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楽焼鉢の顔料                       No.378
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◆2010年12月、。     顔料から見た楽焼鉢

「上絵付け」と「下絵付け」
釉薬をかける前に素焼きした素地上に絵付けをするものを「下絵付け」と呼び、代表的なものには「呉須」を用いた「古染付」や「酸化鉄」を使った鉄絵の唐津や志野などがあります、。
これに対して、本焼きした陶磁器の表面にかかった上釉(うわぐすり)の上に、赤、緑、黄、青、紫、などの色釉で彩画着色することを「上絵付け」とよび、九谷焼、有田焼、薩摩焼、などがあります、。

我が「楽焼錦鉢」の絵付けは、一種の「上絵付け」でしょうけど、イッチン絵付けの顔料が盛り上がった絵付けは、一般的に呼ばれる「上絵付け」とは少し異なると感じます、。九谷や有田や薩摩よりも絵付け部分が盛り上がっています、。このような「顔料」は、他の焼き物よりも歴史は新しいように感じられます、。
「楽焼鉢」自体は、盆栽鉢よりも遥かに歴史の古い焼き物ですが、あの多彩な顔料を使った楽焼鉢はいつごろから焼かれたのかを「陶磁器の顔料」の面から見ると・・・

慶応3年(1867年・明治維新の前年)、瑞穂屋卯三郎という人が「パリ万国博覧会」を見物の帰路、「陶磁用絵具」数十種を持ち帰り、佐賀藩に売り込んだと盆栽鉢の本に出てきます、。九州佐賀藩は有田を中心とした陶磁器産地です、。
その4年後の明治3年にはドイツ人化学者ワグネル(陶磁器の世界では有名な人)を佐賀藩が雇い入れ、陶絵具使用法の解明の研究をしたようです、。
同じ明治3年には、「京都舎密局」(化学局)が設立され、ワグネルの指導の元、永楽善五郎や入江道仙などが「陶磁器顔料の研究助手」として加わったと記述されています、。

これらのことから、どうも我が「楽焼鉢」に使用される顔料(釉薬)は、一部の「呉須」や「瑠璃」や「金彩」を除けば、この時期辺りが「楽焼鉢」に華やかな彩色を施され始めた最古の時期ではないかと思われます、。
資料的には出て来ませんが、少しゆずっても、1853年~1868年の幕末くらいまでで、それ以前に多彩な彩色を施した「楽焼鉢」が存在したとは考えにくいのです、。

江戸幕府は、庶民が贅沢に溺れるのを抑制するため、たびたび「奢侈禁止令(しゃしきんしれい・贅沢禁止令)を出しています、。効き目は直後のみで、たびたび禁止令を出していたようで、奢侈禁止令を最後に出したのは1842年のことです、。それまでは、庶民の着物の布地の種類や色まで地味な色に指定していたほどですから、陶磁器に派手な彩色を施すことは世情から見ても無理だったと思われます、。

こうして、「明治維新」を境に、楽焼鉢の彩色も、顔料供給面や政府の束縛などの制約から解き放たれ、一気に彩色文化が開花したものと思われます、。楽焼鉢の絵付けに使用されている顔料(釉薬)は、見ようによっては「油絵具」のような見た目と手触りですから、この頃に研究開発された顔料(釉薬)だったのでしょう、。

これが、「楽焼鉢」に於ける「江戸時代」と「明治時代」との境界です、。(画像提供:飛田邦之氏)

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ついでながら、同じ頃(明治6年)、尾張瀬戸の窯元の息子で加藤友太郎という人物が上京し、陶芸家・井上良斉門下に入り、もっぱら「楽焼」を焼いていたようです、。現在の帝国ホテルの地に明治政府が「勧業寮」という洋式陶磁器試験所を作り、加藤友太郎は明治9年に勧業寮を卒業後、明治15年独立して、牛込区新小川町に製陶所「友玉園」を作りました、。
これは想像ですが、「福富京楽堂」は、この「友玉園」の指導の元、東京で楽焼鉢を製造し始めたのではないかと思われます、。東京での楽焼鉢は、明治15年過ぎに製造し始められ、明治30年頃にはカタログを発行して全盛を誇るまでになっていたようです、。(京都にも、こういう資料が出てくればいいのに、)

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「京焼」というのは、もともと京都に住んでいた陶工が興した焼き物ではなく、安土桃山時代から江戸初期に、皇城の地であり、華やかな王朝文化が花咲く京都に憧れた瀬戸や信楽や備前の陶工たちが上洛し、東山一帯に住み着いて窯を開いたものです、。
京都の焼き物は「茶道」と共に発展し、町衆の中の「茶道具数寄者」の影響により発展した焼き物です、。この茶道具コレクターを「茶数寄」と呼び、彼らの好みが京焼を育てて行ったのでした、。

「京焼」は、江戸初期に野々村仁清や尾形乾山などの名工が出て隆盛を極めた時期と、江戸後期・文化文政年間に奥田頴川や青木木米や欽古堂亀佑や三文字屋嘉助などの名工が出た時期とに隆盛を極めるのですが、この江戸初期のころ、既に「楽焼」の「蘭鉢」や「菖蒲鉢」は作られていたようです、。
ただ、「楽焼」は、その生い立ちが日本の陶工が作ったものではない点と、千利休などを介して時の朝廷と結び付いた焼き物であったために、通常「京焼」と呼ぶような焼き物とは区別され、いわゆる「京焼」には含まれません、。それだけ特殊な焼き物であった訳です、。

江戸初期の「京焼」の名工・野々村仁清の「上絵の具」には・・・
赤色は「金珠」と呼ばれる「特殊な紅柄丹土」を材料とし、萌黄(緑)色は「岩緑青」と「舶来の萌黄ガラス」を用い、紺色には中国産の「岩紺青」を、紫色には中国産の「呉須」と「丹土」「金珠」を混合したものを、黒色は「銕粉」(刀鍛冶が使う鉄粉)と「中国産呉須」の混合、をそれぞれ使用しました、。「金銀彩」は漆蒔絵に使う金箔・銀箔を粉にして膠で溶き、金銀泥にしたものを使用しました、。
非常に高価貴重な顔料を手の込んだ技法で使用したもので、とても後の世の楽焼鉢に使用されるものではありませんが、「明治以前の京焼にも彩色上絵付けしたものが存在するじゃないか、だから楽焼鉢も江戸時代の古くから絵付け物が有ったのじゃないのか、」という疑問に応えるために、一応記しておきます、。
# by evian_th | 2014-12-09 13:00 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
東洋蘭楽焼鉢「楽徳花鳥図」              No.527
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◆2014年12月、。   楽焼鉢「楽徳花鳥図万年青鉢」

師走、。
今年も多くの御訪問を頂きまして誠にありがとう御座います、。来年以降も「植木鉢記事」を掲載して行こうと思いますので、何卒よろしく御ひいきのほどをお願いします、。


京楽焼「浮田楽徳製花鳥図万年青鉢」
風来記で楽徳の万年青鉢を取り上げる事は少なかった、。というのも下に掲載の鉢を入手してから、楽徳には2種類の万年青鉢があるのか、それとも窯元が違うのかと悩んだせいです、。結局、下の鉢が「石斛鉢」だと判明して疑問は解決したのでした、。

白胴部分にイッチンで細かなポツポツを密に打ち、その上から花鳥図の大和絵を描いてあります、。楽徳絵付けはデザイン化した紋様が多く、写実的な絵は少ないので貴重品、。鳥の種類は不明ですが、表は羽を広げた姿、背後には羽を閉じた姿を描いています、。金泥を使った高級品で、注文主の特注品だったのでしょう、。上品な仕上がりになっています、。腰部分下部「高台脇」に絵具が剥げ落ちたような白い所があり、何度も見返したのですが、やはり一旦塗った白色泥漿が部分的に剥げ落ちたものだと思います、。

白地に金色絵付けなので目立ちにくく、コントラストを強めに修正しました、。少しドギツイ画像になっているかも知れません、。(口径15センチ・高さ14センチ、第2回・華幸園展より、数寄者蔵)

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「浮田楽徳製魚の子紋様石斛鉢」
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# by evian_th | 2014-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
楽焼鉢2種類の窯元                   No.526
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◆2014年11月2日、。   楽焼鉢・陶工窯と絵師窯


画像は杉野達実氏所蔵の「浮田楽徳製鳳凰紋蘭鉢」、。
2枚目画像の「大和絵の鷲」を見ても大和絵師が鳥を描く時の鳥の構図処理に癖が出ているのが分かる、。鷲を鳳凰に置き換えただけ、。浮田楽徳の腕前を充分に発揮した見事な絵付け鉢です、。


◆楽鉢窯元を「陶工系」と「絵師系」に分けると・・・
◆「陶工系窯元」・・・短冊家、福井楽印、手島揫二、福富京楽堂
◆「絵師系窯元」・・・浮田楽徳、大虎、佐々木松楽
・・・ということになります、。



「東洋蘭風来記」は今月2014年11月中旬に満10年を迎えます、。
多くの御訪問者様に支えられてここまで続きました、。奥部屋訪問者様、風来記の植木鉢数寄者様、BBSに書き込んで下さる御常連様、余剰苗を買い支えて運営費を助けて下さる皆様、お一人お一人の御訪問者様に心から御礼申し上げます、。






蘭遊楽座 柄物展
時:2014年12月7日
所:東京 大森 「大林寺」




寒蘭 土佐愛蘭会 本部展
時:2014年11月14日15日16日
所:南国市農協会館




東洋蘭センター  蘭の杜 寒蘭花展
時:2014年11月5日~29日
所:東洋蘭センター 蘭の杜



兵庫春蘭友の会 秋季柄物展示会
時:2014年11月30日(12:30~16:30時)
所:相生園芸センター内
参加費:500円


杭州寒蘭展示会
時:2014年12月6日・7日
所:三重 メッセウイングみえ

# by evian_th | 2014-11-25 23:52 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
「東洋蘭風来記」お蔭様で満10年          No.527
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◆2014年11月、。


「東洋蘭風来記」、お蔭様で満10年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満10年>




# by evian_th | 2014-11-16 20:33 | 東洋蘭(春蘭)
京楽焼楽徳鉢                      No.525
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◆2014年11月、。   京楽焼浮田楽徳窯大和絵万年青鉢

京楽焼鉢の窯元に「もともと陶器の窯元」だった窯と「絵師が窯を持って鉢を作るようになった」窯との別方向からの2種類の窯元が有ったことが判明しました、。
陶器の製作が得意な窯は鉢の台の作りがシッカリしており、絵師出身の窯は多彩な絵付け鉢を製作したようです、。

前回までに書いたように、浮田楽徳は「京狩野」の「大和絵派」の絵師の系統から陶芸の道に入った人でした、。
「大和絵」(やまとえ)というのは、中国の絵の手法「唐絵」(からえ)に対する「日本古来の絵」という意味付けで呼ばれる呼称です、。平安時代に盛隆期を迎え、以後も描き続けられた絵です、。
「錦絵」(にしきえ)は佐々木松楽窯がその出身ですが、「浮世絵」の下絵の事で「絵師・彫り師・刷り師」が居て一枚の元絵から同じ絵を大量に刷る木版画の元絵のことです、。

まぁ、そんなに明確な区別は無かったかもしれませんが、「錦絵」が木版画の元絵で同じ絵が何枚も刷られたのに対して、「大和絵」は紙に直接描くので1枚しか出来ない、という程度の違いです、。

今月の鉢に描かれた絵は何でしょうね、。「平安朝の貴族の絵」でしょうか、。何か絵にテーマがありそうですね、。絵付けはイッチンと筆描きとの混合、技術的に少したどたどしく感じますが、複雑な絵で難しかったのでしょう、。鉢を横から見た時は窯元が判然とはしませんでしたが、鉢底画像を見れば浮田楽徳窯で決まりです、。

「陶工が作った鉢」と「絵師が作った鉢」との2種類がある事が判明したのが最近の風来記の新発見です、。   (16センチ×高さ15センチ)    (新倉善秀氏所蔵)



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下画像の2鉢は「芳虎斎五柳寿運」の鉢です、。五柳も大和絵師の系統の絵師だったことは一目瞭然ですね、。(花岡昭治氏蔵)
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# by evian_th | 2014-11-01 00:05 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼鉢「浮田一蕙と楽徳」               No.524
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◆2014年10月24日、。   京楽焼鉢「浮田一蕙と浮田楽徳」

前スレに続いて「大和絵」と「浮田一蕙」「浮田楽徳」を書いておきます、。

江戸幕府の成立と共に「狩野派絵師」の多くは江戸へ下り、信長に付いて京都に残った「京狩野絵師」は冷や飯を食わされることになります、。京都の寺の襖絵を誰に描かせるか、という事まで江戸幕府が握っていたようで、「京狩野」の絵師は京都の寺の仕事もできなかったのです、。幕府に対する不満も溜まっていたのでしょう、。これが後に幕府を倒すエネルギーの一つになって行きます、。

京都の大和絵師「浮田一蕙」(宇喜多とも)は、豊臣政権下の五大老の一人で戦国大名・宇喜多秀家(秀は秀吉から与えられた一字、)の七世の孫に当たる立派な武家の出身です、。
早くから「尊王攘夷派」の絵師として知られ、後に「討幕運動」にも加わります、。そのことが、幕府大老・井伊直弼によって「安政の大獄、」時に江戸へ呼ばれ、吉田松陰らとともに投獄されます、。「安政の大獄」で刑を受けたのは百数十人に上り、その中の一部が処刑や投獄をされた訳ですから、長男・松庵(可成)と共に投獄をされた「浮田一蕙」は相当な重要人物だったのでしょう、。


この辺の一連の出来事は興味が無い限りややっこしいので簡単に箇条書きにします、。
1853年 黒船来航、。これより「日米修好通商条約」に反対する「尊王攘夷派」の中から討幕の運動が始まります、。
1858年から翌年へかけて 「安政の大獄」、。「浮田一蕙」は長男松庵(可成)と共に吉田松陰らと投獄されます、。
1859年  「浮田一蕙と松庵」解き放たれ京都へ帰るも6か月後浮田一蕙は他界してしまいます、。
1860年 「桜田門外の変、」起こる、。不満の残る元水戸藩浪士らによって「大老・井伊直弼」暗殺される、。
1861年  「浮田楽徳窯、」の開窯、。楽徳31歳の時、。
1863年  「湖東焼閉窯」、。彦根藩主井伊直弼の死によってスポンサーを失くした「彦根藩御庭焼・湖東焼」は閉窯に至ります、。「桜田門外の変」から3年後の事です、。
1867年 「坂本竜馬」「近藤勇」他界、。
◆1868年  「明治維新」、。


この一連の年表を見ると、
討幕運動に連座した「浮田一蕙」の井伊直弼による投獄と翌年の死亡
井伊直弼の暗殺
浮田楽徳窯の開窯

は無縁のものとは思えず、「浮田楽徳」は「大和絵師」として「一蕙の親族」であったが故に「絵師」の道を諦めて「陶芸」の世界へ入って行ったのではないでしょうか、。

これが(状況証拠的ではありますが)エビアンが「浮田楽徳」は「浮田一蕙」の親族、と考える根拠です、。同じ時代、同じ京都の大和絵師の中で同じ「浮田姓」の絵師で血縁者ではないというのはあり得ない事でしょうから、。


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「短冊家」の開窯は、これら一連の出来事よりも30年も前の文化文政年のことですが、こう言っちゃぁ何だけど、「短冊家」は「短冊楼」という「御茶屋」(芸妓置屋)の主人という町衆の出身、。
それに比べて「浮田楽徳」は由緒正しい武家の出身、。
まぁ「短冊家」も「浮田楽徳」も素晴らしく、明治の日本に文化的には貢献大ですね、。

「浮田楽徳」というのも本名とは限らず、「浮田一蕙の子供」という考えから、「松庵」(可成)と同一人物ではないかと思ったのですが、松庵は明治21年に他界していました、。楽徳の他界は大正元年ですから、別人です、。二男・三男・甥っ子とも考えられますが、江戸時代というのは大名旗本といえど家督を相続したりという風に名前が残るのは長男だけで、それ以外は余程の事でもない限り名前は残りませんから判断は不能です、。

同じ討幕運動派の「坂本竜馬」と「浮田一蕙」の関係は、と興味本位で考えましたが、坂本竜馬は死んだのは京都ですが、「桜田門外の変」の時には幕府寄りに身を置いていて土佐(高知県)に居り、土佐と江戸との往復で、京都は滅多に寄りませんでした、。時代がズレます、。「坂本竜馬」は「勝海舟」に心酔して師事し日本の海軍力の増強に力を入れる立場に居たのが、突然翻って討幕派になるのですねぇ、。

数スレッド前に京都の古地図を掲載して「東山」のことを書きましたが、今回も「東山の東に位置する琵琶湖の東の湖東焼」と「東山の西の山裾に窯を置いた楽焼」とが不思議な運命を辿ったことが分かりますね、。
「桜田門外の変」により他界した井伊直弼は彦根藩御庭焼に力を注いでいたのですが、その死後は「湖東焼」も閉窯し、湖東焼の陶工達は東山の西の京都・粟田口へ移り住み、湖東焼の陶工だった「瀬戸の陶工・幹山伝七(本名:加藤孝兵衛、)」率いる「幹山工場」の陶工として働き、明治政府の肝いりで外貨を稼ぐために輸出用の磁器製品を作ることになります、。討幕運動派の多い京都に明治政府の御用達工房を開き、近距離でお互いに「陶磁器」を製造したのですから皮肉なものですね、。


こうして見ると、我々「鉢数寄」が持っている「楽焼万年青鉢や蘭鉢、」も中学校時代にイヤイヤ勉強させられた「黒船来航」「安政の大獄」「桜田門外の変」などの出来事とまんざら無関係ではなく、えらく身近に感じるものですねぇ~、。

画像の鉢はエビアン所蔵の「浮田楽徳製波うさぎ紋蘭鉢」、。「鉢縁下」(はちべりした)と腰部分は「七宝繋紋」、胴部分は古典「因幡の白ウサギ」から題材をとった伝統紋様である「波うさぎ紋」、。静かで落ち着いた鉢です、。
# by evian_th | 2014-10-24 01:36 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼「一柳と楽徳」                  No.523
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◆2014年10月20日、。   京楽鉢「一柳と浮田楽徳」

画像の蘭鉢は「風来記」に掲載した飛田邦之氏の分とは別の「浮田楽徳製蘭鉢」で、立岩信彦氏所蔵の鉢です、。

絵師「一柳」というのは以前にも度々書いているようにエビアンの想像上の謎の絵師・幻の絵師です、。、「楽焼鉢」の話を進める上ではその存在が大きく、謎とロマンを持って親しんで来たのですが(まぁ便利に使って来たとも言えますが)、ここへきて少し妙な雰囲気が漂って来ました、。
謎の絵師「一柳」とは「浮田楽徳」自身のことではないのか、という仮説が現実味を帯びて来ているのです、。

最近、2つの事柄を知るに至って、様子が変化してきました、。
1つは、「佐々木松楽窯」が「錦絵絵師」から窯元になり、絵師が窯を開くという事もあったのだという事実を知ったことです、。今まで、まず「窯元」ありき、で調べて来たエビアンにしてみれば”目から鱗が落ちる”ような衝撃でした、。
「楽焼窯元」に必要以上に権威付けしすぎて来たエビアンも萬年青界も蘭界も、大いに反省するところでしょう、。
「楽焼植木鉢」の「内窯」程度は、素人が簡単に裏庭にある「離れ」で作れてしまうものだったようです、。

「絵師」出身の「窯元」もあったどころか・・・
「窯元」=「絵師」が大部分だった、という訳です、。驚きますよね~~、。

2つ目は、江戸幕府の成立と共に「狩野派の絵師」の大部分は江戸へ下り「江戸狩野」を成立させて大きい仕事をした、。これに対して、あくまで「京都」に拘って京都に残った絵師達を「京狩野」と呼びますが、「京狩野」は仕事も無く惨めだったようです、。後になって「狩野山楽」だけが仕事をすることを許された程度で、他の絵師は惨めな仕事と生活をしていたようです、。

その「京狩野」の中の一派に「浮田一蕙師弟」という人達が居た事が判明しました、。
まぁ「浮田姓」なんて他にもある、と言われればその通りなのですが、ここに至って初めて「京狩野の絵師が楽焼絵付けに影響を与えている」と6~7年も前に書いた仮説が現実味を帯びて来たと思いませんか、。
「浮田一蕙」の弟が「浮田楽徳」、その弟子が「五柳」・・・という新たな仮説が出て来ました、。おまけに「浮田一蕙」も「五柳寿運」も四国と所縁があるとなれば、これはもう確率高く”当たり”かも知れません、。

結論を先に書いてしまいましたが、google検索窓に「大和絵」と書いて検索してみて下さい、。(表示画面の画像をクリック)
これは、まさに「楽焼絵付け」の世界ではありませんか、。ようやく、「楽焼鉢」の胴に描かれた「絵付けのルーツ、」を見付けました、。

江戸後期から幕末へかけて「復古大和絵派」という「やまと絵」の復興を試みた絵師が出て来ました、。
土佐派を基盤とする絵師の中に「浮田一蕙師弟」(浮田一蕙1795~1853年)が居たという記述があります、。「復古大和絵」は田中訥言→弟子・浮田一蕙→冷泉為恭といった人達に引き継がれました、。


◆「楽焼鉢」に描かれた絵付けのルーツは「大和絵」にあること、。
「大和絵師」の中に「浮田という絵師」が居たこと、。が分かってきた訳です、。


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「浮田一蕙」は1795年~1853年、「浮田楽徳」は天保元年(1830年)生まれで、35歳も年が離れてれば「兄弟」ではないでしょうけど、何かの血縁関係という線は残ります、。

「冷泉為恭」(れいぜいためちか)は本名を狩野永恭(かのうえいきょうといい、京都冷泉家とは無関係です、。
# by evian_th | 2014-10-20 02:05 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
楽焼「五柳万年青鉢」                  No.522
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◆2014年10月、。   京楽焼、短冊家、五柳絵付け菊花紋万年青鉢




全国日本春蘭連合会 春蘭柄物秋季展示大会(全春連)
時:2014年11月1日・2日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)

 



大阪東洋蘭会2014年秋季展示会
時:2014年10月12日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2014年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




蘭遊楽座 柄物展
時:2014年12月7日
所:東京 大森 「大林寺」




花ごよみ 秋の蘭展
時:2014年10月3日4日5日6日
所:花ごよみ




寒蘭 土佐愛蘭会 本部展
時:2014年11月14日15日16日
所:南国市農協会館




東洋蘭センター  蘭の杜 寒蘭花展
時:2014年11月5日~29日
所:東洋蘭センター 蘭の杜


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# by evian_th | 2014-09-30 22:29 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼「五柳万年青鉢」                No.521
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◆2014年10月、。   京楽焼「短冊家、五柳絵付け万年青鉢」


京楽焼、短冊家、五柳絵付け万年青鉢
10月のトップ画面は豪華な「五柳鉢」、。
「鉢縁下」(はちべりした)には「片輪紋」風に半分埋もれたような「雪輪紋」と「花唐草紋」、。「腰」部分は少し豪華にアレンジした「青海波」を描き、主役の「胴」部分は「菊花紋と花唐草」、。「段替わり」の間には「菊花と雲形」を描き、全体としていかにも高級品らしく豪華に見えるように仕上げてあります、。
「台の鉢」は短冊家製、。ほどほどに時代も乗っている様子から明治中~後期の作と思われます、。
(河野祝之氏所蔵)


エビアンが楽焼鉢を調べるようになって初めて出会った「五柳鉢」は、下に掲載の立岩信彦氏所蔵の青海波紋万年青鉢でした、。「五柳寿運」という絵師が如何に優れた技の持ち主であったかを教えられた鉢です、。胴部分全体が「青海波紋様」という地味な絵付けながら、その技の凄さを思い知らされる逸品です、。
「腰部分」の菊花の隙間を埋めるように描かれた「雲形」の手馴れた描き方を見れば、五柳という人がどれ程凄腕の職人だったかが知れます、。
「足」には五柳特有の「唐草と三本線」、。五柳は鉢の足には「菊花紋」を(あまり)描かなかったようです、。足に菊花紋を描くのは「楽徳窯の一柳」と「佐々木松楽窯」「大虎窯」であるように見えます、。短冊家製品にも五柳鉢にも「足の菊花紋」は(あまり)見かけないと思っています、。(例外があるといけないので、慎重に書いてます、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。)、。


楽鉢の調べ初めに上画像のような豪華な「五柳鉢」に出会わなくて良かったと思っています、。最初に見たのが上画像の五柳鉢だったなら、「五柳」の職人としての腕前の凄さは理解できず、ただ豪華さに目を奪われたことでしょう、。
そう言う意味で、始めて見た「五柳鉢」が下画像の鉢だったという幸運に恵まれました、。この鉢は「五柳」の職人としての持てる技の総合品だからです、。

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# by evian_th | 2014-09-30 22:00 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼鉢・大虎・福井楽印             No.520
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◆2014年9月、。



全国日本春蘭連合会 春蘭柄物秋季展示大会(全春連)
時:2014年11月1日・2日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)

 



大阪東洋蘭会2014年秋季展示会
時:2014年10月12日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2014年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




蘭遊楽座 柄物展
時:2014年12月7日
所:東京 大森 「大林寺」




花ごよみ 秋の蘭展
時:2014年10月3日4日5日6日
所:花ごよみ


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# by evian_th | 2014-09-01 15:57 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽5窯の仮説                     No.519
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<地図クリックで拡大表示します>
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◆2014年9月、。   京楽焼窯元に関する一つの仮説

京楽焼窯元に関する一つの仮説

1枚目画像は明治時代における京楽焼窯元の位置関係です、。
◆京楽焼窯元には(現在判明しているだけで)合計5窯があります、。
◆短冊家(祇園八坂神社前)
◆楽徳(浮田楽徳)(祇園建仁寺東南・松原通上がる)
◆佐々木松楽(東山区清水2丁目)
◆大虎(東山区馬町)
◆福井楽印(京都市山科区)


この内、現在までに製品の見分けが付くようになったのは、「短冊家」「楽徳」「佐々木松楽」の植木鉢です、。
残るは「大虎窯」と「福井楽印窯」の製品です、。
地図を見て頂くと、「楽焼鉢窯元」は清水寺を囲むように存在したことが分かります、。

画像2枚目の植木鉢は、単品で見るとチョッと見に「楽徳鉢」に見えますが・・・
①足が胴体へ付く部分が円く大きい
②腰に付いたその部分から出る足は細く独特の曲線を持って先丸るである
③足のくびれが大きい
④胴部分へ付く部分の出っ張りも大きい
・・・ことから独特の足を形成していて「楽徳製品」とは大きく異なる、。(ここまで台の話)
⑤大浪の間隔が広く、上部へ大きく盛り上がる
⑥足周囲へ金泥で模様を描く時は「絵師・一柳」なら鉢縁直下にも同じ模様を描く筈である
⑦「龍の顔」の描き方が「一柳」とは異なる、。絵師というのは色々な龍の顔を描けるほど器用ではなく、竜の顔の描き方は絵師の個性を表すはずである

・・・という理由で、台の鉢は「楽徳鉢」に似るが別窯であり、絵師も「一柳」に似るが一柳とは別人であることがお分かり頂けると思います、。
ちなみに「楽徳鉢」と並べて掲載しておきます、。一目瞭然、別窯製品ですね、。

では、この鉢は「大虎」と「福井楽印」のどちらの製品であるか、という疑問に関して一つの仮説を立ててみました、。
「楽徳製品」と非常に似るので、「楽徳」の造り方を参考にしたのは間違いのない所でしょう、。また、絵付けも「一柳」の描き方と非常に似るので楽徳製品に多く絵付けした絵師一柳を真似たのも間違いのない所です、。
しばしば楽徳へ通えるのは地理的に「短冊家」「佐々木松楽」「大虎」ということになります、。この内「短冊家」と「佐々木松楽」は独自形を確立しています、。「福井楽印窯」は山科区なので山一つ東になり楽徳へ通うのは面倒です、。(他の窯は東山の西面にあり、福井楽印のみが東側になります)、。
残るは「大虎窯」のみということになります、。従って、上掲のこの鉢は「大虎窯」の製品だと思われます、。
(このスレッドに使用した3窯の鉢は、いずれも飛田邦之氏所蔵)

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上掲の地図で、清水寺周辺の4窯と京都市山科区「福井楽印窯」との間には、「東山」という山が南北に横たわっています、。そのことが地図上からは理解しにくいかも知れません、。清水寺の右横に「東山ドライブウエー」と書かれてますが、ここを頂上とする山なのです、。現在65歳くらい以上の人なら一度は聞いたことがある筈の「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・・」の東山です、。「五山の送り火・大文字」の東山です、。平面地図では分かりにくいでしょうが、明治の昔に山科区から東山越えをするのは大変なことだったろうと思われるのです、。

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「古京楽鉢」の中に、非常~ぉに「短冊家」の作りに似た窯が有り、見れば見るほど「短冊家」に見える、しかし絵付けなど総合的に見ると短冊家ではない一群の鉢が存在します、。しばしばエビアンを「短冊家が見分けられない症」に罹らせた鉢です、。絵付けに使われる顔料も違うし絵師の腕前も短冊家専属絵師とは思えない、。しかし「鉢の台」の造りは固く、短冊家に見えてしまう、という悩ましい鉢でした、。
上で述べたように「大虎窯製品」を分離できたとなると、残る「台の作りが短冊家に似る楽鉢」は「福井楽印窯」の製品に違いないと思います、。一応、これを「福井楽印窯」と決めます、。
下に掲載の2枚目画像、鉢を上から見た時に、縁上面の平らさや内側へ落ち込む角にエッジが立つ所、そして何よりも内掛けの深さ、が短冊家に非常に似ます、。鉢底画像の足の造りも短冊家にそっくりです、。
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◆ここに述べたことは参考資料などの裏付けがあってのものではありません、。後になって、これを否定する資料が出てくれば変更することに異論はありません、。何時まで経っても結論が出ないよりは、一度確定しておいた方がいいと判断したものです、。

◆私たちが知らない「明治時代の日本、」、。ロバートフレデリックブラム・パステル画集、。
この絵を見ながら日本文化が花開いた明治時代に思いを馳せてみませんか。この時代背景があっての楽焼鉢です。
(文字クリック)
# by evian_th | 2014-08-31 21:00 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
楽焼鉢                          No.518
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◆2014年8月、。   楽焼鉢




全国日本春蘭連合会 春蘭柄物秋季展示大会(全春連)
時:2014年11月1日・2日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)

 



大阪東洋蘭会2014年秋季展示会
時:2014年10月12日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2014年○月○日・○日
所:東京蒲田 プラザアペア

# by evian_th | 2014-07-31 11:34 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
楽焼植木鉢                       No.517
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◆2014年8月、。   楽焼植木鉢

暑中お見舞い!!!

先月の華やかな鉢とは対照的に地味で落ち着いた鉢、。「茶色と青色」の反対色を使ってあるから余計に地味に見えます、。
口径17センチ×高さ12センチというこの鉢は・・・
◆何を植えるための鉢だったのかが分からない、。
◆江戸期の製作と言えるほど古いのか明治にずれ込むのかの時代設定も分からない。
◆短冊家製に見えるけれど短冊家ではあり得ない特徴もあって窯元判断も分からない、。
◆浮彫の模様がなにを描いているのかも分からない、。

という風に、分からないことだらけの奇妙な鉢です、。

じゃ、分かることはというと、「絵師」は全くタッチしていない「陶工」だけが作った鉢であること、。鉢底の雰囲気が一流で、鉢底・足裏だけを見ると短冊家の古い鉢に見えるということ、。
上から見込みを覗き込むと内掛かりが少ないことと、楽焼鉢の土はザラザラとした砂質陶土なのに、いやにツルツルとした印象を受けます、。陶土の色も楽焼らしくなくて、他の焼き物のような土色です、。
鉢ヘリの造りや縄縁の様子などから、相当熟練した陶工が相当数作ったのはうかがえます、。
一旦焼いてから胴部分を紋様を残して削り取って彫り込んであり、地味で雑に作ったように見えて、どうしてなかなか手間暇かけた凝った作り方を施しています、。何かは判らないのですが、当時高価だった園芸植物用に作られた鉢なのでしょう、。
暑い夏の夜に幽霊のような捉えどころのない話で申し訳ありません、。これ以上はエビアンには分かりません、。                 (伊藤勝美氏蔵)
# by evian_th | 2014-07-31 11:31 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼鉢短冊家「五柳万年青鉢」          No.516
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◆2014年7月、。   京楽焼鉢「短冊家五柳雲鶴図万年青鉢」



華幸園 富貴蘭自慢会
時:2014年7月12日・13日
所:華幸園展示場


三香園 富貴蘭展
時:2014年7月5日・6日
所:三香園


# by evian_th | 2014-07-10 02:14 | 東洋蘭鉢・ラン鉢
京楽焼短冊家「五柳雲鶴図万年青鉢」        No.515
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◆2014年7月、。   京楽焼短冊家「五柳雲鶴模様万年青鉢」

京楽焼植木鉢・短冊家製「五柳絵付け・雲鶴図万年青鉢」
この鉢は以前一度どこかで掲載してるのですが、商人さんの棚にある時点のスナップ写真だったので所有者さんに撮影してもらって再度掲載、。

「鶴の絵」はそれぞれの足の正面に、下を向いた鶴、横を向いた鶴、上を向いた鶴と描かれていて、本当は3枚目画像の「上を向いた鶴」がこの鉢の正面でしょうが、背後の左右の足のバランスが下向き画像のみキッチリと撮影されているのでこれを使用、。

五柳には珍しく「瑞雲」を用いての「鶴図」で4寸万年青鉢にビッシリと描き込んでいます、。足の間(この部分の呼び名については近々奥部屋でご提案、)には五柳独特の青海波紋様を描き、段替わりの間には雲形と五柳得意紋様山盛りの一品です、。
実はこの鉢には義兄弟(ん?)が居て、同じく五柳鉢ですが他方は「同一紋様の蘭鉢」です、。普通一般的には「植木鉢」の一対というのは無地物では同一品が2つとか、絵付けものでは相互いに見合うように左右逆向きの絵付け鉢2個をもって「一対」とするのですが、「楽焼鉢」に限っては(今現在見た範囲でのことですが)「同一紋様」の「万年青鉢」と「蘭鉢」を描くようで、この組み合わせで「一対」なのではないかと考えている所です、。(この件、来年(鬼が笑うか)正月にもご紹介)

「足」も何かしらいつもと違うなと感じて観察すると、無地の黒地に雲形を描き、(ふつうなら五柳は3本の金線を流すのですが)残りの余白(余黒か)に後塗で金泥を塗っているのです、。まぁ手の込んだことでご苦労様、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
上3枚画像は修正すると緑っぽくなりました、。5枚目の鉢が横向きの画像が実物の色に近い色です、。上3枚は鉢の「金色の点々」がやけに目障りですが、これはエビアンの責任です、。シャープを掛けると金の点々が飛び出てしまうのです、。これも5枚目が正しい色です、。
                            12.3×h11.8センチ (飛田邦之氏蔵)

(上3枚画像が緑色っぽかったのを多少修正しました)
# by evian_th | 2014-07-10 02:13 | 東洋蘭鉢・ラン鉢



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