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江戸後期の植木鉢                   No.486
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◆2013年8月30日、。   江戸後期の植木鉢


「江戸後期の植木鉢」画像を、どぞ!!!,、。

前スレに書きました「江戸後期」1830年~1850年ごろに製作の鉢です、。
ただし、何を植える鉢かは不明です、。これが加茂黒を使った「楽焼」かどうかも不明です、。
京都では加茂黒を使用したとしても「お茶碗の楽本家」以外では「楽焼」とは名乗れなかったので、こういう鉢は「くろつば」と称された頃の鉢です、。

足の形の品がいいですね、。絵付けは鉢の正面に一か所のみ、。後ろ側は絵付けは有りません、。この「獅子」は白色泥漿の上から瑠璃を掛けてあり、横の何かわからない玉のようなのは「白色泥漿」の上に「緑色」が掛けてあります、。この緑色がテールベルトなのかどうか、はエビアンにとって大きな意味を持つのです、。「テールベルトが来日したのは江戸後期なのか明治なのか、」が決まるので大切なことなんです、。テールベルトではない、という方が嬉しいのですが、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
by evian_th | 2013-08-29 23:55 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢の歴史                       No.485
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◆2013年8月27日、。   楽焼植木鉢の歴史

前の2スレッドの記事中に、「楽焼鉢の形の歴史を30年~50年間遡って考えねばならなくなった、」と書きましたが、現在市中に出回る楽焼錦鉢の全てを50年古く言って売っても構わない、ということではありません、。案外古くから形は完成していた、というだけの話です、。

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「楽焼植木鉢」は、楽本家3代目の「道入(通称:のんこう)」の弟「道楽」や2代目「常慶」の弟「宗味」が開いた「脇窯」に於いて1656年以降に焼かれたものです、。資料的には「1656年以前には楽焼鉢は存在しなかった、」と思います、。
画像1枚目がその頃の楽焼鉢です、。分厚く重く加茂黒の掛かりも厚いものです、、。これを「初期楽焼鉢」とし、「1600年代後期型」とします、。


2枚目画像は、形が少しモダンになっているので、「万年青鉢や蘭鉢の基本形が形成されようとする頃」の鉢で、縦長になり、足が少し持ち上がった風な鉢です、。
これを(根拠は薄いのですが)「楽焼鉢1700年型、」とします、。



西暦1700年代は古典園芸界にとっては闇の時代で、どういう植物が栽培されたのかが資料から完全に消え去ります、。従って、その間の「楽焼植木鉢」の進歩や変化についても全く不明です、。

ただし、エビアン入手の資料、「楽焼秘囊」が1734年に、「五色楽焼秘伝抄」が1779年に出版され、これらの本の中で「楽焼(茶碗)の製法」がフイゴや七輪やヘラやコテやハサミ、はては釉薬の調合法まで図解付きで公開されていますので、「楽家」以外の一般人でも「内窯」を作れるようになったのが西暦1700年代の楽焼鉢での出来事だと言う事ができると思います、。「楽家」秘伝の製造法が公開されてしまった訳です、。


画像3枚目は、エビアンが「西暦1800年型」と決めている鉢です、。1800年以後の作品ではあり得ないし、1700年代の製造かも知れませんが、それを証明する資料もありません、。
大きさはグッと小さくなり、現在の鉢へと近づいて来ます、。この頃まで、デザインが全部「太鼓胴」なのは偶然なのか決まっていた事なのかは判断できません、。


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楽焼鉢の時代特定には・・・

①、鉢の形や使用された土の種類と古び方、轆轤引き痕があるかどうかなど、。
②、使用された釉薬や顔料の種類、。(簡単に言うと色の種類)
③、絵付け紋様のデザイン、。

などを総合して判断するようにしています、。


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①、万年青鉢や石斛鉢は1830年代には形が決まって来たようですが、蘭鉢や風蘭鉢はもっと時代が下ると思われます、。

②、1800年型には「加茂黒」「茶赤色土」「白色土」の泥漿や「瑠璃釉薬」を使った鉢は存在しますがそれ以外の色は見られません、。1830年になると「緑色釉薬」で鉢に文字(品種名)を書いた鉢が見られるようになります、。この「緑色」が「テールベルト」によるものかどうかは今の所判断不能です、。
1852年頃になると、鉢縁に金泥を塗ったものが見られるようになります、。この1852年で江戸後期は終わります、。翌年1853年のペリー提督黒船来航~明治維新までの15年間は風来記では幕末と呼ぶようになりますから、。江戸後期の楽焼鉢に有った色は「黒・白・茶赤・緑・金・瑠璃、」ということになります、。


③、「古典の楽焼鉢」に描かれた紋様は、文字を除くと大体が「日本の伝統紋様」です、。
日本の伝統紋様は、「中国起源の紋様」と「西陣や友禅などの着物文化からの導入紋様」との総合紋様です、。中国由来の模様は決まった模様の連続模様が多く、「四瑞 」の他には「亀甲」「格子」「唐草」「七宝」などを横へ繋げたり範囲を埋めたりするものが多い紋様です、。日本の伝統紋様には「絵画的要素」が加わったものが多く見られます、。「松」「梅」「桜」「小鳥」などです、。
こういう「古来の伝統紋様を楽焼鉢」に導入するようになったのは「幕末以後、特に明治初期以降、」のことです、。それも特に着物界からの導入でした、。「一柳さん」の絵師グループの功績が大きいと思われます、。

「江戸後期」では伝統紋様の導入は無かったものと判断しますが、着物界以外の世界で使われて来た伝統紋様の描かれた鉢は江戸後期にも見られます、。「龍」「獅子」「琵琶」などを描いた鉢が1850年頃には使われていた絵図が存在します、。、。鉢の胴体部分全面にではなく、鉢の正面1点にのみ「龍や獅子」を描いたのです、。色は極彩色ではなく「白色のみ」とか「白色に少し緑色」とかでの絵付けです、。



明治に入って絵師「一柳」(仮名)が、「替わり」(楽焼鉢の面を縦や横の線で区切って区切りごとに違う文様を描く、)の手法を取り入れ、現在まで残っている「古典楽焼鉢」が完成します、。


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<付録・本日着信の新情報>

「短冊屋さん情報」として本日聞いたばかりなのですが、明治の京都の楽焼鉢製造窯として、新たに2窯の名前が判明しました、。これで京都の楽焼鉢窯は5軒の名前が判明したことになります、。

◆短冊屋窯(祇園・和楽):祇園
◆浮田楽徳窯:祇園建仁寺東南角
◆大虎窯:東山区馬町
◆福井楽印窯
◆佐々木松楽窯:京都府亀岡市


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by evian_th | 2013-08-27 21:16 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼3番目の窯「大虎窯」              No.484
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◆2013年8月25日、。   京楽焼鉢3番目の窯「大虎」


前スレの文中、丸山氏との会話の中で「京楽鉢の窯元として”大虎”という窯があった」という話を聞いた、。出所は短冊屋さんのようだ、。「大虎窯」の場所は?と聞くと南禅寺の南・八坂神社の南とかという、。祇園界隈なので、これは”当たり”かも知れないなと感じ、早速資料を見てみるのだが「大虎」なんて窯は出て来ない、。
「大虎」(おおとら)という名前からして窯元の名前だったとも思えないから、「○○窯、通称・大虎」かも知れない、。人名でもなさそうだし屋号でもなさそうだし、。あ~「大野虎吉、通称大虎」てなら有りかもな~、。ともかく現時点では「大虎」(おおとら)と呼ばれる窯が楽焼鉢を焼いていた、としか分からない、。位置的には短冊屋と楽徳窯との中間あたりだ、。
今後の参考にして、一応頭の中に留め置くことにしようかな、。こういうのは意地になって探しても出て来ない、。何かのタイミングでヒョイッと話が前進するものだというのは経験的に分かる、。

以前「浮田楽徳窯」の名前が判明した時に、誰かに「もうこれ以上は京都での窯元の名前が判明することは無いでしょう、」と話した記憶がある、。違った、。根気よく一つ事に集中していれば道が開ける事もあるのだ、。諦めたら終わりだなぁ~、。

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画像の鉢は、以前から「万年青鉢」として奥部屋で使用している鉢なのだが、この鉢なんかも万年青鉢に限りなく近いけど「石斛鉢」だったかも知れない、。何となく作りが華奢(きゃしゃ)なのだ、。ヘリの肉厚が薄い、。どことなく華奢な印象を受ける、。万年青鉢の方がガッチリしている、。
万年青鉢に混ざって華奢な分は石斛鉢だったかも知れないね、。もっと寸胴なら判断し易かったのに、。


画像の鉢はまた、「大虎窯」かも知れない、。
「京都」「三河」「東京」と見ると、「京都」であることは間違いない、。が、「短冊屋」ではなく「楽徳鉢」でもない、。どちらかというと「楽徳鉢」にかなり似ている、。「窯出しの鋏み痕」が見当たらない、。胴にも足にも底穴にもヘリにもどこにも無い、。画像の鉢はヘリが割れたのを膠と漆で繕ってあるのだが、その繕い時に鋏み痕が消えたとも思えない、。

足が大きく、中央部で尖るように盛り上がっている、。2枚目画像でも分かるように左右の足の形も大きさも違っている、。かなりアバウトな性格の人だったようだ、。
絵付けは「一柳」に似ているが、これも一柳本人ではない、。一柳近辺の絵師、。
一柳の描く「龍図」よりも空間が多い、。一柳はこんなに余白(余黒?)を残さない、。龍を描く時はたいてい龍の下に大波模様を描く筈だ、。この鉢のようなキッチリとした「瑞雲」は描かない、。瑞雲に使ってあるような色の顔料を一柳はあまり使わない、。龍の周囲に「火炎」が飛んでいるが、こういうデザイン構図も一柳らしくない、。足は金泥の無地だけど「五柳」はこういうことをしたけど「一柳」にはほとんど見ない、。大概は金泥で雲形や太陽のような菊の花のような模様を描いてあることが多い、。
鉢は楽徳に似て楽徳にあらず、絵付けは一柳に似て一柳にあらず、。困った、。


こういう風に「京都の楽焼鉢」ではあるが「短冊屋」ではなく「楽徳」でもない鉢を、とりあえず「大虎窯」(大虎鉢)または「大虎系」とでも分類しとこうかな、。

前スレNO.483と今回のスレとは、「古典の京楽鉢」の分野に「石斛鉢」が加わったことと、第3番目の窯元として「大虎窯」が加わったことで、2つのスレでワンセットです、。
by evian_th | 2013-08-26 20:13 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
石斛鉢                           No.483
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◆2013年8月21日、。   「石斛鉢」


以前「万年青鉢」としてご紹介した鉢です、。資料から見て腑に落ちない部分があったのですが、江戸後期ー幕末ー明治へかけて、一部上流階級に「石斛」の人気があったらしく、画像3枚目に掲載の絵(1837年製作図)を見る機会があり、「石斛鉢」と判明した次第です、。この形の鉢を「万年青鉢」ではなく「石斛鉢」として訂正しておきます、。


掲載画像の鉢は「浮田楽徳鉢」、。以前「万年青鉢」としてご紹介した時には、「楽徳窯」には別個に純然とした「万年青鉢」が存在しますので、この鉢を合点が行かないまま「別窯の万年青鉢であろう」と思ってしまったのです、。
しかし、どう見ても鉢の特長から「楽徳鉢」であることに間違いはなく、「楽徳窯に2種類の万年青鉢」が存在することに結論付けができずに悩んでいたのでした、。


1835年ごろから京都の公家を中心に高級な趣味として「石斛」が作られていたことを知り、図を見るに至って、ようやく「石斛鉢」ということで腑に落ちたのでした、。江戸後期~幕末には地味な黒鉢や極く簡単な絵付け鉢を使用していたものが、明治に入り「石斛」の栽培が町衆にも広まるにつれて鉢の方も豪華な絵付けを施した物が使用されるようにと変化して行ったものでしょう、。


これで「古典の楽焼鉢、」に「蘭鉢」「万年青鉢」「石斛鉢」「紫金牛鉢」「風蘭鉢」それと一部「仙人掌鉢」というラインアップが出揃った訳です、。誠に目出度い、。

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今回この「石斛鉢」の形を見て、江戸後期1835年頃には既に現在の「万年青鉢」や上掲の「石斛鉢」は完成していたことになります、。
今まで風来記では「万年青鉢」が今の形になったのは「江戸幕末1853年~1867年」として来ましたが、「楽焼万年青鉢」の完成は、それより30年~50年間も遡る(逆上る)ことになります、。
今後は、その事を踏まえて記事を進めたいと考えます、。

この事によって、西暦1800年代(江戸後期~幕末~明治初期)の楽焼鉢のグレーゾーンが広がってしまい、境目を見極めにくくなりました、。商人さんにとっては楽しく、エビアンにとっては宿題が増えることになりました、。

しかし何だねぇ~、。もうこれ以上は資料も出て来ないか、新発見は無いか、と思ったら、出て来るものですねぇ~、。

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この「石斛鉢」の件は、京都の園芸研究家・丸山健氏との話の中で「江戸後期にお公家さんの間で流行った石斛の鉢が見当たらない、」と言ったことと、現在東京で開かれている「江戸東京博物館の花開く江戸の園芸」展の展示物とから閃いたのです、。ほぼ間違いのないところです、。
丸山氏からは他にも「京楽焼窯元」に関する情報も得ていますので、次回にでも掲載します、。
by evian_th | 2013-08-26 20:06 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
中国蘭一茎九華「程梅」                 No.482
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◆2013年8月13日、。   中国蘭・一茎九華「程梅」


東洋蘭風来記では、一茎九華「程梅」の見られる画像を掲載したことは過去になかった、。
難しい、。納得できる花が咲かなかった、。花弁が弁幅狭く踏ん張り、捧心も幅狭に咲くもんだから、正面から見ると「中宮部分」が「蜂の顔」のように見えてしまう、。タップリとして余裕のある花を咲かせるのが非常に難しい品種だと思う、。葉姿とのバランスの問題もある、。花数は一茎に10輪以上着かないと「程梅」らしくない、。そういう事を考えて見ると、風来記に掲載できる「程梅」を咲かせるのは非常に困難だった、。
上掲の画像程度で求めるものが何とかかんとか少し表現できたかなと思う、。


風来記の本井顧問には「九華・関頂」の花は「100年に一度の花だ」と褒められた、。何とか「程梅」も褒められる花を咲かせたかったが間に合わなかった、。
風来記の本井顧問が他界して2度目の盆を迎える、。


一茎九華というのは、同じ花が一茎に9輪咲くという蘭ではない、。1個1個の花が全く別々の花に咲く、。全体として品種の特長を表した良い作品に咲かせられるかどうかなのだ、。
by evian_th | 2013-08-13 00:26 | 九花(九華)中国蘭
楽焼鉢「華唐草紋紫金牛鉢」             No.481
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◆2013年8月、。   楽焼鉢
by evian_th | 2013-08-10 22:52 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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