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東洋蘭鉢「釘彫り鉢」                  No.358
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◆2010年8月、。     釘彫りの中国古鉢

今、ネットオークションで起きていること、。東洋蘭用の釘彫りの中国古鉢が大人気なこと、。
従前の日本の東洋蘭界での「中国古鉢」の評価基準が全く役立たない現象がネットオークションで起こっています、。中国の古鉢で釘彫りものが高価に買われています、。
従来の日本の蘭界では「釘彫り鉢」はあまり高くは評価してなかったのですが、ここへ来て中国の買い入れが「釘彫り鉢」に集中して、日本人の「釘彫り蒐集家」も出現し、今や大人気です、。初めは、「蘭鉢の見方を知らない人の一時的な気紛れ、」程度に見ていたのでしたが、どうもそうではなく、本当に「釘彫り鉢」を目掛けて買い入れているらしいのです、。
画像のような「絵」の部分は問題ではなくて、どうも裏側や横に彫られている「漢詩」に注目して買っている様子です、。「有名詩人の漢詩」とか「縁起の良い漢詩」とかというものがあるのでしょう、。この鉢なんか、漢詩部分なんて撮影もしてないものね、。日本人には邪魔な文字も意味があったんですね~、。
ともかく、東洋蘭界も植木鉢分野も、いつ何が起こるか分からない、そういう時代を象徴した出来事です、。
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過去の日本における「中国古鉢」の価値判断の基準や分類は・・・
◆「泥物」と「泥物釉薬掛け」と「磁器」とに分類し、その他に「南京」や「広東」といった特殊な産地別に分類し、更にその中を・・
◆「古渡物」とか「中渡物」とかの時代別に分け、古い時代に渡来したものほど価値があるとしてきました、。
◆「古渡物」で良い落款の入ったものは高価だと価値付けしてきたのでした、。

言うまでもなく、中国人にとっては「古渡」「中渡」などは意味を持たないし、古ければ良いというのも、ほとんど価値判断にはならないようです、。以前、中国人と話した時、「中国は6000年の歴史があるから、100年前も300年前も同じだ、」と言われた経験があります、。
中国に、自分たちの先祖先輩が価値付けた基準になる本でも残ってれば話は別なのでしょうが、そういう古い文献類は「文化大革命」時に焼き払って残って無いようです、。若い人は知らないかも知れませんが、文化大革命時には町の広場で大きな火が焚かれ、町中の人が個人所蔵の古書を抱えて来ては焚火に投げ入れている画像がテレビで放映されていたので、あの時に「蘭や鉢の古文書」は本当に焼かれ尽くしたのでしょう、。
だから今回、中国人は自分たちの新しい価値観を全ての分野で作ろうとしているのかも知れません、。

ある程度は理解するし認めるけど、今まで庭の隅や家の隅に放っていた「塗り白泥釘彫り鉢」を第一とし、・・・なんていう価値観には日本人は急には切り替えられないでしょう、。日本的価値観と中国の価値観が2極化して行くかも知れないし、今回は第一回で、次は他の鉢へと人気が回って行くのかも知れません、。面白い現象だと思います、。だけど、ヘンテコリンな時代になってしまったね、^^、。
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急遽、文字部分を撮影して追加しました、。
by evian_th | 2010-08-26 23:29 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
日本春蘭「荷花弁青更紗大舌」            No.357
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◆2010年8月、。     日本春蘭「青更紗・荷花弁大舌」

(多分)兵庫県産の日本春蘭無名品、。余程の見る目がなければ”並み品・駄物”で片付けられて見逃すような蘭です、。山で見つけて持って帰ろうと思ったところが、偉い、。普通なら見向きもしない、。
「寒蘭」には有って「春蘭」には無い(と思われた)分野に「更紗」(サラサ)があります、。二級品の紫花などは、紫花というよりは更紗花と言った方がいいのにな~、と思うようなのが時たま有りますが、正式には「更紗花」という分野は春蘭にはありませんでした、。
画像の蘭は勿論無名品ですが、青更紗花と呼べるものだと思います、。他所の展示会拝見の折に知人からプレゼントされたもの、。蘭を無料で貰うのは好まないけど、この侘しさ具合が絶妙なので、有難く頂いて帰ったという蘭、。展示会向きじゃないけど、一人で向き合うには味わい深い、。
by evian_th | 2010-08-22 00:33 | 日本春蘭(春蘭)
東洋蘭・楽焼鉢の歴史・途中経過           No.356
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◆2010年8月、。    京楽焼鉢の歴史調べの途中経過

「京楽焼鉢」(楽焼鉢)の歴史などを調べ始めて約3年程度が経過しました、。一度、途中経過を、。
当初は現物の鉢も資料も多く残っていて調べ易い東京楽焼鉢の「手島揫二鉢」から調べ始めました、。、手島揫二窯の開窯は大正7年頃なので、これを中心に、調べを広げて行くのが最も手っ取り早いと思われたからでした、。
だから、初めの頃は「大正時代を中心に、その前後の時代に楽焼鉢は隆盛を極めたのであろう、」と見当を付けての作業でした、。
その頃、最も気を配った事柄は、「楽焼鉢の製作時代を古く言い過ぎないように、」と気を付けて始めたのです、。初めに古く言ってしまって、後で「新しいものでした、」とは言いにくい、訂正しにくいだろうと考えたのです、。ここの所は慎重に進めたつもりです、。
「手島揫二窯」に関しては、おおよその全体像が比較的早い時点で判明したのですが、(こちらの都合で、)風来記に書けない壁に当たり、以後は「京都の京楽鉢」へと移りました、。

この頃、一つの大きな思い違いを起こしたようです、。
「東洋蘭」に関して、いつの時代にどんな種類の蘭が栽培されていたのかを考えて、「比較的大きめの蘭鉢を作っていれば時代は新しい、」と思ったのですが、これは間違いだったようです、。「万年青鉢」は万年青の流行を考えながら、鉢の大きさと時間的な関係から時代設定をしました、。作業を進めると、万年青鉢では古い窯や絵師だと思われたのに、大きな蘭鉢を作っていたり絵付けしていたりしてある物が見つかると、時代を下げて考え直したのですが、当初エビアンが思ったよりも古くから「大きめの蘭鉢」も存在したようです、。言い訳になりますが、「時代により栽培品種は変わり、鉢の需要も変化したでしょうから、需要のある鉢が供給されたハズだ、」という考え方は間違ってはいなかったハズです、。

明治時代の中期頃には、あまり大きな東洋蘭鉢の需要は無かっただろうと思ったのですが、「五柳鉢、」を始め他の絵師や窯元の鉢にも明治中期には大きめの東洋蘭鉢は存在します、。この事が当初、それら絵師や窯元の鉢が新しいと思ってしまった原因でした、。これを資料的に納得するのに1年間以上の時間を要しました、。

「明治」という時代が「楽焼鉢」にとって(台の形や絵付けに、)最も大きな変化を遂げ、充実した多くの作品が作られた時代だということが、資料から納得できるようになって来ました、。
初め、明治は「五柳寿運」という稀有の名絵師を中心に、中~後期に発展したのであろうと思ったのですが、これも、「五柳」以前に既に形も絵付けにも素晴らしく完成した鉢は作られていた事が判明して来ました、。今、明治時代の鉢を前期から順に中期・後期と並べられるくらいまでにはなって来ています、。
「楽鉢」の製作年代に関しては、今では最初の頃と比べると、時間的に20年~30年間古く見直すようになって来ました、。

目下の不明な点は下の2つの事柄です・・・
◆明治大正時代の京都における短冊屋以外の窯元の名前や窯の場所、。
◆江戸末期(幕末を含む)の鉢と明治との境目が判然としないこと、。


「風来記」では、「楽焼鉢」の時代区分用語を下記のようにしています、。
◆「楽忠衛門窯」の開窯が1656年(明暦2年)であることから、西暦1600年代を江戸初期、。
 1700年代を「江戸中期」、。1800年から明治維新1868年までを「江戸後期」、。「幕末」という 用語は古典楽鉢界でしばしば使用される用語ですが、1853年のペリー来航から明治維新までの15年間  の鉢を特定するのは不可能なので、「江戸後期(幕末を含む)」というような表現になると思います、。
◆明治時代は45年間なので、明治元年~明治15年を「明治初期」、。明治15年~30年を「明治 中期」、。明治30年~45年を「明治後期」と表記します、。
◆大正時代は15年間なので、手島揫二窯の開窯までの大正7年で区切り、「大正前期」「大正後期」としま  す、。
◆エビアンが昭和初期と書く場合は、終戦の昭和20年までを指します、。中でも特に、昭和元年~開戦15年までくらいを思っています、。

◆明暦2年(1656年)の「楽忠」窯の開窯以後に「楽焼鉢」は始まったと思われます、。それ以前には「楽鉢」は存在しなかったと考えるのが妥当だと思います、。
◆「短冊屋」の開窯は江戸文政年間(1818~1829年)のどこかの時点ですが、当初の短冊屋は茶碗を製作していて楽焼鉢を作り始めた年代は明確ではありません、。幕末(1853年~1868年)の頃だと思います、。

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                                  (鉢所蔵:飛田邦之氏)
by evian_th | 2010-08-11 22:42 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
「珍鉢銘鑑」昭和15年                 No.355
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◆2010年8月11日、。     昭和15年発行の「珍鉢銘鑑」

前スレで、昭和8年発行分を掲載しました、。
今回は、その後、昭和15年発行のもの、。「てしま楽鉢」と「楽忠」窯とが掲載されています、。
「楽忠」窯は、楽本家三代目(道楽)の弟(忠衛門)が、明暦2年(1656年)に大阪の堺市で開窯し、明治の中頃まで製作した窯元です、。昭和15年の銘鑑になってから急に登場した理由は不明、。

                                          (資料提供:飛田邦之氏)

昭和15年というのは日本国が第二次世界大戦へと突入して行った年です、。
この頃までの日本には、こういう「植木鉢だけの銘鑑」を発行できるような、そういう文化的土壌があった証ですね、。銘鑑を発行しても、受け皿がなければ無意味な訳ですから、世の中全体に、江戸から明治・大正・昭和と続いた園芸文化が開花していたのでしょう、。
敗戦後の日本は、そういう文化を楽しむ余裕もなく、徐々に回復はして来たように見えますが、古い楽焼鉢を見たり、こういう銘鑑の存在を知ったりすると、気持ちに余裕を持った園芸文化などは、まだまだ明治大正昭和初期には及ばないなぁ~、と感じます、。
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(資料提供:同)
by evian_th | 2010-08-11 11:33 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭「珍鉢銘鑑」                   No.354
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◆2010年8月、。   東洋蘭鉢「珍鉢銘鑑」なるもの

昭和8年に東京の藤坂四渓という人だか盆栽屋だかが発行した「珍鉢銘鑑」なるもの、。
珍しいのは「鉢」よりも、むしろこの「植木鉢だけの銘鑑」そのものの存在です、。

銘鑑の右半分と左下部は「中国鉢」、日本鉢は銘鑑左の上半分だけです、。昭和初期の盆栽界では「中国鉢」が主流だったことが分かります、。

この銘鑑は「盆栽鉢界」の銘鑑です、。
注目すべきは、2段目にアップ画像を掲載しましたが、「手島揫二窯」が「てしま揫二」として、盆鉢界のそうそうたるビッグネームと肩を並べて掲載されている事です、。現在でさえ、「楽焼き」は盆栽界では軽く見られているのに、昭和初期に「手島揫二」を認めさせていることで、当時の手島揫二が日本の楽焼き鉢市場を独占販売のような形で、金力と権力を身に付けていたことです、。
「京都の楽焼き」は、その左の「東山」に含まれるか、または、全く掲載されていません、。
東京では、明治時代には「福富京楽堂」が、大正中期から昭和戦前までは「手島揫二」が市場を独占していたのであろう、という証になる貴重な資料です、。
                                    (資料提供:華幸園)

(この銘鑑は「落款または通り名」で掲載されています、。)
by evian_th | 2010-08-07 02:34 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢「東京楽」                     No.353
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◆2010年8月1日、。    楽焼鉢「東京楽」

先月で風来記手持ちの「五柳鉢画像」を使い切りましたので、今月からは元通りに戻りますが、今月は一つの仮定というか、少し冒険をしてみたいと思います、。

画像の鉢は蘭鉢も万年青鉢も、同一人の所蔵品です、。こういう絵付けを施した鉢は以前から時々見掛けるのですが、大概は(窯元不明ながら)「京楽鉢」という説明で、それ以上のことは誰にも判別できませんでした、。
◆画像の蘭鉢は”寸胴型”であること、。口径と高さのバランスが蘭鉢としては低く感じられること、。
◆足が長細く、京都の窯元の足の形に当て嵌まらないこと、。
◆土目の古さその他の特徴から「明治時代」の製作だと思われるので、愛知県とは言えないこと、。
◆絵付けの絵模様が自由奔放で、伝統文様を踏襲することを重んじる京都の京楽にはない型にはまらない自由さを感じること、。
・・・などのことから、「東京楽」だと考えるのが妥当だと思います、。「寸胴なら何故東京楽なのか、」は、いずれの機会に書きます、。
では、「東京楽」なら窯元はどこか?、と考えると、明治時代の東京には、本郷辺りを中心に5~6個所の「京楽焼鉢」を焼いた窯元が在ったとも聞きます、。その中で資料として残っているのは、明治33年に「京楽焼き鉢価格表」を発行していた「福富京楽堂、」(東京市本郷区上駒込)が該当するので、画像のこの鉢は「福富京楽堂」製造の楽焼蘭鉢だと考えられます、。(価格表を大々的に印刷し頒布するのは、相当規模に製造していた窯元であっただろうと思われるので、)、。
画像の鉢は5寸前後、陶土は「京土」を使用、鋏み痕は足にあります、。ズッシリとした重さあり、。
                                           (立岩信彦氏所蔵)

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画像の万年青鉢の方は、口径4寸3分ほど、陶土は少し茶色いので愛知県の土、絵付けの釉薬は上の蘭鉢と共通、。足に描かれた金彩の絵模様も蘭鉢と共通、。蘭鉢も万年青鉢も独立した絵師による絵付けではなく、窯元オリジナルデザインだと思います、。
蘭鉢も万年青鉢も、足と足の間の空間には、「波、」をデザイン化した文様が描かれています、。
陶土が「京土」であったり「愛知県」の土であったりするのは「東京楽」の特徴でもあります、。以上のことから、両者は同一窯元の製品だと思われます、。万年青鉢の方は蘭鉢と比べると、少し時代は下ります、。

(相変わらずエビアンは、下書きも何もせずに、画像を見ながら一応は頭の中で練り、一息に書き上げますので、誤字脱字変換間違い、表現不足などはお許し下さい、)、。後日、書き足し、訂正をする場合があります、。よろ!!!,、。
今回は、今まで誰も言わなかった「福富京楽堂」などという名前をいきなり出しましたので、こちらとしては冒険、皆さんの方には抵抗感もあるでしょうが、資料的裏打ちのある異議は歓迎します、。(できれば無い方がいいけどね、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。)、。
「手島揫二窯」も一応は考えに入れたのですが、やはりどこか違う、しっくり来ない、。そう思って、従来、価格表の存在は知られていたのに、実態は判然としなかった「福富京楽堂」として考えると、なんかしら落とし所へ行き着いた感じがあります、。

「福富京楽堂」が何時まで楽焼鉢を製造していたか(何時から開窯したのかも、)は不明ですが、昭和の初めには無かったと思われますので、(昭和2年発行の本に、手島揫二が「楽鉢製造窯元は東京では私だけ、」と書いていますので、)明治末期から大正時代には製造を中止したと考えられます、。
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明治33年というのは、西暦1900年、。昭和の天皇陛下がお生まれになる前の年のこと、。東京では手島揫二窯もまだ開窯してない時代、。万年青や蘭が東京で盛んになり、楽鉢窯元も東京に多かったと思われます、。「東京楽焼鉢」は「手島揫二窯」(大正7年開窯)から始まった訳ではありません、。もっと古く明治時代から存在したのです、。                                                                                  (資料提供:茨城県・蛭田梅里園)

(万年青の鉢底画像を圧縮せずに掲載してました、。差し替えました、。)

◆ネット社会は文字通信分野だから、ここに書いた説明文を”後付けで”、無理に理屈付けましたが、「鉢の判断や鑑定、」とか「骨董」とかは、本当言うと、もっと直観的なものです、。
「あ、本物だな、」とか「古いな」とか「京都じゃないな、」とかは、直感による所が大きいものです、。ただそれじゃぁ世の中通用しないから、後で文字で説明を書きますが、直感的に判断した部分の大きいものです、。
by evian_th | 2010-08-01 01:24 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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