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楽焼鉢                          No.518
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◆2014年8月、。   楽焼鉢




全国日本春蘭連合会 春蘭柄物秋季展示大会(全春連)
時:2014年11月1日・2日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)

 



大阪東洋蘭会2014年秋季展示会
時:2014年10月12日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2014年○月○日・○日
所:東京蒲田 プラザアペア

by evian_th | 2014-07-31 11:34 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼植木鉢                       No.517
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◆2014年8月、。   楽焼植木鉢

暑中お見舞い!!!

先月の華やかな鉢とは対照的に地味で落ち着いた鉢、。「茶色と青色」の反対色を使ってあるから余計に地味に見えます、。
口径17センチ×高さ12センチというこの鉢は・・・
◆何を植えるための鉢だったのかが分からない、。
◆江戸期の製作と言えるほど古いのか明治にずれ込むのかの時代設定も分からない。
◆短冊家製に見えるけれど短冊家ではあり得ない特徴もあって窯元判断も分からない、。
◆浮彫の模様がなにを描いているのかも分からない、。

という風に、分からないことだらけの奇妙な鉢です、。

じゃ、分かることはというと、「絵師」は全くタッチしていない「陶工」だけが作った鉢であること、。鉢底の雰囲気が一流で、鉢底・足裏だけを見ると短冊家の古い鉢に見えるということ、。
上から見込みを覗き込むと内掛かりが少ないことと、楽焼鉢の土はザラザラとした砂質陶土なのに、いやにツルツルとした印象を受けます、。陶土の色も楽焼らしくなくて、他の焼き物のような土色です、。
鉢ヘリの造りや縄縁の様子などから、相当熟練した陶工が相当数作ったのはうかがえます、。
一旦焼いてから胴部分を紋様を残して削り取って彫り込んであり、地味で雑に作ったように見えて、どうしてなかなか手間暇かけた凝った作り方を施しています、。何かは判らないのですが、当時高価だった園芸植物用に作られた鉢なのでしょう、。
暑い夏の夜に幽霊のような捉えどころのない話で申し訳ありません、。これ以上はエビアンには分かりません、。                 (伊藤勝美氏蔵)
by evian_th | 2014-07-31 11:31 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼鉢短冊家「五柳万年青鉢」          No.516
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◆2014年7月、。   京楽焼鉢「短冊家五柳雲鶴図万年青鉢」



華幸園 富貴蘭自慢会
時:2014年7月12日・13日
所:華幸園展示場


三香園 富貴蘭展
時:2014年7月5日・6日
所:三香園


by evian_th | 2014-07-10 02:14 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼短冊家「五柳雲鶴図万年青鉢」        No.515
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◆2014年7月、。   京楽焼短冊家「五柳雲鶴模様万年青鉢」

京楽焼植木鉢・短冊家製「五柳絵付け・雲鶴図万年青鉢」
この鉢は以前一度どこかで掲載してるのですが、商人さんの棚にある時点のスナップ写真だったので所有者さんに撮影してもらって再度掲載、。

「鶴の絵」はそれぞれの足の正面に、下を向いた鶴、横を向いた鶴、上を向いた鶴と描かれていて、本当は3枚目画像の「上を向いた鶴」がこの鉢の正面でしょうが、背後の左右の足のバランスが下向き画像のみキッチリと撮影されているのでこれを使用、。

五柳には珍しく「瑞雲」を用いての「鶴図」で4寸万年青鉢にビッシリと描き込んでいます、。足の間(この部分の呼び名については近々奥部屋でご提案、)には五柳独特の青海波紋様を描き、段替わりの間には雲形と五柳得意紋様山盛りの一品です、。
実はこの鉢には義兄弟(ん?)が居て、同じく五柳鉢ですが他方は「同一紋様の蘭鉢」です、。普通一般的には「植木鉢」の一対というのは無地物では同一品が2つとか、絵付けものでは相互いに見合うように左右逆向きの絵付け鉢2個をもって「一対」とするのですが、「楽焼鉢」に限っては(今現在見た範囲でのことですが)「同一紋様」の「万年青鉢」と「蘭鉢」を描くようで、この組み合わせで「一対」なのではないかと考えている所です、。(この件、来年(鬼が笑うか)正月にもご紹介)

「足」も何かしらいつもと違うなと感じて観察すると、無地の黒地に雲形を描き、(ふつうなら五柳は3本の金線を流すのですが)残りの余白(余黒か)に後塗で金泥を塗っているのです、。まぁ手の込んだことでご苦労様、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
上3枚画像は修正すると緑っぽくなりました、。5枚目の鉢が横向きの画像が実物の色に近い色です、。上3枚は鉢の「金色の点々」がやけに目障りですが、これはエビアンの責任です、。シャープを掛けると金の点々が飛び出てしまうのです、。これも5枚目が正しい色です、。
                            12.3×h11.8センチ (飛田邦之氏蔵)

(上3枚画像が緑色っぽかったのを多少修正しました)
by evian_th | 2014-07-10 02:13 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
和鉢コレクター「新谷慶馬さん高木禮二さん」       No.518
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◆2014年7月7日、。   日本鉢数寄者「新谷慶馬さん」「高木禮二さん」

和鉢コレクター「新谷(あらたに)慶馬」さん
昭和40年代には古典園芸界の商人で「新谷さん」の名を知らない者は居ないほど有名な「和鉢コレクター」だった、。上掲の切り抜きは今から42年ほど前の雑誌に掲載された記事のコピーなのだが何という雑誌からのスクラップだったかが分からない、。引用先の雑誌名も書けないので、全部で7ページの記事なのだが出だしの3ページを掲載して「新谷慶馬さん」をご紹介、。(「盆栽世界」だったらしいです、。当時は樹石社でしたが現在は「自然と野生ラン」と同じ「エスメディア出版」から「盆栽世界」として出版され続けています)、。

「新谷慶馬さん」(静岡県浜北市)は明治39年生まれ、。「日本人作家の造った鉢」「和鉢」のコレクター、。ある時の盆栽の全国大会である「国風展」の席で盆栽を紹介してくれた盆栽協会の偉い人が「鉢はポン鉢です。」というのを聞いて、「和鉢コレクション」に目覚めたという経緯を持つ、。(日本製鉢=日本鉢=ニッポン鉢=ポン鉢)当時は支那鉢全盛時で、日本鉢は「ポン鉢」と呼んで下に見られていた、。「ポン鉢」は蔑称である、。(こういう舶来崇拝主義、日本自虐思想はエビアンの最も嫌うところだ)、。

このインタビュー時点でコレクションは2000鉢を越していたらしいから最終的には3000鉢くらい集めたかも知れない、。和鉢美術館を作ったらどうかなどの声もあったが、結局は昭和40年代から台頭して来た更に更に大物コレクター「高木コレクション」に2億円とかで全コレクションを買われてしまった、。

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d0103457_1372513.jpg「高木コレクション」は70億とも90億とも言われる大金を植木鉢の買い集めに注ぎ込んだとんでもないコレクターだった、。「高木コレクション」というのは「msシュレッダー」の開発で有名な「明光商会」の「高木禮二会長」のことだ、。
写真右)主として盆栽と盆栽鉢に肩入れした人なので東洋蘭界には馴染みが薄いかも知れない、。
2007年5月3日、高木会長の他界に伴って「高木コレクション」の全ては売りに出され、中国へも大量に出て行ったが、「和鉢」は日本国内で盆栽界と園芸界の愛好家に買い取られた、。風来記でも時々ご紹介している「華幸園植木鉢展示即売会」などはこの時の「高木コレクション」の鉢が大部分だった、。楽焼鉢も有った筈なのに棚整理品からは楽鉢はほとんど出なかった、。































新谷さんはご自分ではただ集めるだけで産地や窯元別に分類などの作業は何もされなかった、。この事について新谷さんはインタビューの中で「自分ではただ集めておくだけでよい、。後に続くべき日本鉢についての具体的な研究は他の人にまかせたい、。」と述べておられる、。
そうなのだ、。集めて研究までするには人生はあまりにも短い、。「植木鉢を集めよう、」と思うのが大概は相当な高齢になってからのことだし資金的にも高齢にならざるを得ないからだ、。これの繰り返しで「植木鉢についての研究」の分野が今まで遅れているのだた、。


今回、「楽焼鉢の各部の名称」を考えていて、ふと新谷さんを思い出してスクラップを探した、。偉大なコレクター2人(新谷さんと高木社長)が居られたことをご紹介しておきます、。

2ページ目下段の「湖東焼金襴手鉢」は三重県の西口さんに行き昨年風来記でご紹介しました、。3ページ目中段左の「欽古堂亀祐」は高知県の愛好家に入り、エビアンが撮影した画像が風来記にありますので、いずれご紹介、。
画像は相当大きいサイズで掲載してあります、。画像クリック・虫眼鏡クリックで拡大します

d0103457_2551637.jpg古典園芸界の商人は、植木鉢にしても「研究者になってはダメなんだ、。買うだけの旦那でいいんだ、」というのが商人の本音で、こういうのが「植木鉢分野」の文化的な発展を妨げて来た主犯なのである、。「茶数寄」(ちゃすき)に比べて「鉢数寄」が何の文化的な進歩もして来なかった原因の一つがここにある、。ハッキリ言うけど集めるだけじゃ馬鹿じゃないか、。商人は愛好家がバカであってほしいのだ、。だが時代は大変化している、。時代の変化に付いて行けない(上のようなことを言う商人のような)人達は何時の時代どの分野にも居る、。風来記は御常連の鉢数寄とエビアンとの合作であると常々思ってる、。記事を書いているのはエビアンだけど鉢を買って画像撮影して協力してくれる人やBBSに鉢の話題を取り上げて掘り下げてくれる人などの合作サイトだと思ってます、。これらの人たち全体が現代の「鉢数寄」(はちすき)を形成しているのです、。

「植木鉢」も研究して我々日本人の先達の偉大な業績を後の世に伝える時が来ているのだ、。日本人職人の偉大さを全世界へ発信していく時なのだ、。日本人がその民族的文化的素晴らしさを世界に知らせる時代だろう思う、。


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*注*<茶数寄>(ちゃすき)
一言で言えば「茶道具コレクター」のこと、。
茶人・千利休は西暦1500年代後半の人ですが、この千利休が世に出る以前から京都に「茶道」はありました、。京都の茶人は「奥高麗の茶碗、」を非常に珍重して茶の湯を楽しんでいましたが、1500年代後半に「我々も奥高麗に負けないような日本製の茶碗を持ちたい、」と思い、中国から呼び寄せたのが「楽焼の始祖」と言われる「阿米也」(佐々木家の子女と結婚し日本名を佐々木宗慶という)です、。この「佐々木宗慶の造った手捻りの陶器が楽焼の始まりだと言われています、。宗慶の長男が「楽家初代」の「佐々木長次郎」で、後に田中利休が「千家」を名乗る時に「田中姓」を譲られ、終生「田中長次郎」を名乗り大阪堺の田中家の家督も引き継ぎました、。
そういう訳で、「京都の茶数寄」が「楽焼」を作らせ育てたとも言える訳です、。


千利休は「利休百選」の中で茶数寄を皮肉った歌を詠んでいる・・・
◆釜一つあれば茶の湯はなるものを数の道具を持つは愚かな
◆数多くある道具をば押しかくし無きがまねする人も愚かな


この場合の「茶道具」というのは主として「茶釜」だったらしく、「お茶碗」の楽家は売れなくてむしろ貧乏だったのに比べて「茶釜」の鑄家は七郎左衛門以下の人たちが隆盛を極めたようです、。

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by evian_th | 2014-07-10 02:10 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢各部の名称                  No.517
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◆2014年7月5日、。   楽焼鉢各部の呼び方

前スレの纏めスレです、。
古い植木鉢の本を見ても、過去の「植木鉢コレクター」も「植木鉢研究者」も盆栽界も蘭界も萬年青界も、こういうことを研究して来なかった、。京都の茶数寄(茶道具コレクター)と比べると恥ずかしい限りだ、。


それなら今からでも「鉢数寄」(植木鉢コレクターをこう呼ぶことにした)が頑張って研究し広め後世へ残して行かねばならないだろう、と思ってやり始めた次第、。

いろいろ異論もあるでしょう、。反対意見もあるでしょう、。しかし「植木鉢分野」の発展を願うなら、心を合わせてポジティブな議論を重ねなければ意味が無い、。単に非難したり否定するだけなら誰にでもできる、。批判するからには「対案」となる「用語の提示」を頂きたいと思います、。


この画像に提示した用語に関しても、すでに異論を頂いてます、。「茶碗と違って植木鉢の場合は中を覗き込まないから”見込み”はおかしい、」というものでした、。
なんのなんの「植木鉢」も「お茶碗」に負けないくらい鉢中を覗き込みます、。「内掛け」の様子はどうか、筆塗りかドブ漬けか、分厚いか薄いか、深くまで掛かっているか浅いか、釉薬溜まりの厚みはどうか、素焼の陶土はどこの土を使ってあるか、白いか灰色か茶色味が勝っているか、古いか新しいか、内側にロクロ引きの指痕が残っているかどうか、・・・とまぁ、詳しく観察するのです、。
だから我々には十分に鉢内側を「見込み」と呼ぶ資格はあるのです、。「見込みは使えない」なんてのは植木鉢の観察(観賞)方法を知らないから言えることですよ、。


現在植木鉢、特に「楽焼植木鉢」を集めている人は、自信をもって「平成の鉢数寄」になろうではありませんか、。後の世に残すために、。

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「京楽焼」のそもそもは、轆轤(ろくろ)など使わず「手捻り」だったのです、。田中利休の「侘び茶」の精神をもっともよく表現する手法だからです、。厳密にいうなら、楽焼は「ロクロ」を使った時点で「楽焼と呼べる資格」を失っているのです、。「楽焼植木鉢」の大部分はこの意味で「楽焼」とは呼べないものですが、極く極く少数ながら「紐状の陶土をグルグルと巻いて作った手捻り」の鉢も残っています、。こういうのは特別価格(100万円の上)に評価する鉢ですが、こういう事を判断するのも「見込み」部分があればこそ判断が可能な訳です、。あの部分が「見込み」でなくて何物でありましょう、。
by evian_th | 2014-07-10 02:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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