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2016年 夏の展示会 風蘭展                   No.562
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◆2016年6月、。


花ごよみ 夏の蘭展
時:2016年6月24日~27日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2016年7月1日~3日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)




華幸園 富貴蘭展
時:201○年○月○日・○日
所:華幸園展示場(香川県高松市生島町。ナビ用TEL:087-881-0260)



兵庫春蘭友の会 新芽会
時:2016年6月26日(11am~16pm)
所:相生園芸センター








# by evian_th | 2016-06-14 21:48 | 東洋蘭春蘭展示会
楽焼蘭鉢                          No.561
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◆2016年6月、。   古典楽焼蘭鉢


花ごよみ 夏の蘭展
時:2016年6月24日~27日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2016年7月1日~3日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)



今月の鉢は非常に判断が難しい蘭鉢です、。画像だけを普通に見れば「三河鉢」の中の優秀品と判断される人も多いかと思いますが、この鉢画像はエビアンの撮影で、撮影時に手で持って触っています、。その時の印象から、一概に三河鉢とは決められない、。京楽鉢の可能性も多いと感じたので、従前なら「古京楽」と言う分類になるのでしょうが、風来記では鉢のチョットした特徴から「大虎一群の鉢」であるかも知れないと思います、。

下に掲載の「京楽5窯の位置関係図」の内、「短冊家窯」「浮田楽徳窯」「佐々木松楽窯」は単独の窯元ですが、その後の調べで「大虎窯」というのは、どうも一つの窯を指すのではなく、3~5窯の集合体であったようです、。(誤解を招く表現でした、。祇園馬町の周辺には明治時代以来多くの陶磁器窯元があり、馬町の窯元の中で、現在のところ名前の判明しているのは”大虎窯”だけなので、祇園馬町に在った窯元の代表として”大虎窯”と書いた訳です、。今後の調べで個別の名前が判明すれば、それぞれ独立させます、。)

下に掲載の2枚目画像は、明治12年ごろの京都東山・清水寺近辺の地図です、。(この地図では上が東の方角になっています)、。
現在のように東山山麓に沿って南北に直線状に通る「東大路通り」などは無く、農道のような道が込み入ってます、。
①は、清水寺(きよみずでら)
②は、葬送の地である「鳥辺野」(とりべの)
③は、鳥辺山の南側一帯が「祇園馬町」(ぎおん・うままち)です、。
鳥辺野一帯は平安京以来1000年に渡って葬送の地であり、こんな不気味な場所に多くの陶磁器窯元が窯を開いていた訳です、。この馬町には現在も「清水焼」(きよみずやき・磁気)の窯元が多くあるようです、。
陶磁器を焼く窯元などは嫌われていたのかも知れませんね、。
徒然草に「あだし野の露きゆる時なく、鳥辺野の烟(けむり)立ちさらでのみ・・・」と書かれている通り、鳥辺野は火葬の地でした、。陶磁器窯元も煙が出ますので、そういう所へ集まったのかも知れません、。

現在の京都は観光地化されていて、清水寺へ昇る東大路通りと五条通の交差する五条の交差点は広い道路で、馬町の信号で止まっていると、1回の青信号で京阪電車からの観光客が数百人も交差点を渡り清水坂を昇って行きます、。平安京以来の屍が埋まった上を踏みつけているのも知らないで、。清水坂の右側の土産物店の裏側は「鳥辺山の墓地」なのも知らず、気味悪い場所であるのも知らず、明るい観光客で溢れています、。

「鳥辺野」の南側一帯の馬町に在った窯元の内、「楽焼鉢」を焼いて現在名前が判明しているのは「大虎窯」だけです、。風来記では、便宜上この馬町周辺の窯を「大虎窯」と表現することがあるかも知れません、。ご承知おきください、。「福井楽印窯」についてもエビアンの気持ちの中では、最近は新しい考えになりつつあります、。いずれ機会があれば、。

今月の鉢は「桐唐草に十六枚菊花一重紋」の蘭鉢です、。
菊花紋が描かれているから皇室関係献上品という訳ではありません、。菊花の花弁の描き方が雑ですし、皇室献上品の場合は「十六枚八重菊」の筈です、。まぁ、献上品は絶対に無いでしょうね、。絵付け全体も隙だらけですし、。
この鉢の良い所は、何といっても使い心地の良さそうなところです、。口径と高さのバランスがいいし、足の広がり具合も良い、。嫌味な所が感じられない、。柄物春蘭を入れると一段と映える鉢でしょう、。好もしい蘭鉢に仕上がっています、。使い勝手の良さそうな蘭鉢です、。
大正時代から昭和初期の製作、。口径13cm高さ17cm、。(鈴木学氏蔵)


下画像の地図は大きめサイズで掲載しています、。画像をクリックして拡大してご覧下さい、。
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以前風来記ページか奥部屋かに「京楽鉢に第六の窯元が在ったかも知れない」と書いた時に、エビアンの頭にあったのは下画像の、「足が腰へ着く部分を横から見ると、ポコンと丸く出た一群の鉢」です、。
この鉢は窯元不明のままに置くにはあまりにも惜しい鉢なのです、。台の作りもいいし絵付けも非常に巧み、。高級感あふれる鉢に仕上がっています、。この鉢の窯元名は是非とも調べたいと願っています、。

陶磁器の資料を調べていても「楽鉢」は本当に出て来ないのです、。大々的な登り窯などは必要が無く、民家のような家の中で焼けてしまうものですから、陶磁器窯元として資料に出て来ない場合が多いのです、。短冊家さんでさえ資料的には出て来ないのですよ、。
浮田楽徳は出て来ました、。しかしそれも「楽焼を焼いたらしい」というような短い一文だけです、。「植木鉢を焼いた」とは出て来ません、。植木鉢を焼く事は陶磁器窯元としては恥ずかしい事だったかのように、「楽焼」とは出ても「楽鉢」とは書いてありません、。「京楽」や「大阪楽」を調べるのは想像を超えて困難な作業なのです、。それでもなお、下画像の鉢の窯元は突き止めたいと思っています、。

「祇園馬町」の周辺も不明な窯元が多いのですが、エビアンが気になっているのは、東山の「八坂神社や知恩院の裏側」にあたる「粟田口近辺」です、。この辺にも江戸時代以後、陶磁器、特に「陶器の窯元」が集まっていた記録があります、。下画像の鉢は、この辺の「粟田焼」「京薩摩焼」の系統に属する鉢ではないかと考えています、。
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「京都平安京」を開いた「桓武天皇」という人は大変な怖がりでした、。
京都に都を開くに当たり、「四神相応の土地」にすべく、東に琵琶湖からの流れを引き「青龍の気」とし、南に「巨椋池」を置いて「朱雀の気」とし、西に「西国街道」を引いて「白虎の気」とし、「北に北山」があって「玄武の気」としました、。
都の東西南北に大きい石を置いて「岩倉」とし「荒ぶる神様であった素戔嗚尊(すなのおのみこと)」を降臨させて都を護らせ、「大将軍八神社」を置いて都の守りとし、死者の怨霊を閉じ込めるために変死者が出るとその場所に多くの寺を建て、死者の怨霊を弔う「祇園祭」をし、陰陽師安部の清明のような「陰陽師」に「式神」を使って悪霊を払わせ、「白拍子」「かむろ」を使って市民を見張らせたほどです、。また、北東の「表鬼門」には数々の「鬼門除け」の神社を置き、北東の奥には「比叡山延暦寺」を置いて「表鬼門払い」としたのです、。

「表鬼門」をそれほどまでに気味悪がったのに、吉祥事が入って来る南東の「風門」の「鳥辺野を火葬の地」とし、主人(桓武天皇自身)を護る北西の「天門」に「風葬の地・化野(あだしの)」を置いたのが、どうにも合点が行かないのです、。

◆在りし日の「巨椋池」(おぐらいけ)
京都十条の辺から宇治市を含み、南は大阪・淀の競馬場までを含むほど大きい池でした、。湖と呼べるほどの広さがあったのです、。南の「朱雀の気」を失うわけです、。これを埋め立てると京都が四神相応の地ではなくなるのに埋めてしまったのでした、。
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明治から昭和20年頃へかけて埋め立ててしまった、。近年話題の伊藤若冲が描いた「蓮の葉の下を泳ぐアユ(鮎)」は、この巨椋池でのみ見られる光景でした、。(蓮は濁った水に咲き、鮎は清流を好みますから、伊藤若冲の代表的な絵の中に「蓮の葉の下を泳ぐ鮎の絵」があるのはおかしいのではないか、という文句をつける学者が居り、調べた結果「巨椋池」でのみ見られる現象だったことが判明しました、。伊藤若冲の観察眼の鋭さが見直された出来事でした)、。







# by evian_th | 2016-06-01 00:14 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽長生蘭鉢                        No.560
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◆2016年5月、。   京楽鉢・石斛鉢


5月の鉢は「長生蘭鉢」、。
江戸時代後期1830年頃から、京都の公家を中心に流行し始めた「長生蘭」、。明治時代に入ってからは一般の町衆にも広まり「長生蘭鉢」も作られたのですが、現存数は非常に少ないものです、。
1835年には「長生草」という色刷りの本も出版されている所を見ると、ある程度の流行はあったのだろうと推察できますが、今に残る鉢は少数です、。「長生草」に描かれた鉢も見かけません、。
流行は京都から始まり、どこまで流行したのかをエビアンは知りません、。江戸まで広まったのかどうかが、今月の画像の鉢の特定に影響します、。

今月の鉢は、一見して「手島揫二窯」の製品ではないことは風来記御常連なら見抜いておられる事でしょう、。やはり「京楽鉢」と見るのが妥当だと思います、。

2の足、3の足を左右揃えると1の足が芯をそれる事から「短冊家」と見える人もおられると思いますが、「短冊家」と決めるには何か微妙な違和感があります、。「短冊家」も「大波紋」は描きます、。この鉢の大波紋も「光琳波」に似て品良く描かれてます、。大波を描いた絵具が貫入の様にひび割れているところは「短冊家」らしくないと思います、。波涛紋の描き方も「短冊家」らしくない、むしろ「手島風」です、。
「大波」の上部には鉢縁下までイッチンで点々を打ってますが、等間隔すぎて短冊家風ではない、などと感じてしまうのです、。

鉢底は轆轤挽きの糸切り痕も鮮明で、真っ平らに作られており、非常に好もしい印象を受けます、。一般論として、時代が下るほど鉢底にはクレーター状に傾斜が付けられる傾向がありますから、この点だけを見れば”台の作りは古い”と見えます、。そこが迷わせられる所ですが、全体を総合して、エビアンは「佐々木松楽窯」の製造だろうと思うのです、。それとても決定的な確信があってのことではありませんが、。

大波紋の絵の具使いに色気があって、鉢下部に良さがあり、何とも好ましい鉢です、。
口径13センチ・高さ8センチ、(飛田邦之氏蔵)





兵庫春蘭友の会 新芽会
時:2016年6月26日(11am~16pm)
所:相生園芸センター





# by evian_th | 2016-04-30 11:15 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼「佐々木松楽窯雲龍図万年青鉢」             No.559
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◆2016年4月、。   京楽焼「青海波に雲龍図佐々木松楽窯万年青鉢」


さて、気候温暖な春4月に入りました、。

今月の「万年青鉢」は、先月の「蘭鉢」と同じ所有者さんの鉢です、。
先月の鉢は、こう言うと何だけど、少し見劣りのする鉢でしたが、今月の鉢は絢爛にして豪華な絵付けが施された飾り鉢です、。
つまり、「鉢数寄旦那」であろうとすれば、商人が持って来る鉢を「これは要るがこれは要らない、」と言っていると商人が良い鉢を持って来なくなる、。「そうかそうか」と全部受けてやれるだけの資金力と気持ちの余裕が必要な訳です、。そうすれば、三度に一度くらいは「これは、」という良い鉢も集まろうというものです、。これが、日本中でも鉢数寄者がほんの数えられる程度しか居ない理由です、。半端に鉢が見えると駄目で、何も分からないふりして全部買い受ける度量が必要になるのです、。(だからエビアンには鉢が集まらない、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。)


「京楽焼佐々木松楽窯青海波に雲龍図万年青鉢」、。

「金」(きん)をふんだんに使った豪華な絵付けですね、。このスレッド下方に掲載の鉢も同じ窯元の似た絵付け鉢です、。腰部分に段替わりの横線が入っている所くらいの違い、。
雲は丁寧な縁取りを施した「瑞雲」、青海波の描き方は佐々木窯の特徴を表しています、。龍は右向き、。佐々木窯が「龍の置物の製作」から始まった事を象徴するような見事な「龍図」です、。
言う事無し、。明治時代後期の製作、。口径14cm,高さ16.5cm、。(新倉善秀氏所蔵)




こちらの鉢は、現在の所有者不明です、。
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北関東中国奥地蘭愛好会主催「九華を鑑賞する会」
時:2016年4月29日・10時~15時
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室





# by evian_th | 2016-04-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
春季展示会2016     No.554
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◆2016年      春季展示会(春蘭展示会)


059.gif展示会は必ずしも日付の早い順には並んでいませんので、ご注意下さい、。.....040.gif.....



大阪東洋蘭会 2016年 春季展示会
時:2016年3月13日。(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 第45回春蘭展示大会(全春連)
時:2016年3月19日・20日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)




北関東中国奥地蘭愛好会展示会
時:2016年2月27日・28日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室




兵庫春蘭友の会 春蘭遅花展示会
時:2016年3月26日~3月30日
所:相生園芸センター




中部蘭趣会 春蘭展示会
時:2016年3月11日・12日・13日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




愛知県春蘭合同展示会
時:2016年3月18日・19日・20日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




紀州蘭友の会 春蘭展示会
時:2016年3月12日・13日
所:オークワ パームシティー和歌山店3階(和歌山市中野31-1)




全日本東洋蘭 春季美術品評大会(全東連)
時:2016年3月18日・19日
所:東京蒲田 プラザアペア




蘭遊楽座 花物展
時:2016年3月6日
所:東京 大森 「大林寺」




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# by evian_th | 2016-03-03 00:51 | 東洋蘭春蘭展示会
楽鉢「龍虎図蘭鉢」                     No.558
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◆2016年3月、。   楽鉢「龍虎図蘭鉢」


楽鉢「龍虎図蘭鉢」、。
窯元はおろか製造地さえも不明の蘭鉢です、。
龍の角と火焔に使われている朱紅の顔料と、虎の足元の竹の葉(笹)に使われた青色絵具などから製作年代は少し下り、大正時代から昭和初期頃の製作だと思われます、。
足裏の土が剥げ落ちている部分を見ると、陶土は白く砂混じりの陶土であることなどからある程度の生産地は想像できますが確実ではありません、。

蘭界や萬年青界に現存する鉢の内で、窯元や産地が判断できるものは約半分程度に過ぎず、残り半分の鉢は判断不能なものです、。判断が付くものは貴重だと言えます、。
14×h16.5cm、。(新倉善秀氏蔵)









# by evian_th | 2016-03-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽鉢「隠し絵付け蘭鉢」                    No.557
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◆2016年2月、。   楽鉢「隠し絵付け蘭鉢」


新年なのだから、パッと華やかな鉢画像が良いと思ったのだけど先月の鉢画像は地味過ぎた、。それで今月は華やかで賑やかな鉢画像、。

この鉢の画像を見た時には「1の足」を見て「松をアレンジして描いてある」ものとばかり思ってました、。今月掲載しようと思って見直すと、なんと「隠し絵」になっていた事を知ったという次第、。

隠された本当のテーマは「加茂黒釉部分を塗り残した唐獅子」と白色泥漿で描かれた「牡丹」の図、。
”唐獅子ぼーた~ん~♪♪”なーんてのは演歌の世界かヤクザの彫り物かと思っていたら、ものの本によると意外にも古く、元はライオンをアフリカや中東でデザイン化した図柄だったものが中国へ伝わり、日本へは中国の唐の時代の紋様が伝わったので「唐獅子紋」と呼ぶらしいです、。「獅子」は中国でデザイン化される内に「目出度い神獣」としての側面を強め、頭と首と尾には「火焔状の渦巻く毛」を持つように変化して行ったようです、。同じく吉祥紋の牡丹と併せるデザインも中国伝来のもの、。

その「唐獅子牡丹紋」を「塗り残しの隠し絵」にしたこの絵師の腕前は大したものだけど、なんしろ「隠し絵」だから「足の正面」へメインテーマを持って来る訳には行かず、「獅子は足と足の間」に置くという矛盾に直面している所が、なんとも笑えますね、。
まぁ、獅子図の蘭鉢は多く見たけれど、この鉢が一番上手く獅子を描いていると感じます、。

窯元は不明、。京都かどうかさえも不明です、。エビアンは直感的に足の横から画像の形と加茂黒の肌理の質感から「福富京楽堂」だと感じましたが、福富の他の鉢の絵付けとは違い過ぎるとは思っています、。
短冊家と楽徳窯と佐々木松楽窯とは外しても良いと思います、。段替わりを取らず、でも腰部分には紋様を描いてあるので「総絵付け」とは呼べず、こういう点が「伝統紋様」を継承していないと思われ、そのことが「京都以外の鉢」と思わせるのです、。(佐々木松楽窯は有りかも知れないな~)、。

台の作りは硬そうで非常に良く、絵付けの腕前も上手く、しっかりと作られています、。顔料は、白と金以外に緑色、紫色、赤色、空色、が使われており、顔料の多彩さがこの鉢の製作年代が明治後期頃であろうということを示しています、。派手で目立つ鉢に仕上がっており、欲しいと思わせる逸品です、。(口径14センチ、高さ18センチ。飛田邦之氏蔵)







# by evian_th | 2016-01-30 12:59 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼「短冊家牡丹模様万年青鉢」               No.556
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◆2016年1月、。   短冊家「緑土牡丹模様万年青鉢」


本年も「風来記ページ」を宜しくお願いします、。


京楽焼・短冊家「緑土牡丹紋様万年青鉢」、。(口径14.5センチ、高さ14.5センチ)
昨年1月の蘭鉢と同時代・同一窯の万年青鉢です、。緑土の種類が少し違いがあり、昨年の蘭鉢とは緑土が違いますね、。
「「鉢縁下」(はちべりした)」と「腰」部分は「鋸歯紋(ぎょしもん)」、。段替わりを取った中央の胴部分には牡丹と他に1種の花模様を描き無難に上手に仕上げてあります、。「緑土」の他は「白色」と「金色」のみを使った地味な絵付けですが、こういう風な顔料で仕上げられると「時代」が読み難いものです、。


昨年末の「園芸ジャパン誌」に「楽鉢」の由来や歴史を書きましたので、今ただちに書く事もあまり無いのですが、個々の窯元作品の見分け方や特徴は避けました、。そういう事は、この「風来記ページ」の過去スレにさんざん書いています、。本のページ数にも限りがありますから、。


「楽鉢」の「窯元判断」で最も難しいのが、この「短冊家」と「手島窯」とです、。
「短冊家」の場合は、他の全ての窯元が短冊家作品を目指したのですから、「短冊家もどき」や「なんちゃって短冊家」が多く存在し、判断に苦しみます、。
というのも、「短冊家」は西暦1820年頃から現在に至るまで、200年近い製作年数があり、「短冊家の鉢」であっても、時代によって、また蘭鉢か万年青鉢かの違いによって、また鉢の大きさによって、デザインや陶土、加茂黒釉薬、が微妙に違うからなのです、。「足の形」一つ取り上げても「短冊家の足はこういう形」というものがありません、。箇条書きに出来るほどの具体的な違いではありません、。しかし、微妙ぉ~に「短冊家の足は、こういうのもある、またこういう風に作られたものもある、しかーし、こういう形は無い、」という風な違いはあります、。これは口では言えませんし、一言で言えるような具体的な物でもありません、。

まぁ強いて言うなら、「短冊家の鉢にはパイオニアとしての風格がある」という事でしょうか、。そこを見るのが最も判断し易い「短冊家製品の見分け方」ということでしょう、。誤魔化して言うのではありません、。正直に言うなら、そういうことです、。

画像の鉢は、園芸ジャパン誌1月号に掲載写真中、「翆蓋縞」が植わっている鉢です、。口径と高さが同じという見た目に良いバランスに作られています、。これを「胴返し」と呼ぶのだと思います、。

1枚目画像・2枚目画像のように、2の足、3の足、の左右の見え方を揃えると、1の足が曲がったように見える、というのも全部ではありませんが短冊家鉢の一つの特徴です、。

明治中期頃の製作の鉢かな、。


◆この「楽鉢絵付けに使われる緑土」は、土製顔料のテールベルトであると思っています、。
江戸時代には「陶磁器用の緑色顔料」は存在しました、。透明感のある美しい緑色の顔料です、。この古くから使われた「緑色顔料」は、銅山の副産物として「岩群青(アズライト)」と一緒に出て来る「マラカイト(岩緑青)」だろうと思われます、。京焼や1800年代初頭の楽鉢にも一部使われましたが、透明感のある美しい緑色顔料です、。
上掲の短冊家鉢などの楽鉢に使われた緑色は、透明感の無い(不透明な)土性顔料です、。
”緑色の土”そのものが顔料になっています、。透明感は無く、白色を混ぜたような不透明な緑色で、江戸時代に使われた中国産の岩緑青とは別物です、。
◆江戸後期の緑色には「岩緑青」が使われ、幕末から明治時代には「緑土(テールベルト)」が楽鉢に使われて、同時代に用途に応じて2種類の緑色顔料が使われる状態でしたので、一応書き添えておきます、。
(京焼の緑色は中国産岩緑青、幕末明治の楽鉢は緑土、という訳です)、。









# by evian_th | 2016-01-04 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
奥地蘭・蓮弁蘭                        No.555
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◆2016年元旦、。


昨年末には「100万アクセス」を頂きまして、御礼申し上げます、。
本年も楽しんで頂ける記事を掲載できるように努力いたしますので,何卒宜しくお願いします、。









# by evian_th | 2016-01-01 08:53 | 奥地蘭(中国蘭)
瑠璃釉薬の顔料                        No.553
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◆2015年12月10日、。   楽鉢「瑠璃釉薬の顔料」

ここ最近、急に「楽鉢スレ」が多いのは、もう今日明日にも皆さんの手元に「楽鉢特集の園芸ジャパン」が届くので、その文中に抜けている箇所の補足をしておきたいと思っての事です、。

上段に掲載の鉢画像は、江戸明暦2年(1656年)に(今の)大阪府堺市に窯を開いた「楽忠」や「楽雅亭」の鉢です、。
京都の「楽本家筋」の窯元であっても、京都で開窯することは許されず、楽家所縁の堺での開窯でした、。朝廷の引立ても無く自分で楽焼を製造し販売して行かねばならない立場だった訳です、。「茶道のお茶碗」や「食器」としての楽焼は評判が悪く、売れなかったようです、。生活のためにはあらゆる陶器製品を作った事でしょう、。
そうした状況で「楽忠」や「楽雅亭」が「楽焼植木鉢」を作るに至るのには、時間を要しなかったと思います、。案外早い時点、開窯からほんの2~3年以内には「植木鉢製作」を始めたと思います、。生活のために何か売れ筋商品を作る必要があったからです、。


東洋蘭風来記では、過去に「風来記ページ」で、上掲の楽鉢の花模様に塗られている「瑠璃釉」の原料は「ラピスラズリ」だったのだろうと書きました、。「ラピスラズリ」の和名が「瑠璃」であるという単純な理由からです、。
ところが、その後、調べてみても、1600年代の陶器の瑠璃顔料は何を用いたのかは不明のままで、「ラピスラズリ説」を肯定も否定も出来ない状態なのです、。

可能性から最も考えられる原材料顔料は幾つかあり、それらの内のどれかだろうとは思うのですが、特定には至っておりません、。

◆「岩群青」(いわぐんじょう)というのは「アズライト」の事です、。2枚目画像の石です、。
銅山の銅鉱脈から産し、「マラカイト」がくっ付いた状態で採掘されます、。「マラカイト」は和名を「孔雀石」といい、それから作る顔料は「岩緑青」(いわりょくしょう)と呼ばれ「緑色の顔料」です、。
「岩群青」は時間が経つと酸化して「岩緑性」に変化するので、この両者は同時にくっ付いた状態で出て来るのです、。
欧州ではフレスコ画の空を描いたりするのに用いられますが、時間が経つに従って「緑色に変化」して来るようです、。
日本での銅山の発見は古く、「栃木県の足尾銅山」が1550年頃には発見され、1610年には幕府が採掘を始めていますから、同時期には「岩群青」(アズライト)も採掘された事でしょう、。

ところが、当時「陶磁器界」で顔料としたのは、足尾銅山のものではなく、「中国産の岩群青」なのです、。
この中国産岩群青が純粋なアズライトだったのかどうかは問題です、。上の鉢の瑠璃色の浮彫紋に塗られた「瑠璃釉」の色は、緑色にも変化せず非常に安定しているようですから、単純に「支那岩群青」と決め付ける訳にも行きません、。

◆「岩紺青」(いわこんじょう)、江戸時代1700年初頭に作られる「プルシアンブルー」と区別するために、日本古来からある方を「岩紺青」としたが、暗い色をしていたというから「岩群青」のことらしい、。

◆「花紺青」(はなこんじょう)というのもあります、。原石は「スマルト」といい、明るい青色の顔料です、。「ラピスラズリ」(瑠璃)や「アズライト」(岩群青)の代用品として使われた古い時代からある顔料です、。

◆江戸初期1600年代は、「第一次京焼隆盛期」に当たり、京焼の名工「野々村仁清」や「尾形乾山」(絵師尾形光琳の弟)が出て、名作品を今に残しています、。
この「野々村仁清」が絵付けに使った顔料は、「緑色は岩緑青」、「紺色は中国産岩紺青」、「紫色は支那呉須と丹土と金珠との混合」を使用しており、「野々村仁清」と「忠右衛門」や「宗味」とが交流があった事が証明されれば、此の線も可能性は出て来ます、。調合法を教えられないと出せない色だからです、。

◆「ラピスラズリ」(瑠璃)の線もまだ可能性としては残っています、。

そういう訳で、1600年代に「あの楽焼鉢」に「瑠璃色の花模様」を描いた顔料は、今時点では特定できていません、。今回の「園芸ジャパン」では、ここの説明が抜けています、。それでフォローしておきます、。


◆「ラピスラズリ」(瑠璃原石)には”夢”がありました、。
玄奘三蔵が天山南道を旅した7世紀、新疆ウイグル自治区キジル国は仏教がもっとも発達した土地でした、。「庫車」(クチャ)の西方67キロにある亀慈(キジ)は大いに栄えており、仏教文化が花開いていたのです、。その中から生まれた「キジル青の石窟」で青色顔料として「ラピスラズリ」は発見されたのです、。
西欧人が西へ持ち帰り、シリアからは船に乗せてヨーロッパで売られ「ウルトラマリン顔料」として金(GOLD)よりも高価に取引され、その深い青色に魅せられたのが、1600年代オランダデルフトの画家「フェルメール」だったので「フェルメールブルー」と呼ばれるようになります、。

どうせ顔料が特定できないのならば、当時の日本・中国での「瑠璃顔料」は「瑠璃と岩群青の混ぜ物」だったというくらいな方が夢があって楽しかったと思います、。



尚、江戸後期1800年代になってからは、「楽忠」「欽古堂亀祐」「頂山」などが風来記でも過去にご紹介した「赤土六角鉢に瑠璃浮彫紋」とか「紀州偕楽園の瑠璃六角鉢」とか、今月トップ画面の「短冊家瑠璃浮彫鉢」とか、数多くの「瑠璃釉薬」を施した鉢が登場します、。、時代が100年以上も経った後では、どんな顔料が使われたのかは不明ですが、1600年代の顔料と同じでは無いと考えています、。

1730年頃には、ドイツで「コバルト」という金属が特定されているから、そこから後の時代の鉢は何が使われても不思議ではなく、様々な顔料で「瑠璃色」を出せたのだと思います、。




大阪東洋蘭会 2016年 春季展示会
時:2016年3月13日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会







# by evian_th | 2015-12-10 02:12 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽徳と五柳の共通点                      No.552

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◆2015年12月7日、。   楽徳と五柳の共通点


浮田楽徳と五柳寿運の共通点、。
「楽鉢」の調べ始めの頃には、誰でも同じだと思うけど、「五柳鉢」の魅力に魅かれる、。自分で五柳鉢を持つチャンスも無い頃には五柳鉢の画像を送ってもらって、その特徴を観察し研究した、。

「古典楽焼鉢」を見ていて、今も不思議に感じる事の一つに、「これほどの高級絵付けを施した工芸品なのに、宗教の影響を感じない」ということがある、。西欧諸国の民芸品・工芸品でも、中近東もアジアでも、普通なら「宗教から影響を受ける」ものが多いからだた、。
現在に残る「楽焼鉢」の多くが作られたのは江戸後期から明治・大正・昭和初期のものであって、仏教・神道・の影響を受けた絵付けがどこかで描かれても不思議ではない思う、。

そう思いながら見ていた時に目に止まったのが「五柳鉢」にのみ描かれた「雲形」(くもがた)だった、。「雲形」は神社仏閣や日本家屋の「入母屋作りの屋根の頂上(三角形の頂点)に「木製で作る飾りのこと」だ、。
この「雲形」のみが、まぁ宗教の影響を受けた絵柄と言えると感じた、。それで初めの頃に「五柳は狩野派絵師の仏画の影響を受けた絵師だ、」という風に「風来記ページ」にエビアンが書きこんだ、。
その時点では、「雲形を描いた鉢は五柳寿運の鉢」でしか知らなかったのだた、。
萬年青界で出版されていた本にも「五柳は狩野派絵師の影響を受けている」と書いてあったが納得した、。

それから後、千葉県の某園芸店の園主さんが最上段に掲載の鉢を持っている事を携帯電話でスナップ撮影し、画像を送ってくれた人が居た、。足を正面にした位置での撮影画像だったし、当時の携帯電話画像じゃハッキリとは写ってなかったけれど、足の横の腰部分に「雲形らしき絵付け」が描かれているのが、かろうじて見えた、。デジカメで撮影した画像も送ってもらって、「これは雲形だ」と確信した、。

その鉢はヘリが割れた繕い鉢だった、。が、何としても欲しい、。見た所では「浮田楽徳の鉢」である、。「楽徳にも雲形を描いた鉢があった」という思いで、どうにも入手したくなった、。人を通じて根気よく交渉してもらった、。1年半を過ぎるころに持ち主さんから譲ってもいいと連絡を受けて入手した鉢なのだ、。

鉢の腰部分を撮影してみると、実に手馴れた調子で「雲形」が描かれている、。「金泥のイッチン描きか筆描きか」は判らないけど、雲形が描かれている、。
描かれた「台の鉢の古さ」から、「これを最初に描いたのは浮田楽徳の方」であると直感した、。

なぜ「楽徳と五柳のみが雲形を描くのか」と考えると、二人は狩野派の大和絵師であったのであろうと結論出来た、。こういうのは先輩絵師が描くのを見ていないと描けない、。さらに言えば、その紋様の持つ意味を理解していたからこそ描くことが出来た紋様だったろうと思う、。
浮田楽徳は1830年生まれの狩野派絵師で、師匠の復古大和絵師「浮田一蕙」を直接見ていたのは楽徳の方だけであると思う、。五柳は絵付け鉢の完成度の新しさから、楽徳よりも30歳くらい年下の絵師だったろうと思う、。

雲形は、五柳の方が多く絵付けしている、。「鉢縁下」(はちべりした)や段替わりの線の間にも書く事がある、。楽徳は鉢縁の上側(上面)に描くことがあるが胴部分に描くことはあまりない、。



極く稀に、二人とは全く無縁の後世の偽絵師によってヘンテコリンな雲形を描いた鉢を見受けることもあるが、これはどなたがご覧になっても見分けられる、。





# by evian_th | 2015-12-07 01:34 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢                  No.551
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◆2015年12月、。   短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢


師走~、。
本年も「東洋蘭風来記」をご覧いただきまして、ありがとう御座いました、。寒い季節ですから、お身体をお大切にお過ごしください、。


短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢、。

「楽焼鉢」ではありませんが、楽鉢窯元の短冊家の極く初期の頃の製作になる鉢で、非常に珍しいのでご紹介、。
よほど大切に保存されて伝わって来た鉢の様子、。一見すると新しそうに見える鉢ですが、この鉢は製作されてから200年経っています、。江戸後期・文化文政年(1804年~1829年)の製作だと思います、。


この鉢を作るには、一般の楽焼窯元にとっては誰かに2つの事を教わらないと製作できない鉢なのです、。
◆柔らかい感じのする半磁器(磁陶という)の作り方
◆型押しの方法と6枚の面の張り合わせ技術
この事を一人で教えることが出来たのは、江戸後期の第二期京焼ブーム時に出て来た京都の陶工「欽古堂亀祐」しか居なかったと思われます、。


「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)明和2年(1765年)生まれ、天保8年(1837年)没は、毎度御馴染みの「奥田頴川」(おくだえいせん)の門下生の筆頭とも言って良い程の存在、。奥田頴川は亀祐よりも12歳年上で、家業の質屋は弟に任せて京都三条粟田口に窯を開き、中国陶磁を学びながら人柄を慕って寄って来る多くの陶工を育てた後期・京焼盛隆の功労者です、。
この奥田頴川が「磁陶」の作り方を門下生に教えたのでのです、。後に欽古堂亀祐が陶芸指導に行く「三田青磁」なども、この「磁陶」の分類に入る焼き物です、。
当時の京都粟田口には陶磁器の窯元は多く、清水焼のような硬質の白くて硬い磁器とは違って、温かみのある焼き物です、。

また、欽古堂亀祐は京都伏見の「伏見人形作り」の家の出身、。伏見人形は前姿と後姿とを別々の2枚の木型に押し付けて陶板を作り、薄く溶いた陶土で張り合わせて作ります、。この「木版に押し型技術」と「張り合わせ技術」とで一体の人形を作るのです、。

これら2つの技を併せ持った陶工は欽古堂亀祐だけだったと思われ、初代短冊家が祇園短冊楼から窯を開いた時期と亀祐が活躍した時期とが一致するのです、。


短冊家初代は余程研究熱心な人だったらしく、亀祐に執拗に頼み込んだのでしょう、。というのも、普通一般的には、6面の神獣の鉢を作るには、同じ獣が繋がらないように、2~3種の版木を使用して別々の神獣を繋げる筈なのですが、画像をご覧頂くとお分かりのように、全部が同一の神獣です、。つまり亀祐は版木を1枚だけしか短冊家に使わせなかったものと思われます、。

そういう苦労をして短冊家初代はこの鉢を製作したのです、。その研究心は脱帽ものです、。
江戸後期なのにテールベルトが手に入らない筈なのに緑色があるじゃないか、と思われるでしょうが、ここに使われる顔料は日本古来(といっても、江戸時代直前の頃)からある顔料で、江戸初期の陶工・野々村仁清などが使用した天然顔料で、主として磁器専用のものです、。透明感があり、非常に高価な顔料だったのだろうと思います、。

鉢裏には初代が使ったと思われる「短冊堂」の落款、。
この鉢は、エビアンが知る限りは2個現存し、他に盆栽界の蒐集家に残っているとしても、あと1~2個でしょう、。大量に作るほどは亀祐も木型を貸さなかったと思われるからです、。
いずれにしても非常に貴重な鉢であることは間違いのない事実です、。
贅沢を言わせてもらえるなら、少しは使っておいて欲しかったですね、。時代乗りが欲しかった、。
(現在の所有者は不明)









# by evian_th | 2015-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢特集号が出るらしい                   No.550
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◆2015年11月22日、。   「楽焼鉢特集号」が出版されるらしい


「園芸JAPAN」誌が次の号(12月14日発売)で「楽焼鉢特集」を出すらしい、。
それでエビアンに「楽焼鉢の歴史」についての原稿依頼が来た、。

まぁ、いずれは「楽焼鉢」もネットのバーチャル空間で取り上げるだけではなく、リアルの世界で活字にするべきなのだろうけど、突然に言われるとまごついてしまう、。
ネットでは、その時々に思い付いた話題を断片的に取り上げてればすむ話でも、出版物となると、その生い立ちから連続して時系列に沿った形で論じなければならないという難しさがある、。

そもそも、「ネット東洋蘭風来記」を見て下さっている人以外は、「楽焼」や「楽焼鉢」が江戸時代に大阪で焼き始められた事すら御存知ないわけです、。いきなり「楽焼は大阪焼から始まった、」と聞けば気を失いかねない、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

でも「大阪焼」から始めないと話が進まないから、今回初めてリアル世界に「大阪焼」(大阪楽)を登場させる決断をした、。その後、江戸時代後期になって、楽焼植木鉢は「京都」へ移るのですが、「京楽焼」は「短冊家」と、証拠が出て来てしまった「佐々木松楽鉢」だけで済ませて、その他は「その他古京楽」に分類してお茶を濁そうと思ったのに、一群の銘絵付けを施した「浮田楽徳鉢」を「古京楽」に分類する訳にも行かず、「浮田楽徳窯」も初めてリアル世界デビューさせることになってしまった、。

同じく、明治時代にカタログまで発行している「東京楽」の「福富京楽堂」も隠す訳には行かない、。で、出すことになった、。


今までネットをしない人、東洋蘭風来記を見た事も無い多くの人、にとっては驚天動地モノだろう思う、。
人を驚かせて喜ぶような趣味は持ち合わせてない、。それでここしばらくは奥部屋更新や余剰苗にも気分が乗らず、考え込んでました、。
ネット上で楽しんで来ただけだったし、出版物にしたいとも思ってなかったので気分が乗らなくて考え込んでた、。まぁしようがない、いつかはこういう日が来るのは必然だったのだろうと腹を決めたところです、。

ネットとリアルとの間にどれほどの温度差があるのかを知ることも楽しい、。

(掲載画像は短冊家(だと思う、下の方は怪しいけど)、青蔭さん所蔵)




# by evian_th | 2015-11-23 00:37 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭風来記、お陰様で満11年                 No.549
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◆2015年11月、。   「東洋蘭風来記」満11年



「東洋蘭風来記」、お蔭様で満11年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満11年>




# by evian_th | 2015-11-17 13:16 | 東洋蘭(春蘭)
秋季冬季・展示会情報                      No.548
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◆2015年11月、。   東洋蘭・秋季冬季展示会情報



兵庫春蘭友の会 秋季柄物展示会
時:2015年11月29日(11:00am~16:00時)
所:相生園芸センター内
参加費:500円


杭州寒蘭展示会
時:2015年12月5日・6日
所:三重 メッセウイングみえ












# by evian_th | 2015-11-14 09:32 | 東洋蘭春蘭展示会



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