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短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢                  No.551
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◆2015年12月、。   短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢


師走~、。
本年も「東洋蘭風来記」をご覧いただきまして、ありがとう御座いました、。寒い季節ですから、お身体をお大切にお過ごしください、。


短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢、。

「楽焼鉢」ではありませんが、楽鉢窯元の短冊家の極く初期の頃の製作になる鉢で、非常に珍しいのでご紹介、。
よほど大切に保存されて伝わって来た鉢の様子、。一見すると新しそうに見える鉢ですが、この鉢は製作されてから200年経っています、。江戸後期・文化文政年(1804年~1829年)の製作だと思います、。


この鉢を作るには、一般の楽焼窯元にとっては誰かに2つの事を教わらないと製作できない鉢なのです、。
◆柔らかい感じのする半磁器(磁陶という)の作り方
◆型押しの方法と6枚の面の張り合わせ技術
この事を一人で教えることが出来たのは、江戸後期の第二期京焼ブーム時に出て来た京都の陶工「欽古堂亀祐」しか居なかったと思われます、。


「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)明和2年(1765年)生まれ、天保8年(1837年)没は、毎度御馴染みの「奥田頴川」(おくだえいせん)の門下生の筆頭とも言って良い程の存在、。奥田頴川は亀祐よりも12歳年上で、家業の質屋は弟に任せて京都三条粟田口に窯を開き、中国陶磁を学びながら人柄を慕って寄って来る多くの陶工を育てた後期・京焼盛隆の功労者です、。
この奥田頴川が「磁陶」の作り方を門下生に教えたのでのです、。後に欽古堂亀祐が陶芸指導に行く「三田青磁」なども、この「磁陶」の分類に入る焼き物です、。
当時の京都粟田口には陶磁器の窯元は多く、清水焼のような硬質の白くて硬い磁器とは違って、温かみのある焼き物です、。

また、欽古堂亀祐は京都伏見の「伏見人形作り」の家の出身、。伏見人形は前姿と後姿とを別々の2枚の木型に押し付けて陶板を作り、薄く溶いた陶土で張り合わせて作ります、。この「木版に押し型技術」と「張り合わせ技術」とで一体の人形を作るのです、。

これら2つの技を併せ持った陶工は欽古堂亀祐だけだったと思われ、初代短冊家が祇園短冊楼から窯を開いた時期と亀祐が活躍した時期とが一致するのです、。


短冊家初代は余程研究熱心な人だったらしく、亀祐に執拗に頼み込んだのでしょう、。というのも、普通一般的には、6面の神獣の鉢を作るには、同じ獣が繋がらないように、2~3種の版木を使用して別々の神獣を繋げる筈なのですが、画像をご覧頂くとお分かりのように、全部が同一の神獣です、。つまり亀祐は版木を1枚だけしか短冊家に使わせなかったものと思われます、。

そういう苦労をして短冊家初代はこの鉢を製作したのです、。その研究心は脱帽ものです、。
江戸後期なのにテールベルトが手に入らない筈なのに緑色があるじゃないか、と思われるでしょうが、ここに使われる顔料は日本古来(といっても、江戸時代直前の頃)からある顔料で、江戸初期の陶工・野々村仁清などが使用した天然顔料で、主として磁器専用のものです、。透明感があり、非常に高価な顔料だったのだろうと思います、。

鉢裏には初代が使ったと思われる「短冊堂」の落款、。
この鉢は、エビアンが知る限りは2個現存し、他に盆栽界の蒐集家に残っているとしても、あと1~2個でしょう、。大量に作るほどは亀祐も木型を貸さなかったと思われるからです、。
いずれにしても非常に貴重な鉢であることは間違いのない事実です、。
贅沢を言わせてもらえるなら、少しは使っておいて欲しかったですね、。時代乗りが欲しかった、。
(現在の所有者は不明)









by evian_th | 2015-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭風来記、お陰様で満11年                 No.549
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◆2015年11月、。   「東洋蘭風来記」満11年



「東洋蘭風来記」、お蔭様で満11年、。
多くのご訪問に感謝します、。
これからも「東洋蘭」や「植木鉢」の楽しい話題を続けて行こうと思います、。
今後とも、何卒宜しくお願いします、。




<お蔭様で満11年>




by evian_th | 2015-11-17 13:16 | 東洋蘭(春蘭)
秋季展示会2015 No.545
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◆2015年10月、。   秋季展示会案内


◆展示会情報は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんのでご注意ください。


大阪東洋蘭会 2015年 秋季展示会
時:2015年10月11日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(駐車場は係員の指示に従ってください。)
◆古典楽焼鉢を使った席飾り。
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春蘭展示大会(全春連)
時:2015年11月7日・8日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2015年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




花ごよみ 秋の蘭展
時:2015年10月9日~12日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)



東洋蘭総合大展示会
時:2015年10月16日17日18日
所:東京上野グリーンクラブ(クリック)



兵庫春蘭友の会 柄物展
時:2015年11月29日(11am~16pm)
所:相生園芸センター





by evian_th | 2015-10-01 15:18 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽焼武者絵万年青鉢                    No.544
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◆2015年10月、。   京楽焼万年青大鉢



「京楽焼万年青大鉢」、。
10月のトップ画面はこの鉢で行こうと決めて10月フォルダーへ入れてました、。画像を作る段になっていざ画像を詳しく見ると、鉢底画像と上から画像がないのは分っていましたが、横から画像も「1の足画像」しか無いのでした、。3枚とも1の足画像です、。この鉢の裏側にはどんな絵付けが施してあるのかも分かりません、。
横から画像1枚だけから判断できる情報はあまり多くはありません、。


「口径24センチ・高さ25センチ」という8寸の大鉢、。「台の鉢」はこれだけの大鉢となると重さも相当なもので、乾燥した完成品でもかなり重いのに、製作途中の陶土が湿った状態の時はどれほど重かったことか想像を絶します、。それにも拘らず、鉢ヘリが垂れ下がらず、鍔の先端部分の切れ味は鋭く全体の作りもしっかりしています、。足はこれほどの大鉢だとこういう形にならざるを得ず、短冊家の大鉢もこの足型です、。したがって、足の形から窯元を判断することは不可能です、。

「絵付けは大和絵の武者絵」、絵師は相当な腕前の人です、。イッチンで線は引けますが、面を塗りつぶす時はどういう風にしたのかは知りません、。細かく振るった陶土と顔料とを混ぜイッチン袋に入れて描くのですから筆描きよりも随分難しかったことでしょう、。
「浮田楽徳」や「五柳寿運」は狩野派大和絵師ですが、ほかにも浮世絵師・錦絵師など狩野派以外の絵師も多く、この鉢の絵師を特定することはできません、。

顔料の種類の多さなどから、鉢の製昨年は明治中後期の作と見られ、注文絵付けだったと思われます、。それらを総合して考えると、この鉢は「短冊家製の万年青鉢」だろうと思われます、。鉢の作りの上手さから他の窯元はチョッと考えられないのです、。短冊家ならこれくらいの絵付けもできたかも知れないと思います、。絵付けだけなら浮田楽徳も描けたでしょうけど鉢が楽徳鉢ではないし、五柳ならいくら何でも例の五柳マークを撮影したでしょうからね、。
「楽忠鉢」や「楽雅亭鉢」にならありますが、古京楽鉢で8寸の大鉢というのは見たことがありません、。絵付けも上手く、見応えのある鉢だと思います、。実物を見てみたいものです、。野田谷君存命時の上野グリーンクラブ展示品です、。(当時:栗塚光夫氏蔵)

まぁ、この横から画像1枚から分かることはその程度です、。





by evian_th | 2015-10-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
東洋蘭・秋季展示会情報                    No.543
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◆2015年(平成27年)、東洋蘭・春蘭・秋季展示会情報


◆展示会情報は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんのでご注意ください。



大阪東洋蘭会 2015年 秋季展示会
時:2015年10月11日(1日限り)
所:兵庫県宝塚市山本 山本園芸流通センター(駐車場は係員の指示に従ってください。)
◆古典楽焼鉢を使った席飾り。
午前10時~午後1時展示、午後1時~午後4時交換会




全国日本春蘭連合会 春蘭展示大会(全春連)
時:2015年11月7日・8日、。
所:芝 弥生会館(東京都港区海岸1丁目)




全日本東洋蘭 秋季美術品評大会(全東連)
時:2015年10月22日・23日
所:東京蒲田 プラザアペア




花ごよみ 秋の蘭展
時:2015年10月9日~12日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




百喜千遊会 柄物展
時:2015年9月26日・27日
所:京都蘭センター(京都府綴喜郡宇治田原町郷之口田中19)






by evian_th | 2015-09-01 17:19 | 東洋蘭春蘭展示会
京楽焼蘭鉢「8割がた大虎窯」                 No.544
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◆2015年9月、。   楽焼鉢蘭鉢「8割がた大虎窯製」


例年よりも早くから秋の雰囲気漂う9月の入りです。皆様方にはお元気に高温度の夏を乗り切られましたでしょうか、お見舞い申し上げます。



今月の鉢は「8割がた大虎窯製の蘭鉢」です、。

持ち主さんから画像を頂いた時には、チョッと見に「あ、佐々木松楽窯ね、」と思った鉢です、。
9月はこれで行こうと決めて風来記用に画像修正を進めると”あれ、おかしいぞ”となったのです、。
「佐々木松楽窯」にしては絵付けに吉兆の絵が見当たらずテーマ性が無い、。足の絵付けが「菊花に唐草紋」ではなく「牡丹図に唐草紋」である、足の作りが「大虎風」だ、と感じるようになったのです、。

「1の足」には「老松に止まる雄の孔雀図」、「2の足」「3の足」には正面に絵付けが無く、見せ場の絵付けは足と足の間に描いてある、と言う変則型、。描かれているのは「老松」「孔雀一対」「牡丹」の組み合わせです、。孔雀図自体が珍しい上に松や牡丹と組み合わせるところが珍しい鉢になっています、。
段替わりを全く取らない総絵付け、。明治後期から大正時代の製作だと思います、。

「8割がた大虎窯」と書いたのは、細い金泥のイッチンで縁取りする絵付けテクニックを施す絵師は三河鉢にも1ヶ所存在するから、と言う理由と、実物を触ってないので他の窯の可能性も2割程度残してのことです、。
口径12.8センチ、高さ16.7センチ。(飛田邦之氏蔵)



◆確たる証拠あっての話ではありませんが、「佐々木松楽窯の楽焼鉢の素焼鉢は外注だった、」と聞こえて来たことがあります、。今月の鉢を見た時に「あ、佐々木松楽ね、」とエビアンが感じてしまった所からすると、もし万一その噂が正しかったとするならば、「佐々木松楽窯」へ「素焼鉢(楽焼鉢で”素焼”と言う場合には加茂黒釉薬を施した黒楽鉢の段階を指す言葉です、)」を納めていたのは、地理的に見て「大虎窯」しかありません、。「短冊家」や「浮田楽徳」は「素焼」を売って他の窯元の下請け仕事のような事はしなかっただろうと思われるからです、。




by evian_th | 2015-09-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼鉢「8割がた福富京楽堂蘭鉢」               No.542
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◆2015年8月、。   古楽焼鉢「8割がた福富京楽堂蘭鉢」


この鉢画像を送って頂いてから、もう数年間経過します、。
「いい鉢だな」とは思いつつ、窯元判断ができないでいました、。「短冊屋かな」とか「京楽かな」とかと思ってしまうともうダメで、全く分からなくなってしまう鉢です、。
最下段5枚目の鉢底が見える画像だけを見ると、まぁ何とか「福富かな、」とは思えるのですが、それでも100%の自信は無く、これ以上は実物を手に取ってみないと判断は不可能です、。「鋏み痕」が胴なのか足なのかが分かれば多少は判断もし易いのですが、。
ともかく最近は迂闊に窯元名の断定はできなくなりました、。今までの方が「怖いもの知らず」で行けたのですが、。

「一の足」に描かれた「虫」は何でしょうね、。「蛾」なのか「蝶」なのか「ガチョウ」なのかはわかりませんが、上手くデザイン化され、それを取り囲むように「サッカーボール」に見えてしまう「(多分)花文様」が描かれています、。「鉢縁下」(はちべりした)の「雷紋」と「花」の間の「唐草紋?、蔦?、雲形?」とは古典の描き方をされています、。
「腰部分」の「虎革模様」のようなのは何を描いたものか、何を意味するのかは不明です、。

鉢質は硬そうなので、前の持ち主さんは結構使われたように見えるものの、鉢底画像を見ると案外そうでもなく、まったく惑わされる鉢です、。鉢底面には「轆轤挽きの糸切り痕」も見えません、。従って、製作年代の特定も不能です、。

窯元名や製作者も特定できないのに、これ以上はこの鉢に関しては書ける事もなく、今月は「ただ鉢画像をご覧頂く」だけに留めたいと思います、。
猛暑の最中、みなさんご自愛ください、。     (飛田邦之氏蔵)







by evian_th | 2015-07-31 15:11 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽焼風蘭鉢                          No.540
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◆2015年7月、。   楽焼鉢・風蘭鉢


◆東洋蘭鉢「風蘭鉢」(富貴蘭鉢)

東洋蘭風来記がトップ画面に「蘭鉢」の写真を使用し、この風来記ページに「東洋蘭の植木鉢」の記事を書き始めてから既に10年半を超える時間が経つのですが、「楽焼・風蘭鉢」を取り上げるのは、今回が初めてのことです、。
今まで掲載しなかった理由の内の最大のものは、「風蘭鉢という専用鉢が何時の時代から作られ始めたのか、」が明確ではなかったからという理由です、。

*注:違いましたですね、。昨年2014年12月20日、スレッドNo.528に「富貴蘭鉢」のことを書いていました、。今回の「風蘭鉢は紫金牛鉢の形の変化形」だということを書いてました、。訂正します、。すみません、。


「風蘭」は着生ランであって、栽培鉢も飾り鉢もその植生から発生したものではないところが「風蘭専用鉢」の必要性を無くして来たのだと思われます、。「蘭鉢」や「万年青鉢」が、その腐り易い根の性質を考慮しながら、昔から在った「楽焼植木鉢」の形を小さくしたり細くしたりと工夫を凝らした結果として栽培に最も適した形に行き付いた事とは、この点に於いて大きく違っています、。



(専門外なので詳しくは知りませんが) 「風蘭栽培の歴史」は、江戸時代、11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり、天明7年(1787年)~天保8年(1837年))ごろに人気が高まり、明治15年前後と昭和初期とにも人気が高まり、平成時代に入ってからの現在の人気に繋がっています、。*注:将軍家斉は風蘭を非常に愛玩したので、各地大名は風蘭の変化物を探し出しては競って将軍に献上した、。

「風蘭鉢」は江戸時代から明治時代には下に掲載の画像の「赤土瑠璃釉浮彫六角鉢」が主として用いられ、明治時代後期辺りからは楽焼鉢窯元で生産された「紫金牛鉢」(こうじばちを代用して来たもようです、。
「紫金牛鉢」では背が高過ぎると感じた旦那さんは窯元に「高さを縮めた紫金牛鉢」を個人的に注文した結果が今日に残る「古典の楽焼・風蘭鉢」なのだろうと思います、。ですから「古典風蘭鉢」は形が一定せず、高さはまちまち、形も胴体部分が膨らんだ袋式のもの、「鉢縁下」から曲線を描くように底部へ向かってすぼむ擂り鉢状のもの、「鉢縁下」から一旦直線状に垂直に下りて来て腰部分から丸みを帯びて底部へすぼまる鍋型のもの、など様々な形があり一定しません、。

◆「風蘭」は柄物が主体で、葉の柄模様を鑑賞するために鑑賞者は斜め上方から見下ろす姿勢で観賞するので、「背の低い楽焼・風蘭鉢」では胴部分の絵付けが鑑賞者には見えず、鍔(つば)の上辺を見下ろす形になりがちです、。「風蘭鉢」の悲劇その1です、。
◆「楽焼・風蘭鉢」は上に書いたように形が一定しませんが、共通する事柄として「絵付けを施す胴部分」の面積が狭く、複雑な絵や凝った絵付けを施しにくいという事もあります、。「風蘭鉢」の悲劇その2です、。
◆「風蘭栽培用土」は江戸時代から「山苔」や「水苔」が用いられ、蘭や万年青のように「京土(七条土)」は使用されなかったために「京土」の溶出による汚れ(時代乗り)が無く綺麗なままであること、。「楽焼鉢の汚れ」はある意味では「良さ」に通じるので、そこが乗りにくい、。「風蘭鉢」の悲劇その3です、。


このような事情から、最近の展示会ではある程度背の高い展示鉢が用いられることも多く、楽焼では「紫金牛鉢」「万年青鉢」「石斛鉢」などが使われているようです、。また、楽焼以外の「古典の京焼」「古典伊万里鉢」や最近のものでは「欅窯製品」も多用されます、。東洋蘭展示会や万年青展示会で欅窯を見ることはありませんが風蘭界では多く、この点は他の古典園芸界と違った風景です、。

「古典楽焼鉢の風蘭鉢」も、手に取ると惚れ惚れするほど良いものが多く、「短冊家製風蘭鉢」などは使い道のないエビアンでも「欲しいな」と思う程なのですが、肝心の富貴蘭愛好家が鉢には関心が薄いように見えるのは残念なことです、。


◆今月トップ画面に掲載の風蘭鉢は、(多分)福井楽印窯製「雲龍図富貴蘭鉢」です、。
見る人は、まずこの漫画チックな龍図を見てあっ気にとられることでしょう、。分かります、^^。なんしろ現代の日本人は「龍図」といえば「中国古典の龍の顔」と「狩野派絵師の手になる龍図」ばかりを「龍の顔」だと思ってしまっているところがあります、。龍は古代中国で考え出された想像上の生き物で、鳳凰・麒麟・亀と共に四瑞 のひとつ、。角は鹿、顔は駱駝(らくだ)、爪は鷹、を組み合わせられたもの、。吉祥紋です、。これをどのように描くかは絵師の自由であって正解はありません、。この鉢はユニークだと思いますよ、。
この鉢は「台の作り」がしっかりしていて、目を閉じて手で触れると「まるっきり短冊家」です、。土質は硬く、鉢角は鋭く尖り、持ち重りがあり、楽焼鉢としては非常に上出来物です、。この事と、口径0.1ミリほどの細い口金を使ったイッチン絵付けとから、この鉢は福井楽印製だろうと判断するのです、。明治後期ごろの製作、。                
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昭和初期に東京の風蘭愛好家・山崎天然氏が「紫金牛鉢の胴に万年青鉢の足」をデザインして窯元に作らせた「風蘭鉢」、。
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by evian_th | 2015-06-30 00:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
大阪焼き蘭鉢「楽忠鉢」「頂山鉢」                No.454
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◆2012年8月、。   大阪焼き蘭鉢「楽忠鉢」

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◆風来記側の都合で、「大阪楽」の過去スレッドを上に上げます、。(2015年6月22日)
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「楽忠」赤土(中国風では紫泥または朱泥)六角瑠璃釉浮彫文鉢、。
「楽忠窯」は、楽家三代目道入(通称:のんこう)の弟・道楽(別名:忠右衛門)が明暦2年(1656年)に大阪堺に開いた窯で、主として生活雑貨を焼いた窯だったようです、。明治11年まで続きました、。

画像の「赤土六角瑠璃釉浮彫鉢」の形は、一般には「欽古堂亀祐型」と呼ばれる形状の鉢です、。江戸期の京焼の名工「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ・きんこどうかめすけ)に同じタイプの鉢が残っており、京焼の方が有名なのでそういう風に呼ばれたのだと思いますが、欽古堂亀佑は江戸時代・明和2年(1765年)生まれですから、この形を初めに作ったのが欽古堂亀祐が先か、欽古堂より100年以上も古い楽忠窯が先かは判然としません、。

楽焼鉢の表面に瑠璃釉の浮彫で花唐草文様をデザインし作り始めたのは「楽雅亭」や「楽忠」です、。
このデザインをそのまま「赤土六角鉢」に使うようになったのも「楽忠窯」の方ではないか、と考える方が自然です、。


では、京焼の有名な陶工であった欽古堂亀祐が大阪で作られたデザインを真似たのかと考えると、これもあり得ません、。京都が大阪のまねをする筈が無いからです、。
逆に、大阪の「楽忠窯」が京焼を真似たのかと考えると、これもまたあり得ない、。「楽家」本家血筋を引く「楽忠窯」が他の陶工のデザインを真似るとは考え難いからです、。


このタイプの鉢は「欽古堂亀祐窯」や「楽忠窯」の製品は数が少なく、最も多く製造したのは「頂山」落款の窯元と、無落款の窯元です、。


これらのことから導き出せる結論は一つ、。
「赤土六角瑠璃釉浮彫文鉢」は全て大阪で作られたのではないか、というものです、。


紀州徳川藩お庭焼き「偕楽園」を作るに当たって、徳川治宝が京焼の陶工を指導者として招いた事は過去スレに書きました、。
これら陶工が紀州に滞在したのは、数か月から1年未満ていどの期間で、その内の幾人かの陶工は、紀州偕楽園の帰途、大阪に寄り窯を開いたりしています、。この時に、この大阪焼きのデザインを試作したのではないかと考えるのです、。

次回掲載の「頂山」落款の鉢も、現在は「窯元や製作者不明の謎の京焼」という分類をされてますが、「京焼」は歴史的に詳しく調べられ、あれほど多くの作品を残した窯が「不明」というのは、いかにも不自然です、。

そもそも、この「赤黒茶色くきめの細かなチョコレートのような陶土が「京都産の京土」とは考えにくいのです、。「京土」にも赤土はあるにはあるのですが、もっと明るい桃色を含んだ色の土です、。
大阪南の堺市から南や東、貝塚市・岸和田市・和泉市・大阪狭山市、などの方面の陶土ではないかと思われます、。

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さて、大阪という所は、陶芸文化的に言うと日本最古の製作地なのです、。

5世紀の終わり雄略天皇の時に大阪府北部の豊能郡来狭狭村(くささむら)で天皇家の食器類を焼き始めました、。
一方、大阪南部の和泉の国大鳥群を初め、大阪狭山市から堺市・岸和田市・貝塚市などの地方の丘陵地帯には1000基以上の「須恵器」の窯跡が発掘調査されており(陶邑窯群・すえむらかま)、また北部の吹田市・豊中市の千里丘陵一帯にも多数の「須恵器」窯跡が見られ、発掘調査されています、。今ではそれらの調査結果に基づいて得られた情報を使って日本各地で発掘される「須恵器窯跡」の年代特定に用いられているほどです、。
行基焼という窯があり、日本で最初の「轆轤」(ロクロ)を使って陶器を焼いたのも和泉の国、つまり大阪なのです、。5世紀ごろから平安京の頃まで続きました、。

これらの「ロクロ」を使った「須恵器」製造の技術と、南部地方の「赤色陶土」とが後世になって出会った結果に生まれたのが「赤土瑠璃釉浮彫文鉢」ではないかとエビアンは想像しています、。

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現在知られている大阪での陶磁器生産窯元は・・・(順序不同)

音羽焼、。・・・1627年~1883年(明治16年)、大阪府貝塚市堀新町で開窯、。陶器を焼いた、。
御室焼、。・・・和泉の国(関空のある方面)、別名・湊焼、。1818年~1870年、に開窯、。交趾風陶器、。一種の楽焼といえる焼き物を製造した、。京都の御室焼とは別、。
貝塚焼、。・・・和泉の国貝塚御坊願泉寺のお庭焼き、。
仁阿弥道八と、その実弟・尾形周平が紀州偕楽園に招かれた帰路、願泉寺住職・南冥上人のために興したお庭焼き、。偕楽園風の作品を作り、「吟花園製」「清月軒焼」と称した、。
吉向焼、。(亀甲焼とも)・・・1761年、大阪十三(じゅうそう・三十国船で京都伏見から数えて13番目の船着き場、)で開窯、。1861年没、。楽焼を焼いたらしい、。
玄斎焼、。・・・和泉の国堺で天正年間に開窯、。
高津焼、。・・・大阪高津で開窯、。難波近辺で焼いたので別名・難波焼とも、。
古曽部焼、。・・・摂津の国島上郡古曽部(高槻市古曽部)で1790年~1911年まで開窯、。高取・唐津・高麗・南蛮などの写しを制作した、。
堺焼、。・・・「楽忠窯」のこと、。
菱古山焼、。・・・1854年~1900年代初めまで開窯、。陶器を焼いた、。
桜井の里焼、。・・・三島郡島本町桜井で1782年~大正時代初期まで茶器を焼いた、。別名・楠公焼、。二代目・清水太左衛門清太の時、尾形周平が身を寄せ、多彩な作品を多く製作した、。
汐見焼、。・・・1830年頃の開窯、。堺の楽焼、。主として茶器を製造、。赤楽に白釉薬を掛け、茶人垂涎の的といわれる、。
半田焼、。・・・八田焼とも、。焙烙(ほうろく)を焼いた、。
吉田焼、。・・・江戸中期に興った大阪の楽焼の一種、。大阪市東区や枚方市で開窯、。
水間焼、。・・・貝塚市で開窯、。京焼の流れをくんだ窯、。
高槻焼、。・・・高槻市で永楽保全が晩年の短期間だけ磁器を焼いた、。1852年ごろの事、。
高原焼、。・・・摂津から大阪市内で窯を開き、楽焼風焼き物を製造、。
那古焼、。・・・1798年~1898年まで製造、。陶器、。


桃原、。・・・雄略天皇7年(西暦463年)、朝鮮半島人の進言により、その半島人自身が出向いて百済から高貴という名の陶工を連れて帰り、河内の国・桃原に窯を開いた、。これにより、百済の陶磁器製法が日本に伝わり、諸国の陶業がようやく始まった、。このことは、日本の各種技術は奈良県で始まったのに(過去スレNo.430(クリック))、なぜ陶業の中心が大阪であったのかの疑問の答えになる思う、。

◆「楽忠窯」は大阪堺市にあったのですが、「堺市」が陶業などで栄えたのは、摂津の国・和泉の国・河内の国の三国の境目に位置していたので「堺、」と呼ばれるようになり、漁港として、西日本の海運の拠点として、貿易港として非常に繁栄したからなのです、。
1868年(明治元年)に「大阪府」が誕生した時には、「堺」は大阪府には含まれませんでした、。その頃の「堺」は、和泉の国・河内の国・大和の国(現在の奈良県全域)をも含む「堺県」を形成し(明治4年)隆盛を極めていたからです、。(奈良県ができるのは明治20年のことです)、。

ね、こうして見て来ると、「大阪焼」は「京焼」よりも古く、窯元も多く、「頂山落款の鉢」も上記のどこかの窯で焼かれた可能性が非常に高いと思いませんか、。それを真似た「赤土瑠璃釉浮彫鉢」も多く大阪で作られた可能性がありますね、。
これがエビアンが「大阪焼」という陶芸分野の独立を進める所以です、。
(口径17.5センチ、高さ14センチ、。鉢所蔵:半田太氏)


「貝塚焼」の項と「桜井の里焼」の項に追記あり、。
「御庭焼き」の項目に追記あり、。
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どうも、上品に書こうとすると本音を書けなくて、なんだか内容が理解し辛くなっているので、エビアンが感じていることを率直に書きますが、・・・

この「赤土瑠璃釉薬浮彫文六角鉢」には、「大・中・小の三つ組み」が存在したり、中型や小型の分の中には、「どう見ても型押しもの、」が存在したりするので、ある時期には相当大量に作られたデザインではないか、と思われます、。
「大量生産・大量販売」は、京都の商風じゃないと思うのです、。そこだけを見ても、「こりゃぁ大阪だな、」と感じてしまうのです、。
大阪堺は経済的に繁栄していて、こういうものの需要も相当多かったのだと思います、。「京都の商風」は、需要が多かろうと信念は曲げない、というか、「細く長く引っ張ろう、」という商風です、。「売れるなら売れる内にどんどん作れ、」というのは「大阪風」だな~、と感じています、。

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江戸時代後期から幕末へかけて、各地大名が競って「お庭焼き」を開窯したので、京焼の陶工達はあちこちの窯へ指導に呼ばれたのと、自分からもあちこちへ出かけて行って陶工を指導し、自分の作品も残したのです、。
「紀州瑞芝焼」は奥田潁川の命により青木木米と永楽善五郎保全が出かけて窯を開いたものですし、「三田青磁」は欽古堂亀祐が開窯2年目から出かけて行って指導し再興したものです、。そういう時には欽古堂亀祐が作っても、地元に遠慮して自分の個人落款を押すことをしなかった場合も多いと聞きます、。
こういう風によく知られた窯だけでなく無名の窯へも出かけて行っていたのです、。ずっと京都に居座って作品を作っていたのではありません、。日本中のどこの地方に京焼の陶工の作品が残っていても不思議ではないのです、。
「お庭焼き」は、大名や大旦那や茶人が個人的に自分好みの作品を作ったもので、販売を目的としなかったために作品が広く知られることなく全国に眠っています、。

代表的な御庭焼、。
御庭焼に特に力を注いだのは「徳川御三家」です、。

尾州徳川家御庭焼「御深井焼」(おふけやき)
  「魁翆園焼」(かいすいえんやき)
紀州徳川家御庭焼「偕楽園焼」(かいらくえん)
  「清寧軒焼」(せいねいけんやき・治宝候の後、斎順候の御庭焼)
  「大福山焼」(御庭焼には含まれないかも知れないが、偕楽園を模した作品が作られた。)
  「瑞芝焼」(ずいしやき)
水戸徳川家御庭焼「後楽園焼」(こうらくえん)
  「三楽園焼」(江戸で焼いたもの)

その他、御庭焼として有名なものは・・・
「湖東焼」「三井御浜焼」「柳原焼」
などがあります、。

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<旧国名>関西の旧国名地図、。「摂津の国」は現在の大阪府北部と兵庫県南東部を含みます、。「和泉の国」と「河内の国」は現在は大阪府南部に含まれます、。「大和の国」はほぼ現在の奈良県です、。「山城の国」は現在の京都府南部地方です、。
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by evian_th | 2015-06-22 23:50 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
第3回・華幸園展示即売会                   NO.538
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◆2015年6月、。   第3回・華幸園展示即売会


急な話なのだけど、四国の華幸園さんが「第3回・華幸園展」を開催されることが決まったらしい、。
ごく一部の人は別にして、こういう「古典植木鉢」を見せて貰える機会は少ないんだから、拝見して目に貯金しておくことは無駄にはならない、。何といっても、実物を見ない事にはね、。目の肥やしになると思います、。




花ごよみ 夏の蘭展
時:2015年6月26日~29日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)



兵庫春蘭友の会 新芽会
時:2015年7月5日(11am~16pm)
所:相生園芸センター




三香園 富貴蘭展
時:2015年7月4日・5日
所:三香園




by evian_th | 2015-06-03 13:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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