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京楽焼「五柳」万年青鉢                 No.347
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◆2010年6月、。    京楽焼鉢「五柳寿運鉢」

京楽焼鉢「五柳」花鳥図万年青鉢、。
実物を目にすることも写真で見ることさえも叶わないほど貴重な「五柳、」(五柳寿運)のサイン入り楽焼鉢です、。
万年青雑誌などでよく知られている万年青界に存在する「五柳寿運サイン入り鉢」と共に有名な、東洋蘭界に存在する「五柳寿運サイン入り万年青鉢」です、。
風来記が「ごりゅう」を「五柳」と書くことの根拠になっている鉢であることは、今さら説明の必要もないくらい風来記常連の皆さんはよくご存知のことです、。

この「五柳鉢」をご紹介する流れで、江戸時代から明治期の楽焼鉢の流れの整理をしておきたかったのですが、今しばらくの時間を頂きます、。明治期は「小万年青」の流行と共に楽焼鉢のデザインが激しく変化した時期であり、また、京都・瀬戸尾張・東京での楽焼鉢のデザインに特徴的な変化が起きた時期でもあります、。

風来記では今まで「楽焼鉢の製作年代」に関しては、用心深く、古く言い過ぎないように、と心がけて記事を書いてきましたが、明治期の鉢の見直しの必要が出てきたのと、それに伴って、「京楽焼植木鉢」の時代的な全体像も少しずつ判明して来ましたので、今しばらくの時間を頂いた後に記事を書きたいと思います、。

「楽焼鉢の製作年代」に関してのエビアンが犯した大きな過ちは、「時間の流れの速度が、現代と江戸や明治時代や昭和の初め頃までとは大きく違った」事に考えが及ばなかった点にあります、。
現代は例えばデジカメや携帯電話機が1年に2度もモデルチェンジされるほどにデザインの流行の移り変わりが激しく、今出版される本に載っているデザインは極く最近のモデルなのです、。エビアンは何となく、それと同じように「楽焼鉢のデザイン」も出版物掲載年と製作年との間に大きな時間差は無いような考えを持って見てしまっていた、という過ちを犯してしまっていたようです、。
明治18年出版の本に掲載のデザインは、古くても明治初期(明治元年~明治15年)に一般に使用されていた楽焼鉢だと考えたのですが、どうもそうではなく、江戸後期(1800年~1868年、幕末を含む、)に使用された楽焼鉢も含まれる、という事に極く最近になって気付いたのです、。
そうとなれば、今までエビアンの頭の中にあった「時代による楽焼鉢のデザインの変化地図、」を書き直さなければならなくなります、。そこんとこの変化に頭を合わせて考え直すのには時間が必要、という事になったのです、。証拠の書籍や楽鉢を見直さなければなりません、。

「五柳落款」に関しては、この鉢の場合、「鉢内側に白丸印」があり、「鉢裏側に芳虎斎・五柳寿運のサイン」があり、更に「五」と「柳」の押し印があります、。風来記では、鉢内側の白丸を「マーク」と呼び、五柳寿運の手書き名前を「サイン」と呼び、「五と柳の押し印」を「落款」として来ました、。しかし、これは(この鉢の場合は)例外的に多くの「印」があるからで、普通には(他の一般的な鉢の場合には)どれも全部「落款」と呼ばれるべきものです、。この鉢の場合、3つも印があるので、便宜的に言葉を使い分けただけです、。一応、申し添えます、。
                                      (花岡昭治氏所蔵鉢)

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by evian_th | 2010-05-30 01:28 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
中国春蘭「桂円梅」                   No.346
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◆2010年5月、。    中国春蘭一茎一花梅弁「桂円梅」

「日本春蘭色花」でも、人気がよくて一生懸命に手入れし観察している時にしか良花が咲かないように、「中国春蘭」も気を抜いて咲かせると良い花は咲きにくいもんです、。特に「桂円梅」「鶴市」「蔡仙素」などは、開花直前からは手を添えるようにして観察してないと見るも無残な花になり勝ちです、。画像は今春10輪位開花した「桂円梅」の内で唯一見れる花、。他の9輪は無残でした、。
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◆下画像は「鶴市」、。今年は両種の違いを強調したような画像の撮影をしなかったので分かりにくいと思います、。
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京都 東洋蘭総合展示即売会
時:2010年5月29日30日
所:緑の館(京都市下京区観喜寺町・梅小路公園内)

by evian_th | 2010-05-18 02:12
恵蘭「瑞玉芸の達磨」                   No.345
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◆2010年5月、。    恵蘭(蕙蘭・ケイラン)「達磨」

恵蘭「達磨」は、覆輪、中斑、斑縞、中透け、と多彩な変化を見せるけど、恵蘭数寄者に一番人気なのが「中斑」の「瑞玉芸達磨」です、。作っていて見応えがあるからでしょうね、。紺覆輪を掛けたピンク芽に出て、本葉を展開しながら柄を安定させて行く様が楽しい品種です、。中斑芸の蘭の斑色は純白ではなく、表面に薄く葉緑素の層があるためか、深みのある「象牙色」のような白色です、。画像の新木4枚の内、下2枚(両外葉)は紺覆輪の中透けになっていて、中斑の春蘭「軍旗」に似ます、。中透けへと変化して行く前段階なのでしょう、。

京都 東洋蘭総合展示即売会
時:2010年5月29日30日
所:緑の館(京都市下京区観喜寺町・梅小路公園内)

by evian_th | 2010-05-13 01:48 | 東洋蘭(春蘭)
東洋蘭「原種金稜辺」(キンリョウヘン)        No.344
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◆2010年5月、。    東洋蘭・中国蘭「原種金稜辺」(キンリョウヘン)の花

原種・金稜辺蘭の花画像、。これをアップできてホッとしてます、。人気の良い時に掲載出来ないと意味がないから、。まさか無地葉金稜辺の花画像を掲載する時代が来ようとは思いませんでした、。目下人気一番の蘭花です、。花一輪を観察すると、開花直後から捧心は開き、洋ランとの中間的な雰囲気を感じます、。完全に無香、。無香といっても少しは匂うハズだと考えていたのですが、無香、。

この花から「日本ミツバチ」にだけ感じ取れる何かを出すそうです、。香り成分かも知れないし、光の一種かも知れませんが、。で、奥部屋に以前にも書いたように、「日本ミツバチ」の偵察隊が2~3匹やって来て調査の後いったん飛び去り、数時間後に本体を引き連れて戻り、金稜辺の花に群がり襲うようです、。「日本ミツバチ」の天敵の「スズメバチ」と間違えて襲い掛かるそうです、。テレビ画面では金稜辺が隠れるほどの数で襲います、。環境破壊の進んだ大阪のエビアン棚では無理でしょうが、そんな様子を見たいものです、。
                                           (協力:東洋蘭の大石さん)
by evian_th | 2010-05-07 23:24 | 東洋蘭(春蘭)
韓国春蘭「李朝」                    No.343
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◆2010年5月、。     韓国春蘭・紺深帽子純黄中透け「李朝」

新木の黄色の濃さで言うなら、「李朝」「四天王」「栄光」だろうか、。
「李朝」の新木の黄色さは独特で、照りのある広葉と深い紺帽子とのコントラストは美しい、。花も中透け花が咲くので観賞価値は大きい、。古木になると斑色が白くなるのと古木の葉先きが弱いのが欠点だけど、そのことが数量の調節に役立っているようです、。
by evian_th | 2010-05-07 02:42 | 韓国春蘭
元祖「京楽焼七々子鉢」                 No.342
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◆2010年5月1日、。   元祖「七々子鉢」(魚の子鉢)を発見!!!,、。

およそ1年前、2009年6月の「風来記ページ」や「風来記奥部屋」に掲載の「七々子鉢」文様の由来記事の時には、飛田さんコレクションの「七々子鉢の元祖」とも呼べる文様の鉢画像を掲載しての説明でした、。2010年4月(先月だけど、)に、その時の画像を覚えていてくれた商人さんから「あの七々子古鉢の元祖の鉢を見つけた、」と連絡があり、驚いて入手かたを依頼したのでした、。後日、商人さん親子が行って買い出してくれたのが画像の鉢です、。(風来記所蔵、外の直径14センチ、高さ11.5センチ、4寸5分鉢、)

「七々子鉢」の語源については2009年6月の記事をご覧頂くとして一応「東洋蘭風来記奥部屋スレッドNo.622]の記事から必要部分を抜粋して下に書きます、。
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昨日の「九花語源」に続いて、もう一つ、。「七々子文様の語源」について・・・出版社の編集子の言葉がキッカケで調べると、こちらは実は明確で、「魚子」「魚々子」「七子」「七々子」(読みは全部”ななこ”)、いずれも正しく、「彫金技法の一つ」が語源になっている、。
先端が小さな輪状の刃になった鏨(たがね)を打ち込み、金属表面に魚の卵のような小さな円紋を密に置かれたように見せる技、のことを「魚(な)の子」文様と呼ぶ、。奈良時代にペルシャから中国経由で日本に伝わったらしいから、これが語源だろう思う、。
陶芸分野では、素地中の空気が過焼成で膨張して気泡が釉薬中に侵入し、魚の卵のように無数の小泡となった文様の事を言うそうだ、。
彫金が先に有りき、で、陶芸に言葉が応用され、楽焼鉢ではこれをイッチンで鉢表面に文様として表現したものだろう、。

魚(な)の子(なのこ)が語源だった訳だけど、エビアンの想像が入り込む余地も無い程に明確で、ちっとも面白くなかった、。
「なのこ」が「ななこ」に変じ、数字の「七」を当てられたに過ぎない、。強引に言うなら、「沢山」の意味を表わすのに「七」が用いられた訳だ、。昨日の中国での「九」と同じようなもんだ、。
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◆今月トップ画像と上に掲載の画像の鉢は、この「彫金技法」から楽焼き鉢に取り入れられた最初の「魚の子文様鉢、」そのものだろうと思います、。「横ハート型」に描き、「ハートの中に金星3個、」を描いたのが始まりで、その後、イッチン絵付けが少しずつ簡素化されて現在に至っているものと思われます、。

「七々子鉢」の文様は、明治10年前後出版の本には記載(または挿絵)が見当たらず、大正時代には鉢の出版物が見当たらず、昭和2年頃の出版物に至って、突然「かなり簡素化された文様、」の写真が掲載されるのです、。この事と、植木鉢の製法(轆轤引き痕、)や鉢自体のデザインや土目とから、明治の中・後期に楽焼き鉢に導入された文様だと推測します、。

下画像は1番上が「魚の子鉢」の元祖、資料からは、明治時代の中~後期だと(現時点では)思っています、。
2枚目は大正時代の初期に極く少数だけ製作されたと思われる文様、。
3枚目は昭和初期の短冊屋製の鉢に描かれた「七々子鉢」文様、。
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by evian_th | 2010-05-01 01:50 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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