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◆東洋蘭・手島鉢(その3)             No.171
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◆2008年5月、。   東京の京楽焼き「手島鉢」、。
「京楽焼」の万年青鉢が作られ始めたのは、京都を中心に「小万年青」が大流行した明治14年(1881年)頃からだと言われています、。現在の楽焼き東洋蘭鉢は、この万年青鉢のデザインを上下に引き伸ばしたものですから、蘭鉢の生産は万年青鉢よりも更に時代が下ります、。
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◆京都での楽焼き蘭鉢は別の機会に書くとして・・・
大正7年頃、東京市本郷区駒込に「手島揫二」が「京楽焼東京元祖」「錦園堂」を窯開きしました、。手島揫二の特徴は、「絵付けに波千鳥や唐草模様」が多いこと、。”イッチン絵付け”を多用したこと、。生地にイッチンで絵付けした後、縁と足に加茂黒を塗り、胴には「灰緑色の透明釉薬」をかけて焼いてあるものが多く見られます、。更に、「瑠璃釉薬」も得意とした事、などです、。
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◆手島揫二は絵師ではなく、本来は「鉢そのものを捻る」のが本業でしたから、絵付けはむしろ一見拙く見えますが、鉢はシッカリと作られています、。
手島鉢は、昭和20年の大空襲を境に生産を止め、以後、手島揫二自身が作ることはありませんでした、。約27~28年間だけの生産でした、。
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◆人の話では、昭和20年以降にも、手島で修業していた鉢職人が作り続けた痕跡が見られるようです、。また、当時の手島には絵師として「五柳」がやって来て絵付けをした、とも言われますが、「五柳さん」本来の優れた絵付けは見られないのと時間的なすり合わせが一致しないので、この話は腑に落ちないところです、。
「手島家」と「愛知県・愛楽園・杉浦家」とは血縁があったらしく、その伝手で「愛楽園・杉浦重平さん」が9年間ほど手島で修業していたようです、。
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◆トップ画面には本来「東洋蘭鉢」を使用すべきでしたが、鉢の生地からの作りがシッカリしていて、非常に高級な瑠璃釉薬を分厚くしかも上手に使用し、自信を持って「手島揫二の鉢」だと思える、エビアンの友人から贈られた万年青鉢の方を使用しました、。ただ、鉢の地色の「暗い灰緑色」は写しきれませんでした、。実物は重厚味溢れる鉢です、。薄い縁もピシッと決まり、手島鉢の良さが味わえます、。
by evian_th | 2008-04-29 20:20 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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