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手島鉢の全て                           No.601
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◆2018年4月、。   手島鉢の全て、。永久保存版!!


今年1月の「手島鉢スレッドNo.598」の項目で、資料に基づく大部分は書き尽くしたと思っていました、。ところが、「事実は小説よりも奇なり、」という言葉は2月に入っても再現したのです、。

愛知県・中部蘭趣会の鈴木正彦会長のお口添えで、愛知県安城市の楽鉢窯元・愛楽園三代目・杉浦慎治氏が手元に集まった「郷土史誌」文中の「手嶋揫二」に関する資料をお送り下さった、。
今年1月に特集した「東京駒込・手島窯」が出来る過程が判明したので、1月記事の訂正を兼ねて記しておきます、。
元になる資料は学術研究論文ではなく、郷土愛に満ちた名文(郷土史)であるため、事実関係が食い違う個所もあり、それらを整理してなるべく時系列で記します、。

「手嶋揫二の全て」「手嶋揫二は愛知県の人だった」「三河楽鉢の黎明期」

愛知県三河地方、知多半島と渥美半島に抱きかかえられるように海沿いに碧南市西端(にしばた)という地方があります(下方の地図1参照)、。この辺りの碧海台地の下には良質の粘土を産することから、古くから瓦生産や漁業で生計を立てて来た地方です、。また、「西端粘土」を使って趣味で陶器作りをする人も居ました、。

明治14年、陶器制作の趣味家(村長・原田高敏、栄願寺僧侶・杉浦秋湖、医師・吉岡立斎)達が集まり「桃源社」という愛好会を結成し、常滑から伊藤善三郎を招いて「西端粘土」を陶器化する技法を会得した、。これが「西端焼」(にしばたやき)で、当初は土鍋・徳利などの生活雑器が主体だった、。

明治15年、桃源社のメンバーの中でも特に作陶に熱心で秀でていたのが元・西端藩士の「手嶋揫二」(てじましゅうじ)だったようです、。手嶋揫二は桃源社設立のメンバーの援助で京都へ出向き、「京都帝室技芸員」を務めた「三代目・清風与平」(せいふうよへい)から「京楽焼」の教授を受けます、。その当時、京都では既に「短冊家」や「浮田楽徳」など「楽焼鉢窯元」はあったのですが、この時点では「楽焼鉢」に興味は無かったようで、あくまでも「京楽焼」の製法を習って来ます、。弟子入りした期間はおよそ6カ月間程度で西端へ帰り、同年(明治15年)西端で「釜揫・手嶋揫二」として開窯し、鍋釜・土瓶・徳利の製作に努めました、。手嶋(てじま)は京都滞在中に手嶋(てじま)から手嶋(てしま)へと姓名の読みが替わっていたと三代目・杉浦勘之助は語っている、。

明治16年、桃源社のメンバーはその後、更なる高みを目指して「常滑陶芸」(とこなめ)の名工・滝田椿渓(たきたちんけい)を招いて指導を仰ぐことにした、。明治16年、滝田椿渓は弟子の伊藤善之助と西端で2年間の指導に当たった、。教え子は多数であったらしい、。滝田椿渓は常滑の陶土よりもはるかに軟質で亀裂度の高い「西端陶土」の焼成に研究を重ね、「軟質楽焼」の焼成に成功した、。

◆明治18年、滝田椿渓は2年間の滞在を終えて常滑へ帰って行くが、弟子の伊藤善之助は西端に残り手嶋揫二らと「西端楽焼」の研鑽を重ね、後に「鉢善」の名で「黒楽釉金彩万年青鉢」に主力を注ぎます、。この郷土史からは、「西端楽鉢」を完成させたのは「伊藤善之助」ということになります、。
またこの頃、「西端楽焼」は「硬くて珍しい焼き物」というので「剛珍焼き」(ごうちんやき)と名乗るようになって行きます、。

◆明治22年、事務方と職工11人で西端初の「株式会社・剛珍社」を設立するも折からの不景気のあおりを受け販路が開けず、
◆明治26年、「剛珍社」は一旦解散し、後に「西端焼組合」として再出発することになります、。

◆明治28年、「京都内国勧業博覧会」に「鉢善・伊藤善之助」は剛珍焼き土瓶・徳利を出品し、「釜揫・手嶋揫二」は「楽焼万年青鉢」「蘭鉢」を出品し、鳥居只吉は剛珍焼き柳川鍋を出品します、。この資料上では、ここで初めて「釜揫・手嶋揫二が楽鉢を焼いた」ことになりますが、実際はもっと以前から「西端楽焼万年青鉢や蘭鉢」を焼いていたのでしょう、。

◆明治30年、「釜揫こと初代・手嶋揫二」は販路を求めて東京本郷団子坂上へ活動の拠点を移し、「西端万年青鉢」の名で「剛珍焼き黒楽釉金彩」の秘法を関東へ広めて行った、。(これ以降、手島と名乗る)
この本郷団子坂上で大阪から窯を移して来ていた「楽忠」と「手島揫二」とが出会うことになる、。「楽忠は手島の師なり」と1月のスレッドNo.598の添付資料に書いてあるように、手島揫二は楽忠から「瑠璃釉の調合法」を習ったものと思われます、。これ以後の手島鉢には「瑠璃釉を使った青海波紋」を描いた鉢が見られるようになります、。

◆明治38年、東京へ移った手島揫二の元へ愛知県から2人の若者が修行に行きます、。明治38年には「杉浦勘之助」が弟子入りし、大正3年に修行を終えて愛知県西端へ帰郷し西端で「興楽園窯」を開窯します、。
もう1人は大正15年か昭和元年に「杉浦重平」が「2代目・錦園堂・手島揫二」に弟子入りし、愛知県安城市へ帰郷後「愛楽園窯」を開窯します、。今回お世話になった「愛楽園3代目(当代)杉浦慎治氏」の祖父です、。(杉浦重平:大正2年生まれ~没年は平成9年、86歳)、。

◆大正7年、数々の実績と功績を残した「初代・釜揫こと手島揫二」は、大正7年(1918年)に逝去します、。故郷の「西端粘土」に拘った人生でした、。「手島窯」はその後自然の流れで娘婿である「2代目・錦園堂・手島揫二」へと引き継がれて行きます、。2代目は西端への思い入れが無いため「キブシ粘土」を使った鉢作りでした、。

◆従がって、釜揫・手嶋揫二達が明治中期に研究し完成させた「西端楽鉢」の正当な継承者は「興楽園・杉浦勘之助」と「愛楽園・杉浦重平」だけであると言う事が出来ます、。

明治中期に地元産の粘土を使った「西端楽鉢(剛珍焼き)」と昭和期に考案された「西端楽」とは別物です、。
それは主原料の粘土が全くの別物で、昭和期の西端焼きの粘土は「猿投(さなげ)・設楽山(したらさん)系の地中40メートルの深くから採取される木節粘土(キブシ粘土)」(下地図1参照)を用いることが最大の特徴であるからです、。理由は耐火温度の違いであるらしく、「キブシ粘土」は焼成後は乳白色になる、。(西端粘土は茶色く砂混じりである)
この、鉢の陶土の色目の違いは「明治の西端楽鉢」と「昭和の西端楽」との見分けのポイントになりそうです、。

◆「初代・釜揫・手嶋揫二」
嘉永5年(1852年)三河国幡豆郡(はずぐん)釜谷(鎌谷)村の生まれ、明治9年西端村へ転居、明治30年東京文京区本郷へ転居、大正7年(1918年)東京で逝去(66歳)、。西端時代は「手嶋」であったが、東京へ出てからは「手島」と名乗ったようです、。

◆「3代目・清風与平」(1851年~1914年)
2代目与平の妹婿、明治の名工として名高く陶芸家として初めて帝室技芸員に選ばれる、。初代・清風与平は加賀から京都へ出て「仁阿弥道八(高橋道八)」の元で楽焼を学び文政初年「桃山三夜荘」を開窯、。清風家は4代続き、4代目は3代目の次男、。

◆この項目のご協力者様
中部蘭趣会会長:鈴木正彦様
愛楽園当代:杉浦慎治様
地図製作協力:園芸ジャパン編集子:大塚剛史様、および、愛好家:大鐘久生様
掲載画像の西端楽と思われる蘭鉢は飛田邦之氏所蔵

◆「手嶋鉢」(現在では手島鉢と呼ばれる)は「西端楽鉢」であり「三河鉢」の原点なんですね、。昭和の三河鉢の陶土が白い理由が理解できました、。「黒楽釉金彩鉢」というのは平たく言えば「縁足金鉢」のことでしょね、。
三河鉢に関するモヤモヤした不明な部分が判明し、気持ちが晴れました、。手島揫二は字面から受ける洒脱さから、てっきり東京の人だと思っていました、。

◆西端楽(古い三河鉢)は、なぜ軽い。奥部屋No.1866(文字クリック)
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◆「三河鉢」に関しては、登場人物名などここに書かなかった事もありますが、それはいずれの機会に・・・、。











by evian_th | 2018-04-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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