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楽焼鉢「浮田楽徳鉢」                    No.541
楽焼鉢「浮田楽徳鉢」                    No.541_b0034163_01291483.jpg

楽焼鉢「浮田楽徳鉢」                    No.541_d0103457_15294023.jpg

◆2015年7月、。   京楽焼「浮田楽徳鉢」


◆京楽焼鉢「浮田楽徳鉢」のルーツを求めて
と、大そうなタイトルを付けるほど大して新しい情報は何もないのだけど、なぜどうして浮田楽徳が幕末1861年に「狩野派絵師」から「植木鉢窯元」へと転身することになったのかを自分なりに納得したくて思いを馳せた、。

「浮田楽徳」は、戦国時代「豊臣五大老」の一人、「備前岡山64万石城主・宇喜多秀家」の七世の孫に当たる「幕末の狩野派絵師・浮田一蕙」の血縁者でほぼ間違いのないところでしょう、。
戦国時代には「宇喜多」と記し、その後の直系の血族を「浮田」と記したようです、。このことから「浮田楽徳」も「宇喜多秀家や一蕙の血縁者」だと判断できます、。

宇喜多秀家は西暦1600年、西軍の副将として「関ヶ原の戦」に敗れ、一時は逃れるも、囚われて「八丈島へ流刑」の身となりますが、加賀前田家から豪姫が嫁いでいる関係で前田家から絶大な支援を受け続けます、。
まぁ、我々「楽鉢愛好家視点」では、徳川幕府から徹底的に虐げられた家系の様子、。1616年・徳川家康の死後(今年は家康没後400年に当たる、)、刑が解かれ血縁者は江戸に移り、現在「浮田姓の人々」は八丈島・東京・京都・九州に住んで居られます、。「楽徳直系の人」を探したのですが、京都には居られないようです、。

幕末、京都の狩野派絵師の中でも、「討幕派」の家系ではあるし、狩野派は主流が「唐絵」を描くのに反して楽徳は「大和絵」を描くし、「家長の浮田一蕙」は安政の大獄の罪人だし、1859年に一蕙の死後は狩野派には居辛くなったのでしょうね、。1861年に窯を開いて「陶芸の道」へと進むことになります、。

「浮田楽徳」は1830年生まれ大正元年83歳で没します、。上画像の「腰部分」に描かれた「雲形」を楽焼鉢に描くのは「浮田楽徳」と「五柳寿運」だけだと思います、。(短冊家さんの鉢にも無いと思いますが、見落としがあるかも知れません。)
この「金絵具」による「雲形」を楽焼鉢に初めに描いたのが「浮田楽徳」だろうと思っています、。「五柳」もこの雲形を見事に描き、このことが以前からエビアンが「楽徳と五柳とは師弟関係だ」と言っている根拠となっています、。筆先に金絵具を付けて、サッサッサッと実に手馴れた様子で雲形を描くのはこの二人だけです、。

古典園芸界には「五柳鉢」は数十個存在しますが、中には怪しげな鉢もあり、この「雲形の描き方の手馴れ加減」で見るのも一つの見分けのポイントになるかも知れません、。
筆をトンッと入れた所が太い線になり、スッと細くなり、曲がり角でまた太くなるという風に筆跡にリズム感を感じさせるのが手馴れている証拠、。チリチリチリと同じ太さの線で雲形を恐る恐る描いた風なのは手馴れてない印しでしょう、。

話は前後しますが、「宇喜多姓の人々」が正式に赦免されるのは、「関ヶ原の戦」から270年も後の明治2年に明治政府によって赦免されたのですから、江戸時代270年間は宇喜多秀家直系の人達の無念は想像を絶します、。
まぁ、そういう中での「浮田楽徳」の独立だったのでしょうね、。徳川藩の支配する江戸へは行けない、大きい仕事は江戸狩野が全部請け負ってしまう、京都の狩野派に居て「大和絵」を描いていても先が見えない、京狩野は狩野山楽の直系が主流だ、といった心境だったのでしょう、。その無念さを胸に秘めこつこつと楽焼鉢絵付けに打ち込む姿が目に浮かびますし、作品に甘さ(妥協)が見られないのも「浮田楽徳鉢」の特徴だと感じます、。

みなさんが江戸時代の絵師(今ではテレビなどでは「江戸時代の大画家」などと言いますが、絵師です。)と聞いて思い浮かぶ名前の90%以上は「江戸の狩野派絵師」です、。長谷川等伯・狩野探幽・尾形光琳・俵屋宗達・丸山応挙・(まだ誰かたくさん抜けてるな)とかも皆なそうです、。
京都に居て、狩野派と言われながら、浮田姓の大和絵師、と来てはまともな仕事の依頼も来なかったことでしょう、。

(いつもながら、エビアンは下書きなどせずに、画像をアップした後に考えながらの文字打ちですから、文章が変で申し訳ありません、)、。

◆「浮田楽徳」は「浮田一蕙」の血縁者であること、。
◆「楽徳と五柳」とは師弟関係(または血縁)だということ、。
◆萬年青界が言っていたように、「楽焼鉢絵師」は「狩野派」の影響を受けていること、。(どころか、狩野派絵師そのものだった)、。


まぁ、この辺が最近エビアンが思っていることです、。(まだ何か書き忘れている気がする)




by evian_th | 2015-07-29 01:30 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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