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京楽焼「短冊家牡丹模様万年青鉢」               No.556
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◆2016年1月、。   短冊家「緑土牡丹模様万年青鉢」


本年も「風来記ページ」を宜しくお願いします、。


京楽焼・短冊家「緑土牡丹紋様万年青鉢」、。(口径14.5センチ、高さ14.5センチ)
昨年1月の蘭鉢と同時代・同一窯の万年青鉢です、。緑土の種類が少し違いがあり、昨年の蘭鉢とは緑土が違いますね、。
「「鉢縁下」(はちべりした)」と「腰」部分は「鋸歯紋(ぎょしもん)」、。段替わりを取った中央の胴部分には牡丹と他に1種の花模様を描き無難に上手に仕上げてあります、。「緑土」の他は「白色」と「金色」のみを使った地味な絵付けですが、こういう風な顔料で仕上げられると「時代」が読み難いものです、。


昨年末の「園芸ジャパン誌」に「楽鉢」の由来や歴史を書きましたので、今ただちに書く事もあまり無いのですが、個々の窯元作品の見分け方や特徴は避けました、。そういう事は、この「風来記ページ」の過去スレにさんざん書いています、。本のページ数にも限りがありますから、。


「楽鉢」の「窯元判断」で最も難しいのが、この「短冊家」と「手島窯」とです、。
「短冊家」の場合は、他の全ての窯元が短冊家作品を目指したのですから、「短冊家もどき」や「なんちゃって短冊家」が多く存在し、判断に苦しみます、。
というのも、「短冊家」は西暦1820年頃から現在に至るまで、200年近い製作年数があり、「短冊家の鉢」であっても、時代によって、また蘭鉢か万年青鉢かの違いによって、また鉢の大きさによって、デザインや陶土、加茂黒釉薬、が微妙に違うからなのです、。「足の形」一つ取り上げても「短冊家の足はこういう形」というものがありません、。箇条書きに出来るほどの具体的な違いではありません、。しかし、微妙ぉ~に「短冊家の足は、こういうのもある、またこういう風に作られたものもある、しかーし、こういう形は無い、」という風な違いはあります、。これは口では言えませんし、一言で言えるような具体的な物でもありません、。

まぁ強いて言うなら、「短冊家の鉢にはパイオニアとしての風格がある」という事でしょうか、。そこを見るのが最も判断し易い「短冊家製品の見分け方」ということでしょう、。誤魔化して言うのではありません、。正直に言うなら、そういうことです、。

画像の鉢は、園芸ジャパン誌1月号に掲載写真中、「翆蓋縞」が植わっている鉢です、。口径と高さが同じという見た目に良いバランスに作られています、。これを「胴返し」と呼ぶのだと思います、。

1枚目画像・2枚目画像のように、2の足、3の足、の左右の見え方を揃えると、1の足が曲がったように見える、というのも全部ではありませんが短冊家鉢の一つの特徴です、。

明治中期頃の製作の鉢かな、。


◆この「楽鉢絵付けに使われる緑土」は、土製顔料のテールベルトであると思っています、。
江戸時代には「陶磁器用の緑色顔料」は存在しました、。透明感のある美しい緑色の顔料です、。この古くから使われた「緑色顔料」は、銅山の副産物として「岩群青(アズライト)」と一緒に出て来る「マラカイト(岩緑青)」だろうと思われます、。京焼や1800年代初頭の楽鉢にも一部使われましたが、透明感のある美しい緑色顔料です、。
上掲の短冊家鉢などの楽鉢に使われた緑色は、透明感の無い(不透明な)土性顔料です、。
”緑色の土”そのものが顔料になっています、。透明感は無く、白色を混ぜたような不透明な緑色で、江戸時代に使われた中国産の岩緑青とは別物です、。
◆江戸後期の緑色には「岩緑青」が使われ、幕末から明治時代には「緑土(テールベルト)」が楽鉢に使われて、同時代に用途に応じて2種類の緑色顔料が使われる状態でしたので、一応書き添えておきます、。
(京焼の緑色は中国産岩緑青、幕末明治の楽鉢は緑土、という訳です)、。









# by evian_th | 2016-01-04 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
奥地蘭・蓮弁蘭                        No.555
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◆2016年元旦、。


昨年末には「100万アクセス」を頂きまして、御礼申し上げます、。
本年も楽しんで頂ける記事を掲載できるように努力いたしますので,何卒宜しくお願いします、。









# by evian_th | 2016-01-01 08:53 | 奥地蘭(中国蘭)
瑠璃釉薬の顔料                        No.553
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◆2015年12月10日、。   楽鉢「瑠璃釉薬の顔料」

ここ最近、急に「楽鉢スレ」が多いのは、もう今日明日にも皆さんの手元に「楽鉢特集の園芸ジャパン」が届くので、その文中に抜けている箇所の補足をしておきたいと思っての事です、。

上段に掲載の鉢画像は、江戸明暦2年(1656年)に(今の)大阪府堺市に窯を開いた「楽忠」や「楽雅亭」の鉢です、。
京都の「楽本家筋」の窯元であっても、京都で開窯することは許されず、楽家所縁の堺での開窯でした、。朝廷の引立ても無く自分で楽焼を製造し販売して行かねばならない立場だった訳です、。「茶道のお茶碗」や「食器」としての楽焼は評判が悪く、売れなかったようです、。生活のためにはあらゆる陶器製品を作った事でしょう、。
そうした状況で「楽忠」や「楽雅亭」が「楽焼植木鉢」を作るに至るのには、時間を要しなかったと思います、。案外早い時点、開窯からほんの2~3年以内には「植木鉢製作」を始めたと思います、。生活のために何か売れ筋商品を作る必要があったからです、。


東洋蘭風来記では、過去に「風来記ページ」で、上掲の楽鉢の花模様に塗られている「瑠璃釉」の原料は「ラピスラズリ」だったのだろうと書きました、。「ラピスラズリ」の和名が「瑠璃」であるという単純な理由からです、。
ところが、その後、調べてみても、1600年代の陶器の瑠璃顔料は何を用いたのかは不明のままで、「ラピスラズリ説」を肯定も否定も出来ない状態なのです、。

可能性から最も考えられる原材料顔料は幾つかあり、それらの内のどれかだろうとは思うのですが、特定には至っておりません、。

◆「岩群青」(いわぐんじょう)というのは「アズライト」の事です、。2枚目画像の石です、。
銅山の銅鉱脈から産し、「マラカイト」がくっ付いた状態で採掘されます、。「マラカイト」は和名を「孔雀石」といい、それから作る顔料は「岩緑青」(いわりょくしょう)と呼ばれ「緑色の顔料」です、。
「岩群青」は時間が経つと酸化して「岩緑性」に変化するので、この両者は同時にくっ付いた状態で出て来るのです、。
欧州ではフレスコ画の空を描いたりするのに用いられますが、時間が経つに従って「緑色に変化」して来るようです、。
日本での銅山の発見は古く、「栃木県の足尾銅山」が1550年頃には発見され、1610年には幕府が採掘を始めていますから、同時期には「岩群青」(アズライト)も採掘された事でしょう、。

ところが、当時「陶磁器界」で顔料としたのは、足尾銅山のものではなく、「中国産の岩群青」なのです、。
この中国産岩群青が純粋なアズライトだったのかどうかは問題です、。上の鉢の瑠璃色の浮彫紋に塗られた「瑠璃釉」の色は、緑色にも変化せず非常に安定しているようですから、単純に「支那岩群青」と決め付ける訳にも行きません、。

◆「岩紺青」(いわこんじょう)、江戸時代1700年初頭に作られる「プルシアンブルー」と区別するために、日本古来からある方を「岩紺青」としたが、暗い色をしていたというから「岩群青」のことらしい、。

◆「花紺青」(はなこんじょう)というのもあります、。原石は「スマルト」といい、明るい青色の顔料です、。「ラピスラズリ」(瑠璃)や「アズライト」(岩群青)の代用品として使われた古い時代からある顔料です、。

◆江戸初期1600年代は、「第一次京焼隆盛期」に当たり、京焼の名工「野々村仁清」や「尾形乾山」(絵師尾形光琳の弟)が出て、名作品を今に残しています、。
この「野々村仁清」が絵付けに使った顔料は、「緑色は岩緑青」、「紺色は中国産岩紺青」、「紫色は支那呉須と丹土と金珠との混合」を使用しており、「野々村仁清」と「忠右衛門」や「宗味」とが交流があった事が証明されれば、此の線も可能性は出て来ます、。調合法を教えられないと出せない色だからです、。

◆「ラピスラズリ」(瑠璃)の線もまだ可能性としては残っています、。

そういう訳で、1600年代に「あの楽焼鉢」に「瑠璃色の花模様」を描いた顔料は、今時点では特定できていません、。今回の「園芸ジャパン」では、ここの説明が抜けています、。それでフォローしておきます、。


◆「ラピスラズリ」(瑠璃原石)には”夢”がありました、。
玄奘三蔵が天山南道を旅した7世紀、新疆ウイグル自治区キジル国は仏教がもっとも発達した土地でした、。「庫車」(クチャ)の西方67キロにある亀慈(キジ)は大いに栄えており、仏教文化が花開いていたのです、。その中から生まれた「キジル青の石窟」で青色顔料として「ラピスラズリ」は発見されたのです、。
西欧人が西へ持ち帰り、シリアからは船に乗せてヨーロッパで売られ「ウルトラマリン顔料」として金(GOLD)よりも高価に取引され、その深い青色に魅せられたのが、1600年代オランダデルフトの画家「フェルメール」だったので「フェルメールブルー」と呼ばれるようになります、。

どうせ顔料が特定できないのならば、当時の日本・中国での「瑠璃顔料」は「瑠璃と岩群青の混ぜ物」だったというくらいな方が夢があって楽しかったと思います、。



尚、江戸後期1800年代になってからは、「楽忠」「欽古堂亀祐」「頂山」などが風来記でも過去にご紹介した「赤土六角鉢に瑠璃浮彫紋」とか「紀州偕楽園の瑠璃六角鉢」とか、今月トップ画面の「短冊家瑠璃浮彫鉢」とか、数多くの「瑠璃釉薬」を施した鉢が登場します、。、時代が100年以上も経った後では、どんな顔料が使われたのかは不明ですが、1600年代の顔料と同じでは無いと考えています、。

1730年頃には、ドイツで「コバルト」という金属が特定されているから、そこから後の時代の鉢は何が使われても不思議ではなく、様々な顔料で「瑠璃色」を出せたのだと思います、。




大阪東洋蘭会 2016年 春季展示会
時:2016年3月13日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会







# by evian_th | 2015-12-10 02:12 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽徳と五柳の共通点                      No.552

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◆2015年12月7日、。   楽徳と五柳の共通点


浮田楽徳と五柳寿運の共通点、。
「楽鉢」の調べ始めの頃には、誰でも同じだと思うけど、「五柳鉢」の魅力に魅かれる、。自分で五柳鉢を持つチャンスも無い頃には五柳鉢の画像を送ってもらって、その特徴を観察し研究した、。

「古典楽焼鉢」を見ていて、今も不思議に感じる事の一つに、「これほどの高級絵付けを施した工芸品なのに、宗教の影響を感じない」ということがある、。西欧諸国の民芸品・工芸品でも、中近東もアジアでも、普通なら「宗教から影響を受ける」ものが多いからだた、。
現在に残る「楽焼鉢」の多くが作られたのは江戸後期から明治・大正・昭和初期のものであって、仏教・神道・の影響を受けた絵付けがどこかで描かれても不思議ではない思う、。

そう思いながら見ていた時に目に止まったのが「五柳鉢」にのみ描かれた「雲形」(くもがた)だった、。「雲形」は神社仏閣や日本家屋の「入母屋作りの屋根の頂上(三角形の頂点)に「木製で作る飾りのこと」だ、。
この「雲形」のみが、まぁ宗教の影響を受けた絵柄と言えると感じた、。それで初めの頃に「五柳は狩野派絵師の仏画の影響を受けた絵師だ、」という風に「風来記ページ」にエビアンが書きこんだ、。
その時点では、「雲形を描いた鉢は五柳寿運の鉢」でしか知らなかったのだた、。
萬年青界で出版されていた本にも「五柳は狩野派絵師の影響を受けている」と書いてあったが納得した、。

それから後、千葉県の某園芸店の園主さんが最上段に掲載の鉢を持っている事を携帯電話でスナップ撮影し、画像を送ってくれた人が居た、。足を正面にした位置での撮影画像だったし、当時の携帯電話画像じゃハッキリとは写ってなかったけれど、足の横の腰部分に「雲形らしき絵付け」が描かれているのが、かろうじて見えた、。デジカメで撮影した画像も送ってもらって、「これは雲形だ」と確信した、。

その鉢はヘリが割れた繕い鉢だった、。が、何としても欲しい、。見た所では「浮田楽徳の鉢」である、。「楽徳にも雲形を描いた鉢があった」という思いで、どうにも入手したくなった、。人を通じて根気よく交渉してもらった、。1年半を過ぎるころに持ち主さんから譲ってもいいと連絡を受けて入手した鉢なのだ、。

鉢の腰部分を撮影してみると、実に手馴れた調子で「雲形」が描かれている、。「金泥のイッチン描きか筆描きか」は判らないけど、雲形が描かれている、。
描かれた「台の鉢の古さ」から、「これを最初に描いたのは浮田楽徳の方」であると直感した、。

なぜ「楽徳と五柳のみが雲形を描くのか」と考えると、二人は狩野派の大和絵師であったのであろうと結論出来た、。こういうのは先輩絵師が描くのを見ていないと描けない、。さらに言えば、その紋様の持つ意味を理解していたからこそ描くことが出来た紋様だったろうと思う、。
浮田楽徳は1830年生まれの狩野派絵師で、師匠の復古大和絵師「浮田一蕙」を直接見ていたのは楽徳の方だけであると思う、。五柳は絵付け鉢の完成度の新しさから、楽徳よりも30歳くらい年下の絵師だったろうと思う、。

雲形は、五柳の方が多く絵付けしている、。「鉢縁下」(はちべりした)や段替わりの線の間にも書く事がある、。楽徳は鉢縁の上側(上面)に描くことがあるが胴部分に描くことはあまりない、。



極く稀に、二人とは全く無縁の後世の偽絵師によってヘンテコリンな雲形を描いた鉢を見受けることもあるが、これはどなたがご覧になっても見分けられる、。





# by evian_th | 2015-12-07 01:34 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢                  No.551
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◆2015年12月、。   短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢


師走~、。
本年も「東洋蘭風来記」をご覧いただきまして、ありがとう御座いました、。寒い季節ですから、お身体をお大切にお過ごしください、。


短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢、。

「楽焼鉢」ではありませんが、楽鉢窯元の短冊家の極く初期の頃の製作になる鉢で、非常に珍しいのでご紹介、。
よほど大切に保存されて伝わって来た鉢の様子、。一見すると新しそうに見える鉢ですが、この鉢は製作されてから200年経っています、。江戸後期・文化文政年(1804年~1829年)の製作だと思います、。


この鉢を作るには、一般の楽焼窯元にとっては誰かに2つの事を教わらないと製作できない鉢なのです、。
◆柔らかい感じのする半磁器(磁陶という)の作り方
◆型押しの方法と6枚の面の張り合わせ技術
この事を一人で教えることが出来たのは、江戸後期の第二期京焼ブーム時に出て来た京都の陶工「欽古堂亀祐」しか居なかったと思われます、。


「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)明和2年(1765年)生まれ、天保8年(1837年)没は、毎度御馴染みの「奥田頴川」(おくだえいせん)の門下生の筆頭とも言って良い程の存在、。奥田頴川は亀祐よりも12歳年上で、家業の質屋は弟に任せて京都三条粟田口に窯を開き、中国陶磁を学びながら人柄を慕って寄って来る多くの陶工を育てた後期・京焼盛隆の功労者です、。
この奥田頴川が「磁陶」の作り方を門下生に教えたのでのです、。後に欽古堂亀祐が陶芸指導に行く「三田青磁」なども、この「磁陶」の分類に入る焼き物です、。
当時の京都粟田口には陶磁器の窯元は多く、清水焼のような硬質の白くて硬い磁器とは違って、温かみのある焼き物です、。

また、欽古堂亀祐は京都伏見の「伏見人形作り」の家の出身、。伏見人形は前姿と後姿とを別々の2枚の木型に押し付けて陶板を作り、薄く溶いた陶土で張り合わせて作ります、。この「木版に押し型技術」と「張り合わせ技術」とで一体の人形を作るのです、。

これら2つの技を併せ持った陶工は欽古堂亀祐だけだったと思われ、初代短冊家が祇園短冊楼から窯を開いた時期と亀祐が活躍した時期とが一致するのです、。


短冊家初代は余程研究熱心な人だったらしく、亀祐に執拗に頼み込んだのでしょう、。というのも、普通一般的には、6面の神獣の鉢を作るには、同じ獣が繋がらないように、2~3種の版木を使用して別々の神獣を繋げる筈なのですが、画像をご覧頂くとお分かりのように、全部が同一の神獣です、。つまり亀祐は版木を1枚だけしか短冊家に使わせなかったものと思われます、。

そういう苦労をして短冊家初代はこの鉢を製作したのです、。その研究心は脱帽ものです、。
江戸後期なのにテールベルトが手に入らない筈なのに緑色があるじゃないか、と思われるでしょうが、ここに使われる顔料は日本古来(といっても、江戸時代直前の頃)からある顔料で、江戸初期の陶工・野々村仁清などが使用した天然顔料で、主として磁器専用のものです、。透明感があり、非常に高価な顔料だったのだろうと思います、。

鉢裏には初代が使ったと思われる「短冊堂」の落款、。
この鉢は、エビアンが知る限りは2個現存し、他に盆栽界の蒐集家に残っているとしても、あと1~2個でしょう、。大量に作るほどは亀祐も木型を貸さなかったと思われるからです、。
いずれにしても非常に貴重な鉢であることは間違いのない事実です、。
贅沢を言わせてもらえるなら、少しは使っておいて欲しかったですね、。時代乗りが欲しかった、。
(現在の所有者は不明)









# by evian_th | 2015-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢特集号が出るらしい                   No.550
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◆2015年11月22日、。   「楽焼鉢特集号」が出版されるらしい


「園芸JAPAN」誌が次の号(12月14日発売)で「楽焼鉢特集」を出すらしい、。
それでエビアンに「楽焼鉢の歴史」についての原稿依頼が来た、。

まぁ、いずれは「楽焼鉢」もネットのバーチャル空間で取り上げるだけではなく、リアルの世界で活字にするべきなのだろうけど、突然に言われるとまごついてしまう、。
ネットでは、その時々に思い付いた話題を断片的に取り上げてればすむ話でも、出版物となると、その生い立ちから連続して時系列に沿った形で論じなければならないという難しさがある、。

そもそも、「ネット東洋蘭風来記」を見て下さっている人以外は、「楽焼」や「楽焼鉢」が江戸時代に大阪で焼き始められた事すら御存知ないわけです、。いきなり「楽焼は大阪焼から始まった、」と聞けば気を失いかねない、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

でも「大阪焼」から始めないと話が進まないから、今回初めてリアル世界に「大阪焼」(大阪楽)を登場させる決断をした、。その後、江戸時代後期になって、楽焼植木鉢は「京都」へ移るのですが、「京楽焼」は「短冊家」と、証拠が出て来てしまった「佐々木松楽鉢」だけで済ませて、その他は「その他古京楽」に分類してお茶を濁そうと思ったのに、一群の銘絵付けを施した「浮田楽徳鉢」を「古京楽」に分類する訳にも行かず、「浮田楽徳窯」も初めてリアル世界デビューさせることになってしまった、。

同じく、明治時代にカタログまで発行している「東京楽」の「福富京楽堂」も隠す訳には行かない、。で、出すことになった、。


今までネットをしない人、東洋蘭風来記を見た事も無い多くの人、にとっては驚天動地モノだろう思う、。
人を驚かせて喜ぶような趣味は持ち合わせてない、。それでここしばらくは奥部屋更新や余剰苗にも気分が乗らず、考え込んでました、。
ネット上で楽しんで来ただけだったし、出版物にしたいとも思ってなかったので気分が乗らなくて考え込んでた、。まぁしようがない、いつかはこういう日が来るのは必然だったのだろうと腹を決めたところです、。

ネットとリアルとの間にどれほどの温度差があるのかを知ることも楽しい、。

(掲載画像は短冊家(だと思う、下の方は怪しいけど)、青蔭さん所蔵)




# by evian_th | 2015-11-23 00:37 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭風来記、お陰様で満11年                 No.549
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◆2015年11月、。   「東洋蘭風来記」満11年



「東洋蘭風来記」、お蔭様で満11年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満11年>




# by evian_th | 2015-11-17 13:16 | 東洋蘭(春蘭)
秋季冬季・展示会情報                      No.548
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◆2015年11月、。   東洋蘭・秋季冬季展示会情報



兵庫春蘭友の会 秋季柄物展示会
時:2015年11月29日(11:00am~16:00時)
所:相生園芸センター内
参加費:500円


杭州寒蘭展示会
時:2015年12月5日・6日
所:三重 メッセウイングみえ












# by evian_th | 2015-11-14 09:32 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽焼「五柳・菊花散らし紋」万年青鉢              No.547
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◆2015年11月、。   京楽焼「五柳菊花散らし紋」万年青鉢、。

寒さ厳しい11月の入りになりそうです、。皆さまのご健康を祈念いたしております、。

風来記は「六輝」(六曜)に従って更新しています、。ゲン担ぎにすぎませんが、記事や余剰苗の更新も「大安」「友引」「先勝の午前中」「先負の午後」に更新しています、。今月は「六輝」が上手く合わず、31日の午後更新になりました、。

11月のトップ画面は、京楽焼「五柳・菊花散らし紋・万年青鉢」です、。
横から画像の1の足の先に「繕い」が見られます、。「見好い繕い」だと感じます、。
楽焼鉢が作られ始めた江戸時代明暦年間の製造の鉢は、他の中国渡来の磁器や陶器の「花盆」と同様に分厚い鉢でした、。西暦1600年代後半と1700年代とはそのままの製法で伝わって来たのです、。江戸後期1800年代に入り、趣味者の栽培植物が小型化するに従って楽焼鉢も小型化し始め、明治時代初期の「小万年青」の流行と共に、根が腐りやすい万年青や蕙蘭の植生を考えに取り入れられ、徐々に鉢の肉厚は薄くなって行きます、。

「京楽焼鉢」銘品の大部分は明治時代の製作のもの、。平成と昭和と大正とを合わせて105年、明治元年は150年前の事になります、。
この肉厚の薄い楽焼鉢が今日までとにもかくにも残り伝わって来ているだけでも奇跡的です、。戦争も大地震も時代の変化も乗り越えて伝えられたのです、。「無傷完品」など望むべきもなく、多少の「傷」は古さの証だとエビアンは考えます、。骨董界や盆栽界では、「汚れ」を「時代」と呼び、「見好い傷」を「景色」と呼んで100年以上の風雪に耐えて伝わって来た品物を称えています、。

楽焼鉢の「傷」は「見好い繕い」を施してやって欲しいと願っています、。そして、その繕いを鉢と共に称えてやって欲しいものだと考えています、。「ひび割れや欠けや割れ」を「見なかった事にしよう」「何も無かった事にしよう」という風な「姑息な繕い」はむしろ鉢の価値を下げてしまいます、。
その意味で、今月掲載の鉢の「足の繕い」はこの鉢が大切にされて来た証でもあり、見好いと感じるのです、。

「台の鉢」は京都・短冊家製、。絵付けは「五柳寿運」、。
鉢の腰部分に描かれた雷紋の見事なイッチン裁き、思わず背筋が伸びて正座したくなるような段替わりの金の帯の描き方、。胴部分に散らした菊花紋と唐草紋の描き方、。台の鉢の作りの見事さ、。全て完璧です、。その上に以前の持ち主による愛情の籠った足先の繕いを見て、ホッとするのです、。繕い部分に上から唐草紋などを描き加えてない所を見ても、以前の所有者さんの愛情深さと骨董に対する考え方の正道を行く理解の深さが窺がえるのです、。


「鉢内側の白い丸印し」に関して、古典園芸界には2つの説があります、。
1つは、短冊家当代さんと愛知県陶磁博物館の主任研究員Sさんが言っている「箱詰めするのに20個に1個の割合で焼き色の色見をするために入れた焼き見の丸印」という意見、。
2つは、「五柳寿運」という絵師が居て、自分の絵付けした鉢には鉢の内掛け部分に丸印を入れた「五柳印し」という意見、。

1の意見では、「五柳寿運」は登場せず、萬年青界と蘭界とにそれぞれ1個存在する「五柳寿運」という手描きの署名の説明がつきません、。
風来記では現在までのところ、2つ目の「五柳マークである」という意見を支持する立場を取っています、。
学術的に真実がどうであれ、古典園芸界の商人が過去数十年間に渡って「五柳鉢」として丸印の無い鉢よりも高価に商って来た経緯があります、。今さら「丸印には意味がない」とは言えないでしょう、。


このことに関連して・・・
「ごりゅう」というのは「五柳」か「五龍」かという議論もあります、。
上に記したように、風来記は「五柳寿運」を名乗る絵師が存在した、という立場を取っています、。

ご存知の通り「五柳」というのは、4世紀末の中国重慶市の詩人「陶淵明」の別名または愛称「五柳先生」から取ったものだと思われます、。「五柳先生」を真似た漢詩(韻を踏んでないので陶淵明の漢詩ではないようだが)も描いてあります、。「五柳」だからいいんです、。風流味があっていいんです、。「五柳」を風流だと感じない人にはこれ以上何を言っても無駄でしょう、。

ヤクザの組の名前のような「五龍」という呼び名は、「五龍」と書いてある鉢が見つかったり、書物文献などによる証拠が出て来れば、その時に大いに議論すればいいのです、。
「五龍」をダサイと感じない分には「五柳」に馴染めと言っても無駄かもしれませんが、「南京大虐殺が中国のいうように実際に有ったか無かったかの問題」(当時の南京の総人口が20万人、どうやって30万人を虐殺するんだよ。南京市民が無かったと証言してるじゃないか。)や「従軍慰安婦の日本軍による強制連行があったか無かったかの問題」じゃないんだから、小さい業界の内部の問題なんだから、何時までも意地を張らずに「五柳寿運」に統一しませんか、。

エビアン自身は8年ほど前に書いた通り、歴史の昔に馬鹿が居て「ごりゅう」と耳で聞いて「五龍」と書き記し、それがそのまま伝わったのではないか と今でも思ってます、。


鉢内側の内掛け部分に丸印しのある鉢は、全部「五柳寿運」が描いた鉢なのか?、と問われれば、これは正直に言って「分からない」としか答えようがありません、。今のところ、丸印しがある鉢は全部「五柳鉢」と呼んでいます、。
確実に言える事は、「五柳鉢には30万円から350万円まで値幅がある」という事だけです、。
13cm×h12cm、。(飛田邦之氏所蔵)

<参考画像>「芳虎斎・五柳寿運」のサインのある万年青鉢、。
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# by evian_th | 2015-10-31 18:50 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
秋季柄物展示会2015                     No.546
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◆2015年10月12日、。   東洋蘭春蘭秋季展示会2015


秋季展示会を開いた、。
画像上から4枚は「古鉢を使った席飾り」、5枚目は入賞品席、。
6枚目は交換会風景、。競り台は相生園芸、チラ検は三香園と京都蘭センター、補助は華幸園、。競り台の左3人は帳場、。


エビアンは昨年の秋季展で手痛い敗北感を味わったから、昨年の秋季展終了直後から今年のための用意に取り掛かり、飾り棚や敷き台を買ったりして敗北感のトラウマからの脱出を図ったのだたが、今年もまたダメだた、。どうにも垢抜けないんだもんなぁ、。他の席を見ると垢抜けていてイヤになるよ、。こういうのはセンスの問題だもんね、どうにもならないと思い知ったね、。エビアンは席飾りした人の中では最も年を食ってるのに、どうにもギトついてる、。駄目だわ、。

個別展示の最高賞の「大阪東洋蘭会会長賞」は「福富京楽堂蘭鉢」に植わった鈴木学氏の「娘子(アガシ)」、二席の「全国日本春蘭連合会会長賞」は吉野章氏の「湖亭」、。

良い展示会だった、。

エビアン自身は来年、再チャレンジする、。



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<展示会席飾り>
画像1枚目:四国有志三名様(山本瑛雄氏・伊藤勝美氏・住田幸弘氏)
画像2枚目:杉野達実様
画像3枚目:某エビアン
画像4枚目:立岩信彦様

出版社取材:園芸ジャパン誌・伝統園芸誌
協賛:ハイポネックスジャパン・愛楽園・伝統園芸・園芸ジャパン

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個人名が出て不都合なお方様はご連絡ください、。
プライバシー問題や個人情報問題の関係もあり、風来記では過去10年間は個人名をあまり出さないようにして来ましたが、少し軌道修正します、。


加茂川真黒石(加茂黒)、銘:箕面の大滝
見た目よりは相当重い、。手に持った人が一様に「こんなに重いの、」て驚いてた、。これを粉末にして釉薬と混ぜ、鉢表面へ焼き付けて楽焼の素焼鉢を造る、。
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# by evian_th | 2015-10-21 01:49 | 東洋蘭春蘭展示会
秋季展示会2015 No.545
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◆2015年10月、。   秋季展示会案内


◆展示会情報は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんのでご注意ください。


大阪東洋蘭会 2015年 秋季展示会
時:2015年10月11日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(駐車場は係員の指示に従ってください。)
◆古典楽焼鉢を使った席飾り。
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春蘭展示大会(全春連)
時:2015年11月7日・8日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2015年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




花ごよみ 秋の蘭展
時:2015年10月9日~12日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)



東洋蘭総合大展示会
時:2015年10月16日17日18日
所:東京上野グリーンクラブ(クリック)



兵庫春蘭友の会 柄物展
時:2015年11月29日(11am~16pm)
所:相生園芸センター





# by evian_th | 2015-10-01 15:18 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽焼武者絵万年青鉢                    No.544
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◆2015年10月、。   京楽焼万年青大鉢



「京楽焼万年青大鉢」、。
10月のトップ画面はこの鉢で行こうと決めて10月フォルダーへ入れてました、。画像を作る段になっていざ画像を詳しく見ると、鉢底画像と上から画像がないのは分っていましたが、横から画像も「1の足画像」しか無いのでした、。3枚とも1の足画像です、。この鉢の裏側にはどんな絵付けが施してあるのかも分かりません、。
横から画像1枚だけから判断できる情報はあまり多くはありません、。


「口径24センチ・高さ25センチ」という8寸の大鉢、。「台の鉢」はこれだけの大鉢となると重さも相当なもので、乾燥した完成品でもかなり重いのに、製作途中の陶土が湿った状態の時はどれほど重かったことか想像を絶します、。それにも拘らず、鉢ヘリが垂れ下がらず、鍔の先端部分の切れ味は鋭く全体の作りもしっかりしています、。足はこれほどの大鉢だとこういう形にならざるを得ず、短冊家の大鉢もこの足型です、。したがって、足の形から窯元を判断することは不可能です、。

「絵付けは大和絵の武者絵」、絵師は相当な腕前の人です、。イッチンで線は引けますが、面を塗りつぶす時はどういう風にしたのかは知りません、。細かく振るった陶土と顔料とを混ぜイッチン袋に入れて描くのですから筆描きよりも随分難しかったことでしょう、。
「浮田楽徳」や「五柳寿運」は狩野派大和絵師ですが、ほかにも浮世絵師・錦絵師など狩野派以外の絵師も多く、この鉢の絵師を特定することはできません、。

顔料の種類の多さなどから、鉢の製昨年は明治中後期の作と見られ、注文絵付けだったと思われます、。それらを総合して考えると、この鉢は「短冊家製の万年青鉢」だろうと思われます、。鉢の作りの上手さから他の窯元はチョッと考えられないのです、。短冊家ならこれくらいの絵付けもできたかも知れないと思います、。絵付けだけなら浮田楽徳も描けたでしょうけど鉢が楽徳鉢ではないし、五柳ならいくら何でも例の五柳マークを撮影したでしょうからね、。
「楽忠鉢」や「楽雅亭鉢」にならありますが、古京楽鉢で8寸の大鉢というのは見たことがありません、。絵付けも上手く、見応えのある鉢だと思います、。実物を見てみたいものです、。野田谷君存命時の上野グリーンクラブ展示品です、。(当時:栗塚光夫氏蔵)

まぁ、この横から画像1枚から分かることはその程度です、。





# by evian_th | 2015-10-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭・秋季展示会情報                    No.543
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◆2015年(平成27年)、東洋蘭・春蘭・秋季展示会情報


◆展示会情報は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんのでご注意ください。



大阪東洋蘭会 2015年 秋季展示会
時:2015年10月11日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(駐車場は係員の指示に従ってください。)
◆古典楽焼鉢を使った席飾り。
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春蘭展示大会(全春連)
時:2015年11月7日・8日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2015年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




花ごよみ 秋の蘭展
時:2015年10月9日~12日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




百喜千遊会 柄物展
時:2015年9月26日・27日
所:京都蘭センター(京都府綴喜郡宇治田原町郷之口田中19)






# by evian_th | 2015-09-01 17:19 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽焼蘭鉢「8割がた大虎窯」                 No.544
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◆2015年9月、。   楽焼鉢蘭鉢「8割がた大虎窯製」


例年よりも早くから秋の雰囲気漂う9月の入りです。皆様方にはお元気に高温度の夏を乗り切られましたでしょうか、お見舞い申し上げます。



今月の鉢は「8割がた大虎窯製の蘭鉢」です、。

持ち主さんから画像を頂いた時には、チョッと見に「あ、佐々木松楽窯ね、」と思った鉢です、。
9月はこれで行こうと決めて風来記用に画像修正を進めると”あれ、おかしいぞ”となったのです、。
「佐々木松楽窯」にしては絵付けに吉兆の絵が見当たらずテーマ性が無い、。足の絵付けが「菊花に唐草紋」ではなく「牡丹図に唐草紋」である、足の作りが「大虎風」だ、と感じるようになったのです、。

「1の足」には「老松に止まる雄の孔雀図」、「2の足」「3の足」には正面に絵付けが無く、見せ場の絵付けは足と足の間に描いてある、と言う変則型、。描かれているのは「老松」「孔雀一対」「牡丹」の組み合わせです、。孔雀図自体が珍しい上に松や牡丹と組み合わせるところが珍しい鉢になっています、。
段替わりを全く取らない総絵付け、。明治後期から大正時代の製作だと思います、。

「8割がた大虎窯」と書いたのは、細い金泥のイッチンで縁取りする絵付けテクニックを施す絵師は三河鉢にも1ヶ所存在するから、と言う理由と、実物を触ってないので他の窯の可能性も2割程度残してのことです、。
口径12.8センチ、高さ16.7センチ。(飛田邦之氏蔵)



◆確たる証拠あっての話ではありませんが、「佐々木松楽窯の楽焼鉢の素焼鉢は外注だった、」と聞こえて来たことがあります、。今月の鉢を見た時に「あ、佐々木松楽ね、」とエビアンが感じてしまった所からすると、もし万一その噂が正しかったとするならば、「佐々木松楽窯」へ「素焼鉢(楽焼鉢で”素焼”と言う場合には加茂黒釉薬を施した黒楽鉢の段階を指す言葉です、)」を納めていたのは、地理的に見て「大虎窯」しかありません、。「短冊家」や「浮田楽徳」は「素焼」を売って他の窯元の下請け仕事のような事はしなかっただろうと思われるからです、。




# by evian_th | 2015-09-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢「8割がた福富京楽堂蘭鉢」               No.542
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◆2015年8月、。   古楽焼鉢「8割がた福富京楽堂蘭鉢」


この鉢画像を送って頂いてから、もう数年間経過します、。
「いい鉢だな」とは思いつつ、窯元判断ができないでいました、。「短冊屋かな」とか「京楽かな」とかと思ってしまうともうダメで、全く分からなくなってしまう鉢です、。
最下段5枚目の鉢底が見える画像だけを見ると、まぁ何とか「福富かな、」とは思えるのですが、それでも100%の自信は無く、これ以上は実物を手に取ってみないと判断は不可能です、。「鋏み痕」が胴なのか足なのかが分かれば多少は判断もし易いのですが、。
ともかく最近は迂闊に窯元名の断定はできなくなりました、。今までの方が「怖いもの知らず」で行けたのですが、。

「一の足」に描かれた「虫」は何でしょうね、。「蛾」なのか「蝶」なのか「ガチョウ」なのかはわかりませんが、上手くデザイン化され、それを取り囲むように「サッカーボール」に見えてしまう「(多分)花文様」が描かれています、。「鉢縁下」(はちべりした)の「雷紋」と「花」の間の「唐草紋?、蔦?、雲形?」とは古典の描き方をされています、。
「腰部分」の「虎革模様」のようなのは何を描いたものか、何を意味するのかは不明です、。

鉢質は硬そうなので、前の持ち主さんは結構使われたように見えるものの、鉢底画像を見ると案外そうでもなく、まったく惑わされる鉢です、。鉢底面には「轆轤挽きの糸切り痕」も見えません、。従って、製作年代の特定も不能です、。

窯元名や製作者も特定できないのに、これ以上はこの鉢に関しては書ける事もなく、今月は「ただ鉢画像をご覧頂く」だけに留めたいと思います、。
猛暑の最中、みなさんご自愛ください、。     (飛田邦之氏蔵)







# by evian_th | 2015-07-31 15:11 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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