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テールベルト(天然緑土)          No.683
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◆2023年7月12日、。     天然緑土(テールベルト)


「園芸JAPAN誌2016年1月号」の誌面に、それまで古典園芸界の・愛好家・商人皆さんのご協力を得て進めてきた「古典楽鉢の歴史調べ」の途中経過を掲載し、それを皆さんが読んで下さり、「そこまでの楽鉢の事は皆さんご存知」の上で、それ以降は「その上へ研究結果を積み重ね」て「奥部屋」に書いて来ました、。

しかし、「園芸JAPAN誌2016年1月号」を読んで居られない人、「それ以降に古典楽鉢に興味を持たれた人」、には理解できないことをいい気になって書いているのではないかと反省する気持ちが出て来た事と、「楽鉢数寄者の代替わり」などに伴って、新しい人達にも繰り返してお伝えしようとの思いから、時々、以前のことも書くように決めました、。

「古典の楽鉢」と風来記が呼んでいる鉢は、江戸・明治・大正・昭和の戦前までに製作された鉢を「古典」と呼んでいます、。
見かけ上の形状の違いは「一つ一つ手作りで轆轤引き(ロクロ)してある物、鉢底にロクロ引きの糸切りのザラザラ筋が見える物」、のことです、。
また、戦後昭和28年に三河の「興楽園杉浦勘之助が発明した、押し型成形ではないもの、」の直前までを含める場合もあります、。
テールベルト(天然緑土)          No.683_d0103457_23422909.jpg
「古典の楽鉢は何故シットリと落ち着いていて、しかも高級高価に見えるのか、」と初めの頃は考えて毎日毎日楽鉢を眺めていた、。
それで辿り着いたのが「この如何にも日本人好みのする緑色の線を描く釉薬を使ってあるためではないか、」ということだった、。
調べても分からず、楽鉢の絵付け絵師(陶画工)として名を馳せておられた千葉県の「布施覚さん」に知人を介して訊ねると「自分も実は分からないのだ、それで絵の具をアレコレ混ぜてそれらしい色になるように工夫している、」という返事だった、。

困り果てていたある日、NHKTVのBS放送で、「日本人左官職人が世界の土を使って左官コテで絵を描いてみる」という企画で左官職人を連れたNHKスタッフが「地中海キプロス島」へ「キプロス原産の天然緑土」を求めて旅をする番組にぶつかった、。(番組趣旨は良かったが内容がダサくて番組としてはスベッタ感満載!)、全く突然で偶然の出会いだった、。
この時の「天然緑土」こそ「Terre-Verte」だった、。見た瞬間に「これだ!」と思ったね、。

キプロスの住人が言うには「1945年(昭和20年)までは世界中へ輸出していた」という、。ギリシャ正教の「イコン画」(各家庭の壁に飾るキリストやマリアの絵)を描くときには必ず、まず下地に「テールベルトを水で薄めて全体に薄い緑色に塗る」のだそうで、その上から絵を描くのが決まりだた、。
取材陣を畑の中の5メートルばかりの断層が露出したところへ案内して現地をテレビに撮影させた、。

断層の横筋の所々に幅50センチほど高さ15~20センチほどの「テールベルトの層が露出している」から、これを掘り採るだけで「輸出の商品顔料」になるのだた、。粒子は非常に細かく、水で溶けばそのまま顔料、塗料、絵の具として使える便利な土である、。日本名は「天然緑土」、乾燥しても緑色のままの物が品質が最上で、乾くと「青味が出て緑青色(ろくしょう)に変化する物ほど安価低級品だった、。日本ではやはり「短冊家が仕入れるテールベルト」は最も品質が良く、次いで「浮田楽徳」などの順になる、。

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今回、この「テールベルト」を使った鉢の内側に「明治初午年」と書いた鉢が見つかった事で、江戸幕末の頃には「テールベルト」が輸入されていた事が判明した訳です、。金と白色とは元から日本に産した土や金属なので、これらを使った鉢が幕末には作られていた事実が判明しました、。

ついでながら、この「天然緑土などの顔料」を使って「楽鉢表面」に絵を描くときには、まず顔料を非常にキメの細かな土に混ぜ、水を加えて「泥漿(でいしょう)」という状態の「絵の具」にし、「油紙や柿渋紙」で作った「三角錐状の容器」(イッチンという)の先に「先金(さきがね)」を付け、その三角錐の袋状容器を手で絞りながら先金から絵の具を絞り出して鉢に絵を描きます、、。仕上げに、これを内釜に入れて800度くらいに焼いて焼き付けるわけです、。

<以前の関係スレッドにリンク付けしときますね>


テールベルト(天然緑土)          No.683_d0103457_23413497.jpg
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「楽鉢の絵付け絵の具」は、大きくは3つのルートで日本へ伝わったようです、。
1つは、「シルクロードの隊商」の手で中東やアジア深部から中国へ持ち帰られ、交趾船によって(恐らく)九州鹿児島や長崎へ入ったもの、。ペルシャ(今のイラン)からの「天然呉須(ごす)」、伊万里焼などの磁器に青い絵を描く釉薬、とか、シルクロード・キジル国の「青の洞窟壁画」に使われヨーロッパ人によって世界に知られるようになった「ラピスラズリ(和名・瑠璃)」、他にも中国経由で伝わった物は有るだろう思う、。

2つは、300年ほど後の1860年代になって、フランス国パリで何度か開かれた万国博覧会の機会に日本人貿易商によって持ち帰られた「各種陶磁器用絵の具」、。この頃には日本人が直接間接にヨーロッパの物産を輸入している、。

3つは、今までは上記の2ルートで入ってきたと考えてましたが、今回判明の「1と2との間のどこかの時点でテールベルトが独自に輸入されていた事」、。「京都短冊家」へ入った時期と日本へ入った時期とは一致する筈なので、今後の調べで判明するかも知れません、。真実は怪奇です、。
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by evian_th | 2023-07-12 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
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