TOP写真風来記余剰苗掲示版リンク
以前の記事
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
more...

フォロー中のブログ
東洋蘭風来記奥部屋
東洋蘭 花図鑑 東洋蘭 ...

検索

タグ


<   2015年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧
瑠璃釉薬の顔料                        No.553
d0103457_23555792.jpg

d0103457_23560888.jpg

d0103457_23561609.jpg

◆2015年12月10日、。   楽鉢「瑠璃釉薬の顔料」

ここ最近、急に「楽鉢スレ」が多いのは、もう今日明日にも皆さんの手元に「楽鉢特集の園芸ジャパン」が届くので、その文中に抜けている箇所の補足をしておきたいと思っての事です、。

上段に掲載の鉢画像は、江戸明暦2年(1656年)に(今の)大阪府堺市に窯を開いた「楽忠」や「楽雅亭」の鉢です、。
京都の「楽本家筋」の窯元であっても、京都で開窯することは許されず、楽家所縁の堺での開窯でした、。朝廷の引立ても無く自分で楽焼を製造し販売して行かねばならない立場だった訳です、。「茶道のお茶碗」や「食器」としての楽焼は評判が悪く、売れなかったようです、。生活のためにはあらゆる陶器製品を作った事でしょう、。
そうした状況で「楽忠」や「楽雅亭」が「楽焼植木鉢」を作るに至るのには、時間を要しなかったと思います、。案外早い時点、開窯からほんの2~3年以内には「植木鉢製作」を始めたと思います、。生活のために何か売れ筋商品を作る必要があったからです、。


東洋蘭風来記では、過去に「風来記ページ」で、上掲の楽鉢の花模様に塗られている「瑠璃釉」の原料は「ラピスラズリ」だったのだろうと書きました、。「ラピスラズリ」の和名が「瑠璃」であるという単純な理由からです、。
ところが、その後、調べてみても、1600年代の陶器の瑠璃顔料は何を用いたのかは不明のままで、「ラピスラズリ説」を肯定も否定も出来ない状態なのです、。

可能性から最も考えられる原材料顔料は幾つかあり、それらの内のどれかだろうとは思うのですが、特定には至っておりません、。

◆「岩群青」(いわぐんじょう)というのは「アズライト」の事です、。2枚目画像の石です、。
銅山の銅鉱脈から産し、「マラカイト」がくっ付いた状態で採掘されます、。「マラカイト」は和名を「孔雀石」といい、それから作る顔料は「岩緑青」(いわりょくしょう)と呼ばれ「緑色の顔料」です、。
「岩群青」は時間が経つと酸化して「岩緑性」に変化するので、この両者は同時にくっ付いた状態で出て来るのです、。
欧州ではフレスコ画の空を描いたりするのに用いられますが、時間が経つに従って「緑色に変化」して来るようです、。
日本での銅山の発見は古く、「栃木県の足尾銅山」が1550年頃には発見され、1610年には幕府が採掘を始めていますから、同時期には「岩群青」(アズライト)も採掘された事でしょう、。

ところが、当時「陶磁器界」で顔料としたのは、足尾銅山のものではなく、「中国産の岩群青」なのです、。
この中国産岩群青が純粋なアズライトだったのかどうかは問題です、。上の鉢の瑠璃色の浮彫紋に塗られた「瑠璃釉」の色は、緑色にも変化せず非常に安定しているようですから、単純に「支那岩群青」と決め付ける訳にも行きません、。

◆「岩紺青」(いわこんじょう)、江戸時代1700年初頭に作られる「プルシアンブルー」と区別するために、日本古来からある方を「岩紺青」としたが、暗い色をしていたというから「岩群青」のことらしい、。

◆「花紺青」(はなこんじょう)というのもあります、。原石は「スマルト」といい、明るい青色の顔料です、。「ラピスラズリ」(瑠璃)や「アズライト」(岩群青)の代用品として使われた古い時代からある顔料です、。

◆江戸初期1600年代は、「第一次京焼隆盛期」に当たり、京焼の名工「野々村仁清」や「尾形乾山」(絵師尾形光琳の弟)が出て、名作品を今に残しています、。
この「野々村仁清」が絵付けに使った顔料は、「緑色は岩緑青」、「紺色は中国産岩紺青」、「紫色は支那呉須と丹土と金珠との混合」を使用しており、「野々村仁清」と「忠右衛門」や「宗味」とが交流があった事が証明されれば、此の線も可能性は出て来ます、。調合法を教えられないと出せない色だからです、。

◆「ラピスラズリ」(瑠璃)の線もまだ可能性としては残っています、。

そういう訳で、1600年代に「あの楽焼鉢」に「瑠璃色の花模様」を描いた顔料は、今時点では特定できていません、。今回の「園芸ジャパン」では、ここの説明が抜けています、。それでフォローしておきます、。


◆「ラピスラズリ」(瑠璃原石)には”夢”がありました、。
玄奘三蔵が天山南道を旅した7世紀、新疆ウイグル自治区キジル国は仏教がもっとも発達した土地でした、。「庫車」(クチャ)の西方67キロにある亀慈(キジ)は大いに栄えており、仏教文化が花開いていたのです、。その中から生まれた「キジル青の石窟」で青色顔料として「ラピスラズリ」は発見されたのです、。
西欧人が西へ持ち帰り、シリアからは船に乗せてヨーロッパで売られ「ウルトラマリン顔料」として金(GOLD)よりも高価に取引され、その深い青色に魅せられたのが、1600年代オランダデルフトの画家「フェルメール」だったので「フェルメールブルー」と呼ばれるようになります、。

どうせ顔料が特定できないのならば、当時の日本・中国での「瑠璃顔料」は「瑠璃と岩群青の混ぜ物」だったというくらいな方が夢があって楽しかったと思います、。



尚、江戸後期1800年代になってからは、「楽忠」「欽古堂亀祐」「頂山」などが風来記でも過去にご紹介した「赤土六角鉢に瑠璃浮彫紋」とか「紀州偕楽園の瑠璃六角鉢」とか、今月トップ画面の「短冊家瑠璃浮彫鉢」とか、数多くの「瑠璃釉薬」を施した鉢が登場します、。、時代が100年以上も経った後では、どんな顔料が使われたのかは不明ですが、1600年代の顔料と同じでは無いと考えています、。

1730年頃には、ドイツで「コバルト」という金属が特定されているから、そこから後の時代の鉢は何が使われても不思議ではなく、様々な顔料で「瑠璃色」を出せたのだと思います、。




大阪東洋蘭会 2016年 春季展示会
時:2016年3月13日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会







by evian_th | 2015-12-10 02:12 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽徳と五柳の共通点                      No.552

d0103457_00143577.jpg

d0103457_00144671.jpg

d0103457_00145558.jpg

◆2015年12月7日、。   楽徳と五柳の共通点


浮田楽徳と五柳寿運の共通点、。
「楽鉢」の調べ始めの頃には、誰でも同じだと思うけど、「五柳鉢」の魅力に魅かれる、。自分で五柳鉢を持つチャンスも無い頃には五柳鉢の画像を送ってもらって、その特徴を観察し研究した、。

「古典楽焼鉢」を見ていて、今も不思議に感じる事の一つに、「これほどの高級絵付けを施した工芸品なのに、宗教の影響を感じない」ということがある、。西欧諸国の民芸品・工芸品でも、中近東もアジアでも、普通なら「宗教から影響を受ける」ものが多いからだた、。
現在に残る「楽焼鉢」の多くが作られたのは江戸後期から明治・大正・昭和初期のものであって、仏教・神道・の影響を受けた絵付けがどこかで描かれても不思議ではない思う、。

そう思いながら見ていた時に目に止まったのが「五柳鉢」にのみ描かれた「雲形」(くもがた)だった、。「雲形」は神社仏閣や日本家屋の「入母屋作りの屋根の頂上(三角形の頂点)に「木製で作る飾りのこと」だ、。
この「雲形」のみが、まぁ宗教の影響を受けた絵柄と言えると感じた、。それで初めの頃に「五柳は狩野派絵師の仏画の影響を受けた絵師だ、」という風に「風来記ページ」にエビアンが書きこんだ、。
その時点では、「雲形を描いた鉢は五柳寿運の鉢」でしか知らなかったのだた、。
萬年青界で出版されていた本にも「五柳は狩野派絵師の影響を受けている」と書いてあったが納得した、。

それから後、千葉県の某園芸店の園主さんが最上段に掲載の鉢を持っている事を携帯電話でスナップ撮影し、画像を送ってくれた人が居た、。足を正面にした位置での撮影画像だったし、当時の携帯電話画像じゃハッキリとは写ってなかったけれど、足の横の腰部分に「雲形らしき絵付け」が描かれているのが、かろうじて見えた、。デジカメで撮影した画像も送ってもらって、「これは雲形だ」と確信した、。

その鉢はヘリが割れた繕い鉢だった、。が、何としても欲しい、。見た所では「浮田楽徳の鉢」である、。「楽徳にも雲形を描いた鉢があった」という思いで、どうにも入手したくなった、。人を通じて根気よく交渉してもらった、。1年半を過ぎるころに持ち主さんから譲ってもいいと連絡を受けて入手した鉢なのだ、。

鉢の腰部分を撮影してみると、実に手馴れた調子で「雲形」が描かれている、。「金泥のイッチン描きか筆描きか」は判らないけど、雲形が描かれている、。
描かれた「台の鉢の古さ」から、「これを最初に描いたのは浮田楽徳の方」であると直感した、。

なぜ「楽徳と五柳のみが雲形を描くのか」と考えると、二人は狩野派の大和絵師であったのであろうと結論出来た、。こういうのは先輩絵師が描くのを見ていないと描けない、。さらに言えば、その紋様の持つ意味を理解していたからこそ描くことが出来た紋様だったろうと思う、。
浮田楽徳は1830年生まれの狩野派絵師で、師匠の復古大和絵師「浮田一蕙」を直接見ていたのは楽徳の方だけであると思う、。五柳は絵付け鉢の完成度の新しさから、楽徳よりも30歳くらい年下の絵師だったろうと思う、。

雲形は、五柳の方が多く絵付けしている、。「鉢縁下」(はちべりした)や段替わりの線の間にも書く事がある、。楽徳は鉢縁の上側(上面)に描くことがあるが胴部分に描くことはあまりない、。



極く稀に、二人とは全く無縁の後世の偽絵師によってヘンテコリンな雲形を描いた鉢を見受けることもあるが、これはどなたがご覧になっても見分けられる、。





by evian_th | 2015-12-07 01:34 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢                  No.551
b0034163_10554824.jpg

b0034163_10555646.jpg

b0034163_10560366.jpg

b0034163_10561013.jpg

b0034163_10561719.jpg

◆2015年12月、。   短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢


師走~、。
本年も「東洋蘭風来記」をご覧いただきまして、ありがとう御座いました、。寒い季節ですから、お身体をお大切にお過ごしください、。


短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢、。

「楽焼鉢」ではありませんが、楽鉢窯元の短冊家の極く初期の頃の製作になる鉢で、非常に珍しいのでご紹介、。
よほど大切に保存されて伝わって来た鉢の様子、。一見すると新しそうに見える鉢ですが、この鉢は製作されてから200年経っています、。江戸後期・文化文政年(1804年~1829年)の製作だと思います、。


この鉢を作るには、一般の楽焼窯元にとっては誰かに2つの事を教わらないと製作できない鉢なのです、。
◆柔らかい感じのする半磁器(磁陶という)の作り方
◆型押しの方法と6枚の面の張り合わせ技術
この事を一人で教えることが出来たのは、江戸後期の第二期京焼ブーム時に出て来た京都の陶工「欽古堂亀祐」しか居なかったと思われます、。


「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)明和2年(1765年)生まれ、天保8年(1837年)没は、毎度御馴染みの「奥田頴川」(おくだえいせん)の門下生の筆頭とも言って良い程の存在、。奥田頴川は亀祐よりも12歳年上で、家業の質屋は弟に任せて京都三条粟田口に窯を開き、中国陶磁を学びながら人柄を慕って寄って来る多くの陶工を育てた後期・京焼盛隆の功労者です、。
この奥田頴川が「磁陶」の作り方を門下生に教えたのでのです、。後に欽古堂亀祐が陶芸指導に行く「三田青磁」なども、この「磁陶」の分類に入る焼き物です、。
当時の京都粟田口には陶磁器の窯元は多く、清水焼のような硬質の白くて硬い磁器とは違って、温かみのある焼き物です、。

また、欽古堂亀祐は京都伏見の「伏見人形作り」の家の出身、。伏見人形は前姿と後姿とを別々の2枚の木型に押し付けて陶板を作り、薄く溶いた陶土で張り合わせて作ります、。この「木版に押し型技術」と「張り合わせ技術」とで一体の人形を作るのです、。

これら2つの技を併せ持った陶工は欽古堂亀祐だけだったと思われ、初代短冊家が祇園短冊楼から窯を開いた時期と亀祐が活躍した時期とが一致するのです、。


短冊家初代は余程研究熱心な人だったらしく、亀祐に執拗に頼み込んだのでしょう、。というのも、普通一般的には、6面の神獣の鉢を作るには、同じ獣が繋がらないように、2~3種の版木を使用して別々の神獣を繋げる筈なのですが、画像をご覧頂くとお分かりのように、全部が同一の神獣です、。つまり亀祐は版木を1枚だけしか短冊家に使わせなかったものと思われます、。

そういう苦労をして短冊家初代はこの鉢を製作したのです、。その研究心は脱帽ものです、。
江戸後期なのにテールベルトが手に入らない筈なのに緑色があるじゃないか、と思われるでしょうが、ここに使われる顔料は日本古来(といっても、江戸時代直前の頃)からある顔料で、江戸初期の陶工・野々村仁清などが使用した天然顔料で、主として磁器専用のものです、。透明感があり、非常に高価な顔料だったのだろうと思います、。

鉢裏には初代が使ったと思われる「短冊堂」の落款、。
この鉢は、エビアンが知る限りは2個現存し、他に盆栽界の蒐集家に残っているとしても、あと1~2個でしょう、。大量に作るほどは亀祐も木型を貸さなかったと思われるからです、。
いずれにしても非常に貴重な鉢であることは間違いのない事実です、。
贅沢を言わせてもらえるなら、少しは使っておいて欲しかったですね、。時代乗りが欲しかった、。
(現在の所有者は不明)









by evian_th | 2015-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



TOP写真風来記余剰苗掲示版リンク

Copyright(C) 2005 東洋蘭風来記 All rights reserved.