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東洋蘭鉢「京薩摩」楽焼風鉢             No.451
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◆2012年7月1日、。   「京薩摩」楽焼風鉢

京薩摩焼楽焼風鉢、。
口径18センチ、高さ19センチ、胴部分の肉厚5mm程度、重さ1050グラム、。

「京都」で焼かれた焼き物全体を「京焼」と呼び、その内、磁器を「清水焼」、陶器を「粟田焼」と呼ぶことは以前に書きました、。
「京薩摩焼」というのは、薩摩焼の陶工が京都の土を使って京都で薩摩焼に似せて焼いた焼き物を呼びます、。一説には「京薩摩焼」というのは「粟田焼」の別称だとする意見もあります、。

画像の鉢は江戸後期ごろの「京薩摩黒楽焼風植木鉢」です、。6寸鉢、ずっしりと重い鉢です、。知り合いの商人さんが、20年来の出入りのお棚の棚下に、半分土に埋まった黒鉢があるのは以前からお棚へ行く度に見てたらしいのですが、昨年2011年秋になって何の気なしに棚下の鉢を土を払って手に取ると思わぬ良い鉢だったので買い出し、エビアンに知らせてくれたものです、。「今までズッと出入りしていて、足で蹴飛ばして割ったりしなくてよかった、」て商人さんが言ってます、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、この一件を見ても、「鉢は出会いだ、」てことを痛感するのです、。エビアンに入る日を土に埋まって待ってたんだろなぁ、。

「楽焼風」と書いたのは、江戸後期の京都では「楽焼」を名乗ることは禁じられていましたから、「楽焼風」と書くのが良いと思います、。当時は「くろつば焼き」などと称したようです、。
丁寧に轆轤で引き揚げ、鉢内側には轆轤引きの痕を残すところも、いわゆる「楽焼鉢」の製法とは異なります、。「京焼」の製法で作った鉢に「加茂黒釉薬を掛けた、」だけの鉢だったからでしょう、。「古典園芸」の「楽焼鉢」の製法とは全く別物です、。足は小さく形良く、この足を見て「京薩摩焼」だと判断しました、。
「底穴」は鉢を裏返して鉢裏から手指を入れ、内側へ折り返してあります、。

<追記>
少し不親切で理解しにくい記述だと感じますので追記します、。
いわゆる古典園芸用の万年青鉢や蘭鉢の製造に使用する窯は「内窯」(うちがま)といって、中庭に面した民家の離れの一室に、板張りの中央部に昔の「掘り炬燵」風に1㎡くらいの四角い穴があり、木炭を鞴(ふいご)で1000℃程度に熱し、その中へ「陶器」で出来た「鍋状の器」を入れて熱し、上から挟みで鉢を一個ずつ鍋の中へ入れて焼きます、。これを「内窯」と呼び、屋根のある室内で焼くのです、。「楽焼のお茶碗」も「古典園芸用の楽焼鉢」もこの「内窯」で焼きます、。

一方、普通の陶磁器の窯は煉瓦で作った窯に素焼きの鉢を入れ、木材を燃やして何日間もかけて陶磁器を焼きます、。上画像の「京薩摩焼」は、この普通の陶磁器の窯で焼いたものだと言いたかった訳です、。従って、途中で挟み出した「鋏み痕」などはありません、。<追記ここまで。>



「京薩摩焼」には極く少数ながら加茂黒を使った「楽焼風鉢」が存在します、。絵付け鉢もあり、古典園芸の絵師の絵付けとは全く異質の絵付けを施してあり、それはそれは見事な鉢です、。

この鉢は「京薩摩」と呼ぶべき鉢で、いわゆる古典園芸の「楽焼鉢」とは別物だと思うのですが、では、「楽焼鉢とは何をもって楽焼と称するのか、」という疑問に行き当たります、。お茶碗の楽焼は、黒楽・赤楽・白楽などがあるので、「加茂黒釉を用いた焼き物限定、」とは言い切れない、。加茂黒釉を掛ける前の素焼き段階の鉢は楽焼鉢とは呼べないのか、。加茂黒釉薬を全く使用しない鉢は楽焼とは呼べないのか、。などなど自問するのです、。


下に掲載の2鉢は、本家楽家三代目の弟が大阪堺市に開窯した「楽忠鉢」です、。
「楽忠窯」で焼かれた製品は「楽焼」である筈です、。では、下の2枚の画像も楽焼鉢と呼んでもよいのでしょうか、。
加茂黒を使ってないから楽焼鉢では無いとするなら、下画像の鉢は「何というカテゴリー」に分類すべき鉢なのか、。京都で焼かれた鉢なら、楽焼と呼べなくとも「京焼」というカテゴリーに分類は可能ですが、大阪で焼かれた下画像の鉢は「楽焼と呼べないならば、では何焼き」と称するのか、・・・、奥部屋にも書きましたが、変な疑問にぶち当たっています、。「大阪焼」という分野は存在しないのですから、。
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上は伊藤勝美氏蔵、。下は飛田邦之氏蔵、いずれも「楽忠鉢」
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過去の出版物に記事を書いた先生たちがいい加減なんでしょね、。「楽焼そもそも」の項目にも書きましたが、「楽焼」は当初、大阪で焼かれていた、。千利休(田中宗易)も佐々木長次郎も大坂堺に居た、。状況証拠から言うと、長次郎は堺で楽焼茶碗を焼いていた可能性が非常に高いのです、。このことを調べもせずに、楽焼と言えば京都の焼き物、という決めつけがあったために大阪での焼き物が研究されないままに時間が経過してしまったのでしょう、。今からでも「カテゴリー」を作って欲しいものです、。
というか、エビアンなどの世代がその責任を負う年齢に達してるのかも知れないなぁ、。もう先輩たちは死んでしまっただろから、。
by evian_th | 2012-06-30 20:33 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
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