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楽鉢そもそも                         No.623


◆2019年8月5日、。   楽鉢そもそも、


大阪府堺市を中心として松原市方面にまで点在する「百舌鳥・古市古墳群」(もずふるいちこふんぐん)が今年(2019年)「世界遺産」に登録された、
実はエビアンは宮内庁が管理する「仁徳天皇陵」が果たして本当に「仁徳天皇の陵墓かどうかも分らない古墳群の世界遺産登録を待つよりも、堺市は千利休の生誕の地を謳い文句にして茶道発祥の地として観光客を誘致してはどうか、」と10年近く前から堺市役所観光課へ電話したりなどしていた、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。だから今回の世界遺産登録には驚いたよ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

堺市の地元には「堺音頭」があり、「物の~始まーりは なんでもさーかーいー、三味もー小唄ーも~ みな さーかーい・・・」と唄っている、。そりゃ江戸時代には日本中のお金を集めたんだから鼻高々になっても仕方が無いか、どういうものが堺で始まったのかな?と思い検索してみると、「堺が発祥元、または堺で多く生産されて日本中へ広まったもの」は驚くほど多くあった、。「鉄砲・自転車・タバコ・包丁・三味線・私鉄・金魚・緞通・傘・足袋・ニッキ味の飴・セルロイド・金魚・線香・茶道・謡曲などなど」まだまだ沢山検索で出てきた、。本当に驚いた、。そりゃ自慢したくもなるわなぁ、。

この世界遺産登録を機会にテレビでも堺を取り上げる番組が作られるようにもなった、。
その中のある番組で「堺の発掘現場」が写ったものがあって興味を引かれた、。「堺は過去に2度焼失している」のだが、堺の地下80㎝ほどの所の焼土は「大阪夏の陣」の焼け跡、地下20㎝の焼土は「太平洋戦争」の焼け跡だった、。「大阪夏の陣」の時の焼土帯の方が「太平洋戦争」の焼け跡よりも焼け土の層が2倍ほども厚いのは、1615年当時すでに堺が相当な繁栄をした都市であった証拠ではないかとエビアンは感じた、。

この2つの焼土の間の地層からは「多くの陶磁器やその破片」が出土している、。主として江戸時代の地層からだけど、「茶道用お茶碗・食事用お茶碗・皿類・花瓶など」が沢山出てくる、。それも現在の価値で計るなら「何万円何十万円(もっとかも)クラス」の陶器がワンサカ出てきて、当時、一般庶民がこれらを日常使用の食器や道具として使っていたらしい様子がうかがえるものだた、。江戸時代の堺庶民は本当に贅沢な暮らしをしていたようだ、。テレビでは詳しくは写らなかったけど、「古唐津や古志野や、中には朝鮮青磁に見える花瓶」などがチラと写っていた、。

大阪夏の陣の1615年は、九州有田の地で朝鮮人陶工・李参平(日本名: 金ヶ江三兵衛)が磁器「有田焼(伊万里焼)」を始めた年でもあります、。

織田信長・豊臣秀吉の両大物に仕えた「佐々木長次郎」も秀吉時代には大阪の堺で窯を持って作陶していたに違いないと感じたものだた、。堺の港から天王寺・生野までは近く、生野区の辺には北方の大阪城へ登城する羅城門があったらしい、。そこから大阪城へはユッタリと上り坂、大阪城には太閤秀吉がいて、茶堂の千利休(田中利休)は堺に住んでいたのだから、利休の誘いで作陶の道に入った一介の瓦職人でしかなかった佐々木長次郎は大阪の堺で窯を持って作陶に励んだのであろうとエビアンは思う、。そう考えるのが最も自然だからだ、。
佐々木長次郎が当時既に一流の陶器職人として名前を売っていたというなら京都で窯を持って楽焼茶碗を焼いていたかも知れないが、千利休の導きと教えでもって「一流の楽焼陶工」となったのだから、長次郎は利休と離れることはなかっただろうと推察できるのです、。

ついでなが書くと、その師匠である千利休でさえ京都での秀吉の居城「寿楽第(邸)」の完成(天正15年1587年)後数年に秀吉の逆鱗に触れ切腹させられたのだから、それを見た田中長次郎は千利休の死後は師匠を亡くし作陶の道に見切りを付けて、京都から大阪の堺へ戻り、利休から家督を譲られた田中家の「ととや」を継ぎ、子供にも「楽家ではなく、ととや」の方を引き継がせたのではないか、。だから「楽家の家系図」は初代・長次郎から後は少し不明な系図になっているのであろうとエビアンは思っていて、多分これが正しい経緯だろう思う、。

田中長次郎は、ネットWikipediaでは天正17年(1589年)没となっているが、「楽家資料」では文禄元年(1592年)に77歳で他界したことになっていて、この辺は生誕年が不明なのでどちらが正しいのかは不明です、。千利休が切腹したのが天正19年という事からすると、エビアンの上記記事の辻褄が合わなくなるから、エビアンは楽家資料の方を信じることにします、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
楽家2代目・常慶は長次郎の弟で、長次郎死去の時には67歳前後だったといい、常慶の弟「宗味」は脇窯を開いたと書いてあるところを見ると、長次郎には弟が2人いたことになります、。


佐々木家の長男長次郎(77歳)の他界時に次男常慶は67歳、すると三男の宗味は若くても60歳位だったと思われます、。日本人が長生きになった現在でも60歳といえば新規事業を興す年齢としては遅すぎる年齢、。400年前の時代ならなおさらでしょう、。
宗味は長次郎の死後あまり時間を置かずに「楽雅亭窯」を開窯したのではないか、と風来記は考えるわけです、。
1603年江戸幕府の成立前、まだ大阪に勢力の余韻が残っていた時に開窯したものと思われるのです、。1600年には関ヶ原の戦い、1614年には大坂冬の陣と戦は続き、世の中も不安定になるわけですから「楽雅亭の開窯」は「長次郎の死と関ヶ原の戦いの間」くらいではなかったでしょうか、。江戸幕府の成立後、徐々に世の中は安定の時代になるのですが、宗味の年齢を考え合わせると、上記のように考えざるを得ません、。

楽家3代目・道入の弟道楽が大阪堺で「楽忠窯」を開くのは明暦2年(1656年)のことです、。
今までエビアンは漠然と「楽雅亭の開窯と楽忠の開窯」とは年代が近かったように考えていたのですが、50年以上の時間差があることに今回初めて気付き、愕然としているところです、。現在に伝わる「楽雅亭の鉢」と「楽忠の鉢」とが同じようなデザインだったので、なんとなくもっと近い時代の鉢だと感じていました、。
楽家の書物に記載されていることが全て正しいとすれば、そういうことになります、。


大阪府堺市の「百舌鳥古市古墳群の世界遺産登録」を機会に「楽鉢の始まりの時代」のことを考える内に思いついたことでした、。

新PCの単語登録が信頼性に欠け、「長次郎」が「長治郎」になっていて気付かずに使ってしまっている所があるかも知れません、。読み返して訂正しているのですが見落としがあれば、ごめん、。

<余談>
楽家の家系図に関しては、楽家自身の中でも解釈は様々でね、結構いい加減な所も多いのですよ、。
初代長次郎は織田信長から3000石を与えられていたのですが、2代目常慶も同じだったかどうかは判然とせず、2代目は禄を返上して自分で御茶碗以外のものも焼いて商売したらしく、結構裕福な生活だったらしいのです、。ところが4代目には商売も逼塞してお金に困るようになって行ったようです、。この時に「楽の印」を押して他にも売り、咎められるという事態になっています、。

2代目が御茶碗以外の物も焼いた中に「楽焼植木鉢」でも焼いていたとしたら、肌の質感から見てこのスレッドに掲載の上掲2枚の画像の万年青鉢などは2代目の肌に似ているので、そうだったらいいのにな~などと思ってしまうのです、。まぁ植木鉢などは望むべくもないでしょうけどね、。

今回の話も楽家の書物からの推察ですが、宗味が60歳を超えてから新規事業を興したというのは少し無理があるんじゃないかと思われるのです、。が、書物通りに辻褄合わせをするとそういうことになってしまいます、。

まぁ、2代目常慶に関しては、長治郎の弟では無く子供ではないか、とか、千利休の子供ではないか、とか母方の叔父の子供ではないか、とかと諸説あり一定しない、。楽家家系図はもうこの辺がグダグダで、あまり信頼されていない、。



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<結論を書いてなかったな、。>
「楽雅亭」の開窯が「楽忠」の開窯の1656年よりも50年も遡る可能性が出て来たことは、「楽焼植木鉢」が初めて作られた可能性も50年遡るということになります、。
但し、資料上からは今まで通り「楽忠窯の開窯」の1656年ということになります、。

「楽雅亭」のことか「楽忠」のことかは分かりませんが、「茶道用お茶碗」はあまり売れないので、「食器としての茶碗や皿」を作ったのでしたが、「直ぐに割れる」「毒がある」と噂を立てられ、これもまたあまり売れなかったようです、。「毒がある」と言われたのは、楽焼の場合は加茂黒石を分厚く掛けるので、釉薬に含まれる「鉛」も多く、そのために使い始めに変な味がしたのを嫌われたのかも知れないとエビアンは思っています、。

だから、生活雑器といっても「植木鉢」の製作の方へ比較的早い段階で進んだのではないかと推察する訳です、。
「楽鉢」の製造が始まったのは、資料上からは1656年ですが、実際には1600年頃だったかも知れない、というのがこの記事の結論です、。











by evian_th | 2019-08-07 01:14 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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