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春季展示会2019 No.615
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◆ 春季展示会2019


056.gif展示会は必ずしも開催日の早い順には並んでいませんので、ご注意ください。



時:2019年3月30日~4月3日
所:相生園芸センター




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2019年x月x日
所:相生園芸センター




花ごよみ 春の蘭展
時:2019年3月22日~25日
所:花ごよみ
(広島市佐伯区薬師が丘)




中部蘭趣会 春蘭展示会
時:2019年3月15日・16日・17日
所:名古屋市 庄内緑地グリーンプラザ




紀州蘭友の会 春蘭展示会
時:2019年3月9日・10日
所:スーパーセンターオークワ パームシティー和歌山店3階
(和歌山市中野31-1)




蘭遊楽座 花物展
時:2019年3月3日
所:東京 大森 「大林寺」




蘭遊楽座 正札入札会
時:2019年3月31日
所:東京 大森 「大林寺」




北関東中国奥地蘭愛好会 中国奥地蘭展示会
時:2019年2月23日・24日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室

北関東中国奥地蘭愛好会 九華とサクラソウ展示会
時:2019年4月14日
所:埼玉県  熊谷市緑化センター展示室




蘭花村蘭展
時:2019年○月○日・○日
所:蘭花村(静岡県浜松市西鴨江町3645)



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春の「各地展示会情報」は、ハガキでお知らせ下されば順次掲載します、。

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# by evian_th | 2019-03-05 11:21 | 東洋蘭春蘭展示会
雲取りに青海波紋蘭鉢                      No.617
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◆2019年3月、。   雲取り青海波紋蘭鉢、


春3月になりました、。今年は気候温暖でまさに”陽春”の雰囲気です、。
3月は春蘭展示会のシーズンなので、毎年3月だけは「蘭鉢」に拘って蘭鉢画像を掲載するように努力しています、。

今月使用の鉢画像は、昨年末に頂いたものですが、パッと見に2~3の特徴から「あ、短冊家ね、」と思ってしまい、画像作りの段階まで内心では短冊家で決め打ちしてました、。鉢の寸法を知りたいと思い持ち主さんに電話をした会話の中で「短冊家じゃないですよ。鋏み痕は”足”ですよ、」と言われ、心中飛び上がるほど驚いたのです、。

今から3ケ月前の「2018年12月、スレッドNo.613」に掲載の「短冊家万年青鉢」と同じ絵柄だった事もエビアンの目を曇らせた原因なのかも知れません、。

画像1枚目・2枚目は、どう見ても「短冊家」、。ところが言われてみると、画像3枚目の鉢裏画像の右の足元にクッキリと鋏み痕を確認できたのでした、。こりゃ困ったなぁ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
実物を手に取った訳でもないし、手に持って見ても判断が付くかどうか自信はありませんが、「浮田楽徳窯」か「福井楽印窯」なのでしょう、。

素晴らしい鉢です、。
画像が明る過ぎて、土目などが判然とはしませんが、持ち主さんから送ってもらった画像を下に掲載しておきます、。こちらの方は実物に近い色に撮影できているのだと思います、。見下ろし画像で、下方へ向かってすぼまったように写っていますが、鉢の形は上画像をご覧ください、。時代乗りも判断できず、何時頃の製作なのかも分かりませんが、恐らく明治時代後期頃のものだと思われます、。(口径12.5センチ、高さ16センチ。西口郁夫氏所蔵)、。


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鉢画像は「黒色グラデーション」か「グレー」の背景紙を使用して撮影したものが最も実物に忠実な画像が得られると思います、。芸術性は求められていない、実物に忠実であればよい訳ですから、。
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# by evian_th | 2019-03-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
福井楽印窯「梅花紋富貴蘭鉢」                No.616
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◆2019年2月、。   福井楽印窯「梅花紋風蘭鉢」、


厳しい寒さが来ることもなく、割合平穏の内に2月を迎えました、。大災害に慣れ過ぎてしまって、何か起きないかと不安に感じる習慣がついてしまいました、。もうすぐ”春”、。

今月は陽春に相応しい感じのする「富貴蘭鉢」です、。
最近は風来記でも取り上げる事が少なくなっていた「福井楽印窯」の製造と絵付け、。
下に掲載の「梅花紋富貴蘭鉢」も同じく福井楽印窯の作品で、所有者になられた人が同時に購入されたもの、。
絵付け的には下画像の方が福井楽印の特徴を表しているのですが、梅花を細かく描いている上画像の方をエビアン個人的には好みなので、こちらをご紹介、。
福井楽印窯は「台の作り」がシッカリしていて陶器としての完成度は非常に高く、この点では「京都短冊家」「東京福富京楽堂」に並びます、。割れ鉢やひびの入った鉢も少ないものです、。もっとも、福井楽印窯製の鉢を見る機会自体が少ないせいでもあります、。台の作りは短冊家に似ます、。
福井楽印の特徴は何といってもその絵付けで、短冊家に似て、それよりもチョッと”色気”を感じる絵付けを施します、。ですから上絵付けを施した時は妙に色っぽくて、見る人を引き付けます、。今回は梅花紋でしたが、菊花紋を得意としたようです、。

鉢としては「下画像の鉢」の方が完成度は高いのですが、鉢ヘリ上面が上方へ反った上画像の鉢をメインに使用しました、。(両方共、西口郁夫氏所蔵)、。
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# by evian_th | 2019-02-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家「大浪波涛に飛鶴紋蘭鉢」                No.614        
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◆2019年(平成31年)1月、。   短冊家「大浪波涛に飛鶴紋蘭鉢」、


平成時代最後の年を迎え身の引き締まる思いでいます、。
本年も「風来記ページ」を宜しくお願いします、。

◆短冊家「大浪波涛紋に飛鶴紋」の蘭鉢、。
毎年1月はエビアンの鉢を使うことに決めています、。これが結構大変で、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。新しい楽鉢が入手できなかったらどうしよう、という気持ちでおります、。

京都「短冊家」は現存する楽鉢窯元としては最も古く、開窯から200年を数える銘窯です、。200年の内には何人もの当主の交代があり、その時代その当主によって、また蘭鉢、万年青鉢、紫金牛鉢の違いによって、更には鉢の大きさの違いによって鉢の形、特に足の形や全体のフォルムが変化し、鑑定が困難な窯元のトップに位置する窯元でもあります、。しかし、その品格の高さにおいて常に楽鉢界の頂点に置かれる窯元であるのも事実です、。
鉢ヘリ上面の加茂黒釉の掛け具合、ヘリ側面の形、流れるように下方へ向かって何とも言えぬユッタリとした曲線で構成される胴の形、独特の足、味わい深い鉢底と、それぞれが短冊家を表現するのです、。

画像は短冊家作品に時々見られる「大浪波涛紋」を描き、胴上部には鶴を飛ばした総絵付けの構図になっています、。鶴はこんなに海面スレスレには飛ばないと思いますが、。
全体としては青色顔料を少し混ぜた白色顔料のみを使ったモノトーン調の絵付けで、鉢縁下に3本のテールベルト(天然緑土)の線があるのみです、。この事がこの鉢をスッキリとした格調高い蘭鉢に見せるような仕組みになっています、。(口径14㎝、高さ17.5㎝)

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# by evian_th | 2019-01-03 15:42 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
短冊家万年青鉢                      No.613
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◆2018年12月、。   短冊家「雲取りに青海波紋万年青鉢」、


早くも”師走”、。
今年は「手島鉢と三河鉢の始まり」に明け暮れた一年でした、。締めは「短冊家の万年青鉢」です、。

短冊家「雲取りに青海波紋万年青鉢」、。
月替わりでトップ画面が更新されている事に気付かない人も多いのではないでしょうか、。それほどまでに、先月の「楽徳鉢」と今月の「短冊家鉢」とは似ています、。別個に見せられたら見分けられないほどです、。
この2つの存在が、「11月使用分は浮田楽徳窯で12月使用分は短冊家窯」だと自信を持てるまでに5年以上もの時間を要した所以です、。
今月の短冊家も製作年は土製顔料ばかりなので、江戸時代、。短冊家の技術の凄さが全て盛り込まれています、。見る人の背筋が伸びるような縁(へり)の造り、。胴の絞り具合、。しっかりした足の造り、。全ての面で完成度の高さが見られます、。
短冊家って凄いなぁ~、と思い知らされる鉢、。

この画像が撮影された当時には、上掲のように”横から画像1枚だけ”で事足りた時代(と云っても10年チョッと前のことですが)でしたから、画像はこの1枚しかありません、。それで十分にこの鉢の持てる良さを伝えるのですから凄いものです、。
口径や高さなどは不明、現所有者も不明です、。

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# by evian_th | 2018-11-30 00:26 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽徳万年青鉢                        No.611
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◆2018年11月、。   浮田楽徳万年青鉢、。


気が付けば日暮れも随分と早くなり、朝晩は冷え込みが厳しい季節になりました、。日本の晩秋の景色は美しいものです、。

浮田楽徳窯万年青鉢、。
この鉢画像は数年前から持っていました、。窯元の特定が難しく、自信を持てるまでに5年以上の時間がかかったのです、。簡単に窯元や製造年代を特定できる鉢もあれば、この鉢の様に少しずつ見えてくる鉢もあるということです、。鉢の各部の特徴が気持ちの中で矛盾する間は特定は駄目で、ある時それらが一致した時は喜びを感じるものです、。

浮田楽徳には珍しく鉢縁下(はちべりした)まで黒楽釉を雲取りに使ってあり、胴部分と腰とは青海波紋と少しの波涛紋を白い泥漿で描いただけの簡素な絵付けの一品です、。雲取りにしろ簡素な青海波にしろ、楽徳が描くことは珍しく、その事に窯元特定の判断を躊躇させられた鉢です、。
使われている釉薬や時代乗りを考え合わせると、江戸時代幕末の製作でほぼ間違いはないと思います、。風来記が製作年を江戸時代と判断することは珍しく、大阪楽を除けば短冊家と極々まれに楽徳窯製がある程度なのですから難しい判断でした、。

古いからといっても、古さと価格は必ずしも一致せず、明治時代の五柳絵付け鉢や豪華な絵付けを施した鉢の方が価格は上であることが多いものです、。需要の多い鉢の方が高価格になるのは仕方のない事かも知れません、。(15cm×15cm)

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# by evian_th | 2018-11-24 00:16 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
お陰様で、満14年                       No.612
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◆2018年11月、。   お陰様で14年、


東洋蘭風来記
お陰様で、満14年、。
多くの御訪問に感謝!!!,、。今後とも何卒よろしくお願いします、。

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# by evian_th | 2018-11-12 00:03 | 東洋蘭(春蘭)
秋季展示会2018 ・・・・・ No.609


◆秋季展示会2018


寒蘭展示会
時:2018年11月3日(13:00~16:00)
所:京都・御所西平安ホテル1F金閣
東洋蘭 京都愛好会









廣畑園寒蘭展示即売会
時:2018年10月27日~12月9日
所:廣畑園(高知県宿毛市)






展示会情報は「ハガキか封書」でお知らせ下されば、順次掲載します、。








# by evian_th | 2018-11-09 09:19 | 東洋蘭春蘭展示会
手島揫二・二代目                      No.610
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◆2018年10月、。   二代目・錦園堂・手島揫二、


今秋の展示会情報は、前スレッドNo.609にあります、

今年は「手嶋揫二鉢」と「三河鉢」の誕生に関して、画期的な資料が出て来て「楽鉢界の不明の部分」が一気に解明できた年です、。
1月には、大阪府堺市に窯のあった「楽忠」が、明治11年に大阪の窯を閉じて東京本郷駒込「動坂」で再び窯を開いていた事が分かりました、。
4月・7月には、「初代手島揫二鉢」と「三河鉢」の誕生が、同じ根っこから発生していた事が判明しました、。

これで完璧だなと思っていたら、今回更に「二代目・手島揫二」に関する追加資料を愛楽園さんがお送りくださったので下記します、
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二代目・手島揫二、
初代の手嶋揫二は、常滑の陶工・滝田椿渓とともに「西端楽焼」を生み出し、「釜揫」と称する窯を起こし、明治30年まで西端で窯を続けたが、後を弟子の杉浦良平に譲って東京に移住した、。揫二45歳の時でした、。
本郷駒込「団子坂」に窯を起こし、万年青の流行に乗って関東に西端楽鉢を広めて行き、業界で「手島鉢」と呼ばれるほどのブランドとなって行ったのでした、。そして大正7年に66歳で逝去します、。

初代の手島揫二には跡継ぎの男児がいなかったので、娘に愛知県西端から杉浦文次郎(明治16年生まれ)を婿養子として迎えていました、。大正7年、この婿養子が「二代目・手島揫二」を襲名し、その家業をますます発展させたのです、。二代目手島揫二は窯の屋号を「錦園堂」と名付け、万年青鉢・蘭用高鉢・仙人掌鉢を製作しました、。

昭和18年1月28日、空襲によって窯が破壊されると、二代目手島揫二は窯を閉じ、戦禍を逃れて娘婿の故郷高浜へ疎開した、。目を悪くした二代目手島揫二は二度と窯を開くことはなかったといいます、。そして、昭和44年(ちょうど50年前だ)、86歳で逝去しました、。

◆したがって「手島鉢」は、明治18年に初代釜揫手嶋揫二によって愛知県で誕生し、
明治30年に東京へ窯を移し、
大正7年に初代の逝去にともなって二代目に引き継がれ、
昭和18年に二代目錦園堂手島揫二によって閉窯された、ということになります、。

手島家の墓所は西端栄願寺東にあり杉浦家が管理していたが、墓じまいをして東京へ移されました、。(二代目手島揫二の孫手島功氏談)、。

(*訂正)
風来記では過去記事で、「娘婿である二代目手島揫二は西端粘土などには愛着も何も無い東京の人だろう、」と書きましたが間違いでした、。訂正しておきます、。
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「手島鉢」といえば「波千鳥紋」の絵付けばかりが有名ですが、下の広告の写真を見れば、豪華な絵付けを施した「錦鉢」も制作していた事が分かります、。この写真は、以前ご紹介した広告とは違い、手嶋揫二の肩書の「錦園堂」とも書いてないし、杉浦勘之助の窯元名の「興楽園」とも書いてないので、初代の手嶋揫二が修行を終えて西端へ帰郷した杉浦勘之助を応援するために共同で広告を出したものと思われます、。
なんしろ、明治38年に勘之助が上京して手島に弟子入りした時には義務教育の小学4年生を終えたばかりの10歳の少年だったといいます、。それから10年間修業をし、勘之助20歳の時に西端へ帰郷したのですから、応援したくなろうというものです、。
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2018年は1月4月7月10月と2か月置きに「手島鉢と三河鉢」とを取り上げました、。非常に有意義な特集を書けたことは光栄です、。多くの御協力者様のお陰であると、感謝しています、。
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今月のトップ画面の鉢画像(上の4枚)は、有賀蘭万園さんが持っていたものを野田谷治夫君に頼んで買って来てもらったもの、。蘭用高鉢とはいえど高いにもほどがあるというほど不釣り合いに背が高い鉢です、。5号鉢、。この鉢を買う時に野田谷君に持ち出された楽徳鉢の方を何時まで経っても思い出す、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。変な取引をしてしまったなぁ~、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

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資料提供:愛楽園さん、梅里園さん。









# by evian_th | 2018-10-01 00:15 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
五柳万年青鉢                        No.608
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◆2018年9月、。   五柳万年青鉢


40℃超えの猛暑とその後の残暑も過ぎようかという月替わりです、。

五柳「万年青鉢」、。
代表的な五柳の得意とする文様の鉢、。胴部分に描かれた主題は「雪輪紋を窓に使った青海波紋」、空間は花唐草紋を描き、更にドット(魚の子紋)で埋めています、。
下方に2段の段替わりを取り、その間には中央に花をあしらった雲形、。腰部分は雷紋、足は五柳の蔦唐草紋という五柳尽くしの逸品です、。

明治後期ごろの製作、。台の鉢は短冊家製、。12㎝×12㎝という胴返し、。撮影時の所有者はその後蘭栽培をやめてしまっているので現在の所有者は不明です、。
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# by evian_th | 2018-08-31 21:01 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
浮田楽徳窯蘭鉢                  No.607
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◆2018年8月、。   浮田楽徳「七宝花菱繋ぎ紋蘭鉢


非常な猛暑と気候異変とに見舞われている2018年の夏ですが、皆さんはお元気ですか?
暑中お見舞い申し上げます、。

2018年は「三河鉢」に関する新事実が次々と判明した記念すべき年になりました、。
その関係から、今年は「三河鉢」とその発祥に関係した「手嶋揫二鉢」の記事が一年の前半を占めました、。三河鉢も一段落したので、久々に「京楽鉢」を見たいという欲望に駆られて、今月は「楽徳蘭鉢」を掲載、。

掲載画像は10年以上前に撮影の古い画像です、。風来記が「楽鉢の歴史調べ」を始めた頃までは、上掲のような「横から撮影画像」だけが「植木鉢画像の常識」でした、。それで十分だったのですね、。
風来記が楽鉢を解説するようになってから、「鉢べりはどうなっているか」とか「内側のロクロ引きの指痕がどう」とか「鉢底の土目がどうこう」とか言い始めて、撮影者も「横から画像」だけではなく「斜め上から画像」や「鉢底画像」も撮影するような時代に入って行った訳です、。だから、上画像には「上から画像」も「下から画像」も存在しません、。その必要も感じなかった頃の撮影です、。

風来記も御多分に漏れず、「京楽鉢」から調べ始めたのです、。ところが、最も古い筈の「短冊家鉢」でさえその形が完成されてることに不信感を持ちました、。それで、この「短冊家の製品の形はどこから来たのだろう。」と疑問を持ち、古い本を(高い本は買えないので、安価な本を沢山)読み調べ、ある時、「明暦2年、大阪の堺で楽忠窯が開窯。」という記事に出会った訳です、。幸いなことに「楽忠窯」製品と「楽雅亭」製品には「落款」があり、実物を見つけやすく、記事を立証できたのです、。その後しばらくは「大阪楽の研究」に没頭することになります、。

京都の丸山健氏と千葉県の笠原信雄氏とからの情報提供には随分助けられました、。丸山氏が短冊家から「古い窯元の名前」を聞き出して下さったお陰で「京楽鉢」の歴史調べは一気に進展して行ったのです、。
同じころの「メルマガ」に「日本の古い窯元の解説文シリーズ」が掲載されたという幸運にも恵まれました、。「浮田楽徳窯や浮田楽徳という人物」は、こうして見つかった典型的な例です、。窯の在った住所まで判明したのですから、。

「楽徳窯の鉢」はいいねぇ~、。「短冊家鉢」と共に「京楽鉢の双璧」ですね、。楽徳が狩野派絵師からの転身絵師だという事や、先祖が「関ケ原の戦い」に関係していた事も幸運でした、。なんしろ日本人は「戦国時代」と「幕末・明治維新」の日本史を大好きで、「楽焼お茶碗」は戦国時代に、「楽焼鉢」は幕末と明治維新とに深く影響を受けたのですから、調べるエビアンも楽しかったし、読む方も興味を持ってもらい易かったという幸運に恵まれたのです、。

「楽鉢の歴史調べ」は、何も資料がない所からの出発でしたから、多くの人のご協力でここまでわずか10数年で調べられた事は奇跡に近い事でしょう、。
残る課題はかなり高次元の調べになると思われますが、風来記では今後も続けて行こうと決意しているところです、。

掲載画像は、何も解説する必要もないくらい素晴らしい完成度と使用感とを併せ持った蘭鉢です、。「七宝紋」というのは「4つの円形」を重ねて出来る紋様です、。その繋ぎ目に花を描いてあるから「七宝花菱繋ぎ紋」、。七宝紋は金泥で、花は天然緑土で描いてあり、「鉢縁下」の緑土の横線以外は「総絵付け」です、。明治中期の作、。
(w11.5xh15.5)、撮影時の持ち主は分かっていますが、その棚の鉢の多くはそれ以後に動いたので現在は愛好家所蔵、。

絵師・浮田楽徳の世界をじっくりとお楽しみ頂ければ幸い、。


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全日本東洋蘭連合会 新芽会
時:2018年8月22日
所:東京 大森 「八幡自治会館」(東京都大田区大森中3-8、京浜急行梅屋敷駅下車3分)










# by evian_th | 2018-08-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
手島六角鉢・三河鉢                      No.606
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◆2018年7月、。   手島揫二「六角鉢」


「7月の月替わりなのに風来記のトップ画面の更新が無いぞ、と皆さんが心配しているが、元気なのか?生きてるか?」と京都の丸山健氏から電話を頂いた、。。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。生きてます、。先日の地震以来、考え事があったり個人的な用事が有ったりする内に、月が替わってしまっている事に全く気付かなかった、。風来記を始めて以来13年半になりますが、こんな事は初めてです、。ご心配を頂きまして、ありがとう御座いました、。

◆手島揫二「六角鉢」と三河鉢のことなど・・・、。
「手島六角鉢」に関しては、何年か前に書いた通り現在の古典園芸界に10個ー15個程度現存します、。「手島六角鉢」には手島揫二自身が製作した鉢と手島の弟子である興楽園杉浦勘之助が製作した鉢とが含まれます、。どちらも「手島鉢」として販売されたので、見た目や手触り感に多少の違いはあっても「全部が手島鉢」です、。その全部に「瑠璃釉薬」が使用されているところから、製昨年は明治30年以降~大正時代のものです、。落款は「ひらかなで”てじま”」というものと、漢字で「手島」というものとの2種類があります、。

掲載画像は釜揫手島揫二自身の製作で、使用されている陶土は「西端粘土」、。京土を使って何かを植え込まれていたらしく、京土の染み出た使用感が何とも言えない良い時代乗りを表現しています、。京土は「七条土」とも呼ばれ、京都七条近辺(JR京都駅を中心とする東西数キロ範囲)の”どぶ土”を乾燥させて砕いたもので、植込み用土として明治・大正の両時代から昭和18年頃まで広く古典園芸界で使用された用土です、。この土が水やりの水に溶け、鉢から染み出て鉢表面にこびり付いた様子が、古典楽鉢愛好家にとっては何とも言えない良さを感じさせるのです、。

「手島鉢」というのは、東京市本郷区駒込林町11(現・東京都文京区千駄木5丁目)に窯があった「東京楽」ではありますが、来歴が判明してみれば、半分は「三河楽鉢東京支店」のようなものです、。強いて言うなら、2代目錦園堂・手島揫二鉢は「東京楽鉢」と呼べるかも知れません、。元は、初代釜揫手島揫二が「愛知県碧南市西端の楽鉢」の宣伝と販路を広げる目的で東京に窯を構えたのでした、。

三河楽鉢は、明治18年頃に西端の桃源社メンバーが常滑から指導を受けようと呼び寄せた滝田椿渓の弟子・伊藤善之助と西端の手嶋揫二とが西端粘土を使った楽鉢を完成させたものです、。
手嶋揫二が東京へ転居した明治30年以降は、手嶋揫二が西端に残した愛弟子の杉浦良平と鳥居只吉とが西端楽鉢を製作していたのですが、折からの不況で鉢は売れず、明治38年に閉窯に至ります、。

大正3年に東京の釜揫・手島揫二の元で修業を終えた杉浦勘之助が西端へ帰り「興楽園」を開窯し、その杉浦勘之助の元へ弟子入りしたのが「京樂園・横山孫一」と「三華庵・杉浦清司」です、。
「改楽園・神谷長平」は、子息の良弘氏いわく「おやじは勘之助さんの所へ遊びに行ってる内に勝手に作り方を覚えた」ようで、昭和28年から44年まで楽鉢を製造しました、。ですから技術を盗んだだけで弟子という訳ではありません、。
京樂園は平成25年に、興楽園は平成18年に楽鉢不況のために閉窯し、三華庵は楽焼茶器の方向へ向かったので、西端楽鉢を受け継ぐ窯元は三河安城の「愛楽園」のみという時代になっています、。

明治の三河鉢創成期に、手島たちとは別に西端陶器を焼き始めた中里家初代の鉢も残っているでしょうから、現在我々が見る「三河鉢」がどこの窯元の製品なのかの見分けは非常に困難なものになっています、。
昭和期に焼かれた三河鉢の陶土となる「木節粘土(キブシ粘土)」も、猿投設楽山系の数ヶ所から掘り出されたもので、色も純白から黄色・灰色・鼠色と範囲が広く、余程見慣れないと三河鉢の見分けはつきません、。

掲載画像の手島六角鉢のサイズは、w15.5xh12cm、西口郁夫氏所蔵。

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本年、2018(平成30年)の1月・4月・7月(イースーチーのスジと覚えて頂くと便利,^^;。)の3か月に渡り「手島鉢」と「三河鉢の黎明期」について、お伝えしなければならない人名や正確な年代などの事項は全部書いたと思います、。後の資料となるなら幸い、。
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# by evian_th | 2018-07-02 12:53 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
2018 夏の蘭展 No.605
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◆2018年、。   2018年「夏の蘭展」



花ごよみ 夏の蘭展
時:2018年6月29日~7月2日
所:花ごよみ(広島市佐伯区薬師が丘)




三香園 富貴蘭展
時:2018年6月30日・7月1日
所:三香園(香川県観音寺市吉岡町)




兵庫春蘭友の会 春蘭新芽展示会
時:2018年6月24日
所:相生園芸センター






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# by evian_th | 2018-06-08 17:38 | 東洋蘭春蘭展示会
福富京楽堂「赤絵花唐草紋万年青鉢」               No.604
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◆2018年6月、。   福富京楽堂「赤絵花唐草紋万年青鉢」


福富京楽堂「赤絵花唐草紋万年青鉢」、。
東京駒込団子坂上の「錦園堂・手島揫二」の先代「初代・釜揫・手島揫二」は、大阪堺市から明治12~13年頃に窯を移して来ていた「楽忠」の弟子だった、。しかし手島鉢を見ると「楽忠らしさ、」は「絵付けに瑠璃釉を使う」こと以外には見当たらないのです、。手島の鉢の台の作り方は、愛知県西端時代に完成しており、東京へ出てからの特段の変化は見られません、。

その事を考えている時にフッと思い付いたのですが、「福富京楽堂こそが楽忠の東京での一番弟子だったのではないか」という考えです、。
福富窯の製造する鉢の質は、熟練した陶工のものです、。鉢質は硬く割れにくいのは相当期間の陶工としての修業の賜物でしょう、。東京本郷上駒込にポツンと1軒だけこれほどの完成度の高さを誇る楽鉢窯元が存在したこと自体が不自然で、誰か必ず師匠筋に当たる窯元は在ったはずです、。それが「楽忠」だったのではないだろうか、と最近のエビアンは考えています、。

但し、エビアンが思い付いたこの「福富は楽忠の弟子だった」という説には、一つだけ大きな落とし穴(欠点)があります、。それは福富京楽堂の鉢には「瑠璃釉が使用された作品が無い」という点です、。この点で、そう言い切るには自信を持てないでいるのです、。江戸幕末から明治初年の楽忠窯の製品の多くには瑠璃釉薬が多用されたのに、弟子が瑠璃釉を使わない筈がないからです、。
福富窯の製品には「京楽」の影響が濃く見受けられます、。福富と京都とを結び付ける証拠資料を探しているところです、。

今月画像の鉢は、明治後期の万年青鉢で、6寸の大鉢です、。鉢べり直下に少し鋸歯紋を描いた他は、鉢全面に赤色顔料が目立つ華やかな絵付け鉢です、。見事な大鉢で人目を惹きますよね、。
(6号鉢、撮影所蔵・米谷青彰園さん)


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# by evian_th | 2018-05-31 23:50 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
新芽会                            No.602
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◆2018年初夏、。   新芽の季節の展示会・交換会











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# by evian_th | 2018-05-14 01:28 | 東洋蘭(春蘭)



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