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東洋蘭鉢「三田青磁鉢」                 No.464
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◆2013年2月1日、。   東洋蘭鉢「三田青磁鉢」(さんだせいじ)

東洋蘭鉢「三田青磁鉢」、。

日本と中国と韓国とを「世界三大青磁大国」とするなら、中国の「諸青磁」韓国の「高麗青磁」と共に日本を代表する青磁が「三田青磁」です、。
中国の龍泉窯の流れをくみ500年の時を得て日本で開花した青磁です、。

「三田青磁」(さんだせいじ)というのは、かつて兵庫県有馬郡三田市の三輪町で焼かれた磁器で、三田焼の内の「三輪窯」の製になるものです、。「三田焼」(古三田焼とも)は極く限られた小面積の地域、三輪明神、三輪明神前、虫尾新田、志手原天狗が鼻、で焼かれ窯数も4~7窯に留まります、。「青磁」は「三輪窯」で焼かれ、他の窯では焼かれなかったようです、。

兵庫県を代表する焼き物としては、姫路焼(姫路東山焼とも東山焼とも)(ひめじとうざんやき)、や、三田市の北10キロほどに位置する「日本六古窯」の一つ「丹波焼」(たんばやき)がありますが、残念ながら知名度が低く、「三田青磁」も認識されない闇の時代には「中国青磁」に混ぜられて流通していました、。

「三田三輪窯」が開窯したのは天明8年(1789年)地元の豪商・神田宗兵衛によって開かれ、享和元年(1801年)に神田宗兵衛から京焼の名工・奥田頴川へ陶工派遣の依頼があり頴川の命により「欽古堂亀祐」が三田へ赴き、同年欽古堂亀祐が兵庫県有馬郡下村砥石谷で青磁に適した陶土を発見してから明朝風の青磁の製作に成功したと言われます、。「三田青磁」が欽古堂亀祐によって最も盛大に製作されたのは文化文政年(1804年~1829年)のこととされます、。三田青磁を含めて「三田焼」は神田宗兵衛というスポンサーの存在の元で焼かれた「お庭焼き」です、。

「三田青磁」の特徴的な色はブルーを加えたような光沢のある深い緑色ですが、他の青磁と同じように、ほんのりと緑色を感じるものから深く渋い緑色、濃い抹茶色から鶯色のような渋く深い緑色までその範囲は広く、いずれも一目で見る人を引き込むほどの魅力あふれる色の磁器です、。主として「茶道具」「生活雑器」「置物」が焼かれ、「植木鉢」は書物の活字には例によって出て来ませんが、滅多には出会わない程度の少ない数であることは確かです、。

何度もの変節を得ながらも続いた「三輪窯」も明治30年(1897年)に最後の経営者が他界され、天明以来続いた116年の歴史に幕を閉じました、。途中では会社組織にして製作販売に当たった時期もあったようです、。(明治24年には「三田陶器社」という社名であったことが出土品から判明しています、。この会社がいつごろから始まったものかは知られてません)、。
その他の「三田焼」も昭和20年には閉窯しています、。

「青磁」は酸化第一鉄の還元反応により発色したものと酸化クロムの還元反応で発色したものがあります、。材料は「粘土物質カオリン」と「石英」「長石」とを混合したものです、。
「三田青磁」の古いものには軟質磁器というか素地が陶器のようなものがあります、。


画像の「三田青磁獣紋浮彫六角鉢」は(○○紋と書きたいのですが胴部分に彫られた獣が何なのかが分かりません、。一方は「麒麟」かな、他方が分からない、馬か犬にも見えるし、困りました、)は、欽古堂亀祐が京都伏見の陶器人形屋の出身で「押し型もの」を得意とした事を裏付けるような「六角合わせ張り」の鉢です、。製作年が判然としません、。判断の基準を持ちませんが、いずれにしろ明治30年頃までのものでしょう、。欽古堂亀祐自身は天保8年(1837年)に73歳で没していますから、画像の鉢がそこまで古いかどうかはも分かりません、。滅多にはお目にかかれない貴重品であることは確かです、。
素地は陶器に見えますが、足が欠けていて欠け部分を見ると白い磁器が見られます、。鉢裏画像も半磁器のものです、。不思議ですね、鉢の内側から見れば底部分も陶器なのに、裏側は半磁器に見えます、。
「翡翠」のような緑色を発色、。三田青磁としては色が明るい方の部類、。全体のバランスの良さや足元のキリリとした仕上がり具合などから見ても相当の上手物だと思われます、。(直径20.5センチ、高さ15センチ)

                                                       (立岩信彦氏蔵)



ここに登場する「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)は、奥部屋2012年12月1日スレッドNo.1222に書いたように江戸後期の名工・奥田頴川の門下生です、。
奥田頴川の功績の第一は「京焼に磁器の分野を取り入れた事」で、その門下生「欽古堂亀祐」「仁阿弥道八」「青木木平」などに受け継がれました、。「欽古堂亀祐」は「三田青磁」を、「仁阿弥道八」は「姫路東山焼」を、「青木木米」は「紀州・瑞芝焼」をそれぞれ指導に行っています、。
明治維新と共に江戸と京都とで大発展する「清水焼系磁器」とは別な系統です、。明治政府は国策として輸出品としての磁器の製造開発に力を注ぎ、その代表は「大日本幹山」ですが、京焼の流れを引いた磁器とは別系統のものです、。



「三田青磁」を含めた「古三田焼」の一番の蒐集家であり研究者としても有名な人はエビアンと同じ市にお住まいで、この稿を書くにあたって「植木鉢」の製作年をお訊ねしようと電話をするのですが繋がらず、もしかして間に合わなかったのかもと思います、。
by evian_th | 2013-02-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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