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短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢                  No.551
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◆2015年12月、。   短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢


師走~、。
本年も「東洋蘭風来記」をご覧いただきまして、ありがとう御座いました、。寒い季節ですから、お身体をお大切にお過ごしください、。


短冊家神獣浮彫紋瑠璃六角鉢、。

「楽焼鉢」ではありませんが、楽鉢窯元の短冊家の極く初期の頃の製作になる鉢で、非常に珍しいのでご紹介、。
よほど大切に保存されて伝わって来た鉢の様子、。一見すると新しそうに見える鉢ですが、この鉢は製作されてから200年経っています、。江戸後期・文化文政年(1804年~1829年)の製作だと思います、。


この鉢を作るには、一般の楽焼窯元にとっては誰かに2つの事を教わらないと製作できない鉢なのです、。
◆柔らかい感じのする半磁器(磁陶という)の作り方
◆型押しの方法と6枚の面の張り合わせ技術
この事を一人で教えることが出来たのは、江戸後期の第二期京焼ブーム時に出て来た京都の陶工「欽古堂亀祐」しか居なかったと思われます、。


「欽古堂亀祐」(きんこどうきすけ)明和2年(1765年)生まれ、天保8年(1837年)没は、毎度御馴染みの「奥田頴川」(おくだえいせん)の門下生の筆頭とも言って良い程の存在、。奥田頴川は亀祐よりも12歳年上で、家業の質屋は弟に任せて京都三条粟田口に窯を開き、中国陶磁を学びながら人柄を慕って寄って来る多くの陶工を育てた後期・京焼盛隆の功労者です、。
この奥田頴川が「磁陶」の作り方を門下生に教えたのでのです、。後に欽古堂亀祐が陶芸指導に行く「三田青磁」なども、この「磁陶」の分類に入る焼き物です、。
当時の京都粟田口には陶磁器の窯元は多く、清水焼のような硬質の白くて硬い磁器とは違って、温かみのある焼き物です、。

また、欽古堂亀祐は京都伏見の「伏見人形作り」の家の出身、。伏見人形は前姿と後姿とを別々の2枚の木型に押し付けて陶板を作り、薄く溶いた陶土で張り合わせて作ります、。この「木版に押し型技術」と「張り合わせ技術」とで一体の人形を作るのです、。

これら2つの技を併せ持った陶工は欽古堂亀祐だけだったと思われ、初代短冊家が祇園短冊楼から窯を開いた時期と亀祐が活躍した時期とが一致するのです、。


短冊家初代は余程研究熱心な人だったらしく、亀祐に執拗に頼み込んだのでしょう、。というのも、普通一般的には、6面の神獣の鉢を作るには、同じ獣が繋がらないように、2~3種の版木を使用して別々の神獣を繋げる筈なのですが、画像をご覧頂くとお分かりのように、全部が同一の神獣です、。つまり亀祐は版木を1枚だけしか短冊家に使わせなかったものと思われます、。

そういう苦労をして短冊家初代はこの鉢を製作したのです、。その研究心は脱帽ものです、。
江戸後期なのにテールベルトが手に入らない筈なのに緑色があるじゃないか、と思われるでしょうが、ここに使われる顔料は日本古来(といっても、江戸時代直前の頃)からある顔料で、江戸初期の陶工・野々村仁清などが使用した天然顔料で、主として磁器専用のものです、。透明感があり、非常に高価な顔料だったのだろうと思います、。

鉢裏には初代が使ったと思われる「短冊堂」の落款、。
この鉢は、エビアンが知る限りは2個現存し、他に盆栽界の蒐集家に残っているとしても、あと1~2個でしょう、。大量に作るほどは亀祐も木型を貸さなかったと思われるからです、。
いずれにしても非常に貴重な鉢であることは間違いのない事実です、。
贅沢を言わせてもらえるなら、少しは使っておいて欲しかったですね、。時代乗りが欲しかった、。
(現在の所有者は不明)









by evian_th | 2015-12-01 00:05 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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