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楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675
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楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675_b0034163_15160855.jpg
◆2023年1月、。     


謹賀新年
本年も楽しく行きましょう、。

甲斐武田氏割菱紋万年青鉢、。

エビアンは武田信玄の名前程度しか知らなかったのですが、武田一族は広域にわたり勢力を保ってきた一族で、家紋の「割菱紋(わりびし)」は「武田紋」とも呼ばれるほど知名度の高い家紋です、。
数ヶ月前の「金華山鉢」のように、この鉢にも製作に当たっての秘められた物語でも無いかと二匹目のドジョウを狙って調べたのでしたが、残念ながら今回は今んとこそういう楽しい話しは付いて来ませんでした、。

鉢の製作は京都・浮田楽徳三代目です、。武田家縁の人が大正時代末期か昭和ごく初期(元年~3年の間)に製作を依頼したものでしょう、。
何度も書いてきましたので既にご存知のように、初代浮田(UKIDAと濁る)楽徳は絵師の出身で絵付けは非常に上手く上出来の絵付けを施した蘭鉢・万年青鉢・富貴蘭鉢・紫金牛鉢を世に出しましたが、鉢質は弱く割れた(ひび割れが入った)鉢が多いのと比べると、この鉢の制作者である三代目楽徳は「陶芸の腕前が高く評価され」て昭和3~4年には「陶芸家」として京都で独立します、。楽徳釜も閉窯に至ったものと思われます、。
従って「浮田楽徳釜」は文久元年(1861年)に開窯し明治時代大正時代と古典園芸界へ数々の銘鉢を残し続け、昭和4年に閉窯しました、。

三代目は絵付けは淡泊で、京都の古典園芸界に伝わる伝統紋様も多用はせず独自の絵付けを施した鉢が多いのですが、作陶の腕前は超一流で、画像の鉢は「7寸の大鉢」なのですが、「鉢縁下」(はちべりした)は「飛かんな」の作風で鉢肉の補正を施しています、。台の作りは三代目が初代二代を凌ぎます、。
「武田菱」を一の足・二の足・三の足共に同じ模様に揃え、その間をなんというかアンモナイト風(?)な唐草紋で埋めているのですが少し淡泊です、。

画像の上から3枚目画像に至って、鉢内側の釉薬が切れた部分に「五柳寿運のマーク」が描かれており、この鉢が俄然ミステリアスさを増します、。注文主の無理強いか何か他の要素でもあるのか、全く不明です、。
口径21㎝・高さ21㎝の胴返し、。(毎年1月は風来記所有鉢です)、。
<追記>
下画像の下に、新たなコメントを追加しました↓、。
楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675_b0034163_15161523.jpg
楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675_b0034163_15162441.jpg
楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675_b0034163_15172454.jpg
甲斐武田家家紋「武田菱」には○(まる)はありません、。というご意見を頂きました、‥調べましたら、確かに武田家家紋には○はありませんでした、。
従って、上記文章は全く無意味な文章となりました、。削除するのも間が抜けるので、今回はそのままにしますが、この点を何卒ご了承下さい、。
「じゃぁあれは何?」と聞かれてもエビアンには分りません、‥どこかの家の家紋なのでしょう、。箱書きを単純に信じたエビアンのミスです、。申し訳ありませんでした、。風来記・エビアン。。。
楽徳三代目割り菱紋万年青鉢          No.675_b0034163_00344339.jpg









by evian_th | 2023-01-03 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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