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短冊堂「花唐草紋万年青鉢」                 No.567
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◆2016年8月、。   短冊堂落款「花唐草紋万年青鉢」


短冊堂落款「花唐草紋万年青鉢」、。6号鉢、。
この鉢に出会ったのは、2012年10月「第2回・華幸園植木鉢展示会」の会場でした、。まだ「楽焼鉢歴史調べ」の旅の真っ最中の事で、突然目の前に「短冊堂落款」のある万年青鉢が現れて、華幸園さんもエビアンも混乱してしまい、短冊堂=短冊家製品、ということを受け入れられないで戸惑った思い出が残っています、。
「短冊堂落款=短冊家製品」という事実を受け入れることが出来たのは、昨年2015年6月の「華幸園展」にこの記事下に掲載のサムネイル画像にある「短冊堂落款・瑠璃釉六角神獣浮彫紋鉢」の出現のお蔭です、。同一鉢が京都の短冊家さんにも残っていたからなのです、。

上に掲載の今月の万年青鉢は、某大棚東洋蘭愛好家所蔵品ですが、その愛好家は蘭友が蘭を止める時にプレゼントされた鉢だそうで、贈られた2鉢の楽鉢以外には鉢を持ってない人ですから、商人が鉢の分譲をせがんでも贈られた品物だから売れないと断り続けて居られる鉢です、。

2008年の展示会場で手に取ってみたのですが、この鉢はズッシリと重いのです、。最近の楽鉢の重さではなく大阪楽の楽忠・楽雅亭に似た重さがあります、。6寸という大きさを考えに入れてもなお重かった記憶があります、。
では「大阪楽」に近いかというと、そうではなく、鉢のスタイルは現在に通じる完成度ですし、鉢内側には大阪楽に見られる「轆轤挽きの指痕」は無く、現代鉢のような一面がザラついた均一仕上げになっています、。
「足」の作り方も現代風ですが、鉢底は平らで時代乗りがあり、鉢数寄の手を得て、何とも言えぬ良さを醸し出しています、。
これらを総合して考えると、製作年は江戸後期とは言い難く、幕末頃ではないかと思います、。


◆2012年10月「第2回華幸園植木鉢展」
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by evian_th | 2016-07-31 15:24 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
「野々村仁清の紺や紫」と「楽忠の瑠璃」           No.566
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◆2016年7月9日、。   「野々村仁清の紺や紫」と「楽忠の瑠璃」

この文章を読んで頂くには、下2つの記事も参考に見て頂きたいので、クリックで各スレッドへ飛ぶようにしています、。
◆2015年12月、スレッドNo.553、「瑠璃釉薬の顔料」


◆2010年12月、スレッドNo.378、「楽焼鉢の顔料」


(このスレッドは、下スレNo.563「京焼から進化した楽焼」の最後の章の続きです)
黒一色だった「楽焼植木鉢」に最初に絵付けされた「顔料」が上画像にありますように「瑠璃釉」です、。
ところが今のところ、この時の「瑠璃釉薬」に用いられた「顔料」が判明しておりません、。

江戸時代初期(1600年代)、丹波の国桑田郡野々村に生まれた「清右衛門」という陶工がいました、。若い頃は京都粟原口(あわたぐち)や瀬戸で修業を積み、1644年~1648年頃に金閣寺の西方の仁和寺の門前に「御室窯」(おむろがま)を開き、生まれ故郷から姓を取り、仁和寺の「仁」と「清右衛門」の「清」を取って名を取り「野々村仁清」(ののむらにんせい)と名乗るようになります、。
江戸初期の京焼は、この野々村仁清と絵師・尾形光琳の弟で陶工の尾形乾山という二大巨匠によって非常に栄えます、。
尾形乾山はどちらかというと土着の落ち着いた陶器を製作したのとは対照的に野々村仁清は多彩な色調とモダンな意匠の陶器を作りました、。Google検索窓に「野々村仁清」と打ち込んで頂くと沢山の作品画像が出て来ます、。

その野々村仁清が「青色」「紺色」「紫色」を出すのに用いた顔料は風来記2010年12月スレッドNo.378「楽焼鉢の顔料」の末尾に書いています、。
ただし、「瑠璃色」というのは「青色」でも「紺色」でも「紫色」でもなく、もっと輝くような艶のある色だと思うのです、。野々村仁清の作品画像の中から瑠璃色に近いかなと感じる茶碗画像を上に掲載しました、。似ているかも知れないし違うかも知れませんが、もし同一なら、「ラピスラズリ(瑠璃)」を使わずにあの時代に「瑠璃色」は出すことが出来た事になります、。
ただし、上段の瑠璃色に見える所の下半分は緑色になって来ていますから。ここは「岩群青(アズライト)」を使用してあり、350年という時間の経過で酸化が進み「岩緑青(マラカイト)」に変化したものと思われます、。このように「岩群青」だけでは化学的安定性に欠けるのです、。下画像の楽鉢の「瑠璃釉」は同時期の製作なのに「瑠璃色」は変色せず安定していますから、「岩群青」よりも安定性の良い顔料を使用してあります、。それが「瑠璃(ラピスラズリ)」だったのではないかとエビアンは考えるのです、。



瑠璃色と言うのはもっと輝く様な、しかも深みがあると感じるので、それを出すには「ラピスラズリ(瑠璃)」か少なくとも「アズライト(岩群青)」を混ぜて使わないと発色しないのではないかと思います、。
この頃(1600年代)はこれら顔料の多くは中国からの輸入品に頼っており、400年後の現在でさえ信用のおけない中国人が、注文通りの物を送ったかどうかという点にも疑問はあります、。「岩紺青」という注文に「岩群青」を送ったほどなのですから、。

「支那呉須」では瑠璃色は出ない、。「岩群青」だけでも出ない、。「瑠璃」を日本人陶工が使ったという記録が見当たらない、。しかし、それらの混合によって「陶器の瑠璃色」は出されたに違いないと思います、。


◆京都の「野々村仁清」と大阪の「楽忠や楽雅亭」とは、製作年は1650年前後からという風にほぼ重なりますが、お互いに交流があったかというと、相互の作品に共通点は見当たらないので、交流は全く無かったのだろうと思います、。
◆野々村仁清はあの時代には珍しい芸術家肌の作品を製作したのと比べ、楽忠・楽雅亭は生活雑器の製作を主とした職人だったように見受けられます、。
◆時代が一致するので一応参考に両者の使用した顔料を比べてみました、。



今現在の時点で分かる所はこの辺までです、。後の時代に解明される事を期待しています、。

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by evian_th | 2016-07-09 01:43 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽鉢「五柳万年青鉢」                    No.565
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◆2016年7月、。   京楽鉢「五柳青海波紋万年青鉢」


現代陶画工の第一人者である「布施覚さん」が絵付けした鉢は「布施鉢」と呼んで古典園芸界から親しまれ、絵付けの腕前も高く評価されていて、台として使用している鉢が「澤製陶所の利山鉢」とは呼ばない、。同じように「五柳寿運が絵付けの鉢」は「五柳鉢」と呼んで、愛好家垂涎的であるけど、「短冊家」とは呼ばれない、。
昭和平成と明治の秀でた二人の絵師は、それほどまでに親しまれ愛された作品を描くのである、。


「五柳・青海波紋万年青鉢」(10センチ×高さ9センチ)
「五柳」定番の「青海波紋」鉢なんだけど、五柳の鉢を掲載すると、ホッとするような安定感のある雰囲気が漂うのは、「五柳鉢」の持つ神秘的な奥深さやポテンシャルエネルギーの高さを感じさせられます、。今更面白い絵付けではないのに、見ると落ち着く、風来記サイトが安心するように思うのです、。流石ですよ、。

「五柳定番の雲形」、「五柳独自の青海波」、「段替わりの横線のピシッとした引き方」、どこを見ても「あ~、五柳だなぁ~」と感心するばかりです、。
鉢内側の「白丸とその両側の紅ポッチ」はこの鉢の場合、削り落としたか鉢を使用中に自然に落ちてしまったらしく、赤い丸状の線の中に元々の紅点の痕跡が見られます、。いい鉢ですね、。
                             (西口郁夫氏蔵)








by evian_th | 2016-07-01 00:40 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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