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カテゴリ:東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢( 205 )
鳳凰紋様蘭鉢                           No.591
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◆2017年10月、。   東洋蘭蘭鉢、。


変な気候の夏も過ぎ、展示会シーズンの10月に入りました、。

多分東京楽、福富京楽堂製「緑土鳳凰紋様蘭鉢」、。
1枚目画像、1の足の上方に金色と肉色の2羽の鳳凰が描かれ、その周辺には全く余白(余黒か?)が見当たらないほどビッシリと鳳凰の羽を天然緑土で描いた蘭鉢です、。
3の足画像と、腰部分に「桐の葉」を描いてあるので、1の足は鳳凰なのでしょう、。

福富京楽堂は、台の鉢の作りがシッカリしてますね、。足の作りもいい、。天然緑土(テールベルト)もかなり
上質なものを使用してます、。

1段目の段替わりを省略して広く絵付けをし、2段目の段替わりの線は描くという描法は五柳でも使ったようなので、明治も後半になると、「段替わりの横線」ももはやデザインの一部程度に考えられるようになっていたのでしょう、。
楽鉢全体で見ると、「鳳凰紋」の方が「飛龍紋」よりも多いような気がします、。龍図は空間が多く、埋めるのに苦労するからでしょうね、。

展示会に使い勝手の良さそうな逸品、。明治後期ごろの製作、。(飛田邦之氏蔵)

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by evian_th | 2017-10-01 00:10 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
多分楽徳七々子紋蘭鉢  No.590
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◆2017年9月1日、。   多分楽徳七々子紋蘭鉢


浮田楽徳窯製「魚の子紋楽焼蘭鉢」、。
この鉢画像は、5年も前から貰っていたのだたが、パッと見に「うん楽徳鉢ね、」と思って見ると何だか気持ちの中に納得しない部分があって、過去に何度か使おうと思っては踏ん切りがつかず、先延ばしにして来た鉢画像です、。

縁の横張りが少なくてバランスを崩している、。それと、正面の1の足画像はまぎれもなく楽徳鉢なのですが、後ろの2の足・3の足の横から画像の形が何となくヤボッたく見えて楽徳らしさが感じられない、というのが躊躇させた理由です、。
浮田楽徳は1830年生まれで、京都狩野派で絵師としての修業を積み、1861年に独立して「楽徳窯」を開き、大正元年没ですから、その間、50年以上に渡って楽焼鉢を作り続けた訳です、。多くの作品を作る中には、時には「楽徳らしくない鉢」があっても不思議じゃないな、と思い直したのです、。

今月の鉢画像を探す中で、今回は、この鉢は楽徳鉢で間違いない、と初めて思えたのでご紹介、。
鉢の上部は楽徳鉢や短冊家に見えて、足元が何となくヤボッたく感じる三河鉢の窯が存在したので、これを見誤ることがあってはならなくて、ここんとこのエビアンは、より慎重になってしまいがちです、。

鉢全体の形は楽徳らしさは無いのですが、何度も見る内に、その野暮っぽさも魅力的だと感じるようになりました、。不思議な魅力を持った鉢です、。

「鉢縁下」「胴」「腰」に描かれた文様は、エビアンの好きな「魚の子(なのこ)紋」、。細めの口金を使ったイッチン描きで、ビッシリと「魚の子」を描いてあります、。使われている釉薬は「天然緑土(テールベルト)」と「金泥」のみ、。質素な釉薬を使って、ネットリとした魅力を描き出してあります、。明治中期ごろの製作、。
(口径14センチ、高さ17.5センチ)新倉善秀氏蔵、。



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by evian_th | 2017-09-01 00:06 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
仙人掌鉢                             No.589
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◆2017年8月、。   仙人掌鉢(サボテン鉢)、。


「サボテン鉢」、。
サボテンの事を深く調べる気持ちは無いのでネット検索でザッと調べてみた、。
「サボテン」が日本へ渡来したのは、何と16世紀のことであるらしい、。室町時代とか戦国時代とか安土桃山時代のことではないか、。驚いた、。

「サボテン」に「仙人掌」の文字を当てたのは中国での事らしい、。中国に最初に入ったサボテンが「ウチワサボテン」であるらしく、その見た目からこの文字を当てられたのだろうということだた、。

日本へ渡来してからの流行については分からないが、明治時代後期から大正時代を通じ昭和の初期まで東京でのみ流行したのではないかと思われます、。根拠は東京本郷の「錦園堂・手島揫二窯」のみがカタログに「仙人掌鉢」を掲載しているからです、。

それで、今月のトップ画面の鉢を見ると、「仙人掌鉢」である事と「波千鳥文様」であることから、「あ~、手島鉢ね、」と思ってしまいがちですが、チョッと待って頂きたい、。
この鉢の造りは相当な上手物なのです、。

まず「足の形と作りの良さ」は秀逸です、。1の足は勿論、画像左奥に見える3の足の横顔の作りの良さには惚れ惚れします、。
更には「縄縁の造りや縁上面の加茂黒の様子の良さ」、「内側への曲がり角のエッジの鋭さ」「内掛けの加茂黒釉薬の深さ」、「使用してある温かみのある陶土」、などなどから、これは相当な上手物であることが見て取れます、。

「手島揫二の波千鳥」を見て、「下手な作り、下手な絵付けだ」と思うのは間違いでしょう、。
この白胴に青海波を拙く描き、千鳥饅頭のような千鳥を飛ばし、隙間を七々子紋の点々で埋めるというこの図柄は、図柄そのもの全体が一つの「紋様(パターン)」なのではないかと思われます、。そうでなきゃ、この足や縁を作れる腕を持った陶工が、こんな下手な絵付けをする筈が無い、と思うのです、。

この鉢は、まぁ、仙人掌鉢だし波千鳥紋だし、「錦園堂・手島揫二窯」の製品でよいでしょうが、仮にこれが「短冊家」の製作であっても何の不思議もないほどの出来栄えの良さを持った鉢だと思います、。
口径12センチ・高さ5㎝、。(西口郁夫氏蔵)


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by evian_th | 2017-07-31 21:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河鉢繕い完了                          No.588
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◆2017年7月28日、。   三河楽鉢の金繕いが完了した。


この鉢は昨年初夏の頃に入手し、繕いに出して一応出来上がったものを、今年2017年2月のトップ画面に使用した鉢、。
今回は、2月に掲載した後に再度繕いに出して、「金繕い」を施してもらったので掲載、。

「繕い」というのは、一般の陶磁器の世界で漆や金や銀を使って「ひび(ニュウ)の入った部分」や「欠けた部分」や「割れてしまった部分」を美術的価値あるように補修し、愛玩する道具に生き返らせる技術のことだ、。

古典園芸界に於いては、この「一般的な繕い」という技術は重要視されず、「ひび割れも欠けや割れ」も何も無かったかのように「あたかも無傷であるかのように修復する」のが当たり前に通用して来た、。「誤魔化し技」で補修して来たのだ、。これを高価に売りつけるというのは、一種の騙しとか詐欺のようなものなのだ、。そういう風な技術が一般化して来た、。

「割れや欠け」があろうが「にゅう」が入っていようが、鉢の文化的な価値には何も関係はない、。価格的には「無傷完品」には及ばないかも知れないが、150年前に短冊家や浮田楽徳たちが精魂込めて製作した鉢であることに変わりはない、。大戦争や火災や地震や洪水などという日本列島に住む者には運命のような苦難を乗り越えて受け継がれて来た鉢々である、。大切にしてやりたい思う、。


それで、こそこそ隠れるような補修をするのではなく、堂々と「金繕いを施して繕い痕も全部丸ごと楽しむ」ようにするのが今後の楽鉢界の正しい姿ではないかと考えるようになった、。

このような考えに至った原因の第一は、「決定的に古典楽鉢の現存数が少ない」からだ、。
「ひび割れがある」「欠けている」などと傷物扱いして破棄できるほどの数が園芸界に現存していない、。金繕いを施して大切にし、後世へ引き継ぎたいと思ってる、。

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「金繕いの本」という本。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。が園芸ジャパン誌を出している出版社から出た、。
この本を読んで(写真多し)「金繕いを楽鉢界も始めましょう」などという気は無い、。「金繕い」の全てが理解できる本だとは思う、。1800円。

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by evian_th | 2017-07-28 00:18 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
霞取り白唐草紋蘭鉢                       No.586
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◆2017年7月、。   縄縁霞取り白唐草紋蘭鉢

栄養成長期の終盤に入り、蘭が最も活発に成長する季節になりますね、。

縄縁霞取り白唐草紋蘭鉢

こういう「白唐草文様の鉢」は窯元判断が困難です、。京都にも三河にも、恐らく東京の手島にもあり、描き方も顔料もそっくり同じようなので、紋様からは窯元も製作年も判断は不可能です、。
愛知県三河鉢では興楽園・杉浦勘之助がこの紋様の鉢を比較的多く製造しましたし、ということは、勘之助と組んで楽鉢販売をした東京の手島鉢にもあったのでしょう、。福富京楽堂にも唐草紋はありました、。

描き方には2種類みられます、。「線状の蔦」が描かれた絵と、「蔦はなく貝殻のような花のような紋様」を中央部に描き「葉」だけを描いたものとが見受けられ、「唐草紋」と呼んでいて良いものかどうか迷う事があります、。「唐草紋」は中国から伝わったのでしょうが、楽鉢へのこの描き方は日本独自に作り出された模様だと思います、。
鉢ヘリの「細かな縄縁紋」は、古くは大阪楽でも見られるので、これも判断材料とはなりません、。
「霞取り」も京楽・三河楽・東京楽に共通したデザインです、。
結局は「鉢の台部分」でしか判断できないという困った分野の鉢です、。

足の形などから判断すると、「京楽」でしょうが、鋏み痕が足にあるようなので、「浮田楽徳窯」か「大虎窯」の製品だと判断できます、。明治後期くらいでしょうか、。
展示会用には重宝しそうな鉢です、。13.7cm×17.3cm、(飛田邦之氏蔵)




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by evian_th | 2017-06-30 02:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽鉢「楽徳龍図蘭鉢」                     No.584
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◆2017年6月、。       京楽鉢「浮田楽徳龍図蘭鉢」


京楽焼・浮田楽徳窯「水龍図蘭鉢」、。
なぜだか分からないけど、今月は楽鉢の歴史調べの初期の頃に度々お世話になったこの鉢を見たくなった、。楽鉢調べの原点の鉢の一つだたからだろう思う、。過去に使用の鉢画像の中には幾つかの印象強い気に入りの鉢があって、そういう画像は「植木鉢フォルダー」のトップ画面に置いて普段から眺めている、。気持ちが癒される、。この鉢画像もその一つ、。風来記に掲載して周囲の赤色に囲まれると、見慣れた画像がフォルダーにある時とは違って見えて引き立つ、。

神奈川県の飛田邦之氏の画像、。飛田邦之さんは”先生”と呼ばれる職業の人だが気取る事も驕ることも無くエビアンの無理な注文にも快く応じて下さり、お世話になってる、。誰の紹介で知り合ったのかは忘れた、。恐らく東海園の梅原氏か故・野田谷治男氏によって紹介されたのだろう、。直接はお目に掛かった事は無い、。エビアンの同居人の実家が飛田さんと同じ御町内なので、数年前同居人が実家方面へ同窓会で旅行した時にデジカメを持たせ「飛田先生の所へお邪魔して飛田さんの画像を撮影」してくれるよう依頼した、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、今では電話で話してもイメージは湧く、。

飛田さんを初めとする何人かの圧倒的で情熱を持った協力者の存在が無ければ、「楽焼鉢の歴史調べの旅」はこんなにスムースには進まなかったことは確実であり、現代の東洋蘭愛好家と植木鉢数寄者の総合力の結果だろうと感じる事が多い、。楽鉢製作に心血を注いだ江戸・明治・大正・昭和の過去の職人たちに感謝されているだろうと思う、。

「浮田楽徳鉢」について新たな情報がある訳ではありません、。楽徳鉢は分かり易いし、多くは既に調べ尽くしたように感じています、。ただ、BSテレビでは戦国時代・江戸時代・明治維新・明治時代をテーマに取り上げられることも多く、「楽焼植木鉢」という方向から日本史を見る癖が付いてしまって、「宇喜多秀家と宇喜多家一族」の無念には心を痛め続けています、。八丈島から流刑を解かれて江戸へ戻る事を許された浮田一族の人たちも、江戸では徳川家に対する逆賊扱いだったため住む所にも困り、宇喜多秀家の正室豪姫の実家である加賀前田藩の江戸屋敷にかくまわれ面倒をみてもらったのでした、。
今年から「全国春蘭連合会の展示会場」が「上野グリーンクラブ」に替わりました、。上野グリーンクラブの前の道路を南へ100メートルほど下ると、道の東側に「上野不忍池」があり、その道路、不忍池の反対側(西側)には数軒の民家を挟んで、60年安保闘争時に名前を馳せた「安田講堂」や「赤門」を擁する「東京大学」の広大な敷地があります、。この本郷の東京大学敷地こそ、江戸時代は「加賀前田藩江戸屋敷」だったのです、。
本郷には「福富京楽堂」の窯があり、団子坂の上には「手島揫二」の窯もありました、。何だか皆な 近くへ寄って来てますね、。


今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」は飛田さんにお願いして2度に渡って全方向から撮影してもらいました、。
1の足は、龍の顔部分と下部には「大浪・波涛紋」、。細かい水しぶきの点々は魚の子紋、。「楽徳の描く大浪紋」は、狩野派絵師・尾形光琳が考案」した波を表すユッタリとした曲線が並行して並ぶ、いわゆる「光琳波」であり、波涛部分は絵師・葛飾北斎が「富嶽三十六景」の中で考案した「波の先が人の手指のように割れる」紋様です、。余談ながら、昨年この波を実験室の中で再現する試みが行われ、1秒間に何万カットの撮影ができる高速度カメラで撮影すると、風速がある一定程度を超える風が吹いた時に現れる波の先っぽは見事に北斎の描くところの人の手指状に割れたのでした、。ね、歴史に名を残す絵師の観察眼というのは人並み外れたものがありますね、。

2の足は、龍の胴体部分と後ろ足、。朱色で稲妻を走らせ、絵師としての間を持たせてあります、。これが無ければ寂しい、。
3の足は、龍の尾っぽ画像、。尾っぽをどういう風に処理するかというのは絵師として最も難しいところです、。尾の先を割って描き、画面の寂しさは大浪と波涛紋とを1の足よりも2段、2の足よりも1段高く描くことによってカバーしています、。

鉢の足が腰に付く部分には「金泥でヒラヒラ紋様」を描いて足の菊花唐草紋と腰の大波紋との区切りとしてあります、。隅々まで神経を行き渡らせた浮田楽徳という絵師の腕前に感服、。時代乗りも良し、非常な上品、。
口径11.3センチ×高さ14.3センチ。(飛田邦之氏所蔵・撮影)




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今月の「浮田楽徳水龍図蘭鉢」の画像は、風来記鉢画像掲載当初から何度か使ってます、。が、初めの頃過ぎて、飛田さんも鉢画像撮影に慣れてなく、白色の毛羽立ったバスタオルを広げた上へ楽鉢3個ほどを並べて置いて真上から撮影した画像でした、。鉢を横にした画像と鉢を立てて撮影した画像とは違って見えます、。
そういうこともあって、この鉢を正式に紹介しておきたいと思った訳です、。既に以前に掲載してるかも知れませんが、今月はこの鉢を載せたいと思いました、。同じ鉢でも月日が経てば見え方も変わる、。(変わったのはエビアンの観賞眼の方なのですが)


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by evian_th | 2017-06-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
大阪楽鉢「楽雅亭」                        No.583
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◆2017年5月、。   大阪楽鉢「楽雅亭」


大阪楽鉢「楽雅亭」、。
「大阪楽」の認知度が低くて迷惑しています、。つい最近も出版物に大学教授だか研究員だかが「楽忠・楽雅亭の鉢を見て、明治時代か大正時代の製作」と書いたようで、問い合わせに対して「新しそうに見えたから・・」と答えたそうです、。

盆栽界では「楽忠窯」が「江戸明暦2年に大阪堺(現:大阪府堺市)で開窯した」ことは良く知られている事実なのです、。「楽忠窯」は明治12年まで存在したので、詳しい資料が残っているのでしょう、。
◆2007年「盆器大図鑑上巻24頁」の「楽忠右衛門」の項目には・・・
「楽家脇窯の一。忠右衛門(号・道楽)は楽家三代道入(のんこう)の弟で、明暦2年(1656)頃堺で開窯。茶道具はほとんどつくらず主に食器・雑器を焼いたと伝えられる。楽焼に施釉した軟陶が多く、楽焼と陶器の中間程度のものもある。明治中期まで九代続き、二代以降の製品を本湊焼と称する。」、と書かれています、。

この「江戸明暦2年」という年は、忠右衛門の兄・楽家三代目道入が2月22日に没した年であり、恐らくそれまでは兄の楽焼を手伝っていたものと思われます、。兄の死によって楽家の4代目は3代目道入の長男・一入が継ぐことになったので、忠右衛門は大阪堺で脇窯を開くことになったのだろうと推察します、。江戸「明暦の大火」で炎を逃れた人が墨田川へ飛び込み、多くの死者を出した出来事の前年のことです、。

このように「楽忠窯」が明暦2年に開窯したことは周知の事実なのですが、
さて、今月のトップ画像「楽雅亭」はというと(エビアン現在までの所)資料を発見できず、「楽忠作品」と「楽雅亭作品」との比較による状況証拠に頼っています、。
「楽家2代・常慶の弟・宗味」が同じく脇窯を開いていますが、これが「楽雅亭窯」であろうと考えています、。
つまり、「楽忠・忠右衛門」から見れば「楽雅亭・宗味」は実の叔父に当たる訳です、。

年齢的には「楽雅亭・宗味」の方が歳上で、楽家からの独立開窯も「楽忠・忠右衛門」よりも早かった筈なのですが、「楽雅亭」に関する資料が見つかってない以上は、「資料上からは楽鉢は明暦2年が起点だった」と言わざるを得ず、昨年2016年「園芸ジャパン1月号」にはそのように記しました、。実際は「楽焼植木鉢の焼初め」は「楽雅亭」の製作によってもう少し時間的に遡るかも知れません、。
「楽雅亭の窯の場所」は、これも推測ですが、同じく大阪堺であっただろうと思われます、。千利休の出身地であり、利休の家督を継いだ楽家初代・田中長次郎所縁の土地でもあり、楽忠が後に窯を開いたのですから、「楽雅亭窯も大阪堺」に在ったと考えるのが自然です、。

今月の鉢は「楽雅亭・太鼓胴飴釉花浮き彫り紋花盆」です、。
正直なところ、楽忠・楽雅亭の鉢で、浮き彫り紋が瑠璃釉ではなく飴釉である作品を見るのは初めてです、。
これが瑠璃釉と比べて年代的に前なのか後なのか同時期なのかも判断できません、。この鉢は、口径18センチ高さ13センチと小さ目です、。足が「鬼面足 」ではなく「猫足」なのも普通っぽいのですが、胴部分はきっちりと3段の段替わりをとっています、。使い頃の良さそうな鉢ですね、。

「楽雅亭落款」の入った鉢は、非常に希少です、。「楽忠窯」が九代続き明治12年まで製造していたのに比べると、「楽雅亭」は初代か2代目くらいまでしか製作しなかったのではないかと考えています、。後の時代の作品を見ないからです、。そういう訳で絶対数も少ない上に、「楽雅亭落款」を押印した鉢も少ないので、形はどうあれ、残っているだけで貴重品です、。

「楽忠」「楽雅亭」型には「無落款」の鉢も多く、弟子による制作なのか、どういう訳なのかは不明です、。
(西口郁夫氏所蔵、撮影も同氏)





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by evian_th | 2017-04-30 22:30 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
武者絵万年青鉢                          No.581
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◆2017年4月、。   武者絵(?)万年青鉢


8年ほど前から、風来記の植木鉢画像保存フォルダーの中に上掲の鉢画像があり気になっていました、。1の足方向からの画像しか無くて、上から鉢の中を覗き込んだ画像や鉢の底から見た画像が無かったもので、窯元の特定どころか京都の楽鉢なのか三河の楽鉢なのかの判断さえ出来ない状況でしたので、画像を使いかねていました、。
「三河鉢」の話も書くようになったのですから、不完全ながら画像を使うことにします、。このままお蔵入りさせるに忍びない良い鉢ですから、。

という訳で、「窯元判定」や「年代判断」「産地判定」も不能なのですが、「総絵付け」された絵付けの素晴らしさは目を引くものがあります、。
描かれた主役は「武者絵」とは見えず、何と書けばよいのか迷います、。エビアン不勉強で、この絵付けは「歴史上の有名なシーン」なのではないかと感じるのですが、どなたか描かれたテーマを御判断頂いてお教え下さい、。

これほどの絵付けをできるのは、京都では浮田楽徳窯か佐々木松楽窯でしょう、。総絵付け得意な三河地方にはこういう絵付けを得意とした窯元はありました、。「鉢底画像」があれば時代判断が可能になり、明治時代の古さがあれば京楽鉢、昭和初期ごろの製作なら三河鉢、という風に判断が可能なのですが、。

3枚目画像をご覧ください、。撮影者が、鉢の口径と高さとをメモった紙を鉢の足に立てかけて撮影した画像ですが、素晴らしい絵付けが施された片鱗が窺がえます、。足の「金の下地の上から金泥で唐草模様を描く」という実に粋で贅沢な絵付けをしています、。余程の大棚の注文制作だったのでしょう、。2の足・3の足の画像も見たい、鉢底も見たい、という焦燥感に襲われる逸品です、。銘鉢ですね、。(15㎝×15㎝)
画像撮影時には四国にあった鉢ですが、その直後に東京方面へ買われて行ったという噂です、。









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by evian_th | 2017-04-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
福富”風”蘭鉢                            No.580
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◆2017年3月、。

寒さの中にも「春」を感じる季節になりました、。

福富”風”な蘭鉢、。
3月は明るい気持ちになるような鉢画像を掲載したいと思って、この鉢と決めてました、。
元画像をチラと見て「あ、福富京楽堂だな」と鉢外観の印象から思っていたのですが、月末になって画像を作り始めると、福富鉢ではないことが次第に判明し、迷ったのですが、今月はこの鉢、。

東京本郷の福富京楽堂は明治中期~明治後期にかけて、多くの蘭鉢や万年青鉢を製作した後に昭和初年までには閉窯しています、。この鉢の製昨年は昭和初期と思われること、。鋏み痕は足ではなく胴挟みらしいこと、。福富とは足の形が違う事、。段替わりや花模様に使われている緑色は天然緑土ではなく科学絵の具であること、などの点で福富京楽堂とは一致しません、。手島揫二窯でもないようです、。

そうなると、これ以上はこの鉢に関してエビアンに分かることはありません、。展示会などの飾り鉢としては使い勝手の良さそうな鉢です、。口径15.5cm,高さ19cm、(新倉善秀氏蔵)



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by evian_th | 2017-03-01 00:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河鉢                              No.579
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◆2017年2月、。   東洋蘭・三河楽鉢


東洋蘭「三河楽」、。
昨2016年初夏に入手の鉢、。画像で伝わるかどうかは不明ながら、妙に惹かれる所が有って、エビアン割合気に入りの鉢です、。先日来宅の万年青商人さんも席に着くなり、隣室の棚に並べた10個ほどの鉢の中からこの鉢を指して「あれはいい鉢ですね、どこの鉢ですか?」と問いかけたほどだから、妙に人の目を引くものを持った鉢なのだろうと思います、。

「三河鉢」だと思います、。
エビアンが「三河鉢」とか「三河楽」と呼ぶのは、大雑把に「愛知県産」の鉢全体をそう呼んでいるだけで、厳密に「尾張」「三河」と分けて考えているものではありません、。じゃ、どうして「愛知県産の鉢」と呼ばないかというと、陶芸の世界では習慣的に「尾張鉢(伊万里焼に似た磁器の鉢に使う場合が多い)」「三河鉢」と呼んで来たのでその習慣にならっただけです、。

「三河楽鉢」が何時の頃から焼かれるようになったのかという問題については、「大阪楽」「京楽」を調べる内に徐々に一つの結論に辿り着きました、。
愛知県三河地方に「楽焼そのもの」の製法が伝わったのは、おそらく江戸時代幕末(1853~1867)の事だったろうと思います、。その楽焼の技術で「楽焼植木鉢」を作り始めたのは、明治に入ってからであろうと思っています、。
「三河楽鉢」に1600年代のような古い鉢を見ない事、。
「大阪楽」の形跡も見えない事が、その理由です、。

「大阪楽」は「太鼓胴の鉢」から始まり、「鉢縁下」(はちべりした)と「腰」の部分に鋲を打ち、3段の「段替わり(だんがわり)」を取って、三段階に徐々に胴回りが細くなります、。

「京楽」は、「短冊家」が「三段階に徐々に絞る事を廃止し、段替わりの名残りとして「鉢縁下と胴の間」と「胴と腰の間」に「1本か2本の帯線」を緑土(テールベルト)や金泥で書き込むという画期的な革命を起こし、主役の絵付けは胴部分に描き、「鉢縁下」と「腰」には日本古来の伝統文様を描くという京楽独特の形式を作り出しました、。短冊家以外の京楽窯もそれに倣った鉢を作りました、。

「三河楽」には、この大阪楽が現在の鉢へと変化する”過渡期の形をした鉢”が見られないのです、。
従がって、「三河楽」は「京楽に倣った」のだと思われます、。
それと、「大阪楽」の特徴である「段替わり」の意味も伝わってないようです、。「京楽鉢」に描かれた「段替わりの名残りの2本線」の意味も伝わらなかったようで、「名残りの2本線」を省略した総絵付け鉢が多い」のも三河鉢の特徴です、。総絵付け鉢で、絵付けの良いものは三河鉢に多いように感じています、。
製作された年代は、明治時代後期から大正時代を通して昭和初期の頃が多かったと思われます、。

「三河鉢」が、どの地方へ販路を求めたかというと、これはもう東京・関東地方でしょう、。京都には京楽窯が6窯もあったのですから東京へ売るために製作しただろうことは明白です、。
「京都は公家文化」「東京は武家文化」「大阪は商人文化」の都市ですから、「武者絵」「富士山」「城」などの東日本・関東人好みの絵付けが多く見られます、。(逆に言うと、西の人間には馴染みが薄いから京楽鉢にはそれらの絵付けは少ない)、。
「万年青鉢」に良い鉢が多い、のも三河鉢の特徴です、。
「絵付けの題材」「鉢の陶土」「足の形」などで「三河鉢」の多くは見分けが可能です、。良い鉢が多いですよ、。
中には「短冊家」を完全に真似た窯元もあり、チョッと見に短冊家と見間違えます、。京楽鉢よりも軽い鉢と京楽鉢よりも重い鉢とがあります、。鉢の形は一定せず、三河独自の形のものもあれば京楽そっくりなものまで幅広く作られました、。
「無地の加茂黒鉢」の大部分は三河鉢です、。京楽は絵付けをして付加価値を付けて高価に売ることを目指したので、京楽に黒鉢は少ないものです、。
「鉢縁下」と「腰部分」には京楽では着物界や工芸界の伝統文様を忠実に描くのですが、三河鉢ではこの部分に伝統文様を半端に真似たような文様が描かれてあります、。


さて、今月のトップ画面の鉢は、これは何と表現すればよいか、「花菱繋紋三河鉢」なのですが、単純な花菱繋紋ではありません、。金線で囲い、花菱繋紋と金泥で岡本太郎画伯の描くような文様が描いてあり、何とも魅力的な文様です、。
買った時は割れ鉢で、下部を持つとギシギシと音がして今にも割れてしまいそうな鉢でした、。底穴周囲も割れて部分的に欠け落ちている状態でした、。買った翌日に繕い屋さんへ持ち込んで秋までに繕いを依頼しました、。秋の展示会前に引き取りに行くと、ひび割れは漆と金繕い、底穴まで何かの素材で直してくれてありました、。その部分にも金繕いをしてもらおうと再度持って行くつもりで居ます、。エビアン自身は1月の鉢よりも今月の鉢の方が好きです、。価格は遥かに安価でしたが、。口径14.5センチ、高さ14センチ、。

「三河の今川義元」と「尾張の織田信秀」の関係がどういう風であって、今も地元ではゴッチャにされるのは許されないというような雰囲気が尾を引いているのならお教えください、。表現方法を考えます、。
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現在のところで判明している大正時代から昭和初期の愛知県下の楽鉢窯元名を列挙しておきます、。残念なことに、その多くは窯元名と製品とが一致しません、。京楽鉢のように「これは○○窯」という訳には行かないのです、。

京楽焼三河元祖・杉浦勘之助(三河碧海郡)・・・陶楽園・山田政吉(三河碧海郡)・・・開楽園・鳥居彦四郎(三河碧海郡)・・・愛楽園・杉浦重平(三河安城)・・・京楽焼窯元・横山孫一(三河碧海郡)・・・改楽園・神谷長平(三河碧海郡)・・・三河楽焼窯元・坂倉周一・・・昭楽園・石川万太郎・・・澤製陶所(三河碧海郡)、その他、都築勝士、亀井謙一郎、藤浦留吉、などです、。

(この窯元名項目参考文献・水野豊明園「万年青の歴史」、米谷青彰園提供「園芸新報・昭和14年8月1日号」)、協力:華幸園

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by evian_th | 2017-02-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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