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2015年春蘭展示会案内                 No.531
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◆2015年、。   春蘭春季展示会

058.gif<展示会日時は、かならずしも会期の早い順には並んでいません>040.gif


大阪東洋蘭会 2015年 春季展示会
時:2015年3月8日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 第44回春蘭展示大会(全春連)
時:2015年3月21日・22日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)
「全春連」は今年2月「東京ドーム世界蘭展」にもディスプレー展示参加します、。




全日本東洋蘭 春季美術品評大会(全東連)
時:2015年3月18日・19日
所:東京蒲田 プラザアペア




北関東中国奥地蘭同好会展示会
時:2015年2月28日・3月1日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター



蘭遊楽座 花物展
時:2015年3月1日
所:東京 大森 「大林寺」




中部蘭趣会 春蘭展示会
時:2015年3月13日・14日・15日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




愛知県春蘭合同展示会
時:2015年3月20日・21日・22日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




百喜千遊会春蘭展
時:2015年3月28日・29日
所:京都市 梅小路公園・緑の館



兵庫春蘭友の会 春蘭遅花展示会
時:2015年3月28日~4月1日
所:相生園芸センター




三香園 春蘭展
時:2015年3月21日・22日・
所:三香園




花ごよみ 春の蘭展
時:2015年3月27日~30日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)


# by evian_th | 2015-03-21 00:12 | 東洋蘭春蘭展示会
中国春蘭「小型西神梅」                   No.534
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◆2015年3月13日、。   中国春蘭「小型西神梅」(せいしんばい)

今春の展示会情報は、下スレNo.531、にあります、。

開花後約2週間経過の「小型西神梅」、。
展示会2日前に飾り鉢へ入れ、展示会時には5輪共正面を向いていたように思う、。2日後に画像撮影してみると左2輪は横を向いてしまっていた、。正面を向かせようとしたがもう無理だった、。ようやく咲き上がったようだった、。
「小型西神梅」は(時には多少花弁の一枚が下を向くことはあります、)咲き始めの愛嬌の良さは少し失われますが、花弁はパチッと咲き上がります、。

展示会出品をしない場合には、開花後に主弁(天弁)が立ち上がり、花弁が円く愛嬌が残っている内に画像撮影されることをお奨めします、。

「西神梅」には肥培すると葉が平葉で大きく葉数も5~6枚も振る分と、葉辺のギザが強く細葉で葉繰りも3~4枚にしかならない分とがあります、。
後者の「細葉西神梅」の中に「咲き始めにパチッと花弁を開き、花の咲き上がり後でもそのままの形で咲き続ける”小型西神梅”」があります、。葉が細いからといっても「小型西神梅」とは限りません、。



# by evian_th | 2015-03-13 00:03
京楽焼「短冊家蘭鉢」                   No.533
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◆2015年3月、。   京楽焼「短冊家・蘭鉢」

今春の展示会情報は、No.531に掲載しています。


◆「短冊家」の製品で「明治時代」の「蘭鉢」は非常に少ない、。
1月に続いて「明治時代の短冊家蘭鉢」をご紹介、。
画像を見れば、一見して「短冊家」なのですが、「京楽鉢5窯」の窯元が判明してからは、以前と違って、逆に、慎重に慎重に見るようになりました、。短冊家に似た鉢も多いからです、。

「楽焼鉢の歴史調べ、」を始めるまでは、「短冊家」「古京楽」「手島」「重平」「勘之助」「信楽」程度に大雑把に分類されていて、古い楽焼鉢が手に入ると、とりあえず「短冊家」と言っておくのが無難だった時代が永かったのです、。
それで、なんでもかんでも「短冊家」で取引したもので「短冊家鉢」は多いように思われてますが、分かってみると案外少なく貴重なものです、。

画像の鉢を手で触ったことはありません、。画像を見ると一見して短冊家なのでしたが、5枚目の鉢底画像の上へ伸びた足の形が「福富京楽堂」に見えて、2~3日置いて3~4回考え、やはり短冊家だと確信しました、。
「鉢縁下」(はちべりした)の「鋸歯紋(ぎょしもん)」、「腰部分」の「雷紋」、段替わりの緑土の線の描き方、台の鉢の作り、足の形、鉢底の雰囲気、胴部分の曲線、などなど、短冊家独自の雰囲気を感じ取りました、。

「胴部分」の絵付けは、「花散らし紋」ですが、こういう絵柄を見たのは初めてでした、。派手に見えて実は非常に落ち着いている絵付けです、。花の散らし方の配置も見事なものです、。「1の足」は、1枚目画像の「金色の花」が正面に来る足だと思います、。12.5×16センチ、(飛田邦之氏蔵)


「楽焼鉢」のルーツは中国福建省の「交趾鉢」だと以前に書きました、。
柔らかく厚みが薄い陶器の表面に分厚目に釉薬を掛けてあります、。
「楽焼鉢」の場合は、この釉薬に「加茂川真黒石」を混ぜて焼き付けるので、表面は石なのです、。”石”というのは人の思いを吸収します、。古典園芸を愛し、楽焼鉢を愛おしむ人に使われ触られて今日まで何人かの愛好家の手を得て今ここにあります、。
ですから、楽焼鉢は比較的良い思いを吸収しています、。集めて、手元に置くと、代々の所有者の、その良いエネルギーを感じるのです、。






# by evian_th | 2015-03-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼鉢「短冊家紫金牛鉢」              No.532
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◆2015年2月、。   京楽鉢「短冊家・紫金牛鉢」(こうじばち)


◆京楽焼・短冊家製紫金牛鉢、。
久々に「紫金牛鉢」、。いいですねぇ、。明治の福富京楽堂のカタログにある「紫金牛鉢」というのや、大正時代の錦園堂・手島揫二窯のカタログにある「仙人掌鉢」(サボテン鉢)というのは「風蘭鉢」を含むのだろうと思います、。「風蘭鉢」は明治20年前後に「紫金牛鉢」を基本にして、旦那さんの注文に応じて、その高さを様々に変えた結果としての鉢型だったろうと見当を付けています、。

画像の「紫金牛鉢」は「菊花散らし紋」の総絵付け、。見事なバランスで各種の菊花を描いています、。鉢の窯元は短冊家、。製造年代は古くは無く、見た目に昭和の初め、。使用法や保存法で時代乗りは変わるものですが、多分まぁ、あまり古くは無いと思われ、。しかし、いい鉢です、。(口径9.3センチ、高さ8.3センチ、西口郁夫氏蔵)

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今月この鉢をトップ画面に使うのには相当考えました、。最も大切な「正面画像」が無いからです、。しかし、この鉢の良さを使わずにしておくのは可哀想だし、エビアンが紫金牛鉢を好きなので、。
「植木鉢画像撮影」には、どうしても「正面画像」は必要です、。「お見合い写真」でも「運転免許証写真」でも正面から写します、。横顔や上から頭頂部を見下ろし画像では役立ちません、。当然のことですよね、。

下画像は上掲の1枚目と2枚目とを継ぎ合せて合成しました、。
これが「正面画像」です、。

1枚目は頭頂部見下し画像、2枚目は横顔画像、。第一、和服美人が脚を開いて膝を曲げたような角度は下品です、。足を左右に開いた画像は、その部分の胴の絵付け説明にどうしても必要な場合に限られる角度だとエビアンは考えます、。

3本の足を順に正面に据えて眺めると、3本のどこかに必ず「正面」が存在します、。同じように見えても、必ず「正面」は在ります、。「一の足」「二の足」「三の足」とある筈です、。無神経に撮影せずに正面を確認しましょう、。せめてもの絵付け絵師に対する敬意を払って、。
脚は「一の足」を正面としますが「二の足」「三の足」は左右均等に見えるような角度で、。
上部の「鉢縁」は「横一直線」になる角度、かまたは、縁上面の向こう側が少しだけ見える程度、。この「正面画像」が必ず必要ですし、これ一枚の撮影には随分と神経を使います、。
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# by evian_th | 2015-01-31 21:04 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家東洋蘭鉢                     No.530
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◆2015年1月、。   短冊家東洋蘭鉢(と万年青鉢)

謹賀新年
本年も東洋蘭風来記の「風来記ページ」を宜しくお願いします、。

短冊家「伝統紋様蘭鉢」
過去に何度か「短冊家が見切れない症候群」に罹り、一昨年後半にも過去最長の迷いの期間に入っていた時、昨年1月にこの鉢を入手して「あ~、やはり、な」という思いで腑に落ちました、。一気に迷いから脱出した記念すべき鉢です、。
一昨年くらいから立て続けに「福井楽印鉢」と思しき鉢と出会い、迷いの期間に入っていたのでした、。

「明治の短冊家蘭鉢を手に入れて自分の手で触ってみたい、」と願っていたのでしたが、明治の短冊家の蘭鉢となると、製作数が少なくてそうおいそれとは品物もなく、ましてや高級絵付け鉢となると見る機会さえほとんどない状況です、。世間で言われるほどには実物は存在しないですよ、。「これは、」と思っても、どこかが違う、腑に落ちないモヤモヤした気分が残る鉢がほとんどです、。

画像の鉢は割れ鉢です、(大きくニューが入ってます、)が、本物だけが持つ雰囲気を伝えるには十分、。鉢内側から接着剤で着け、鉢表面にはあえてニューを残しました、。無理な繕いは不要、エビアンにはこれで十分です、。展示会で使おうと考えています、。

この鉢は手に取ると見た目よりも”重い”と感じます、。
短冊家の鉢(万年青鉢・蘭鉢を問わず)の見分けのポイントとして重要な、ヘリ上面から見込みへの落ち込み部分にエッジが立ってません、。一旦製作した後に角部分をヘラで削ぎ取ってあります、。「短冊家の鉢は落ち込み部分が鋭く角張る」という過去記事が間違いだったと証明しています、。こういう風に作った鉢もあったのだと知ったことは単純な見分け方をしがちなエビアンには新鮮な驚きでした、。


緑土(テールベルト)を多用し、絵付け職人の腕の冴えを「これでもか」と見せつける仕事っぷりです、。
正面は「亀甲繋ぎ紋」の場所でしょうが、見た目に派手な「花菱繋ぎ紋」の足を正面の画像をトップ画面に選びました、。残る足には「青海波」が描かれています、。
「鉢縁下」(はちべりした)と腰部には「鋸歯紋(ぎょしもん)、を描いて段替わりとし、胴部分はS字状曲線で「片身替わり」を取り、3本の足の間の胴には「蛸唐草紋」のようなものが描かれています、。

品良く仕上げるために使われている顔料も「テールベルト」と「金」と「白」と「少しの黄色」のみに抑えています、。見るべきは絵付け職人の腕の良さでしょう、。
「短冊家」を初め「楽焼鉢の窯元」の規模に関しては風来記は過去に大きな誤解をしていたかも知れません、。「京町屋」(間口が狭く奥行きの長い屋敷)で鉢や茶碗を細々と焼いていたのです、。そんなに大規模な制作場所ではありません、。職人といってもその大部分は窯元の当主自身とせいぜいその家族程度だったでしょう、。極端に言えば「町の豆腐屋さん程度」と同規模の家内工業だったと最近のエビアンは思っています、。
「窯元絵付け」というのは「窯元に住み込みの絵付け職人の仕事」ではなく「窯元自身の絵付け」だったものが大部分だったと考えるようになって来ています、。

上掲の鉢も短冊家当主自身の絵付けだった可能性が大きいと思います、。それにしては凄い絵付けの腕前ですね、。

◆下画像の短冊家万年青鉢は10年ほど前に蘭商人野田谷治男氏から購入したものです、。
上掲の蘭鉢と、同一時代、同一デザイン、同一職人による絵付け、である事は一目瞭然で、この「蘭鉢と万年青鉢をもって一対」とするのではないかと考えている所です、。この件については、
◆2014年7月、京楽焼短冊家「五柳雲鶴図万年青鉢」(クリックで表示)
にも書きました、。
決定事項ではありませんが、現時点ではそのように考えています、。

これらの鉢が「短冊家」のご先祖さん自身の作陶・絵付けなら、「短冊家さん」のご先祖はなるほど凄い腕前をした人だったと感心しきり、。

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# by evian_th | 2015-01-03 00:11 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
なぜ楽焼は京焼ではないのか?           No.529
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◆2014年12月25日、。   なぜ、楽焼は京焼ではないのか?

少し以前(といっても5年ほども前のことだですが)、「なぜ楽焼は京焼ではないのか?」というテーマに関して、曖昧な記憶から引用文を書いたのでしたが、その引用元の本を積読の中から見付けたので、楽焼鉢と関係がありそうな部分を抜き書きしておきます、。

元本は、「茶道誌淡交・2007年10月号増刊」の「江戸期の京焼」という本でした、。その中の・・・
「京焼の本質と定義」(副題:~それが判れば苦労しない~)  京都国立博物館主任研究員 尾野善裕


(中略)
なぜ、楽焼は京焼ではないのか?

京都のやきものといえば、昔から楽焼が有名だが、楽焼は京焼ではないらしい。「らしい」というのは、私が決めたからではないからで、ものの本にそう書いてある、。
もっとも、こういう話をすると、「えっ!楽焼って京焼の一種じゃないの」という反応がしばしば返ってくるし、「それは、おかしい」と反論までされることも珍しくない、。しかし、意外に思われるかもしれないが、かつて「京焼」という言葉が、楽焼をその範疇に含まない概念として、たびたび用いられていたことは厳然とした事実である、。だから、いくら「おかしい!」と言われたって、そんなことは「あっしには関わりねぇことでござんす」、。

むしろ、なぜ楽焼が京焼ではないとされたのか、それを問うことのほうがよほど生産的な議論だろう、。そうした視点を抜きにして、楽焼を京焼に含めるべきか、否かをとやかく言うことにあまり意味があるとは思われない、。ただ、なぜ楽焼を京焼に含めないことになっているのか、その経緯や理由がよく判らないから困るのである、。

もっとも、こうした問題意識を頭の片隅にとどめておきながら、楽焼あるいは楽焼風のやきものの出土事例を概観してみると、年代的に古い事例が妙に大阪(以下、歴史的表記を重視して「大坂」)に偏っていることに気付く、。何故だろうか、。
実は、この現象は当時の政治・経済の中心がどこであったか、を象徴的に示している、。豊臣秀吉が建設させた寿楽第(邸)が完成し、彼が大坂から京都へ移って来るのは天正15年(1587年)のこと、。それゆえ、「松屋会記」の天正14年(1586年)10月13日条などから、それ以前に創始されていたと考えられる楽焼(あるいは楽焼風やきもの)が、京都よりも秀吉の本拠地であった大坂でたくさん用いられていたらしいことは、別に驚くほどのことではない、。千利休が秀吉の茶堂であり、楽焼初代の長次郎の作陶に利休が深く関与していたに違いないことを考えれば、むしろ当然のことと言ってようだろう、。

このように考えてくると、果たして楽焼は京都で創始されたのだろうか、という疑問も自ずから湧いてこよう、。大坂にいた秀吉と利休、そして利休と長次郎の関わりの深さを考えるならば、楽焼が大坂で焼き初められていたってよさそうである、。時代背景を重視するならば、そう考えることだって不可能ではない、。

「とんでもないことを口にする奴だ」という非難は覚悟の上で、あえて言わせて貰うならば、楽焼を京焼に含めないことに対する疑問の背景には、楽焼は京都のやきものだという先入観があるのではないか、。そして、もしこのように考えることが許されるならば、楽焼を京焼の範疇に含めない理由は、説明するまでもないだろう、。 なにしろ(最初は)京都で焼かれていなかったのであるから、。

もっとも、決定的証拠があるわけでもない以上、こんな話は単なる憶測に過ぎず、そうかもしれないという根拠薄弱な一仮説に過ぎない、。そこで、ついついこういう言葉も吐きたくなるのである、。「だから、そんなに簡単にはいかないんだってば・・・・・」、。
(中略)
なるほど、京焼が京焼であるのは、それが京都(もしくは京都近郊)で焼かれたものであるからだ、。

(以下略)

------------------------------------------------------------<以上>

◆上記のように、楽焼は大坂で焼き始められました、。「楽焼植木鉢」も同じです、。特に植木鉢の方は秀吉や千利休や佐々木長次郎が上洛(京都へ昇る)した後も大坂で作り続けられ、明治に入って京都の楽焼鉢のスタイル(小萬年青の流行に合った形)に追い抜かれるまで200年間の長きにわたって作られたのです、。

◆楽焼鉢の歴史を調べ始めてくれたのは萬年青界です、。この点では萬年青界には感謝しなければならないなぁと常々思っています、。
ただ、萬年青界はその調べ初めに京都の短冊家さんへ行って先代の奥方から「楽焼鉢は短冊家の先祖が文化文政年に作り始め・・・」と聞かされた事から始まっています、。この言葉には、その前文として「京都では、」という言葉が抜けています、。短冊家さんのご先祖が植木鉢を作ったのは事実ですが、京都で初めて、のことであり、楽焼鉢自体はその200年も前から大坂の堺で作り始められていたのです、。

◆京都には国立博物館があり研究員も居られ、愛知県には陶磁博物館というものがあって同じく研究がされているのに、今後大阪を調べようとしてもどこへ行けば、という壁に突き当たるのです、。堺市役所へ電話凸したのですが、古墳を売り込むことには熱心ですが、千利休旧邸は目印1個あるのみ、堺の文化的歴史には興味なしと来ています、。楽忠窯・楽雅亭窯がどこに在ったのか、他の楽焼窯は、となると遠い遠い道のりです、。少しずつでも進歩すればよいと願っています、。
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# by evian_th | 2014-12-25 12:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
富貴蘭鉢・風蘭鉢                    No.528
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◆2014年12月20日、。   東洋蘭・富貴蘭・風蘭


富貴蘭鉢(風蘭鉢)
東洋蘭風来記も満10年を経過いたしましたが、その間、毎月のトップ画面は「蘭鉢」と「万年青鉢」が大部分であり、「富貴蘭鉢(風蘭鉢)」は掲載していません、。
現在、富貴蘭界で使用されているいわゆる「風蘭鉢」は、いつ頃どういう経緯で東洋蘭界に出現したのか、がイマイチ判然としなかったから、というのが一番の理由です、。

「富貴蘭風蘭」は既に江戸時代から栽培されていたらしいことは上掲の絵をご覧頂けば一目瞭然です、。ですが鉢は欽古堂亀祐型といいますか赤土瑠璃浮絵紋様六角鉢です、。
「植え込み材料」は上掲の画像や、最下段1835年出版の「長生草」(堀籠浩史氏提供)文中の挿絵を見れば、現在使用されている「水苔」のように見えます、。が、説明文中には「水苔」という言葉は出て来ません、。
代わりに「水草」(みずくさ)という用語が出て来ます、。、。(<訂正>出て来るそうです、。「水苔とヘゴを混ぜ合わせて植える」という文章が出て来るようです、。訂正しておきます、。)
これより前1818年に出版された「草木育種」(そうもくそだてぐさ)には「へご」という用語が出て来ます、。「へご」を使っていたくらいですから、この絵に描かれた植え込み材は現在の「水苔」でしょう、。「水苔」が江戸時代には既に園芸植物の植え込み材として使用されていたのです、。


残る問題は「鉢」です、。
明治33年に発行された東京の福富京楽堂のカタログには「萬年青鉢・蘭用高鉢・紫金牛鉢」と載っていますし、
◆大正14年発行の東京の錦園堂・手島揫二窯のカタログには「万年青鉢・蘭用高鉢・仙人掌鉢」と載っています、。
いずれも「富貴蘭鉢」は載っていません、。
◆昭和10年に発行された京都の短冊家のカタログに至っては「万年青鉢・蘭用高鉢」のみです、。


さて、ここからが風来記エビアン得意の当て推量・想像・デタラメですが・・・

「富貴蘭」は元々は大株物に作って「京焼」や「三河鉢」などの適当なのに植え込んでいたのです、。時を得て、貴重品種が出現するに至って風蘭も小株になり、それに合う鉢の需要が出て来たのですが当時は専用鉢も無く、「紫金牛鉢」として売られていた鉢の高さを縮めた鉢を注文するに至ったのでしょう、。

それというのも、「ヤブコウジ」や「シャボテン」の大ブームがあって専用の鉢が飛ぶように売れた、とは考えにくいのです、。にも拘らず価格表に「ヤブコウジ鉢」や「シャボテン鉢」が載っていたということは、それらを「風蘭鉢」として用いる需要があったと判断するのです、。

したがって、「福富京楽堂カタログの紫金牛鉢」というのや「錦園堂・手島揫二窯の仙人掌鉢」というのは今でいう「富貴蘭鉢」の事だったのだろうと推察します、。

古くからあった「紫金牛鉢」のデザインを基本とし、それの背丈を低くした鉢や、低くした上に胴体部分を袋式に膨らませた鉢や直線状に下へ向かってすぼめた鉢や、妙に底の浅い鉢などというように、注文主の要望によって形が一定しなかったのだと思います、。「富貴蘭鉢」のルーツは「紫金牛鉢」だと風来記は考えます、。

そして、「紫金牛鉢」が「富貴蘭鉢」へと変化して行くのは、鉢の縁のツバがシッカリとできあがってからだということと、使われている極彩色の顔料が赤色や黄色が多いことから、赤色顔料や黄色顔料が輸入されたり国内生産された明治中期(明治15年~30年)以降のことだろうと考えます、。

ただ、この形の鉢を「風蘭鉢」と呼び、風蘭の根を水苔で巻いて風蘭鉢に入れる現在の栽培法が確立したのは、グッと新しく、昭和の時代の事だろうと思います、。



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この記事ご協力者様・堀籠浩史様・野生ラン編集子様・西口郁夫様・野町敦志様・華幸園さん
# by evian_th | 2014-12-20 01:16 | 東洋蘭富貴蘭風蘭
楽焼鉢の顔料                       No.378
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◆2010年12月、。     顔料から見た楽焼鉢

「上絵付け」と「下絵付け」
釉薬をかける前に素焼きした素地上に絵付けをするものを「下絵付け」と呼び、代表的なものには「呉須」を用いた「古染付」や「酸化鉄」を使った鉄絵の唐津や志野などがあります、。
これに対して、本焼きした陶磁器の表面にかかった上釉(うわぐすり)の上に、赤、緑、黄、青、紫、などの色釉で彩画着色することを「上絵付け」とよび、九谷焼、有田焼、薩摩焼、などがあります、。

我が「楽焼錦鉢」の絵付けは、一種の「上絵付け」でしょうけど、イッチン絵付けの顔料が盛り上がった絵付けは、一般的に呼ばれる「上絵付け」とは少し異なると感じます、。九谷や有田や薩摩よりも絵付け部分が盛り上がっています、。このような「顔料」は、他の焼き物よりも歴史は新しいように感じられます、。
「楽焼鉢」自体は、盆栽鉢よりも遥かに歴史の古い焼き物ですが、あの多彩な顔料を使った楽焼鉢はいつごろから焼かれたのかを「陶磁器の顔料」の面から見ると・・・

慶応3年(1867年・明治維新の前年)、瑞穂屋卯三郎という人が「パリ万国博覧会」を見物の帰路、「陶磁用絵具」数十種を持ち帰り、佐賀藩に売り込んだと盆栽鉢の本に出てきます、。九州佐賀藩は有田を中心とした陶磁器産地です、。
その4年後の明治3年にはドイツ人化学者ワグネル(陶磁器の世界では有名な人)を佐賀藩が雇い入れ、陶絵具使用法の解明の研究をしたようです、。
同じ明治3年には、「京都舎密局」(化学局)が設立され、ワグネルの指導の元、永楽善五郎や入江道仙などが「陶磁器顔料の研究助手」として加わったと記述されています、。

これらのことから、どうも我が「楽焼鉢」に使用される顔料(釉薬)は、一部の「呉須」や「瑠璃」や「金彩」を除けば、この時期辺りが「楽焼鉢」に華やかな彩色を施され始めた最古の時期ではないかと思われます、。
資料的には出て来ませんが、少しゆずっても、1853年~1868年の幕末くらいまでで、それ以前に多彩な彩色を施した「楽焼鉢」が存在したとは考えにくいのです、。

江戸幕府は、庶民が贅沢に溺れるのを抑制するため、たびたび「奢侈禁止令(しゃしきんしれい・贅沢禁止令)を出しています、。効き目は直後のみで、たびたび禁止令を出していたようで、奢侈禁止令を最後に出したのは1842年のことです、。それまでは、庶民の着物の布地の種類や色まで地味な色に指定していたほどですから、陶磁器に派手な彩色を施すことは世情から見ても無理だったと思われます、。

こうして、「明治維新」を境に、楽焼鉢の彩色も、顔料供給面や政府の束縛などの制約から解き放たれ、一気に彩色文化が開花したものと思われます、。楽焼鉢の絵付けに使用されている顔料(釉薬)は、見ようによっては「油絵具」のような見た目と手触りですから、この頃に研究開発された顔料(釉薬)だったのでしょう、。

これが、「楽焼鉢」に於ける「江戸時代」と「明治時代」との境界です、。(画像提供:飛田邦之氏)

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ついでながら、同じ頃(明治6年)、尾張瀬戸の窯元の息子で加藤友太郎という人物が上京し、陶芸家・井上良斉門下に入り、もっぱら「楽焼」を焼いていたようです、。現在の帝国ホテルの地に明治政府が「勧業寮」という洋式陶磁器試験所を作り、加藤友太郎は明治9年に勧業寮を卒業後、明治15年独立して、牛込区新小川町に製陶所「友玉園」を作りました、。
これは想像ですが、「福富京楽堂」は、この「友玉園」の指導の元、東京で楽焼鉢を製造し始めたのではないかと思われます、。東京での楽焼鉢は、明治15年過ぎに製造し始められ、明治30年頃にはカタログを発行して全盛を誇るまでになっていたようです、。(京都にも、こういう資料が出てくればいいのに、)

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「京焼」というのは、もともと京都に住んでいた陶工が興した焼き物ではなく、安土桃山時代から江戸初期に、皇城の地であり、華やかな王朝文化が花咲く京都に憧れた瀬戸や信楽や備前の陶工たちが上洛し、東山一帯に住み着いて窯を開いたものです、。
京都の焼き物は「茶道」と共に発展し、町衆の中の「茶道具数寄者」の影響により発展した焼き物です、。この茶道具コレクターを「茶数寄」と呼び、彼らの好みが京焼を育てて行ったのでした、。

「京焼」は、江戸初期に野々村仁清や尾形乾山などの名工が出て隆盛を極めた時期と、江戸後期・文化文政年間に奥田頴川や青木木米や欽古堂亀佑や三文字屋嘉助などの名工が出た時期とに隆盛を極めるのですが、この江戸初期のころ、既に「楽焼」の「蘭鉢」や「菖蒲鉢」は作られていたようです、。
ただ、「楽焼」は、その生い立ちが日本の陶工が作ったものではない点と、千利休などを介して時の朝廷と結び付いた焼き物であったために、通常「京焼」と呼ぶような焼き物とは区別され、いわゆる「京焼」には含まれません、。それだけ特殊な焼き物であった訳です、。

江戸初期の「京焼」の名工・野々村仁清の「上絵の具」には・・・
赤色は「金珠」と呼ばれる「特殊な紅柄丹土」を材料とし、萌黄(緑)色は「岩緑青」と「舶来の萌黄ガラス」を用い、紺色には中国産の「岩紺青」を、紫色には中国産の「呉須」と「丹土」「金珠」を混合したものを、黒色は「銕粉」(刀鍛冶が使う鉄粉)と「中国産呉須」の混合、をそれぞれ使用しました、。「金銀彩」は漆蒔絵に使う金箔・銀箔を粉にして膠で溶き、金銀泥にしたものを使用しました、。
非常に高価貴重な顔料を手の込んだ技法で使用したもので、とても後の世の楽焼鉢に使用されるものではありませんが、「明治以前の京焼にも彩色上絵付けしたものが存在するじゃないか、だから楽焼鉢も江戸時代の古くから絵付け物が有ったのじゃないのか、」という疑問に応えるために、一応記しておきます、。
# by evian_th | 2014-12-09 13:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭楽焼鉢「楽徳花鳥図」              No.527
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◆2014年12月、。   楽焼鉢「楽徳花鳥図万年青鉢」

師走、。
今年も多くの御訪問を頂きまして誠にありがとう御座います、。来年以降も「植木鉢記事」を掲載して行こうと思いますので、何卒よろしく御ひいきのほどをお願いします、。


京楽焼「浮田楽徳製花鳥図万年青鉢」
風来記で楽徳の万年青鉢を取り上げる事は少なかった、。というのも下に掲載の鉢を入手してから、楽徳には2種類の万年青鉢があるのか、それとも窯元が違うのかと悩んだせいです、。結局、下の鉢が「石斛鉢」だと判明して疑問は解決したのでした、。

白胴部分にイッチンで細かなポツポツを密に打ち、その上から花鳥図の大和絵を描いてあります、。楽徳絵付けはデザイン化した紋様が多く、写実的な絵は少ないので貴重品、。鳥の種類は不明ですが、表は羽を広げた姿、背後には羽を閉じた姿を描いています、。金泥を使った高級品で、注文主の特注品だったのでしょう、。上品な仕上がりになっています、。腰部分下部「高台脇」に絵具が剥げ落ちたような白い所があり、何度も見返したのですが、やはり一旦塗った白色泥漿が部分的に剥げ落ちたものだと思います、。

白地に金色絵付けなので目立ちにくく、コントラストを強めに修正しました、。少しドギツイ画像になっているかも知れません、。(口径15センチ・高さ14センチ、第2回・華幸園展より、数寄者蔵)

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「浮田楽徳製魚の子紋様石斛鉢」
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# by evian_th | 2014-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢2種類の窯元                   No.526
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◆2014年11月2日、。   楽焼鉢・陶工窯と絵師窯


画像は杉野達実氏所蔵の「浮田楽徳製鳳凰紋蘭鉢」、。
2枚目画像の「大和絵の鷲」を見ても大和絵師が鳥を描く時の鳥の構図処理に癖が出ているのが分かる、。鷲を鳳凰に置き換えただけ、。浮田楽徳の腕前を充分に発揮した見事な絵付け鉢です、。


◆楽鉢窯元を「陶工系」と「絵師系」に分けると・・・
◆「陶工系窯元」・・・短冊家、福井楽印、手島揫二、福富京楽堂
◆「絵師系窯元」・・・浮田楽徳、大虎、佐々木松楽
・・・ということになります、。



「東洋蘭風来記」は今月2014年11月中旬に満10年を迎えます、。
多くの御訪問者様に支えられてここまで続きました、。奥部屋訪問者様、風来記の植木鉢数寄者様、BBSに書き込んで下さる御常連様、余剰苗を買い支えて運営費を助けて下さる皆様、お一人お一人の御訪問者様に心から御礼申し上げます、。






蘭遊楽座 柄物展
時:2014年12月7日
所:東京 大森 「大林寺」




寒蘭 土佐愛蘭会 本部展
時:2014年11月14日15日16日
所:南国市農協会館




東洋蘭センター  蘭の杜 寒蘭花展
時:2014年11月5日~29日
所:東洋蘭センター 蘭の杜



兵庫春蘭友の会 秋季柄物展示会
時:2014年11月30日(12:30~16:30時)
所:相生園芸センター内
参加費:500円


杭州寒蘭展示会
時:2014年12月6日・7日
所:三重 メッセウイングみえ

# by evian_th | 2014-11-25 23:52 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
「東洋蘭風来記」お蔭様で満10年          No.527
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◆2014年11月、。


「東洋蘭風来記」、お蔭様で満10年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満10年>




# by evian_th | 2014-11-16 20:33 | 東洋蘭(春蘭)
京楽焼楽徳鉢                      No.525
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◆2014年11月、。   京楽焼浮田楽徳窯大和絵万年青鉢

京楽焼鉢の窯元に「もともと陶器の窯元」だった窯と「絵師が窯を持って鉢を作るようになった」窯との別方向からの2種類の窯元が有ったことが判明しました、。
陶器の製作が得意な窯は鉢の台の作りがシッカリしており、絵師出身の窯は多彩な絵付け鉢を製作したようです、。

前回までに書いたように、浮田楽徳は「京狩野」の「大和絵派」の絵師の系統から陶芸の道に入った人でした、。
「大和絵」(やまとえ)というのは、中国の絵の手法「唐絵」(からえ)に対する「日本古来の絵」という意味付けで呼ばれる呼称です、。平安時代に盛隆期を迎え、以後も描き続けられた絵です、。
「錦絵」(にしきえ)は佐々木松楽窯がその出身ですが、「浮世絵」の下絵の事で「絵師・彫り師・刷り師」が居て一枚の元絵から同じ絵を大量に刷る木版画の元絵のことです、。

まぁ、そんなに明確な区別は無かったかもしれませんが、「錦絵」が木版画の元絵で同じ絵が何枚も刷られたのに対して、「大和絵」は紙に直接描くので1枚しか出来ない、という程度の違いです、。

今月の鉢に描かれた絵は何でしょうね、。「平安朝の貴族の絵」でしょうか、。何か絵にテーマがありそうですね、。絵付けはイッチンと筆描きとの混合、技術的に少したどたどしく感じますが、複雑な絵で難しかったのでしょう、。鉢を横から見た時は窯元が判然とはしませんでしたが、鉢底画像を見れば浮田楽徳窯で決まりです、。

「陶工が作った鉢」と「絵師が作った鉢」との2種類がある事が判明したのが最近の風来記の新発見です、。   (16センチ×高さ15センチ)    (新倉善秀氏所蔵)



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下画像の2鉢は「芳虎斎五柳寿運」の鉢です、。五柳も大和絵師の系統の絵師だったことは一目瞭然ですね、。(花岡昭治氏蔵)
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# by evian_th | 2014-11-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼鉢「浮田一蕙と楽徳」               No.524
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◆2014年10月24日、。   京楽焼鉢「浮田一蕙と浮田楽徳」

前スレに続いて「大和絵」と「浮田一蕙」「浮田楽徳」を書いておきます、。

江戸幕府の成立と共に「狩野派絵師」の多くは江戸へ下り、信長に付いて京都に残った「京狩野絵師」は冷や飯を食わされることになります、。京都の寺の襖絵を誰に描かせるか、という事まで江戸幕府が握っていたようで、「京狩野」の絵師は京都の寺の仕事もできなかったのです、。幕府に対する不満も溜まっていたのでしょう、。これが後に幕府を倒すエネルギーの一つになって行きます、。

京都の大和絵師「浮田一蕙」(宇喜多とも)は、豊臣政権下の五大老の一人で戦国大名・宇喜多秀家(秀は秀吉から与えられた一字、)の七世の孫に当たる立派な武家の出身です、。
早くから「尊王攘夷派」の絵師として知られ、後に「討幕運動」にも加わります、。そのことが、幕府大老・井伊直弼によって「安政の大獄、」時に江戸へ呼ばれ、吉田松陰らとともに投獄されます、。「安政の大獄」で刑を受けたのは百数十人に上り、その中の一部が処刑や投獄をされた訳ですから、長男・松庵(可成)と共に投獄をされた「浮田一蕙」は相当な重要人物だったのでしょう、。


この辺の一連の出来事は興味が無い限りややっこしいので簡単に箇条書きにします、。
1853年 黒船来航、。これより「日米修好通商条約」に反対する「尊王攘夷派」の中から討幕の運動が始まります、。
1858年から翌年へかけて 「安政の大獄」、。「浮田一蕙」は長男松庵(可成)と共に吉田松陰らと投獄されます、。
1859年  「浮田一蕙と松庵」解き放たれ京都へ帰るも6か月後浮田一蕙は他界してしまいます、。
1860年 「桜田門外の変、」起こる、。不満の残る元水戸藩浪士らによって「大老・井伊直弼」暗殺される、。
1861年  「浮田楽徳窯、」の開窯、。楽徳31歳の時、。
1863年  「湖東焼閉窯」、。彦根藩主井伊直弼の死によってスポンサーを失くした「彦根藩御庭焼・湖東焼」は閉窯に至ります、。「桜田門外の変」から3年後の事です、。
1867年 「坂本竜馬」「近藤勇」他界、。
◆1868年  「明治維新」、。


この一連の年表を見ると、
討幕運動に連座した「浮田一蕙」の井伊直弼による投獄と翌年の死亡
井伊直弼の暗殺
浮田楽徳窯の開窯

は無縁のものとは思えず、「浮田楽徳」は「大和絵師」として「一蕙の親族」であったが故に「絵師」の道を諦めて「陶芸」の世界へ入って行ったのではないでしょうか、。

これが(状況証拠的ではありますが)エビアンが「浮田楽徳」は「浮田一蕙」の親族、と考える根拠です、。同じ時代、同じ京都の大和絵師の中で同じ「浮田姓」の絵師で血縁者ではないというのはあり得ない事でしょうから、。


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「短冊家」の開窯は、これら一連の出来事よりも30年も前の文化文政年のことですが、こう言っちゃぁ何だけど、「短冊家」は「短冊楼」という「御茶屋」(芸妓置屋)の主人という町衆の出身、。
それに比べて「浮田楽徳」は由緒正しい武家の出身、。
まぁ「短冊家」も「浮田楽徳」も素晴らしく、明治の日本に文化的には貢献大ですね、。

「浮田楽徳」というのも本名とは限らず、「浮田一蕙の子供」という考えから、「松庵」(可成)と同一人物ではないかと思ったのですが、松庵は明治21年に他界していました、。楽徳の他界は大正元年ですから、別人です、。二男・三男・甥っ子とも考えられますが、江戸時代というのは大名旗本といえど家督を相続したりという風に名前が残るのは長男だけで、それ以外は余程の事でもない限り名前は残りませんから判断は不能です、。

同じ討幕運動派の「坂本竜馬」と「浮田一蕙」の関係は、と興味本位で考えましたが、坂本竜馬は死んだのは京都ですが、「桜田門外の変」の時には幕府寄りに身を置いていて土佐(高知県)に居り、土佐と江戸との往復で、京都は滅多に寄りませんでした、。時代がズレます、。「坂本竜馬」は「勝海舟」に心酔して師事し日本の海軍力の増強に力を入れる立場に居たのが、突然翻って討幕派になるのですねぇ、。

数スレッド前に京都の古地図を掲載して「東山」のことを書きましたが、今回も「東山の東に位置する琵琶湖の東の湖東焼」と「東山の西の山裾に窯を置いた楽焼」とが不思議な運命を辿ったことが分かりますね、。
「桜田門外の変」により他界した井伊直弼は彦根藩御庭焼に力を注いでいたのですが、その死後は「湖東焼」も閉窯し、湖東焼の陶工達は東山の西の京都・粟田口へ移り住み、湖東焼の陶工だった「瀬戸の陶工・幹山伝七(本名:加藤孝兵衛、)」率いる「幹山工場」の陶工として働き、明治政府の肝いりで外貨を稼ぐために輸出用の磁器製品を作ることになります、。討幕運動派の多い京都に明治政府の御用達工房を開き、近距離でお互いに「陶磁器」を製造したのですから皮肉なものですね、。


こうして見ると、我々「鉢数寄」が持っている「楽焼万年青鉢や蘭鉢、」も中学校時代にイヤイヤ勉強させられた「黒船来航」「安政の大獄」「桜田門外の変」などの出来事とまんざら無関係ではなく、えらく身近に感じるものですねぇ~、。

画像の鉢はエビアン所蔵の「浮田楽徳製波うさぎ紋蘭鉢」、。「鉢縁下」(はちべりした)と腰部分は「七宝繋紋」、胴部分は古典「因幡の白ウサギ」から題材をとった伝統紋様である「波うさぎ紋」、。静かで落ち着いた鉢です、。
# by evian_th | 2014-10-24 01:36 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽焼「一柳と楽徳」                  No.523
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◆2014年10月20日、。   京楽鉢「一柳と浮田楽徳」

画像の蘭鉢は「風来記」に掲載した飛田邦之氏の分とは別の「浮田楽徳製蘭鉢」で、立岩信彦氏所蔵の鉢です、。

絵師「一柳」というのは以前にも度々書いているようにエビアンの想像上の謎の絵師・幻の絵師です、。、「楽焼鉢」の話を進める上ではその存在が大きく、謎とロマンを持って親しんで来たのですが(まぁ便利に使って来たとも言えますが)、ここへきて少し妙な雰囲気が漂って来ました、。
謎の絵師「一柳」とは「浮田楽徳」自身のことではないのか、という仮説が現実味を帯びて来ているのです、。

最近、2つの事柄を知るに至って、様子が変化してきました、。
1つは、「佐々木松楽窯」が「錦絵絵師」から窯元になり、絵師が窯を開くという事もあったのだという事実を知ったことです、。今まで、まず「窯元」ありき、で調べて来たエビアンにしてみれば”目から鱗が落ちる”ような衝撃でした、。
「楽焼窯元」に必要以上に権威付けしすぎて来たエビアンも萬年青界も蘭界も、大いに反省するところでしょう、。
「楽焼植木鉢」の「内窯」程度は、素人が簡単に裏庭にある「離れ」で作れてしまうものだったようです、。

「絵師」出身の「窯元」もあったどころか・・・
「窯元」=「絵師」が大部分だった、という訳です、。驚きますよね~~、。

2つ目は、江戸幕府の成立と共に「狩野派の絵師」の大部分は江戸へ下り「江戸狩野」を成立させて大きい仕事をした、。これに対して、あくまで「京都」に拘って京都に残った絵師達を「京狩野」と呼びますが、「京狩野」は仕事も無く惨めだったようです、。後になって「狩野山楽」だけが仕事をすることを許された程度で、他の絵師は惨めな仕事と生活をしていたようです、。

その「京狩野」の中の一派に「浮田一蕙師弟」という人達が居た事が判明しました、。
まぁ「浮田姓」なんて他にもある、と言われればその通りなのですが、ここに至って初めて「京狩野の絵師が楽焼絵付けに影響を与えている」と6~7年も前に書いた仮説が現実味を帯びて来たと思いませんか、。
「浮田一蕙」の弟が「浮田楽徳」、その弟子が「五柳」・・・という新たな仮説が出て来ました、。おまけに「浮田一蕙」も「五柳寿運」も四国と所縁があるとなれば、これはもう確率高く”当たり”かも知れません、。

結論を先に書いてしまいましたが、google検索窓に「大和絵」と書いて検索してみて下さい、。(表示画面の画像をクリック)
これは、まさに「楽焼絵付け」の世界ではありませんか、。ようやく、「楽焼鉢」の胴に描かれた「絵付けのルーツ、」を見付けました、。

江戸後期から幕末へかけて「復古大和絵派」という「やまと絵」の復興を試みた絵師が出て来ました、。
土佐派を基盤とする絵師の中に「浮田一蕙師弟」(浮田一蕙1795~1853年)が居たという記述があります、。「復古大和絵」は田中訥言→弟子・浮田一蕙→冷泉為恭といった人達に引き継がれました、。


◆「楽焼鉢」に描かれた絵付けのルーツは「大和絵」にあること、。
「大和絵師」の中に「浮田という絵師」が居たこと、。が分かってきた訳です、。


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「浮田一蕙」は1795年~1853年、「浮田楽徳」は天保元年(1830年)生まれで、35歳も年が離れてれば「兄弟」ではないでしょうけど、何かの血縁関係という線は残ります、。

「冷泉為恭」(れいぜいためちか)は本名を狩野永恭(かのうえいきょうといい、京都冷泉家とは無関係です、。
# by evian_th | 2014-10-20 02:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼「五柳万年青鉢」                  No.522
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◆2014年10月、。   京楽焼、短冊家、五柳絵付け菊花紋万年青鉢




全国日本春蘭連合会 春蘭柄物秋季展示大会(全春連)
時:2014年11月1日・2日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)

 



大阪東洋蘭会2014年秋季展示会
時:2014年10月12日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(広い駐車場の中に展示会場あり)
午前10時~午後2時展示、午後2時~午後4時交換会




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2014年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




蘭遊楽座 柄物展
時:2014年12月7日
所:東京 大森 「大林寺」




花ごよみ 秋の蘭展
時:2014年10月3日4日5日6日
所:花ごよみ




寒蘭 土佐愛蘭会 本部展
時:2014年11月14日15日16日
所:南国市農協会館




東洋蘭センター  蘭の杜 寒蘭花展
時:2014年11月5日~29日
所:東洋蘭センター 蘭の杜


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# by evian_th | 2014-09-30 22:29 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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