、旧型と新型とが入り混じった時期でもあります、。画像の鉢は「古典の様式」(デザイン・製法ともに、)を踏襲した形です、。明治中期以降には、この形の鉢は見られなくなります、。

画像撮影と修正には苦労しました、。結果として、エビアンのコンパクトデジカメでは、コールタールを塗ったように黒々テカテカと光り、渋さは消え去り、この鉢の持ち味を写せませんでした、。鉢内側、釉薬が鉢内側へ落ち込む所の辺に実物の光沢が写せているかと思います、。
画像の鉢は、直径17センチ、高さ13センチです、。
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<日本の陶芸史に於ける植木鉢の位置づけ>
◆人間にとっての100年間という時間は大変な時間ですが、焼き物にとっての100年間というのは左程たいした時間でもなく、「楽焼き鉢の歴史」を調べるのに、「楽焼きお茶碗」の方向から調べることの限界を感じ、「日本の焼き物史」の方向から調べようと決め、見てみると・・・

日本三大お茶碗(三大焼き物)は、「一楽、二萩、三唐津、」と言われますが、一方、「日本六古窯」(にほんろっこよう)と呼ばれる「瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前、」には、楽も萩も唐津も含まれていません、。
これは「六古窯」を切った時期が時間的に古く、唐津はともかく、楽焼などは新しい焼き物なので「六古窯」には含まれなかったようなのです、。

京都や江戸は、昔から人口が多く、従って消費も多く、消費地ではあっても生産地ではなかったことに依ります、。
「京楽焼」など京都の焼き物が(窯元が)盛んになったのは、今からせいぜい400年前の安土桃山時代以降の事らしいのです、。その「400年間の京都での窯元」の数だけを見ても、雲華焼・頴川焼・木野村焼・道八焼・仁清焼・粟田口焼・・・・・・と、実に50窯を遥かに超え、中には、ある地域全体の窯の総称で呼ばれるものもある始末で、この方向からの調べにも限界があることを痛感しています、。

「京都の焼き物」は総称して「京焼」と呼ばれ、その内を更に、磁器は清水焼と呼ばれ、陶器は粟田(あわた)焼と称されます、。我が「楽焼」は、「粟田焼」の一部に過ぎなかったのです、。(京都大学のある吉田山から粟田口の一帯は、平安京の”刑場”だった場所として知られます)、。

膨大な資料に基づいて、このような「日本陶芸史」を纏めて居られる高名な陶芸家の先生でさえ、読者から「日本の植木鉢の話が出て来ませんが、植木鉢の歴史を書いて頂けませんか、」という投書だかメールだかがあって、植木鉢」の事は全く分からず、「どなたか、植木鉢の事を書いた本やサイトを御存じでしたら教えてください。植木鉢の事を何でも構いませんから教えてください、」と書いておられる始末で、この「日本陶芸史」の方向からの調べも期待出来そうにありません、。

ことほど左様に、「日本での植木鉢、」というのは、歴史の闇に隠された分野なのです、。「楽家」の資料からも、あえて消し去られている様子がうかがえ、脇窯が何を作っていたかという記述は出て来ません、。焼き物の裏街道、というか、植木鉢というのは本来が下手物で、過去には調べられた事も無いようです、。
またまた大きな壁に突き当たりました、。地道に過去の資料から調べて行きます、。今後ともの御支持をお願いします、。(エビアン。。。)
by evian_th | 2009-11-30 02:43 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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