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京楽焼花菱繋紋万年青鉢                No.430
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◆2012年1月、。   京楽焼花菱繋紋万年青鉢
本年も「植木鉢スレッド」をよろしくお願いします、。

◆京楽焼花菱繋紋万年青鉢、。(きょうらくやきはなびしつなぎもんおもとばち)
今から約150年前、明治初期の製造と思われる万年青鉢です、。
鉢の古さ自体は150年ですが、この一つの楽焼万年青鉢を完成させるには、その背景に「日本の陶磁器製造技術発展の歴史」があり、「絵付け文化の歴史」がある訳です、。
だからこそ、画像に見る鉢は単に150年前の鉢に留まらず、長い歴史の上に完成された時間の重みを感じるのです、。「京のみやび」を感じさせる華やかな中にも実に落ち着いた鉢ではありませんか、。

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◆「絵師」の歴史を辿ると、日本での絵師の始まりは、「日本書紀」の「雄略紀」7年の条に、百済から多くの技術者(手末の才伎・たなすえのてひと)が渡来し、その中に「画部因斯羅我」(えかきいんしらが)という人物が居り、この人物が日本の文献上では最古の「絵師」(画工)ということになっています、。(画部は後の世になって付けられた肩書きまたは職種、)、西暦475年~500年頃のことです、。その頃すでに中国で発達し、朝鮮半島で育てられた作画技術を持って来日し、奈良県明日香村に移住させ職人の育成をしたのです、。「朝廷絵所」(えしょ)の始まりです、。これ以来、日本での職種は多種に分かれ、それぞれの分野に「絵師」が生まれて行きます、。

始まりは割合明確なのですが、その後の「絵師」(画工)の歴史は曖昧で、歴史に名を残すような大物絵師が資料に出て来るのみです、。「雪舟等楊」「長谷川等伯」「尾形光琳」「俵屋宗達」そして「徳川に付いて江戸へ行った江戸狩野」「豊臣に付いて京都に残った京狩野」の絵師などです、。

江戸時代の中後期1750年~1800年近くになると、それまでの大名お抱え絵師などとは別に、「町衆文化」の発達と共に「町絵師」が出て来ますが、「絵屋」などに雇われて注文の絵を描いていたのです、。陶磁器絵師「陶画工」の誕生もこの頃のことだと思われます、。

偶然、読んでいた資料に、江戸後期(と幕末との境目)1850年ごろに、京都の陶画工「雀亭珍月」という人物が、請われて「姫路東山焼」(ひめじとうざんやき)を手伝うために仲間を連れて「陶工・仁阿弥道八」などと共に姫路へ行った・・・という記事を見つけました、。
ここに初めて幕末の陶画工の名前を見つけた訳です、。京都の資料からは出ず、「姫路焼」の方に出て来ました、。「雀亭珍月」は、その後京都へ戻り、明治初期~中期の頃までは京焼に絵付けをしたようです、。「仲間を連れて・・」と出て来ますから、江戸後期の京都には何人かの「陶画工」が居たことになります、。「楽焼絵師」も、これらの流れの人達だったのは、ほぼ間違いのないところです、。

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昨年2011年秋、千葉県のKさんから、信憑性の非常に高い筋からの情報として、「明治時代に楽徳さんという鉢屋さんがいたと聞いている、」という話を伝えてくれました、。
喜び勇んで調べると、確かに1861年(明治維新7年前、)に東山松原通り入るで開窯した「浮田楽徳」(うきたらくとく)(大正元年没、)という人物が居ました、。資料には「楽焼を焼いた、」と書いてあるだけなので、大した「茶器」は焼いていない筈、。「楽焼植木鉢」の窯だった可能性は大きく、前出の話と合わせると、時代も明治時代初期から中後期に活躍したと思われ、「京楽焼鉢」の窯元に「短冊屋窯」以外の窯として「楽徳窯」(らくとくかま)を加える事に疑問の余地もありません、。

「楽徳窯」のあった場所は、「短冊屋」さんの南1キロほどの祇園界隈、。祇園甲部歌舞練場の真南すぐ、祇園建仁寺の東南角の辺、現在は窯も住居もありませんが、陶芸の世界では同じような焼き物を焼く窯は特定の場所に集まるので、この点でも納得が行くのです、。

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明治時代の「京楽焼植木鉢」窯元には、「短冊屋」さん、「楽徳」さん、以外に、エビアンが持っている鉢を見ても、他に3つの窯元があったと思われます、。(「京薩摩焼」を含めると4つ)、。
◆今月の画像の鉢「京楽焼花菱繋紋万年青鉢」も、(短冊屋でも楽徳でもなく)その3窯の中の1つの窯の製品です、。厚みの薄いつば、太い胴、独特の形をした足、美しい作り、いずれ名人の作なんだろけど、この鉢を作った窯も分かりません、。他にも優秀な鉢絵付けをしている絵師の絵付けです、。「五柳寿運」との共通性を感じますが、その件はいずれまた・・、。
4寸5分ほどの大きさ、口径14センチなのに対して高さ11センチ、というズングリとした外見が重厚味を感じさせます、。仲介してくれる人が居て、千葉県のMさんの好意で風来記へ来た鉢、。
文様は、「七宝繋紋」の上部に「花菱繋紋」という伝統文様を忠実に踏襲してあり、その色使い、イッチン絵付け技術共に、日本の陶磁器歴史の技術の高さと落ち着きを感じさせる鉢に仕上がっています、。日本での1500年の絵付け歴史の後ろには、中国での5000年の歴史の時間の中で取捨選択された伝統の文様の素晴らしさがあると感じます、。素晴らしい、^^、。

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江戸後期・幕末から明治まで活躍した陶磁器絵師「雀亭珍月」を見付けたことと、明治時代に楽焼鉢「楽徳窯」があった事が判明した事は、大きな収穫でした、。バンザーイ、(^ー^)ノ♪。

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<追記>
では、エビアンは「京楽焼鉢」の内のどの鉢を「楽徳鉢」だと思うのか、という疑問に答えてませんでした、。
1861年から製作を始めたというのは、「短冊屋さん」が茶器から植木鉢にも手を広げた時期とほぼ同時期だと思えるのです、。
「京楽焼鉢」の銘品の中に比較的多く見られる鉢で、一見「短冊屋風」ですが、「窯出しの鋏み痕が足にある分、」「楽徳鉢」なのではないかと考えます、。
陶土は京土、。素焼き時点の焼成温度が「短冊屋窯」よりも低かったようで、短冊屋のような硬さが無く、土が気持ち柔らかな気がします、。縁の作りは短冊屋のような切れ味の鋭さは無いものの少し角張り、チョッと見に短冊屋に見えるほど、。内側へ落ち込む角は短冊屋ほどではないものの角張る、。鉢全体の作りはシッカリとしている、。「蘭鉢」も「万年青鉢」も製作していたが「蘭鉢」を比較的多く見る、。関西から西の九州方面まで広く残る、。一部関東のコレクターにも、。
こう書くと、楽焼鉢コレクターなら「あ~、あれか、」と直ぐに分かって頂ける鉢です、。あれが「楽徳鉢」だろうと直観しました、。絵付けは窯元絵付けを見たことはありません、。一流の「絵師」による「龍、」や「波に飛龍」や「伝統文様」が描かれた高級鉢が多いのです、。
この一群の鉢を「楽徳窯の鉢」だと(現時点では)思います、。
「古京楽」または「短冊屋」として売られていたと思います、。

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全国日本春蘭連合会 第41回春蘭展示大会
時:2012年3月17日・18日
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)
「全春連」は今年2月「東京ドーム世界蘭展」にもディスプレー展示参加します、。

 

大阪東洋蘭会2012年春季展示会
時:2012年3月11日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会



箱根香蘭亭 中国春蘭最新花展
時:2012年2月10日~12日・2月17日~20日・2月24日~26日
所:箱根香蘭亭(神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷)
本年は「東京ドーム世界蘭展」には出展参加しません、。



北関東中国奥地蘭同好会 展示会
時:2012年2月25日26日
所:熊谷市緑化センター(埼玉県熊谷市宮町・市役所東)

by evian_th | 2012-01-02 23:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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