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京楽焼万年青鉢「五柳、」               No.322
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◆2010年1月3日、。     京楽焼き万年青鉢「五柳鉢、」

京楽焼き万年青鉢「五柳絵付け鉢、」
この鉢に描かれている半抽象画のような文様を何と表現すればよいのかの判断に困っていたところ、「水野豊明園さんの出版物・万年青の歴史、」に同種類の五柳の絵付け鉢を見つけたので判明、。「草花文散らし、」て風に書き表すのだた、。直径13センチ、高さ12.5センチ
<エビアン注>
この紋様は、後に「雪輪紋」(ゆきわもん)と判明しました、。後の記事には「雪輪紋」と書いています、。



「五柳鉢」の制作年代
については出版物によって様々ですが、鉢の周囲全体にグルリと絵付けをするようになった年代や、「台、」となっている楽焼鉢自体の年代から見て、明治中・後期~昭和初期と見るのが妥当だろうと思います、。

「五柳」なのか「五龍」なのか、という疑問は継続して持ち続けています、。風来記では、万年青界と蘭界に存在する鉢に描かれた「五柳、」のサインと、「五、」と「柳、」の落款とから、「五柳」説を採っています、。今後、「五龍」の根拠となるような資料が出て来れば、その時には考察し直そうと思っています、。

東洋蘭風来記ではエビアンは、五柳さんのような絵付け専門職人を「絵師、」「絵付け師、」と呼んでいますが、陶芸の世界では、「陶画工」と呼ぶのだそうです、。正式には「陶画工」なのでしょう、。
「楽焼鉢」の「足、」に「雲文様」を最初に描き始めたのは「五柳」さんからではないか、とエビアンは思っています、。
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楽焼の植木鉢を調べるには、そもそもの「楽焼」について知らねばならないし、そこから、いつの時代の誰が「植木鉢」を焼き始めたのかが判明するのではないか、と最初は考えました、。ところうが、楽家の初めの頃の資料が実にいい加減で、初めっから話がこじれる始末、。
楽家の初期の頃から「脇窯」として家を出た人も多いし、手代が独立して脇窯を開いたのも多い、。その上、見よう見真似で「楽焼もどき」を焼いた窯元も多かったらしく、最近、京都の窯元跡地で「楽焼のカケラ」様のものも多く発見されている模様です、。
楽家が落ち着き、資料がしっかり残るようになるのは「楽家4代目一入」の頃からなのです、。二代目常慶や三代目道入に出入りし、焼き物の手ほどきを受けていた本阿弥光悦などは、楽家資料では「脇窯」となっています、。ところが、日本の国宝は1034件あり、そのうち陶磁器はわずか14点、。この14点のうち9点は海外の物で、日本で作られたものは5点に過ぎず、この5点の内に楽焼が1点あるのですが、この作者が本阿弥光悦なのです、。楽本家のものは国宝には選ばれていません、。
ずーっと調べて行ったのに、何だ?こりゃ、て壁にぶつかります、。

想像や予想を入れずに資料からの事実だけを頼りに、今後も調べるつもりですが、かなり早い段階で、「おちゃわん」以外の楽焼は焼かれていたという感触を得ています、。
「楽焼の食器」は当時、あまり人気の高い陶器ではなかったと思われる点なども考慮の対象です、。「植木鉢」という言葉がいつの頃から使われ始めたのか、というような事から考えています、。「鉢」は果物や菓子の入れ物のことで、植木鉢は中国では「盆」、日本の盆栽界でも「花盆」と呼ばれたので、この点にも注意しながら見ているのですが、今のところ、そういう記述には出会っていません、。
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◆楽焼植木鉢のルーツ
京楽焼の始祖は、渡来人阿米也(飴也・飴屋)という人で、この阿米也には唐人(中国人)説と朝鮮人説との2つの説がありますが、朝鮮人説は1700年代に書かれた「楽焼秘囊」「楽焼代々」に取り上げられていて、本の時代が浅く根拠に乏しいので、現在では中国南部地方の人という説が有力です、。
中国南部、福建省の辺に「交趾」の一種で「華南三彩」という焼き物があり、これと楽焼との共通点が多いので、阿米也は福建省近辺の中国人であっただろうというのが信憑性の高い説になっています、。
言われてみれば、我々の知る範囲で楽焼に近い質感を持った中国鉢は、交趾鉢が最も近いと感じられます、。「楽焼鉢」のルーツは(鉢の中で探すなら)「交趾鉢」ということになるようです、。
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<エビアン注>
上掲の画像の内、下の「短冊家自家絵付け鉢」としているのは、後に「三河鉢」と判明しました、。画像が2連のために削除できませんが、下の鉢は「短冊家」ではありません、。「三河」です、。


「五柳」絵付け鉢と「短冊屋」オリジナル高級錦鉢
上画像は、前にご紹介した立岩信彦氏所蔵の「五柳絵付け鉢」、。下画像は、「短冊屋」のオリジナル錦鉢、。
「台」の鉢は両方とも「短冊屋鉢」ですが、「高級絵付け鉢」といっても、これだけ製品の出来栄えが違えば「同一窯」の製品としては通用しなかっただろうと思われます、。(皆なが五柳鉢の方を欲しがったでしょうから、)、。

これが、風来記が、「五柳」は短冊屋の従業員だったのではなく、「独立した絵師(陶画工)」だったとする根拠です、。「絵師の暖簾を背負う、」からこそ、描き込まねばならなかった、というのがBBS・kumasanちゃんの質問に対する答えでもあります、。
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◆2008年4月、。
「五柳」鉢の語源となった実在する万年青鉢、。七寸くらいの大きさ、。(使用許可はもらってますが、借り物写真なので、ド派手にロゴをいれさせてもらいました、。見難くて済みません、)、。
(2008年4月、スレッドNo.161の再掲載画像です、。「芳古園主・五柳寿運のサインと「五」と「柳」(木へんは上に乗って、下に「柳」の右半分があります、)の落款」が読み取れます、。
by evian_th | 2010-01-23 11:45 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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