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富士越龍図七寸万年青鉢                      No.629
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◆2019年12月、。   佐々木松楽窯「富士越龍図七寸万年青鉢」、


令和元年の師走!!!、。
2019年5月1日から元号が変わり「令和元年」の早くも”師走”、。

「富士越しの龍図万年青鉢」、。
令和元年記念として年末を締めくくるのに相応しい大鉢のご紹介、。7寸の大鉢(口径21.7cm高さ21cm)、明治後期の佐々木松楽窯の製造、。迫力がありますね、。

下方に江戸時代後期の絵師「葛飾北斎」の絶筆とされる肉筆画「富士越しの龍図」を掲載しておきます、。「葛飾北斎」は1999年にアメリカ「ライフ誌」で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人では唯一人選ばれた絵師です、。「富士山」と「龍」とを組み合わせて絵にした人物ではないかとエビアンは思っているのですが、葛飾北斎によって「富士越龍図」が描かれたのと上掲の楽焼植木鉢が作られたのとの間に60年程度の時間差があります、。

60年の間に江戸での「富士越龍図」の噂は京都まで伝わっていたものと思われます、。構図までが正確に伝わっていたかは疑わしく、佐々木松楽は初め富士山の中腹辺りに龍を重ねて描こうとした形跡が残っています、。それを止めて別個に龍を描き、富士山の中腹の龍図の後には「マフラーのような中途半端な霞か雲か」を描いたのだと見受けられます、。マフラーの両端の処理が中途半端ですものね、。

明治30~40年に京都から陸蒸気に乗って江戸まで行くのに代金はいくらくらい必要だったのか、楽鉢陶工が仕事を休んで富士見物や江戸見物へ行けたのだろうか、とかとエビアンには分からないことばかりですが、明らかに佐々木松楽は北斎の「富士越しの龍図」の噂は聞いていたのだろうと思われます、。

鉢の胴の中央部で下地は変わり、胴体上部は加茂黒地合、胴体下部は白胴塗り残しの上に絵付けを施すという非常に凝った絵付けを施しています、。
見事な七寸の大鉢ですが、植物を入れて展示会に出品されたものを見ると、まるでバケツのような大きさがあることに驚かされます、。見事な出来映えの鉢に見事な絵付けが施されています、。(立岩信彦氏所蔵)

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「葛飾北斎・富士越龍図」、。
肉筆の水墨画(つまり一点物)、。「葛飾北斎の絶筆」の作品とされる、。1849年、90歳で死の3ヶ月前の作品,山裾から沸き立つ黒雲に乗って天に昇る龍に自らを重ねて描いたものらしい、。当然のことながら,白い顔料で龍を描いた訳ではなく,黒い墨で黒雲を描きながら龍の部分を塗り残したのですから、これはもう神業でしょう、。
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この鉢の大きさの感じを分かって頂くのに相応しい展示会出品時のスナップ、。kumasannちゃんが来会して撮影してくれた、。七寸万年青鉢というのは,実際に使用されると「バケツ」のような大きさを感じます、。(緋毛氈を移して赤富士のように写ってます)
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by evian_th | 2019-11-30 21:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽徳窯「雲龍富士山図」万年青鉢                No.627
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◆2019年11月1日,。   浮田楽徳窯「雲龍富士山図6寸万年青鉢」、


令和元年記念。「雲龍富士山図」万年青鉢、。
浮田楽徳窯、。口径18センチ高さ18.6センチの6号鉢、。「龍」と「富士山」なら、格から言って「富士龍図」と呼ぶべきなのだけど、この鉢は1の足の正面には「龍」が描かれている、。「富士山」は2の足でも3の足でも無く、足と足の間に描かれていて、その事に何かの楽徳の意思を感じたから「龍に富士山図」としました、。

「龍」は中国で作られた架空の生物で、「鳳凰」「麒麟」「亀(玄武だと思う)」と共に「四瑞 」(しずい)とされ、お目出度い時に現れるとされています、。「令和の新時代を祝う」ように今年、風来記にいくつかの「龍図」鉢が現れたので,今月と来月にご紹介します、。

台の鉢は浮田楽徳の腕前に脂がのった最盛期の初期の作,。足に「白い花弁の菊図」を描くようになる前の作品ですね、。白胴によく描き込んで居ます、。青海波も上出来、。

「龍」と「富士山」とを組み合わせて同一画面に初めて描いたのが誰かは知らないけど、中国でデザイン化された「龍」を日本へ持ち込んで多く描いたのは「狩野探幽」だろうか、。京都の寺院の天井画に多くの「龍」を描いている,。しかし、「富士山」と組み合わせた事で有名なのは、「富士越しの龍図」(富士越龍図)を描いた浮世絵師「葛飾北斎」では無いでしょうか、。「世界の過去1000年間で最も影響力のあった100人」に日本人で唯一選ばれた「葛飾北斎」です、。この件は来月に書きます、。

この画像を見て不思議に思うのは、「浮田楽徳は実際の富士山を見たことがあるのではないか」と言うことです、。テレビドラマ「あさが来た」では、明治20年に「東京→大阪間」は蒸気船と蒸気機関車とを使って4日かかったのが、明治22年頃に「東京神戸間」に機関車が開通してから後は、明治30年頃には1日で東京まで行けるようになっていたはずです、。この鉢の富士山の絵は妙に写実的です、。江戸時代の浮世絵ではあれほどデフォルメされていた富士山が実に写実的に描かれている点に、「楽徳は富士山を自分の目で見たのではないかなぁ」とエビアンは100数十年前の浮田楽徳に思いを馳せるのです、。だから、先月に書いた通り、この鉢の制作年は明治30年頃では無いかと思うわけです、。

まぁ何とも羨ましいほどの良い鉢、。それも6寸の大鉢、。(飛田邦之氏所蔵・撮影も)

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by evian_th | 2019-11-01 00:16 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
貝合せ紋万年青鉢                       No.626
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◆2019年10月、。   貝合せ紋万年青鉢、。(かいあわせもん・おもとばち)


令和元年記念、吉祥貝合せ紋様万年青鉢、。
6寸8分の大鉢です、。口径20㎝、高さ20㎝の胴返し、。落ち着いた色調の絵柄ながら日本古来の吉祥紋様を丁寧に描いた浮田楽徳渾身の力作です、。これだけの銘鉢が、存在を知られずに今日まで受け継がれてきたことに感動を覚えます、。7寸に近い大きさの鉢というのは画像からは伝わりませんが、実物を目の前にすると大きいですよ、。

歴代の持ち主さんが余程大切にして可愛がられたのでしょうが、足に金泥で描かれた「菊花唐草文様」がほとんど擦り切れて消えてしまっており、窯元特定に少し苦労しました、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

7寸の大鉢は乾燥した後でも相当に重いものですが、製作途中の陶土が湿った状態の時によくぞその自分自身の重みに耐えて完成したものだと感心します、。エビアンは詳しくは知らないのですが、胴体部分と縁の鍔部分とは別々に作って接着するのでしょうけど、6寸7寸8寸の楽鉢の大鉢を作るのは相当に困難な作業なのだろうと想像できます、。

絵柄は、「鉢縁下」の陸地には「小菊紋」、波打ち際の磯は「青海波紋」で表わし、主題は吉祥紋である「貝合せ紋」になっています、。「貝」は昔から世界中で貴重なものとされ、和合や豊饒の象徴として扱われて来ました、。お金として使われたこともあるくらいに世界共通の価値観を持たれたほどです、。
日本では、平安時代に貴族の遊びとして貝を持ち寄り装飾して和歌を詠み合ったようで、これを「貝合せ」と呼ぶのですが、2枚貝の片方をうつ伏せにして神経衰弱のように合わさる貝を探す「貝覆い」も「貝合せ」とされ、後に左右一対の絵を描き和歌を書いて遊ぶのも「貝合せ」と呼ばれるようになりました、。夫婦和合や豊饒の意味を表わす吉祥紋として扱われます、。
浮田楽徳鉢には珍しく「白胴に総絵付け」を施した銘鉢になっていると思います、。

お気付きの方も居られると思いますが、先月は「歌仙絵六歌仙図」で今月は「貝合せ遊び」と「和歌」で繋げたつもりです、。
この鉢の制作年は、エビアン個人的には明治30年頃と思っています、。来月掲載予定の鉢と考え併せた結果です、。
(飛田邦之氏所蔵、撮影も)、。

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日本の伝統紋様「貝尽くし紋」、。他にも「貝」の文様は多い、。
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by evian_th | 2019-10-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
楽鉢そもそも                         No.623


◆2019年8月5日、。   楽鉢そもそも、


大阪府堺市を中心として松原市方面にまで点在する「百舌鳥・古市古墳群」(もずふるいちこふんぐん)が今年(2019年)「世界遺産」に登録された、
実はエビアンは宮内庁が管理する「仁徳天皇陵」が果たして本当に「仁徳天皇の陵墓かどうかも分らない古墳群の世界遺産登録を待つよりも、堺市は千利休の生誕の地を謳い文句にして茶道発祥の地として観光客を誘致してはどうか、」と10年近く前から堺市役所観光課へ電話したりなどしていた、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。だから今回の世界遺産登録には驚いたよ、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。

堺市の地元には「堺音頭」があり、「物の~始まーりは なんでもさーかーいー、三味もー小唄ーも~ みな さーかーい・・・」と唄っている、。そりゃ江戸時代には日本中のお金を集めたんだから鼻高々になっても仕方が無いか、どういうものが堺で始まったのかな?と思い検索してみると、「堺が発祥元、または堺で多く生産されて日本中へ広まったもの」は驚くほど多くあった、。「鉄砲・自転車・タバコ・包丁・三味線・私鉄・金魚・緞通・傘・足袋・ニッキ味の飴・セルロイド・金魚・線香・茶道・謡曲などなど」まだまだ沢山検索で出てきた、。本当に驚いた、。そりゃ自慢したくもなるわなぁ、。

この世界遺産登録を機会にテレビでも堺を取り上げる番組が作られるようにもなった、。
その中のある番組で「堺の発掘現場」が写ったものがあって興味を引かれた、。「堺は過去に2度焼失している」のだが、堺の地下80㎝ほどの所の焼土は「大阪夏の陣」の焼け跡、地下20㎝の焼土は「太平洋戦争」の焼け跡だった、。「大阪夏の陣」の時の焼土帯の方が「太平洋戦争」の焼け跡よりも焼け土の層が2倍ほども厚いのは、1615年当時すでに堺が相当な繁栄をした都市であった証拠ではないかとエビアンは感じた、。

この2つの焼土の間の地層からは「多くの陶磁器やその破片」が出土している、。主として江戸時代の地層からだけど、「茶道用お茶碗・食事用お茶碗・皿類・花瓶など」が沢山出てくる、。それも現在の価値で計るなら「何万円何十万円(もっとかも)クラス」の陶器がワンサカ出てきて、当時、一般庶民がこれらを日常使用の食器や道具として使っていたらしい様子がうかがえるものだた、。江戸時代の堺庶民は本当に贅沢な暮らしをしていたようだ、。テレビでは詳しくは写らなかったけど、「古唐津や古志野や、中には朝鮮青磁に見える花瓶」などがチラと写っていた、。

大阪夏の陣の1615年は、九州有田の地で朝鮮人陶工・李参平(日本名: 金ヶ江三兵衛)が磁器「有田焼(伊万里焼)」を始めた年でもあります、。

織田信長・豊臣秀吉の両大物に仕えた「佐々木長次郎」も秀吉時代には大阪の堺で窯を持って作陶していたに違いないと感じたものだた、。堺の港から天王寺・生野までは近く、生野区の辺には北方の大阪城へ登城する羅城門があったらしい、。そこから大阪城へはユッタリと上り坂、大阪城には太閤秀吉がいて、茶堂の千利休(田中利休)は堺に住んでいたのだから、利休の誘いで作陶の道に入った一介の瓦職人でしかなかった佐々木長次郎は大阪の堺で窯を持って作陶に励んだのであろうとエビアンは思う、。そう考えるのが最も自然だからだ、。
佐々木長次郎が当時既に一流の陶器職人として名前を売っていたというなら京都で窯を持って楽焼茶碗を焼いていたかも知れないが、千利休の導きと教えでもって「一流の楽焼陶工」となったのだから、長次郎は利休と離れることはなかっただろうと推察できるのです、。

ついでなが書くと、その師匠である千利休でさえ京都での秀吉の居城「寿楽第(邸)」の完成(天正15年1587年)後数年に秀吉の逆鱗に触れ切腹させられたのだから、それを見た田中長次郎は千利休の死後は師匠を亡くし作陶の道に見切りを付けて、京都から大阪の堺へ戻り、利休から家督を譲られた田中家の「ととや」を継ぎ、子供にも「楽家ではなく、ととや」の方を引き継がせたのではないか、。だから「楽家の家系図」は初代・長次郎から後は少し不明な系図になっているのであろうとエビアンは思っていて、多分これが正しい経緯だろう思う、。

田中長次郎は、ネットWikipediaでは天正17年(1589年)没となっているが、「楽家資料」では文禄元年(1592年)に77歳で他界したことになっていて、この辺は生誕年が不明なのでどちらが正しいのかは不明です、。千利休が切腹したのが天正19年という事からすると、エビアンの上記記事の辻褄が合わなくなるから、エビアンは楽家資料の方を信じることにします、。・゚・(。つ∀≦。)・゚・。
楽家2代目・常慶は長次郎の弟で、長次郎死去の時には67歳前後だったといい、常慶の弟「宗味」は脇窯を開いたと書いてあるところを見ると、長次郎には弟が2人いたことになります、。


佐々木家の長男長次郎(77歳)の他界時に次男常慶は67歳、すると三男の宗味は若くても60歳位だったと思われます、。日本人が長生きになった現在でも60歳といえば新規事業を興す年齢としては遅すぎる年齢、。400年前の時代ならなおさらでしょう、。
宗味は長次郎の死後あまり時間を置かずに「楽雅亭窯」を開窯したのではないか、と風来記は考えるわけです、。
1603年江戸幕府の成立前、まだ大阪に勢力の余韻が残っていた時に開窯したものと思われるのです、。1600年には関ヶ原の戦い、1614年には大坂冬の陣と戦は続き、世の中も不安定になるわけですから「楽雅亭の開窯」は「長次郎の死と関ヶ原の戦いの間」くらいではなかったでしょうか、。江戸幕府の成立後、徐々に世の中は安定の時代になるのですが、宗味の年齢を考え合わせると、上記のように考えざるを得ません、。

楽家3代目・道入の弟道楽が大阪堺で「楽忠窯」を開くのは明暦2年(1656年)のことです、。
今までエビアンは漠然と「楽雅亭の開窯と楽忠の開窯」とは年代が近かったように考えていたのですが、50年以上の時間差があることに今回初めて気付き、愕然としているところです、。現在に伝わる「楽雅亭の鉢」と「楽忠の鉢」とが同じようなデザインだったので、なんとなくもっと近い時代の鉢だと感じていました、。
楽家の書物に記載されていることが全て正しいとすれば、そういうことになります、。


大阪府堺市の「百舌鳥古市古墳群の世界遺産登録」を機会に「楽鉢の始まりの時代」のことを考える内に思いついたことでした、。

新PCの単語登録が信頼性に欠け、「長次郎」が「長治郎」になっていて気付かずに使ってしまっている所があるかも知れません、。読み返して訂正しているのですが見落としがあれば、ごめん、。

<余談>
楽家の家系図に関しては、楽家自身の中でも解釈は様々でね、結構いい加減な所も多いのですよ、。
初代長次郎は織田信長から3000石を与えられていたのですが、2代目常慶も同じだったかどうかは判然とせず、2代目は禄を返上して自分で御茶碗以外のものも焼いて商売したらしく、結構裕福な生活だったらしいのです、。ところが4代目には商売も逼塞してお金に困るようになって行ったようです、。この時に「楽の印」を押して他にも売り、咎められるという事態になっています、。

2代目が御茶碗以外の物も焼いた中に「楽焼植木鉢」でも焼いていたとしたら、肌の質感から見てこのスレッドに掲載の上掲2枚の画像の万年青鉢などは2代目の肌に似ているので、そうだったらいいのにな~などと思ってしまうのです、。まぁ植木鉢などは望むべくもないでしょうけどね、。

今回の話も楽家の書物からの推察ですが、宗味が60歳を超えてから新規事業を興したというのは少し無理があるんじゃないかと思われるのです、。が、書物通りに辻褄合わせをするとそういうことになってしまいます、。

まぁ、2代目常慶に関しては、長治郎の弟では無く子供ではないか、とか、千利休の子供ではないか、とか母方の叔父の子供ではないか、とかと諸説あり一定しない、。楽家家系図はもうこの辺がグダグダで、あまり信頼されていない、。



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<結論を書いてなかったな、。>
「楽雅亭」の開窯が「楽忠」の開窯の1656年よりも50年も遡る可能性が出て来たことは、「楽焼植木鉢」が初めて作られた可能性も50年遡るということになります、。
但し、資料上からは今まで通り「楽忠窯の開窯」の1656年ということになります、。

「楽雅亭」のことか「楽忠」のことかは分かりませんが、「茶道用お茶碗」はあまり売れないので、「食器としての茶碗や皿」を作ったのでしたが、「直ぐに割れる」「毒がある」と噂を立てられ、これもまたあまり売れなかったようです、。「毒がある」と言われたのは、楽焼の場合は加茂黒石を分厚く掛けるので、釉薬に含まれる「鉛」も多く、そのために使い始めに変な味がしたのを嫌われたのかも知れないとエビアンは思っています、。

だから、生活雑器といっても「植木鉢」の製作の方へ比較的早い段階で進んだのではないかと推察する訳です、。
「楽鉢」の製造が始まったのは、資料上からは1656年ですが、実際には1600年頃だったかも知れない、というのがこの記事の結論です、。











by evian_th | 2019-08-07 01:14 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
京楽蘭鉢                           No.622
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◆2019年8月、。   古京楽蘭鉢、。

7月末から突然猛暑に突入しました、。昨年のような被害は出ないでしょうが、蘭の手入れにも気を抜けない日々があと1ヶ月間ほどは続きそうですね、。

古京楽蘭鉢、。
この鉢も古京楽の「福井楽印釜」の製品だと思います、。
時代乗りが不足しているのは、ほとんど使われずに保存されていたせいかも知れません、。古典鉢もやはり少し使われてその良さが出てくるものだと感じます、。
背景紙の使用法がエビアンとは上下が逆なので、いつもと違った印象を受けられると思います、。コントラストも強く撮影されているために余計に新しい鉢のような印象を受けますが、これも撮影時のカメラの設定のせいでしょう、。
鉢の台の作りはシッカリとしていて蘭鉢としては上物の部類です、。描かれている花が何なのかがエビアンには判断が付きませんが、福井楽印窯は「菊花」と「梅花」を得意としましたから「菊花」なのかも知れません、。
展示会用には使い勝手の良さそうな鉢です、。w12.5,h17cm、(下村健造氏蔵・今春の全春連大会で望月で優勝された方)



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by evian_th | 2019-08-01 00:04 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
古京楽蘭鉢                         No.621
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◆2019年7月、。   古京楽蘭鉢、


梅雨の真っ最中で、蒸し暑い7月の入りです、。皆さんはお元気ですか?、。

古京楽(多分、福井楽印窯)の蘭鉢、。
写真が明るすぎて、古典の京楽鉢が持つ独特のシットリ感や良さが写せてないように感じるのと、土目土色も実物とは違った感じに写っていると思われ、画像判断からだけで説明文を書くには少し無理があるように感じています、。
この鉢に描かれている「唐草文」をなんと呼んだらよいのかを調べていた時に「先月の網干千鳥紋」を偶然に見付けたのです、。この鉢に描かれている植物は何なのかが分かりません、。それが分かれば「○○唐草文」と書けたのでしょうけど、。三つ葉のクローバーのようなこの葉は何をえがいたものでしょう、。どなたかご存知の方が居られましたらお知らせ下されば幸いです、。

制作の窯元は多分「福井楽印窯」、。台の作りは短冊家に非常に似た上出来の鉢を作る窯元です、。福井楽印窯があったのは京都市山科区ですが、清水寺の直ぐ南側を通る道を東へ回り込むように進むと京都市山科区ですから、まぁ清水寺の東裏側辺りに窯があったのでしょう、。清水寺門前町2丁目にあった佐々木松楽窯とは近所です、。
暖かい感じのする明るい茶色の陶土を使うのが一つの特徴でもあります、。

植物の葉を描くのに使われている顔料は「支那呉須」のように見えます、。「呉須」は普通は磁器に用いられる顔料で、陶器に呉須絵付けはしないものですが、この鉢の場合は、呉須を用いる葉の下地にまず白い磁器質の顔料を掛けて一度焼いた後に呉須で上絵付けしたのでしょう、。塗り残した下地のままの葉が一カ所見えますね、。
「支那呉須」は浙江省で採取されたもの、。江戸時代、多い時には長崎藩(長崎藩というのは無いが、長崎はいろいろな藩が共有していたから、この場合は佐賀鍋島藩かも知れません)などは一度に今の2トンもの支那呉須を輸入しました、。(支那呉須と言う語は古くから使われてきた常用語であって、中国に対する蔑称の意図はありません、。支那蘭・支那鉢も同様です、。名曲支那の夜もそうです、。中国建国70年よりも前から使われたものです、。どうもここ中国の人も見ているようなので、一応説明しておきます、。)

実物は恐らく、もっと深みや時代乗りの良さを持つ鉢だろうと思います、。(西口郁夫氏蔵)

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京都の丸山健氏から、この植物は「柏の葉」の紋様である、とお教え下さった、。
「三つ葉柏」(みつばかしわ)という紋様で、由緒ある土佐山内家の家紋としても使われているのだそうです、。
ですから上掲の鉢の絵柄は「三つ葉柏唐草紋」または「柏唐草紋」と呼ぶのが相応しいと思います、。
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by evian_th | 2019-06-30 15:54 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
三河楽「網干千鳥紋蘭鉢」                    No.620
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◆2019年6月、。   三河鉢「網干千鳥紋」蘭鉢、。(あぼしちどりもん)


三河楽「網干千鳥紋蘭鉢」、
昨秋の柄物展の交換会で購入、。競り台に上っている時から「妙な文様の鉢だなぁ」とは思っていたが買ってみないことには観察もできないから競り落とした鉢です、。植木鉢得意の商人さんもエビアンが買ってしまった鉢をけなす訳にもいかないから「なんともモダンな絵付けの鉢ですねぇ」などと言う、。エビアンの方も「変な鉢を買ってしまったなぁ」と思いつつも手元に置いてました、。

先月5月に使用の万年青鉢の「雲竜図」の周囲を取り囲む「窓」の形の呼び名を探す内に「千鳥文様」のページを見ていて、この鉢に描かれた「教会の屋根をデザイン化したような文様」が「網干千鳥紋(あぼしちどりもん)」という古典の呼び名があることを偶然に発見したものです、。

浜辺で漁網を干す様子をデザイン化したもので、漁網の上空には数多くの千鳥が飛んでいる、という景色を映したものだそうで古く室町時代に遡るレッキとした文様用語をもらっていました、。文様の呼び方が判明した喜びよりも正式名を持つ文様だった事の方に驚きました、。

愛知県三河湾に面した西端などの浜辺では漁業が盛んで干潟も多かったのでしょう、。千鳥も多く群れ飛ぶのどかな漁村風景が目に浮かびます、。三河湾には現在でも東京湾や有明海と並んで「アサリ」の漁獲量日本一という六条潟など有名な干潟も残っており、往時にはさぞ美しい浜辺だったのだろうと想像します、。

それにしても「千鳥(チドリ)」はよほど日本人に馴染みの深い鳥だったようで、古典文様用語にも「波千鳥・浜千鳥・磯千鳥・群れ千鳥」など用語も多く、平安時代から使われていたようです、。まさか先日焼失したフランス・ノートルダム寺院の屋根のような文様にまで名前が付いていた事は驚きでした、。
普通一般には「千鳥紋」を描くときは下方の図の下部にあるように「ひよこ饅頭のようなアジの開きのような」形に描くか、下図・網干千鳥紋の説明画にある「スズメのような風」に描かれるのです、。この鉢には「カモメかカラス」のように描かれていますが、まぁ「千鳥紋」と呼んでもよいと思います、。愛楽園初代・杉浦重平氏はこういう描き方をしました、。

「西端楽鉢」の黎明期に伊藤善之助などから教えを受けた桃源社のメンバーの鉢か、それほど古くない場合は杉浦重平やその世代の作だと思います、。口径11センチ強、高さ15センチ強、。

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by evian_th | 2019-06-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
慶賀「令和元年」                      No.619
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◆2019年5月1日(令和元年)、。   瑠璃雲龍図万年青鉢、。


慶賀「令和元年」、。
昭和64年1月7日で「昭和」が突然に終わり、翌1月8日から始まった平成時代31年間は昨日をもって終了しました、。歴史の分かれ目のスレッドです、。

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白唐草瑠璃雲龍図万年青鉢、
「龍」は古代中国で成立した想像上の動物であり、中国では皇帝を象徴する紋様であったために多くは描かれませんでした、。日本では「龍・鳳凰・麒麟・玄武(亀と蛇とが合わさったような想像上の生き物)」を「四瑞 」と呼び、目出度い時に天の使いとして現れるとされて来ました、。
「龍」はまた「青龍・朱雀・白虎・玄武」の「四神」の一つでもあります、。
今回の画像のテーマに最も相応しい絵柄の鉢として「龍図」を選びました、。


一般的には「龍」は「天に昇り雨を降らす」とされたので、「龍」を描く時には「水」の象徴として、下方に「青海波紋」や「大浪紋」を描くのが古典の法則に沿った描き方です、。「京楽」ではほぼこの決まりを守るので、京都・三河・江戸の見分けの一つの参考にはなります、。

画像の鉢は、見た目の完成度の高さや絵付けの巧みさ、瑠璃釉薬の垢抜けた上品さなどから「明治時代の短冊家製に違いない、」と思ったのですが、鉢底に見える陶土が砂混じりの暗い色である事や、なんといっても足の作りが短冊家製品ではないところから、京楽か三河楽かの判断さえ付かない状態です、。

京楽6窯も、大部分は特定出来ているのですが、京楽鉢に間違いは無いのに窯元判断が付かない鉢形が2~3種類あります、。「大虎窯」は、京都三条から清水寺へ上っていく坂道の土産物屋の南側裏にある平安京以来の葬送の地「鳥辺山」周辺・祇園馬町に京楽の窯が数軒集まっていたらしく、この窯元群の個々の名前は判明していません、。風来記では、これらを大まとめにして「大虎窯」としています、。しかし画像の鉢の足の形はそれらにも該当しないのです、。初めて見る形です、。

明治の三河楽の愛好家「桃源社」のメンバーであった「初代・中里家」その他の人のその後は郷土史資料にも出てきませんので判然としないのですが、陶土が「西端陶土」に似ているとはいっても、これほど完成度の高い鉢を明治の三河で作れたとは思えないのです、。

絵付けは窓(この形の窓の呼び名が分からない)の中を一旦磁器質の釉薬を掛けて焼き、その上から瑠璃釉と金泥とで雲龍図を描いています、。その龍図の巧みさには目を奪われます、。
窯元不明ながら素晴らしい万年青鉢です、。11.4センチの胴返し、。(西口郁夫氏蔵)

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窯元判断が付かない京楽の鉢の一つが今春の全春連展示会で最高賞に入った「望月」が植えられていた足のゴツイ京楽鉢です、。よく出来ていて短冊家に似るのですが、足がゴツイ、特に横から見た時の足がゴツイのです、。これらを風来記では「大虎窯」に分類しています、。
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時:2019年6月2日
所:海南市民会館










by evian_th | 2019-05-01 00:17 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
西端焼き六角吉祥紋楽鉢                    No.618
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◆2019年4月1日、。   西端焼き六角吉祥紋楽鉢、


新元号は「令和」
これで安心して記事を書けます、。
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画像の鉢は、高さ8センチほどの小さい鉢らしいですが、小ささを感じさせませんね、。
「松竹梅」と「亀」、唐草なのか渦巻なのかは明確ではない文様が描かれた六角鉢です、。昨年までなら判断不能だった鉢です、。
六角鉢の台の作りはシッカリしているのに鉢底に亀裂が入っているところから、「西端粘土」を使った代表的な「西端楽鉢」だと思います、。厚みがあり、亀裂が入っている所から「剛珍焼」ではありません、。

絵付けは、一見拙いように見えますが、イッチンを使って分厚く泥漿を塗っているせいでもあろうかと思われます、。瑠璃釉薬や緑色の釉薬それに金泥を贅沢に使い、高価な鉢であったことが窺えます、。
明治18年から35年あたりの製作、。偶然ながら、新元号決定の時に相応しいめでたい絵付けの鉢でした、。(西口郁夫氏蔵)

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by evian_th | 2019-03-31 21:00 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢
福井楽印窯「梅花紋富貴蘭鉢」                No.616
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◆2019年2月、。   福井楽印窯「梅花紋風蘭鉢」、


厳しい寒さが来ることもなく、割合平穏の内に2月を迎えました、。大災害に慣れ過ぎてしまって、何か起きないかと不安に感じる習慣がついてしまいました、。もうすぐ”春”、。

今月は陽春に相応しい感じのする「富貴蘭鉢」です、。
最近は風来記でも取り上げる事が少なくなっていた「福井楽印窯」の製造と絵付け、。
下に掲載の「梅花紋富貴蘭鉢」も同じく福井楽印窯の作品で、所有者になられた人が同時に購入されたもの、。
絵付け的には下画像の方が福井楽印の特徴を表しているのですが、梅花を細かく描いている上画像の方をエビアン個人的には好みなので、こちらをご紹介、。
福井楽印窯は「台の作り」がシッカリしていて陶器としての完成度は非常に高く、この点では「京都短冊家」「東京福富京楽堂」に並びます、。割れ鉢やひびの入った鉢も少ないものです、。もっとも、福井楽印窯製の鉢を見る機会自体が少ないせいでもあります、。台の作りは短冊家に似ます、。
福井楽印の特徴は何といってもその絵付けで、短冊家に似て、それよりもチョッと”色気”を感じる絵付けを施します、。ですから上絵付けを施した時は妙に色っぽくて、見る人を引き付けます、。今回は梅花紋でしたが、菊花紋を得意としたようです、。

鉢としては「下画像の鉢」の方が完成度は高いのですが、鉢ヘリ上面が上方へ反った上画像の鉢をメインに使用しました、。(両方共、西口郁夫氏所蔵)、。
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by evian_th | 2019-02-01 00:03 | 東洋蘭鉢・楽焼鉢・古鉢・ラン鉢



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