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東洋蘭「湖東焼」赤絵蘭鉢               No.474
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◆2013年5月1日、。   彦根藩御庭焼「湖東焼」赤絵蘭鉢

明治6年から20年までの14年間、京都「幹山工場」で「大日本幹山」銘の製品を作った「幹山伝七」の名前が出たので、「大日本幹山」を作ることになった前段階の「湖東焼」をご紹介しておかねばならない、。


「湖東焼」と聞けばエビアンには思い出す鉢がある、。50年近く前の東洋蘭を作り始めの頃、某出版物で見た「湖東焼・馬図赤絵の鉢」が強く記憶に残っていたからだ、。馬が1頭大きく描かれていたように記憶するので、上画像の鉢と記憶とが一致しない所があるのだが、50年間、頭の隅に絶えずあった、。

30年以上も前、蕙蘭商人小野寺皓三氏が来宅した折「湖東焼の馬の赤絵を新谷さんに入れた、」と言っていたものが今回の鉢かもう一つの鉢かは不明、。その後、新谷さんからシュレッダーの社長が全部のコレクションを2億円だかで買い入れた、。シュレッダーの社長は植木鉢コレクションに77億とも90億とも言われる金額をつぎ込むほどの大物コレクターだった、。4~5年前にそのコレクションが出た、。今回の鉢もその時に出たもの、。

上画像の鉢の所有者は、「湖東焼コレクター」としては古典園芸界随一の人で多くの焼き物を所有しておられる、。「湖東焼」を掲載するに当たって、通常なら最も一般的な「湖東」落款の焼き物をご紹介すべきなのだが、上記の理由でエビアンの思いを込めて、あえて「馬の赤絵の湖東」を撮影してもらった、。落款は「寿」だが、これも「湖東焼」として分類されている、。

先月の「大日本幹山」もそうだったのだけれど、もうこのクラスの鉢になると、古典園芸界の鉢ではなく、日本の「骨董界」「盆栽界」に蒐集家を有する骨董的価値の焼き物という分野の鉢になってしまい、東洋蘭界の愛好家には見ることも叶わない品なのだ、。チョッと200万円、。じゃ200万出すから欲しい、といっても無い、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、エビアンの知る所ではこの形の赤絵は4個のみ、。


「神馬」「龍」「鳳凰」が3等分した窓の中に描かれ、それぞれが素晴らしい絵付けだ、。「陽の鳳凰」と「陰の龍」とは四瑞の一つだから吉祥紋として描かれる、。「馬」は「神」の象徴として描かれることが多いが「四瑞 」と組み合わせた理由が分からない、。「神馬」画面には読めない文字が書き込まれているので、字が読めれば組み合わせの理由も判明するかも知れないと思うのでアップ画像を追加しておきました、。

「鉢」と「受け皿」とを組み合わせた鉢は時々見かける、。製作段階においては鉢と皿とは別個の形をしていて、窯に入れて焼くと素人考えでは収縮率の違いで形が歪み、鉢と皿とがピッタリと組み合わさらなくなるように感じる、。そこを克服してのこの形なのだから素晴らしい職人仕事だ、。

「湖東焼」に関しては、ネット検索で多く出るから説明も不要なほど、。
「琵琶湖」の東に開窯したので「湖東焼」、。文政12年(1829)近江犬山で絹屋半兵衛・島屋平助によって開窯されたもの、。天保13年(1842)彦根藩主井伊直亮に献納され、以来3代(主井伊直亮・井伊直弼・井伊直憲)21年間に渡って幕末屈指の御庭焼として名を馳せた、。
湖東焼の多くは、もっと地味で落ち着いた作品が多く、赤絵はむしろ例外的な作品群です、。落款も多様ですが、無落款も多いのです、。「湖東」の落款(大概は手描き)があっても偽物であったり、本物の「湖東焼」なのに無落款であったりします、。


井伊直弼の時代には莫大な資金を投入して各地の陶工を集め作品作りが進められた、。京都の陶工「永楽保全善五郎」や「三代清水六兵衛」、瀬戸の陶工「幹山伝七」もその一人であったのです、。
万延元年3月3日桜田門外の変で直弼が没するとともに窯も錆びれ、間もなく閉窯となった、。
「幹山伝七」はその後京都へ移り「幹山伝七工場」を設立して作品を作るのですが、ここからは先月に書きました、。
口径20センチ、高さ18センチ、。                  (西口郁夫氏所蔵、撮影も)
エビアンの無理な求めに快く応じて何度も撮影し直して頂き、感謝しています、。


樹鉢の本によっては、この手の鉢を「金襴手馬絵外縁下方鉢」と説明がありますが、「金襴手」(きんらんで)は中国鉢に使う用語で、和鉢の場合は「錦手」(にしきで)が通常用いられます、。「下方鉢」は下へ長い鉢のこと、。

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◆この鉢のどこかに「(山内)穐(秋)叢園(しゅうそうえん)」と書いてあるらしい、。大阪にあった「変化朝顔」の老舗の屋号、。ということは、この鉢は江戸時代の変化朝顔の展示鉢のようです、。樹鉢の本では形から「蘭鉢」ということになってましたが、「朝顔鉢」であったかも知れません、。また判明することがあれば追記します、。






京都東洋蘭総合展示即売会
時:2013年5月25日26日
所:緑の館(京都市下京区観喜寺町、梅小路公園内

by evian_th | 2013-04-30 01:51 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭鉢「大日本幹山蘭鉢」             No.473
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◆2013年4月、。   東洋蘭「大日本幹山蘭鉢」

「大日本幹山製」の最も多い形の蘭鉢、。
これが、いわゆる「大日本幹山鉢」の最も知られた形の鉢です、。多くが画像のような「正方下方鉢」の形をしていて、一対物です、。画像の鉢も一対ですが、一方だけを掲載、。人物が右を向いてますので、一対の左側の鉢ですね、。「幹山伝七」の絵付けでしょう、。この鉢は1個で100万円以上します、。(130~150万くらいかな)、。コレクターが多くてね、。
by evian_th | 2013-04-16 19:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
奥地蘭「香り豆弁蘭荷花弁U」            No.472
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◆2013年4月、。   奥地蘭「香り豆弁蘭荷花弁U」


奥地蘭「香り豆弁蘭荷花弁U」、。
初めは朶朶香として入って来た、。香りはあるしこの花型だし今ハゼ(天冴え)の黄花だったので「朶朶香」で疑わなかった、。それで春蘭用土で植え込み湿度の高い所に置いて朶朶香の作りをしてみたが気難しくて大きくならないし開花もしない、。誰かが「香り豆弁蘭」じゃないかと言い出したので、ようやくその時点で良く観察するとヅケがない、。豆弁蘭だった、。
乾き易く植え直してビニル屋根の蘭舎へ置くと急に作れるようになり、大きな新木も出した、。ようやく調子が出始めた、。

花弁の黄色に独特の艶がある、。黄色自体も特徴強い、。菱型気味の荷花弁である、。葉は紺地強くよくまとまった葉姿をしている、。風来記オリジナル、。個性強い蘭です、。



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◆◆◆ 2013年 一茎九華 展示会のご案内◆◆◆
<展示会は必ずしも日付の早い順に並んでいませんのでご注意ください>


中国愛蘭会  東洋蘭「蕙蘭・九華」展示会
時:2013年4月12日・13日・14日
所:RSKランド(バラ園) 岡山市北区撫川1592-1



蕙雲会九華展
時:2013年4月27日・28日・29日
所:東京杉並区 阿佐ヶ谷地域区民センター

by evian_th | 2013-04-10 22:16 | 奥地蘭(中国蘭)



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