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楽焼鉢の形状の歴史                      No.576
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◆2016年12月20日、。   楽鉢の形状からの歴史


12月のトップ画面に使用した「五柳鉢」の件に関してBBSに書き込みがあった、。その時に返信レスを書いた中に「楽焼鉢の形状の大革命を起こしたのは京都・短冊家である。」と書いた、。そこのところ説明スレを一度書いておかねばならないと思う、。

画像は手持ちの写真を古いと思われる順に並べたものです、。エビアンの鉢は3個だけで他の3個は別な所有者さんの鉢です、。
①は1650年過ぎに大阪の堺市で「楽雅亭」や「楽忠」が作り始めた頃の「楽鉢の造り始めのパターン」なので、これを一応1650年型とした、。
②は同じ「楽雅亭」の鉢ですが、少し古典園芸風な形をしているので、これを時代を少し下って1700年型としました、。
③は、「大阪楽」ではあるけれど窯元が違うので比較の対称としては変ですが、縁のつば部分が「黒鍔(くろつば)風な形」なので、これを1700年後半型とします、。
④は、3よりも足やヘリに工夫の痕跡が見られ、ツバも横広がりに完成して来たので、1800年型としました、。

④の画像の時代までは「太鼓胴・段替わり」という形を忠実に引き継ぎ、「段替わりの度に鉢の太さを3段階に細く削って」います、。今まで見た大阪楽鉢はみんな同一パターンのデザインです、。③の右横に引いた線はその事を示しています、。

⑤ところが、楽鉢製造が京都へ移った(というか1820年頃に短冊家が製作を始めると)直後から、楽鉢の形に変化が起こり始めます、。⑤の鉢は一応は大阪楽の太鼓胴・段替わりを引き継いでいるように見えるのですが、よく見ると、胴部分にカーブを付けて、段替わりでも絞り込まれてない、。
⑥は、⑤を作ることで短冊家は「ロクロで下から上まで一気に引き上げる方式」を思い付いたのでしょうね、。⑥の鉢は「総絵付け」ですが、これ以後の作品には「段替わりの名残」として「鉢縁下・下部」と「腰部分・上部」とに「イッチン描きで1本か2本の線を描き、これを段替わりの名残とした」のでしょう、。


このことによって、製造に掛かる時間の短縮が出来る、鉢の肉厚を薄く出来る、自由な絵付けが出来る、などなどの利点が生まれ、これ以後「楽焼鉢」は大きく発展して行く事になりました、。
この「短冊家が作り始めた形状の変化は、楽鉢の世界における大革命」だったと思います、。以降、現在まで200年弱の時間が経過しますが、完璧なデザインでしかも簡単な製造方法であるために、他に工夫の余地も無く、同じデザインが引き継がれています、。「初代短冊家」というのは大したものです、。


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上に掲載の画像は楽忠楽雅亭の小型楽鉢です、。植わっているのは中春梅弁代表花「宋梅」、。これを見ると、随分小さい鉢も作ったんですね、。同じデザインの鉢は「楽忠窯の中盤1800年頃」まで造られたようです、。
画像は50年近く前に大阪府枚方市牧野に住んでいた竹島健太郎氏方で開催の「幽香会」の折に出品された貝塚市の道浦氏の作品、。道浦氏は当時「植木鉢数寄者」として知られ、没後はそのコレクションの多くは静岡の新谷氏経由で高木禮二氏(明光商会会長・msシュレッダー)コレクションに集められた、。撮影はエビアン、カメラはゼンザブロニカ、。







by evian_th | 2016-12-21 15:08 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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