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不明の銘窯          No.669
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不明の銘窯          No.669_b0034163_22131498.jpg
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不明の銘窯          No.669_b0034163_22140966.jpg
◆2022年10月、。     不明の銘、。


残暑厳しい10月の入りですが、皆さんはお元気にお過ごしですか、。エビアンは元気、と言うわけには行きませんが生きてはいます、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

不明の銘窯、。
多分「三河鉢」だと思います、。根拠は、陶土が西端粘土らしいこと、手に持つと京楽よりも気持ち薄手で硬い作りであること、。三河鉢の「剛珍焼き」の血筋を引く作りだと感じられることなどです、。
「三河鉢」であることまではほぼ確定できるのですが、「では三河のどの窯元?」が不明です、。

この「風来記過去スレ」にも「手島揫二窯の調べ」の時に「三河鉢の始まり」についても詳しく書いています、。幾つかのスレッドに散らばっていますので、いま急にはスレッドナンバーなどは思い付きませんが、「園芸Japan誌・2018年12月号」に纏め記事として掲載して頂いていますので、釜揫・手島揫二についてや三河鉢の創世時期についてを知っておきたいお方はご一読下さい、。
以後一部引用させて頂きます、。

「明治14年」三河の西端地域に住む有志によって「趣味の陶芸グループ・桃源社」が立ち上げられます、。
明治15年には桃源社のメンバーから「初代・手嶋揫二」が選ばれて京都へ出向き、「三代目・清風与平」に短期弟子入りし「楽焼」(楽鉢ではなく、楽焼そもそも)の造り方を習ってきます、。

明治16年には桃源社のメンバーは、さらなる高みを目指して「常滑陶芸の名工・滝田椿渓と弟子の伊藤善之助」を西端へ招請して指導を仰ぐ事になりました、。
この時の教え子は多数であったようです、。問題はココです、。その時のメンバーの数や具体的な名前は記録されていません、。筆頭の弟子は手嶋揫二ですが他の顔ぶれが分からない、。杉浦勘之助や杉浦重平はまだ産れても居なかった頃のことです、。
このメンバーの内のかなりの人達が後に独立して窯を開きました、。東城山一角の初代中里某もその一人です、。他は古い書籍に「楽鉢の広告」を出している人達です、。

今月掲載の鉢は,その中の一人が開いた窯元の作品でしょう、。
鉢の台となる素焼きの作りが群を抜いてシッカリしています、。陶土はこの鉢の場合は「西端粘土」でしょう、。特徴は絵付けの巧みさとデザインの独自性だとエビアンは感じています、。京都のような「着物界」というデザインの基本を抑えた業界人がいるわけでも無く、大坂楽鉢の「段替わり」のことなどは知らず、「江戸小紋」のような独自デザインの絵付けを見事に描いています、。

鉢の生地には艶の無い加茂黒釉薬を掛けて、天然緑土「テールベルト」で何やら「シダの葉」のような模様を描き、さらに紅色絵の具を使った「花菱繋紋」を窓のように描くことを得意とし、「金泥」で実に巧みに「古代鳳凰やその他の絵」を描くという独特の絵付けを施された作品は妖艶で濃密な雰囲気を漂わせています、。
三河鉢の筆頭だとエビアンは3年前から思っています、。何とか窯元名を突き止めたいものです、。手がかりがあればお知らせを願います、。
(口径13㎝、高さ12.7センチ、) 堀籠浩史氏所蔵、。


下に掲載は、2017年7月スレッドNo.588のエビアンの鉢で、同一窯元の作品と思われます、。
不明の銘窯          No.669_b0034163_22141903.jpg
不明の銘窯          No.669_b0034163_22142543.jpg
不明の銘窯          No.669_b0034163_22141903.jpg
不明の銘窯          No.669_b0034163_10375798.jpg








# by evian_th | 2022-10-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_20433884.jpg
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_20434729.jpg
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_20442383.jpg
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_20443331.jpg
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浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_20445328.jpg
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◆2022年9月、。     浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ、。


この蘭鉢は、「東洋蘭風来記」のサイト開設からまだ日の浅い頃に掲載している筈で、その時には「浮田楽徳・花菱繋紋蘭鉢」と解説し、横から画像のみで「鉢底画像」や「内側覗き込み画像」は無いままで掲載したものと思われます、。

その後この鉢を展示会出品に利用するに当たって「熱湯消毒」をしたところ、1枚目画像に有った「縁金漆塗り」が剥がれ落ちて元の生地が出て来たので、再度掲載すべく2~3日前に撮影し直したものです、。

その折りに5枚目画像の「胴部分の絵付け紋様」をよくよく見ると、「ええ?、これは花でも無ければ菱形でもないではないか!」と気付いたのです、。
何と言うことでしょう、全く間違った紋様説明をしてしまった失礼をお詫びすると共に、「では、正しくはこの紋様を何と解説するのか?」が全く分からない状態なのです、。
ここは一つ、風来記御常連さんのお知恵をお借りして何とかこの紋様を正しく呼んでやりたいと思う次第です、。

浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_14280847.jpg
「花菱繋ぎ紋」(はなびしつなぎもん)、。
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今日、この文章を書くに当たって、昔の風来記を調べていると「奥部屋・2014年7月14日、」に「楽焼鉢の歴史調べの旅」というのがあり、楽しく読み返しました、。
↓「リンク」↓
浮田楽徳初代蘭鉢の訂正スレ          No.668_b0034163_14280847.jpg







# by evian_th | 2022-09-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
青海波文様の大坂楽鉢         No.667
青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14474367.jpg
青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14474957.jpg
青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14475657.jpg
青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14481715.jpg
◆2022年8月、。     青海波紋様の大坂楽鉢、


「コロナ感染者数」東京は1日に3万人超、大坂は2万人超、という多数の感染者を毎日出していてビクビクしながら、しかしどこかノーンビリと感染爆発を出しているという猛暑の8月の入りです、。東京の気温は日昼は38℃、。

◆かなり「京都の楽鉢」寄りの「大坂楽鉢」、。
楽鉢の歴史調べを始めたのは「萬年青界」の人達であり、楽鉢の歴史を調べるに当たって、まず「短冊家」へ「楽鉢の歴史を教えてもらいに」行って居られる、。「短冊家先代の女将さん」から「楽鉢は当家の先祖が京都で文化文政年に作り始め・・・」と言うのを聞かされる所から始まっているから、短冊家以前を調べようもなかった、。

風来記の調べでは、「楽鉢」は「楽家2代目の弟宗味が1600年前後に楽雅亭窯を作り、楽家3代目の弟道楽が1656年(明暦2年)に楽忠窯を作って、これら2窯によって焼き始められた。」というところから始めています、。
「楽焼は京焼には含まれない」のは、その焼き初めが「京都ではなかったから」という研究者の説を支持しています、。

短冊家が「当家の先祖が文化文政年に始めた」と言っていて、それを否定する資料も見つかってない以上はその言葉に従うとすると、「文化文政年以前の京都では楽鉢は焼かれて無かった」ということになります、。

今月の青海波紋様の楽鉢は、デザイン的にはかなり「大坂楽からは離れた京都寄りの鉢」ではあるのですが、楽鉢製造が京都へ移る直前の大坂楽鉢ということになるかと思います、。

台の鉢の縁(ヘリ・ツバ部分)の作りが上辺が真っ平らで現代鉢に近いこと、鉢底が底穴へ向かって水はけが良いように角度が付いていること(万年青や蘭の根を作ると言う考えが取り入れられている)、。「青海波紋様」は中国由来の伝統紋様で、「京都の西陣など着物業界で使われ始めた紋様」が楽鉢に描かれている、。もしかすると、楽鉢に青海波を描いた最初の鉢かも知れません、。3段の段替わりを取っているが、胴部分をほんの少し外側へ膨らせて木瓜式鉢風に作られている、。

以上のことから、この鉢は、短冊家から京楽鉢は始まっている、という言葉さえ無ければ、「ごく初期の京楽鉢」とでも呼びたくなるほどに「京都」へ寄った「大坂楽鉢」と言わざるを得ません、。

1800年頃の製造:口径19.3センチ、高さ20.5センチ、という6寸5分の大鉢、重量1キログラム、 堀籠 浩史氏所蔵、。

青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14482490.jpg
鉢画像の撮影がエビアンではないので正確な鉢の形には写ってないと思われます、。
「東洋蘭風来記様式の楽鉢の撮影法」を書いておきます、。

◆1枚目2枚目のような「真横から見た画像」は重要です、!この場合は、鉢縁の真横水平線上にカメラを構えて下さい、。鉢縁の裏側が写っても上辺が写ってもダメです、。真横にこだわって10枚程度も撮影して下さい、。慣れると枚数は減ります、。真横から見て、ヘリが一直線に見えるように、。
◆1の足・2の足・3の足、と3方向の横から画像が必要です、。同じだから3方向も必要ないだろうと決めつけないで、。
◆鉢の上下左右には十分な余白を取って撮影して下さい、!トリミングで画像の形はどうにでも切り取れます、。最近のレンズは高性能なので鉢が小さく撮影しても大丈夫です、。
◆◆鉢上部から鉢縁上面と内部の内壁が見える角度、
◆◆鉢底と足裏が見える角度
最後の2項目は特に大切です、。
気持ちが入り込み過ぎて、見せたい部分のクローズアップ画像は、持ち主さん個人的には大切でしょうけど風来記では余分です、。

ーーーーーーーーーーーー大体以上ですーーーーーーーーーーーーー
青海波文様の大坂楽鉢         No.667_b0034163_14482490.jpg













# by evian_th | 2022-07-31 23:13 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21523771.jpg
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21524556.jpg
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21525263.jpg
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21525861.jpg
魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21530512.jpg
◆2022年7月、。     初代浮田楽徳製造「古典魚々子文様万年青鉢」、。


気温40℃超えの日々が続く7月の入りです、。蘭もご自身のお身体もお大切になさって下さい、。

初代浮田楽徳「古典魚々子万年青鉢」
まさか「浮田楽徳窯」に「二代目や三代目」の鉢があるとは4年前までは全く思わず、楽徳鉢の特徴を具えた鉢の中に、妙に新しく感じる鉢があるな~、程度で済ませて来たのでした、。
物事何でも最初に始めた人は偉大なものです、。激動の幕末期に窯を開いた「初代・浮田楽徳さん」もご苦労された事でしょう、。

画像の万年青鉢は10年かもう少し前、東洋蘭風来記が「古典魚々子鉢」を集中的に取り上げていた頃に、千葉県で山草類を商っていた「緑草園・宮﨑晃さん」がどこかから入手した鉢、。この緑草園というのは、凝った鉢を集める事ではマニアの間ではチョット知られた山草屋さんだた、。ただ、「古典植木鉢コレクション」は宮﨑さん自身は趣味で集めていたから買い出すのは容易ではなかった人です、。エビアンも一度、宮﨑さんの鉢を欲しくて、割れ鉢だったのに宮﨑さんご自身が好きな鉢だったもので、分譲を願い出たものの「もうちょっとの間、持たせて、」と断られ、1年数か月後に「もう待てないから、ともかく売って、」と頼み込んで譲っていただいた経験があります、。

今月ご紹介の「古典文様魚々子鉢」はその緑草園・宮﨑晃さんから「日本長生蘭連合会会長の堀籠浩史(ほりごめひろし)氏」が入手されたもの、。堀籠(ほりごめ)様はエビアンのご近所へ引っ越されたので、収集の古典鉢を何点かご紹介させて頂く予定です、。
画像の万年青鉢は、口径13センチ高さ13センチの胴返し、。

魚々子万年青鉢、楽徳初代          No.666_b0034163_21532084.jpg











# by evian_th | 2022-07-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
金華山銘入り特注鉢          No.665
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金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00224131.jpg
金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00224718.jpg
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◆2022年6月、。     「蕙蘭・金華山」特注鉢、


猛暑の6月の入り!!!,、。

蕙蘭・タイミンラン古典の銘蘭「金華山」特注鉢、
風来記で「蕙蘭」のことを書くときには、昭和40年代のエビアン自身の体験からの知識で書くのですが、深くは知らない部分は、戦後の蕙蘭界の大商人・和田野寅治氏の文章から引用させてもらっています、。和田野氏は蕙蘭品種の各々について非常に詳しいのですが、その和田野氏でさえ「タイミンラン金華山の誕生は明治時代以前だと言われている、とだけしか書かれていません、。
細葉になりますが、「建蘭・加治谷」の誕生は非常に古く、江戸天明年間(1780年代)のことで、「蘭の葉変わりの元祖と言われている。もので、紀州の鍛冶屋さんで芽変わりしたものだ。」と詳しいのに、広葉の最古参の「金華山」に関しては、明治以前の変化という以外には何も分からないのでしょう、。「金華山」は天下の大銘品「鶴の華」や「金鳳錦」「金鳳」など多くの銘品を生み出した銘品です、。広葉蕙蘭は「金華山」から始まったとも言えるほどなのです、。

今月ご紹介する楽鉢は、「蕙蘭広葉・金華山のルーツ」を証明する上で貴重な資料となるかも知れません、
鉢は口径19.4センチ×高さ19.3センチという6寸5分胴返しの万年青鉢、。新しそうに見えますが、中へ入れる蘭の名前を指定しての鉢ですから2~3回も展示に使用されれて役目を果たしたのでしょう、。京楽・浮田楽徳二代目の鉢です、。非常に丁寧な台の作りと絵付けが施されており、高価な特注鉢であったことがうかがえます、。

正面1の足には「金華山」の銘が入り、1の足の真後ろ側には、この文の下に掲載した何やら意味不明な縦書き3文字が描かれていたようです、。
現所有者さんは不審に思って、表面の文字が描かれた1層を磨き取られたところ、その下からは下方下段の3文字が出て来たのだそうです、。
「四時園」と読むらしいのですが、アドバイザーのお世話になって、何とかかんとか「四時園」であろうということに落ち着きました、。

では、「四時園」とは何か?、蘭を扱う園芸商人の屋号なのか人名なのか?、
日本の歴史上「四時園」という言葉は2度出て来ます、。
初めに登場するのは、安永2年(1772年)熊本藩家老の米田松洞という人物が「四時園詩集・初編・巻1-4 1冊を編し、ということで、どうも「四時園」なる詩人が居たらしいのですが、この鉢とは関係なさそうです、。いや、初代四時園とも言えるので全くの無関係とは言えないのですが・・・、。

二度目に出て来るのは、文化9年生まれの俳人・大原其戎が万延元年(1860年)京都に出て桜井梅室に学び、二条家から宗匠の免許を受け「二代目・四時園」を名乗ります、(四時園とは俳人の名前だったのだ!)、。二代四時園は明治13年俳誌「真砂の志良辺(しらべ)」を創刊し、門人に正岡子規などが居たようです、。(大原其戎1812年~1889年・明治21年没)

どうも、ここらが匂う、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。、、
ではこの鉢の注文主さんが二代四時園さんなのか、というと話しが合わなくなります、。この鉢を製作した二代目浮田楽徳は大正元年~大正11年の人だから、明治21年に他界した二代四時園とは時間がずれるのです、。
大正元年から11年までの間に二代楽徳にこの鉢の製作を注文したのは誰か、は不明です、。では、何故「金華山」の名と「四時園」の名とを同一鉢に描かせたのか、というと・・・、
「金華山の作出か命名かに四時園が深く関わった」ことをよく知る人物が「金華山と四時園との名前を一つの鉢に並べて描いて記念にした鉢、」の証拠だとエビアンは考える訳です、。

ですから、和田野寅治氏が「金華山の命名は明治以前」と言っているので、「金華山」が命名されたのは、大原其戎が京都へ出て来て「二代目四時園」を名乗った万延元年1860年から明治維新までの7~8年間の内のどこか、ということになります、。この鉢はそれを証明した鉢なのです、。
蕙蘭界の歴史上から「闇の部分」が一つ消えることになる鉢でもあります、。

個人的には「四時園は単なる命名者だったとは思えず、四時園の栽培品のタイミンランに黄覆輪が出たので命名したのではないか(つまり、作出者であり命名者でもあった)と考えてますが証拠はありません、。更に追加するなら「この鉢の発注者は、二代目四時園の息子さんとかの近い親族では無いかと想像します、。かなり気合いの入った高価な鉢の注文の仕方ですから、。制作年は、二代四時園さんの33回忌に当たる大正7~8年ではないでしょか、」親族の故人を思う気持ちが伝わる鉢です、。
(鉢サイズは上記、立岩信彦氏所蔵)、。

金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00254063.jpg
記事編集上のご協力者:園芸JAPAN誌大塚主幹、および、風来記御常連(柳瀬)しんちゃん、。(しんちゃんは漢字を扱うプロで、大きな声で漢字を読み上げる仕事をされてます)、。

金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00231063.jpg

金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00231713.jpg
「金華山」の芽変わりの内で最も出世した大銘品「鶴の華」、。
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金華山銘入り特注鉢          No.665_b0034163_00254063.jpg
すみません、大阪の展示会場が宝塚市へ身売りされたようで、リンク先が変りましたので、次の展示会の時に見付けやすいように、参考リンクを張らして頂きます、。
申し訳ありません、。







# by evian_th | 2022-06-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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