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楽焼蘭鉢                          No.561
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◆2016年6月、。   古典楽焼蘭鉢


花ごよみ 夏の蘭展
時:2016年6月24日~27日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2016年7月1日~3日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)



今月の鉢は非常に判断が難しい蘭鉢です、。画像だけを普通に見れば「三河鉢」の中の優秀品と判断される人も多いかと思いますが、この鉢画像はエビアンの撮影で、撮影時に手で持って触っています、。その時の印象から、一概に三河鉢とは決められない、。京楽鉢の可能性も多いと感じたので、従前なら「古京楽」と言う分類になるのでしょうが、風来記では鉢のチョットした特徴から「大虎一群の鉢」であるかも知れないと思います、。

下に掲載の「京楽5窯の位置関係図」の内、「短冊家窯」「浮田楽徳窯」「佐々木松楽窯」は単独の窯元ですが、その後の調べで「大虎窯」というのは、どうも一つの窯を指すのではなく、3~5窯の集合体であったようです、。(誤解を招く表現でした、。祇園馬町の周辺には明治時代以来多くの陶磁器窯元があり、馬町の窯元の中で、現在のところ名前の判明しているのは”大虎窯”だけなので、祇園馬町に在った窯元の代表として”大虎窯”と書いた訳です、。今後の調べで個別の名前が判明すれば、それぞれ独立させます、。)

下に掲載の2枚目画像は、明治12年ごろの京都東山・清水寺近辺の地図です、。(この地図では上が東の方角になっています)、。
現在のように東山山麓に沿って南北に直線状に通る「東大路通り」などは無く、農道のような道が込み入ってます、。
①は、清水寺(きよみずでら)
②は、葬送の地である「鳥辺野」(とりべの)
③は、鳥辺山の南側一帯が「祇園馬町」(ぎおん・うままち)です、。
鳥辺野一帯は平安京以来1000年に渡って葬送の地であり、こんな不気味な場所に多くの陶磁器窯元が窯を開いていた訳です、。この馬町には現在も「清水焼」(きよみずやき・磁気)の窯元が多くあるようです、。
陶磁器を焼く窯元などは嫌われていたのかも知れませんね、。
徒然草に「あだし野の露きゆる時なく、鳥辺野の烟(けむり)立ちさらでのみ・・・」と書かれている通り、鳥辺野は火葬の地でした、。陶磁器窯元も煙が出ますので、そういう所へ集まったのかも知れません、。

現在の京都は観光地化されていて、清水寺へ昇る東大路通りと五条通の交差する五条の交差点は広い道路で、馬町の信号で止まっていると、1回の青信号で京阪電車からの観光客が数百人も交差点を渡り清水坂を昇って行きます、。平安京以来の屍が埋まった上を踏みつけているのも知らないで、。清水坂の右側の土産物店の裏側は「鳥辺山の墓地」なのも知らず、気味悪い場所であるのも知らず、明るい観光客で溢れています、。

「鳥辺野」の南側一帯の馬町に在った窯元の内、「楽焼鉢」を焼いて現在名前が判明しているのは「大虎窯」だけです、。風来記では、便宜上この馬町周辺の窯を「大虎窯」と表現することがあるかも知れません、。ご承知おきください、。「福井楽印窯」についてもエビアンの気持ちの中では、最近は新しい考えになりつつあります、。いずれ機会があれば、。

今月の鉢は「桐唐草に十六枚菊花一重紋」の蘭鉢です、。
菊花紋が描かれているから皇室関係献上品という訳ではありません、。菊花の花弁の描き方が雑ですし、皇室献上品の場合は「十六枚八重菊」の筈です、。まぁ、献上品は絶対に無いでしょうね、。絵付け全体も隙だらけですし、。
この鉢の良い所は、何といっても使い心地の良さそうなところです、。口径と高さのバランスがいいし、足の広がり具合も良い、。嫌味な所が感じられない、。柄物春蘭を入れると一段と映える鉢でしょう、。好もしい蘭鉢に仕上がっています、。使い勝手の良さそうな蘭鉢です、。
大正時代から昭和初期の製作、。口径13cm高さ17cm、。(鈴木学氏蔵)


下画像の地図は大きめサイズで掲載しています、。画像をクリックして拡大してご覧下さい、。
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以前風来記ページか奥部屋かに「京楽鉢に第六の窯元が在ったかも知れない」と書いた時に、エビアンの頭にあったのは下画像の、「足が腰へ着く部分を横から見ると、ポコンと丸く出た一群の鉢」です、。
この鉢は窯元不明のままに置くにはあまりにも惜しい鉢なのです、。台の作りもいいし絵付けも非常に巧み、。高級感あふれる鉢に仕上がっています、。この鉢の窯元名は是非とも調べたいと願っています、。

陶磁器の資料を調べていても「楽鉢」は本当に出て来ないのです、。大々的な登り窯などは必要が無く、民家のような家の中で焼けてしまうものですから、陶磁器窯元として資料に出て来ない場合が多いのです、。短冊家さんでさえ資料的には出て来ないのですよ、。
浮田楽徳は出て来ました、。しかしそれも「楽焼を焼いたらしい」というような短い一文だけです、。「植木鉢を焼いた」とは出て来ません、。植木鉢を焼く事は陶磁器窯元としては恥ずかしい事だったかのように、「楽焼」とは出ても「楽鉢」とは書いてありません、。「京楽」や「大阪楽」を調べるのは想像を超えて困難な作業なのです、。それでもなお、下画像の鉢の窯元は突き止めたいと思っています、。

「祇園馬町」の周辺も不明な窯元が多いのですが、エビアンが気になっているのは、東山の「八坂神社や知恩院の裏側」にあたる「粟田口近辺」です、。この辺にも江戸時代以後、陶磁器、特に「陶器の窯元」が集まっていた記録があります、。下画像の鉢は、この辺の「粟田焼」「京薩摩焼」の系統に属する鉢ではないかと考えています、。
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「京都平安京」を開いた「桓武天皇」という人は大変な怖がりでした、。
京都に都を開くに当たり、「四神相応の土地」にすべく、東に琵琶湖からの流れを引き「青龍の気」とし、南に「巨椋池」を置いて「朱雀の気」とし、西に「西国街道」を引いて「白虎の気」とし、「北に北山」があって「玄武の気」としました、。
都の東西南北に大きい石を置いて「岩倉」とし「荒ぶる神様であった素戔嗚尊(すなのおのみこと)」を降臨させて都を護らせ、「大将軍八神社」を置いて都の守りとし、死者の怨霊を閉じ込めるために変死者が出るとその場所に多くの寺を建て、死者の怨霊を弔う「祇園祭」をし、陰陽師安部の清明のような「陰陽師」に「式神」を使って悪霊を払わせ、「白拍子」「かむろ」を使って市民を見張らせたほどです、。また、北東の「表鬼門」には数々の「鬼門除け」の神社を置き、北東の奥には「比叡山延暦寺」を置いて「表鬼門払い」としたのです、。

「表鬼門」をそれほどまでに気味悪がったのに、吉祥事が入って来る南東の「風門」の「鳥辺野を火葬の地」とし、主人(桓武天皇自身)を護る北西の「天門」に「風葬の地・化野(あだしの)」を置いたのが、どうにも合点が行かないのです、。

◆在りし日の「巨椋池」(おぐらいけ)
京都十条の辺から宇治市を含み、南は大阪・淀の競馬場までを含むほど大きい池でした、。湖と呼べるほどの広さがあったのです、。南の「朱雀の気」を失うわけです、。これを埋め立てると京都が四神相応の地ではなくなるのに埋めてしまったのでした、。
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明治から昭和20年頃へかけて埋め立ててしまった、。近年話題の伊藤若冲が描いた「蓮の葉の下を泳ぐアユ(鮎)」は、この巨椋池でのみ見られる光景でした、。(蓮は濁った水に咲き、鮎は清流を好みますから、伊藤若冲の代表的な絵の中に「蓮の葉の下を泳ぐ鮎の絵」があるのはおかしいのではないか、という文句をつける学者が居り、調べた結果「巨椋池」でのみ見られる現象だったことが判明しました、。伊藤若冲の観察眼の鋭さが見直された出来事でした)、。







by evian_th | 2016-06-01 00:14 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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